雲辺寺

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雲辺寺
雲辺寺 本堂
本堂(2009年落成)
所在地 徳島県三好市池田町白地ノロウチ763-2
位置 北緯34度02分6.8秒
東経133度43分25.4秒
座標: 北緯34度02分6.8秒 東経133度43分25.4秒
山号 巨鼇山
宗派 真言宗御室派
本尊 千手観音
創建年 延暦8年(789年
開基 (伝)空海(弘法大師)
正式名 巨鼇山 雲辺寺 千手院
札所等 四国八十八箇所66番
阿波秘境祖谷渓・大歩危七福神霊場(毘沙門天)
文化財 木造千手観音坐像ほか(国の重要文化財)
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雲辺寺(うんぺんじ)は、徳島県三好市池田町白地ノロウチの雲辺寺山山頂近くに位置する真言宗御室派寺院で、巨鼇山(きょごうざん)千手院(せんじゅいん)と号し、本尊千手観世音菩薩である。

所在地は徳島県(阿波)であるが、四国八十八箇所霊場としては讃岐の札所として扱われ第六十六番で、八十八箇所中で最も標高が高い札所である。阿波秘境祖谷渓・大歩危七福神霊場めぐりの毘沙門天でもある。

本尊真言:おん ばさらたらま きりく そわか

ご詠歌:はるばると 雲のほとりの 寺にきて つきひを今は ふもとにぞ見る

沿革[編集]

寺伝によれば、789年延暦8年)に佐伯真魚(後の空海・弘法大師)が善通寺建立のための木材を求めて雲辺寺山に登り、この地を霊山と感得し堂宇を建立したことを起源とする。空海はまた、807年大同2年)には秘密灌頂の修法を行い、さらに818年弘仁9年)に嵯峨天皇勅命を受けて本尊を刻んで、七仏供養を行ったという。後に「四国高野」と呼ばれ、僧侶の修業道場となり、貞観年間(857年から877年)には清和天皇の勅願寺ともなった。

1098年(承徳2年)火災で全山消失するも、その後に鹿を追って当地に入った猟師米成は樹上に現れた観音菩薩の威厳にうたれ発心し堂宇の再建を果たした。 平安末期の中興の祖と云われるにふさわしい願西上人が住職のとき、現存する本尊千手観音と毘沙門天が造られた。 鎌倉時代には、阿波守護の佐々木経高(経蓮)の庇護を受け、七堂伽藍が整えられ関所寺であった。 1311年(応長元年)には、京都西園寺家により寺領が寄進される。 1363年(貞治2年)には足利氏より法華経真読を依頼される[1]

1577年天正5年)に土佐を統一し、四国制覇を狙う土佐の戦国大名長宗我部元親が雲辺寺を訪れ、住職の俊崇坊に四国統一の夢を語ったという。

1987年昭和62年)には香川県観音寺市側の山麓と雲辺寺ロープウェイによって結ばれ、訪れやすい寺となった。

境内[編集]

仁王門の脇に手水舎があり、仁王門をくぐり石段を上がると右手に鐘楼、正面奥には大師堂拝殿があり履物を脱いで回廊を回って裏に行くと、大師堂奥殿がある。大師堂拝殿の左手前のスロープーを降りていくと、コンクリートの本堂側面が見え、左に納経所がある。本堂の奥に護摩堂さらに本坊がある。本尊千手観音坐像は毘沙門天立像(後述)と共に本堂裏の斜面上の収蔵庫に納められていて、本堂には大きな石像の前仏が鎮座している。

  • 宿坊:なし
  • 駐車場:20台(道路維持管理費として普通車で志納金500円要、引き替えに箸を貰える。駐車場からさらに境内まで徒歩約10分。なお、さらに1km下の県道脇に10台の駐車スペースがあり、そこから徒歩なら無料)
  • ロープウェイ山頂駅から境内まで徒歩約10分(山麓駅無料駐車場:800台、大型10台)

文化財[編集]

重要文化財
  • 木造千手観音坐像 - 檜の一木造り、素地、42臂、103.3cm、平安時代後期、経尋作。作者は11番札所・藤井寺の釈迦如来(寺伝薬師如来)像の作者と同じ。明治44年(1911年8月9日指定
  • 木造毘沙門天立像 - 木造、彩色、154.5cm、寿永3年(1184年)作。明治44年(1911年)8月9日指定
  • 絹本著色聖衆来迎図 - 明治43年(1910年8月29日指定

ギャラリー[編集]

五百羅漢と紫陽花

交通案内[編集]

鉄道
バス
道路

前後の札所[編集]

四国八十八箇所
65 三角寺 -- (18.1km)-- 66 雲辺寺 -- (9.4km)-- 67 大興寺

奥の院[編集]

長福寺
  • 所在地:徳島県三好市山城町大月297

参考文献[編集]

  • 四国八十八箇所霊場会編 『先達教典』 2006年
  • 宮崎建樹『四国遍路ひとり歩き同行二人』へんろ道保存協力会、1990年

外部リンク[編集]

  1. ^ 雲辺寺が配布のパンフレットより