石手寺
石手寺 | |
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本堂(重文) | |
所在地 |
![]() 愛媛県松山市石手2丁目9-21 |
位置 |
北緯33度50分52.3秒 東経132度47分47.3秒座標: 北緯33度50分52.3秒 東経132度47分47.3秒 |
山号 | 熊野山 |
院号 | 虚空蔵院 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
本尊 | 薬師如来 |
創建年 | (伝)天平元年(729年) |
開基 | (伝)行基、聖武天皇(勅願) |
正式名 | 熊野山 虚空蔵院 石手寺 |
札所等 | 四国八十八箇所第51番 |
文化財 |
二王門(国宝) 本堂・鐘楼・三重塔ほか(重要文化財) |
公式HP | 石手寺 |
法人番号 |
5500005000139 ![]() |
石手寺(いしてじ)は、愛媛県松山市にある真言宗豊山派の寺院。本尊は薬師如来。四国八十八箇所第51番札所。遍路の元祖とされる衛門三郎の再来伝説ゆかりの寺でもある。
初詣・厄除詣の参詣者数は県内随一であり、道後温泉から近いため、遍路の他にも、観光客で賑わうことが多く、2009年3月、ミシュランガイド(観光地)日本編において1つ星に選定された。
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
御詠歌:西方を よそとは見まじ 安養の 寺に詣りて 受くる十楽
納経印:本尊、奥之院石鉄寺、衛門三郎再生大師
沿革[編集]
寺伝によれば、神亀5年(728年)に伊予国の太守、越智玉純(おちのたまずみ)が夢によってこの地を霊地と悟り熊野十二社権現を祀った。これは聖武天皇の勅願所となり、天平元年(729年)に行基が薬師如来を刻んで本尊として安置して開基したという。創建当時の寺名は安養寺、宗派は法相宗であったが、弘仁4年(813年)に空海(弘法大師)が訪れ、真言宗に改めたとされる。寛平4年(892年)領主・河野息利に生まれた長男・息方が当寺で祈祷を受けると握っていた手から「衛門三郎再生」と書かれた石が現れたという衛門三郎再来の伝説によって石手寺と改められた。
河野氏の庇護を受けて栄えた平安時代から室町時代に至る間が最盛期であり、七堂伽藍六十六坊を数える大寺院であった。永禄9年(1566年)に長宗我部元親による兵火をうけ建築物の大半を失っているが、本堂や仁王門、三重塔は焼失を免れている。
境内[編集]
- 山門(仁王門)【国宝】
- 本堂【重要文化財】 - 毎年、10月下旬に本堂の内拝がある(令和元年の場合10月21日から10月28日午前9時から午後3時半・200円、その年により変更有)。
- 大師堂 - 大師像を眼前で拝顔できる。かつては壁に正岡子規、夏目漱石ら多くの文化人の落書きが記されており、「落書堂」とも呼ばれていたが、壁は第二次大戦中に塗りなおされている。現在でも、白いボードが貼られていて落書きができる。
- 訶梨帝母天堂【重要文化財】 - 訶梨帝母尊(鬼子母神)を祀る堂。妊婦は堂周りの石を持ち帰り、無事に出産すると石を2つにして返すという風習がある。堂と云いながら祠である。
- 一切経堂
- 護摩堂【重要文化財】
- 弥勒堂 - 知足天の扁額があり、知足天は兜率天のことで弥勒菩薩がいるところ。
- 鐘楼(袴腰造)【重要文化財】- 重要文化財の鐘がぶら下がっていて住職しか撞けない。
- 三重塔【重要文化財】 - 周りで四国八十八箇所のお砂踏みができる。
- 茶堂(茶堂大師) - この堂の大師像は絶対秘仏で住職も見たことがない。堂の前の香炉に線香を奉納した煙が絶えず名所である。
- 阿弥陀堂 - 阿弥陀仏を拝観できる。
- 鐘楼(吹放し型) - 山門を入って左の鐘は自由に撞ける。
- パゴダ - レンガ造りの大きな建物。ビルマの戦没者を祀る。
- 絵馬堂 - 本堂と大師堂の間にあり
- 十二社権現の祠 - 絵馬堂の背後にあり
- 穴地獄の祠
- 水天祠
- 弁財天の祠 - 小池の中にあり。
- マントラ洞窟 - 本堂左奥から入り大師堂の背後に出る、真直ぐ進むと山の裏側に出る。金剛界・胎蔵界のマントラを表現している。
- 奥の院しょうじょう寺 - 山の裏側にあり、マントラ塔や木彫り五百羅漢のある謎の設備。
- 中雀門 - 本坊の区域に入る門。
- 大講堂
- 宝物館 - 安養寺時代からの寺宝を展示する。衛門三郎の再来伝説の「石」も見ることができる。
- 仏陀研究館 - 新しい建物で仏陀の仏像が展示されている。
- 安養閣 - 東門から出た外にある。
- 大日曼荼羅石像群 - 境外道路脇に、東寺講堂の立体曼荼羅に模した石像群(大日如来と四仏、金剛波羅蜜と四菩薩、不動明王と四明王の合計15体)が2018年設置された。仏陀研究館の東に入口があり、真っ暗な洞窟を通過すると不動明王を中心とする明王室と大日如来を中心とする如来室が2つの計3室あり座禅や瞑想ができる。それを抜けると石造群のある外に出る(有料300円)。
- お山四国登り口 - 本堂に向かって左に登り口がある。
- ミニ四国八十八箇所 - 愛宕山(標高115m)の山頂を経て下ると43番まであり、44番から88番は巨大な弘法大師立像(像高16m)が頂上に立つ東側の常光寺山(標高124m)を巡る。四十九日迄に白位牌と共に皆で参り供養する。
- 随求堂 - 大随求菩薩を祀る。5番の右にある
- 石手寺古墳第1号・第2号の二基 - 上記堂のさらに右にある。
- 愛宕社(祠) - 愛宕山の山頂は平で広く展望台になっていて愛宕権現を祀る祠がある。松山城や松山市街地が展望できる。
県道より伝説の残る渡らずの橋、衛門三郎像の横を過ぎ、両脇に露店の並ぶ回廊を行くと国宝仁王門に至る。くぐると、右に茶堂・納経所、左右に鐘楼があって、その先に阿弥陀堂がある。正面奥に進んで一段高い位置に石段を上ると本堂が建つ。本堂の右に絵馬堂あり、その先に大師堂が並ぶ。本堂大師堂の背後にある山にはマントラ洞窟といわれる洞窟があり、本堂左後方に入口があり大師堂の裏に出口がある。大師堂右側には訶梨帝母天堂(祠)があり、石段を下りるとその右に三重塔が、左に一切経堂、護摩堂、弥勒堂が並ぶ。ここから左奥に入ると宝物館、大講堂がある。
- 宿坊:なし
- 駐車場:門前に大型バス用も含めて充分にあり。
文化財[編集]
- 国宝
- 仁王門 - 三間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺き。『伊予古蹟志』に文保2年(1318年)の建立とある。様式的にもその頃の建立とみられ、鎌倉期建築の特徴がよく現れている。上層の回縁の出が大きく、入母屋屋根の反りが高い。組物は上層・下層ともに三手先(みてさき)とし、中備(なかぞなえ)は正面は三間とも本蟇股(ほんかえるまた)、側面は間斗束(けんとづか)とする。
- 重要文化財
- 本堂 - 本瓦葺き、正面側面とも五間、単層入母屋造りの仏堂。鎌倉末期。
- 三重塔 - 鎌倉時代末期
- 訶梨帝母天堂 - 鎌倉時代末期
- 鐘楼 - 袴腰造。元弘3年(1333年)の建立(柱墨書による)
- 護摩堂 - 室町時代初期
- 五輪塔 - 鎌倉時代末期 1995年に石手寺門前から境内裏手へ移建された[1]。
- 銅鐘 - 総高104.6cm口径59.8cm、鋳銅製、建長3年(1251年)6月の銘
- 県指定有形文化財
- 木造不動明王および二童子立像(護摩堂安置):不動51.8cm、童子27cm、27.6cm、一木造、鎌倉時代中期
- 木造天人面(宝物館蔵)
- 木造獅子頭(宝物館蔵)
- 木造菩薩面(宝物館蔵):24面
- 大壇
- 礼盤
- 銅三鈷鈴
- 絹本および毛髪地著色仏涅槃図:縦206.5cm横157.5cmの掛軸仕立、鎌倉時代作
- 松山市指定記念物(史跡)
- 石手寺古墳第1号・第2号:横穴式石室、直径10mの円墳。昭和42年5月24日指定
- 松山市指定有形文化財
- 掛仏
- 鋳鉄燈籠基台
- 石手寺古文書
- 石剣
- 石手寺制札
- 石手寺仁王門棟札
- 石手寺訶梨帝母天堂棟札
- 松山市指定天然記念物
- みかえりの桜
行事[編集]
- 練供養
- 寺伝によると、十二社権現をはじめとする諸仏の来迎を夢に見た伊予太守の越智玉純が、十二社権現を祀るために建てた勅願所が、本寺の由来であるとされる。それを記念して、毎年4月4日、古式の作法に従い、諸仏の来迎を再現する「練供養」を行っている。また、その式典には奈良時代、鎌倉時代作の面や装束が用いられる。
交通案内[編集]
- 鉄道
- バス
- 伊予鉄バス石手寺バス停(8、52系統線)
- 道路
- 一般道:国道317号、愛媛県道187号六軒家石手線 石手寺前 (0.1km)
- 自動車道:松山自動車道松山IC (6.5km)
奥の院[編集]
- 住所:愛媛県伊予郡砥部町総津1548 地図
周辺の番外霊場[編集]
- 義安寺
- 遍路にゆかりある河野家の霊を祀る。
- 宝厳寺
- 空海の逗留の記録があり、一遍上人の生誕地と云われている[3]。
- 蓮華寺
- 本尊は薬師如来、行基が開基と伝えられる。山頂には1500年以上昔の霊所遺跡があり古くから尊信を集める霊地であった。
前後の札所[編集]
脚注[編集]
- ^ 石手寺五輪塔(松山市サイト)
- ^ 『週刊朝日百科』「日本の国宝25」(朝日新聞社、1997)の解説による。
- ^ 宮崎健樹『四国遍路ひとり歩き同行二人』より
参考文献[編集]
- 四国八十八箇所霊場会編 『先達教典』 2006年
- 宮崎健樹『四国遍路ひとり歩き同行二人』地図編 2007年(第8版)
- 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典38 愛媛県』角川書店、1981年、85-87頁
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 第51番札所 熊野山 虚空蔵院 石手寺(四国八十八ヶ所霊場会公式)
- 石手寺 - 公式HP
- 松山歴史文化道(四国歴史文化道)
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