八坂寺 (松山市)
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八坂寺 | |
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本堂 | |
所在地 | 愛媛県松山市浄瑠璃町八坂773 |
位置 |
北緯33度45分28.6秒 東経132度48分46.3秒座標: 北緯33度45分28.6秒 東経132度48分46.3秒 |
山号 | 熊野山 |
院号 | 妙見院 |
宗旨 | 古義真言宗 |
宗派 | 真言宗醍醐派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | (伝)大宝元年(701年) |
開基 | (伝)役行者、文武天皇(勅願) |
正式名 | 熊野山 妙見院 八坂寺 |
札所等 | 四国八十八箇所47番 |
文化財 |
阿弥陀如来像(県文化財) 宝篋印塔(市文化財) |
法人番号 | 7500005000517 |
八坂寺(やさかじ)は、愛媛県松山市浄瑠璃町八坂にある真言宗醍醐派の寺院。熊野山(くまのざん)、妙見院(みょうけんいん)と号する。本尊は阿弥陀如来。四国八十八箇所霊場の第四十七番札所であり、伊予十三仏霊場第十番札所である。
本尊真言:おん あみりた ていぜい からうん
ご詠歌:花を見て 歌読む人は 八坂寺 三仏じょうの 縁とこそ聞け
沿革[編集]
寺伝によれば役行者によって開基され、大宝元年(701年)に、伊予の国司越智玉興が、文武天皇の勅願を受けて堂宇を建立したという。このとき8ヶ所の坂道を切り開いて創建したことから寺名になったといわれている。一時荒廃するが、弘仁6年(815年)に来錫した空海(弘法大師)が再興したとされる。 本尊の阿弥陀如来は恵心僧都源信の作と伝えられる。
その後、紀州から熊野権現を勧進して十二社権現とともに祀り、修験道の根本道場として栄え、12坊、84の末寺を持ち多くの僧兵を抱える大寺となった。天正年間(1573年 - 1592年)には兵火によって焼失してからは寺域も縮小し、現在の境内となっている。
境内[編集]
- 山門:屋根付き橋のようになった単層小型の門で、天井には22の菩薩と阿弥陀如来が描かれている。
- 本堂:2034年が次回本尊開帳の年であるが、2014年に特別開帳された。
- 大師堂:大師像を拝顔できる。
- 鐘楼
- 権現堂
- 閻魔堂:極楽の途、地獄の途に分れそれぞれの様子が描かれている。「極楽往生通行手形」(亡くなった時に棺の中に納め一緒に荼毘にふす)を授けてもらえる。
- 宝篋印塔:鎌倉時代のもので寺宝とされている。
- 救いの手:本堂の段に上がる石段の10段目左側にあり。九難を去る救いの手である。
- 不動明王像(いやさか不動):平成17年に建立、以来毎年4月29日柴灯護摩供が催行される。
- 熊野十二社権現堂
小川を渡る橋を兼ねた山門をくぐると右に手水場と庫裏・納経所が、左に宝篋印塔が、その先に鐘楼がある。正面奥に本堂が建つ。本堂右手には権現堂、十二社権現堂があり、本堂左には閻魔堂があり、そして大師堂がある。 駐車場に来た車遍路は、外から下って山門を入り、中央の石段を上がって本堂大師堂を参拝後、また納経所まで下り、山門から出て駐車場に外から戻り、車は左折し上がって八坂霊園の中を通過して、寺を後にするように寺は指導している。
- 宿坊:なし
- 駐車場:50台。無料。
文化財[編集]
- 愛媛県指定有形文化財
- 阿弥陀如来坐像:本尊で50年に1度の秘仏。像高84cm、重さ18kgの寄木造、鎌倉時代後期作。昭和10年(1935年)に金泥塗替の修理が行われている。昭和40年.4.2指定[1]
- 松山市指定有形文化財
- 宝篋印塔:高さ約2m、笠の四隅の馬耳型突起(ばじけいとっき)が直立しており、鎌倉時代の特色を示している。昭和43年.10.25指定
- 層塔:6重の石造の供養塔、総高2.7m、安山岩製で鎌倉時代末期、昭和43年10.25指定
交通案内[編集]
- 鉄道
- バス
- 伊予鉄バス 八坂寺前バス停
- 道路
- 愛媛県道194号線久谷森松停車場線 八坂寺前 (0.3km)
前後の札所[編集]
周辺の番外霊場[編集]
- 生目神社(いきめじんじゃ)
- 原因不明で平癒ままならない目の病に霊験ありと云われている。八坂寺の参道から約0.6km急峻な車道を上がった生目山中腹にある。主祭神は須佐之男命・奇稲田姫命、配神は平景清。
- 所在地:愛媛県松山市浄瑠璃町八坂地図
脚注[編集]
- ^ 松山市ホームページ→観光イベント→松山市観光ガイド→松山の歴史・文化→指定文化財
参考文献[編集]
- 四国八十八箇所霊場会編 『先達教典』 2006年
- 宮崎建樹『四国遍路ひとり歩き同行二人』地図編 へんろみち保存協力会 2007年(第8版)
外部リンク[編集]
- 第47番札所 熊野山 妙見院 八坂寺(四国八十八ヶ所霊場会公式)
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