観音寺 (徳島市国府町観音寺)
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![]() 境内 | |
所在地 | 徳島県徳島市国府町観音寺49-2 |
位置 | 北緯34度4分6.5秒 東経134度28分27.64秒 / 北緯34.068472度 東経134.4743444度座標: 北緯34度4分6.5秒 東経134度28分27.64秒 / 北緯34.068472度 東経134.4743444度 |
山号 | 光耀山 |
宗派 | 高野山真言宗 |
本尊 | 千手観音 |
創建年 | (伝)天平13年(741年) |
開基 | (伝)聖武天皇(勅願) |
正式名 | 光耀山 千手院 観音寺 |
札所等 | 四国八十八箇所16番 |
法人番号 | 6480005000982 |
観音寺(かんおんじ[1])は、徳島県徳島市国府町観音寺(こくふちょうかんのんじ)に位置する寺院。四国八十八箇所霊場の第十六番札所[2]。宗派は高野山真言宗、光耀山(こうようざん)、千手院(せんじゅいん)と号す。本尊は千手観世音菩薩。 なお、町名は「かんのんじ」であるが、寺名は「かんおんじ」である。また、香川県観音寺市に同じく四国八十八箇所の一つである第六十九番札所観音寺が存在するが、こちらの寺名は「かんのんじ」であり、読みが異なっている。
歴史[編集]
寺伝によれば、聖武天皇が国分寺建立の勅命を出した際に行基に命じて勅願道場として本寺を建立、弘仁7年(816年)に空海が巡錫した際に本尊として千手観音像、脇侍に不動明王と毘沙門天を刻んで安置、現在の寺名に改めたとされる[3]。
天正年間(1573年 - 1592年)に長宗我部元親の兵火に焼かれるが、万治2年(1659年)阿波藩主蜂須賀光隆の支援を受け宥応法師が再建した[3]。
境内[編集]
- 山門:和様の堂々とした楼門であり、こぢんまりした境内に重みを見せている。
- 本堂
- 大師堂:毎年2月20日前後の結集の日に開帳される。
- 庚申堂
- 夜鳴き地蔵尊:子どもの夜鳴きにご利益があるとされる。
- 水子地蔵尊
- 仏足石
- 八幡大神宮(国府八幡)・惣社大御神(阿波総社宮):八幡宮と阿波国総社宮を合祀した神社。本堂右脇にある。
道路に面した山門を入ると左手に手水場が、左に夜鳴き地蔵尊があり、正面奥に本堂が建つ。本堂前に水子地蔵尊、仏足石、修行大師像がある。本堂手前右手に大師堂がある。納経所は境内左奥にある。
- 宿坊:なし
- 駐車場:5台。無料。
寺宝[編集]
- 観音寺縁起 1巻
- 光明真言印判:弘法大師の筆跡を刻印したものとされる。
交通案内[編集]
- 鉄道
- バス
- 徳島バス 鴨島線/神山線(石井経由)/石井・高原線/石井上板線 「観音寺北」下車 (0.4km)
- 道路
前後の札所[編集]
脚注[編集]
- ^ 四国八十八箇所霊場会 編 『先達教典』180ページでは「かんおんじ」と記述されている
- ^ 第16番札所・観音寺徳島市.2022年2月16日閲覧。
- ^ a b c 光耀山 千手院 観音寺四国八十八ヶ所霊場会.2022年2月16日閲覧。
参考文献[編集]
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- 四国八十八霊場会 編 『先達教典』 美巧社 発行 四国八十八カ所霊場会善通寺 342頁 2006年12月1日
- 宮崎建樹 著 『四国遍路ひとり歩き同行二人』地図編 へんろみち保存協力会 2007年(第8版)
外部リンク[編集]
- 第16番札所 光耀山 千手院 観音寺(四国八十八ヶ所霊場会公式)
- 第16番札所・観音寺(徳島市)