三角寺

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三角寺
三角寺 本堂と大師堂
本堂と大師堂(奥)
所在地 愛媛県四国中央市金田町三角寺75
位置 北緯33度58分3.5秒
東経133度35分11.4秒
座標: 北緯33度58分3.5秒 東経133度35分11.4秒
山号 由霊山
宗派 高野山真言宗
本尊 十一面観音
創建年 (伝)天平年間(730年749年
開基 (伝)行基
正式名 由霊山 三角寺 慈尊院
札所等 四国八十八箇所65番
地図
三角寺の位置(愛媛県内)
三角寺
法人番号 2500005005826
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三角寺(さんかくじ)は愛媛県四国中央市金田町三角寺75にある高野山真言宗の寺院。由霊山(ゆれいざん)、慈尊院(じそんいん)と号す。本尊十一面観世音四国八十八箇所霊場の第六十五番札所。三角寺山(海抜450m)の中腹にありかつてはかなりの厳しい山道を登らねばならぬ難所寺であったという。伊予国最後の札所である。

本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか

ご詠歌:おそろしや 三つの角にも 入るならば 心をまろく 慈悲を念ぜよ

歴史[編集]

寺伝によれば天平年間(730年749年)に聖武天皇勒願により行基が開基したとされる。空海(弘法大師)が来訪した際、本尊である十一面観世音と不動明王を刻み、三角形の護摩壇を築き21日間降伏の秘法を施したとされる。三角寺の寺号はこの護摩壇に由来する。境内には三角の池が残り、そのときの名残とされる。嵯峨天皇が本尊を深く信仰し、寺領300町歩を下賜し、堂塔を建造したとされ、往時は12坊を持ち、七堂伽藍を備えていたという。

天正9年(1581年)の長宗我部元親軍の兵火で焼失し、現在の建物は嘉永2年(1849年)に再建されたものである。

本尊と大師像[編集]

この節には、JIS X 0213:2004 で規定されている文字(「蜾髪」の1文字目)が含まれています(詳細)。
  • 本尊・十一面観音は、子安観音として厄除観音としても信仰されている。以下の習わしがあった。それは、妊婦が寺の庫裡にある杓子(しゃもじ)をひそかに持出し、出産の際に床下へ置くと安産になるという。寺では妊婦が杓子を持ち帰るのを見てみぬふりをし、妊婦は安産の後は新しい杓子を持ってお礼まいりにくるという。また、子宝に恵まれない女性は裏の入口で杓子をもらい、自宅に持ち帰り使用して子授けを祈願するというものである。
現在は、納経所に本人が申し出ると杓子を授けてもらえる。
  • 大師像は元禄時代に当寺に新造されるまで、大師像の参拝は、山を越えた仙龍寺に行っていた。その後も仙龍寺に参拝する者は絶えず、近年まで隆盛は続いたと云われている。なお、現在の大師堂は、中心に弥勒如来(菩薩菩薩と如来の違いは尊像の頭が蜾髪であることが示していて、空海が本尊を十一面観音を本尊とする以前は弥勒如来が本尊だったとされている)、向かって右側に大師像が祀られている。その弥勒如来坐像と大師像は2014年に初めて御開帳された。

境内[編集]

延命地蔵菩薩

73段の石段を上って釣鐘が架かる山門を入り右に納経所があり、参道を左に進むと右手に、弁財天のある三角池、薬師堂、一番奥に本堂がある。大師堂は本堂手前の右の丘に建っている。

  • 宿坊:なし
  • 駐車場:40台(民営で有料、普通車で200円)、身体障害者同乗は寺に電話をすれば納経所裏まで通行可。

文化財[編集]

県指定有形文化財
  • 木造十一面観世音立像(昭和40.4.2指定)

60年に一度甲子の年に開帳される秘仏で、前回は昭和59年 (1984) である。像高168cm檜の一木造りで天冠の直下のみ緑青彩で髪全体は墨彩され他は漆箔が施され、顔は重厚で躰は厚く張りのある力強い感じで10世紀も早い時期に造られたものである。

国の史跡
三角寺奥之院道
  • 伊予遍路道 三角寺奥之院道:当寺から仙龍寺を経て雲辺寺に至る雲辺寺道の一部で、当寺境内を出たところから4丁石までの間約3.7km、平成29年10月13日指定。

交通案内[編集]

鉄道
バス
道路

奥の院[編集]

金光山 仙龍寺(四国別格二十霊場第13番札所

前後の札所[編集]

四国八十八箇所
64 前神寺 -- (45.2km)-- 65 三角寺 -- (18.1km)-- 66 雲辺寺

参考文献[編集]

  • 四国八十八箇所霊場会編『先達教典』 2006年
  • 宮崎建樹『四国遍路ひとり歩き同行二人』地図編 へんろみち保存協力会 2007年(第8版)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]