徳勝龍誠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
本来の表記は「德勝龍誠」です。この記事に付けられた題名は、技術的な制限により、記事名の制約から不正確なものとなっています。
德勝龍 誠 Sumo pictogram.svg
Tokushoryu 2014 May.JPG
場所入りする德勝龍関
基礎情報
四股名 青木 → 德勝龍
本名 青木 誠
愛称 マコ
生年月日 (1986-08-22) 1986年8月22日(32歳)
出身 奈良県奈良市
(出生地は高市郡高取町
身長 181cm
体重 184kg
BMI 56.16
所属部屋 木瀬部屋北の湖部屋 → 木瀬部屋
得意技 突き・押し・寄り
成績
現在の番付 西十両3枚目
最高位 西前頭4枚目
生涯戦歴 380勝362敗(59場所)
幕内戦歴 153勝192敗(23場所)
優勝 十両優勝1回
三段目優勝1回
序ノ口優勝1回
データ
初土俵 2009年1月場所
趣味 ダーツ
備考
2018年11月25日現在

德勝龍 誠(とくしょうりゅう まこと、1986年8月22日 - )は、奈良県奈良市出身(出生地は高市郡高取町)で木瀬部屋(閉鎖処分中は北の湖部屋)所属の現役大相撲力士。本名は青木 誠(あおき まこと)。身長181cm、体重184kg。最高位は西前頭4枚目(2015年5月場所)。趣味はダーツ。いわゆる「花のロクイチ組」の1人[1]

来歴[編集]

小学4年生のとき橿原市のけはや道場で相撲を始めた。中学からは大阪府岸和田市の右門道場へ通い、中学卒業後は相撲の名門校でもある明徳義塾高校に進学。高校2年生でインターハイ団体優勝を経験し、個人では2年生の時に国体16強、3年時に金沢大会8強などの成績を残した。近畿大学経営学部進学後は学生横綱にはなれなかったものの西日本学生相撲選手権大会、全国大学選抜相撲高知大会で優勝するなどした。

大学4年生のときに木瀬部屋に入門し2009年1月場所で初土俵を踏んだ(初土俵の同期には宝富士皇風貴ノ岩などがいる)。学生横綱でないため幕下付出が得られず、前相撲から初土俵になったものの序ノ口三段目でそれぞれ各段優勝を果たし、同年11月場所で幕下に昇進した。その後も負け越しを経験しないまま2010年3月場所では東幕下4枚目まで番付を伸ばしたが、この場所は3勝4敗で初めての負け越しを経験した。同年11月場所では自己最高位となる東幕下2枚目に昇格し十両目前だったが1勝6敗と大敗した。

2011年1月場所から四股名を本名の青木から德勝龍に改名し、同年9月場所で東幕下筆頭で5勝2敗で勝ち越し11月場所での十両昇進を果たした。11月場所では初日から7連勝し十両優勝の可能性があったものの中盤での連敗が響き十両優勝をに譲る結果となってしまったが、10勝5敗の好成績を残した。

2012年1月場所は肘の故障のため2勝13敗と大きく負け越し、翌3月場所では幕下に陥落(西幕下2枚目)するも勝ち越し十両復帰を決めた。同年7月場所では同部屋の常幸龍らと共に終盤まで優勝争いに残ったものの、終盤に失速して10勝5敗に留まり、十両優勝は千代の国のものとなった。翌9月場所も勝ち越して11月場所では自己最高位となる西十両3枚目まで番付を上げるも、6勝9敗と負け押した。

その後はしばらく十両の土俵が続いたが、2013年5月場所は14日目まで12勝2敗で琴勇輝と共に優勝争いのトップに立ち、千秋楽は琴勇輝に敗れ十両優勝はならなかったが12勝3敗の好成績を挙げ、翌7月場所で新入幕(東前頭16枚目)を果たした。奈良県からの新入幕は、力櫻・2006年7月場所の大真鶴以来戦後3人目のことであった。この場所は12日目に勝ち越しを決めたが、これにより2013年に新入幕をした力士としては初めて、新入幕場所で勝ち越しを決めたことになった。14日目まで9勝としたことから、三賞選考委員会では敢闘賞の候補に挙がり、千秋楽勝てば受賞とすることが決定されたが、千秋楽に負けてしまったため、初の三賞受賞はならなかった。同年11月場所を7勝8敗で終えると、2014年1月場所は名目上半枚下降となる(大関が1人陥落した分平幕が半枚増えたため、実質上は据え置き)東前頭15枚目の地位で迎え、11日目から4番連続で給金相撲を落とすなど終盤で苦労するも千秋楽に白星を得て8勝7敗となった。続く3月場所も勝ち越して、5月場所では自己最高位となる西前頭7枚目に番付を上げたが、6勝9敗と負け越し。翌7月場所も4勝11敗と大敗して、9月場所では十両への陥落を余儀なくされた。しかしこの場所では12勝3敗と全勝優勝を達成した栃ノ心に次ぐ成績を残し、1場所で復帰。11月場所では一気に西前頭9枚目に番付を戻したが、4勝11敗と大きく負け越した。

東前頭16枚目に番付を落とした2015年1月場所は、11勝4敗の好成績で自身初めての幕内での2桁勝利、優勝次点を記録した。以降も自己最高位を西前頭4枚目まで更新するなど概ね好調な1年であった。

2016年6月に結婚[2]。しかしこの年は3月場所を除いてすべて負け越し、5月場所から4場所連続負け越しと大きく調子を落とした年であった。

2017年1月場所は十両8枚目まで番付を落として臨んだ。3日目までに2敗を喫するが、そこから9連勝と波に乗り、12日目終了時点では優勝争いの単独トップに躍り出た。しかし13日目に誉富士に敗れ、星の差一つで優勝争いを演じていた宇良、大栄翔に並ばれると、14日目も小柳に敗れ、この時点で宇良、大栄翔より一歩後退となった。千秋楽は勝利し、宇良、大栄翔が共に敗れれば優勝決定戦という展開であったが、大栄翔が勝利したためそれはならなかった。それでも昨年の3月場所以来となる勝ち越しとなる11勝を挙げ、復活を印象付けた。番付運に恵まれ、翌3月場所は西前頭15枚目と再入幕を果たした。この場所は前半から好調で、11日目に8勝目を挙げ勝ち越しを決めた。しかしそこから4連敗で勝ち越し一つに留まった。5月場所も10日目までに7勝を挙げて勝ち越しに王手としたが、先場所同様そこから星が伸びず、14日目に輝を破って勝ち越しは果たしたものの結局8勝7敗で勝ち越しは一つだった。場所後の6月17日に浅草の東洋館で行われたトークショーでは同席していた阿武咲と同じく2ケタ勝利を目標に掲げ、さらに徳勝龍は初三賞も狙うと宣言[3]。しかし迎えた7月場所はいきなり3連敗するなど調子が伸びず4勝11敗と大敗した。9月場所は東の15枚目まで落として迎えた。しかしこの場所でも3連敗スタートすると以降も調子が出ず二場所続けての4勝11敗。十両に陥落した11月場所も負け越して3場所連続の負け越しとなった。

2018年1月場所は、不戦勝で8勝目を得て、4場所ぶりに勝ち越した。翌3月場所は5勝10敗と二桁の負け越しを喫した。十両の土俵で10敗以上するのはおよそ6年ぶりとなる。東十両10枚目まで番付を落とした5月場所は、序盤から白星が先行。11日目に勝ち越しを決めて優勝争いにも割って入ったが、ここから好調力士との取組が続いたこともあって4連敗。勝ち越し1つに留まった。7月場所は序盤3連敗と出遅れ、その後一進一退の星取りであったものの14日目に負け越しが決定し、7勝8敗。続く9月場所は番付運に恵まれず2枚下降の東十両11枚目となったが、一度も連敗することなく11勝4敗の成績を挙げ、優勝決定戦では本割で敗れた大奄美を下して自身初めての十両優勝を果たした。場所中、自ら大事な勝負に弱いと認めていた中での十両優勝であった[4]

取り口[編集]

基本的には突き押しの力士だが、左四つの相撲もこなすことができ、巨体に似合わず変化やとったりなど機動力を活かした面も持ち合わせている。[5][6]しかし相撲にムラがあるのが弱点であり、2016年9月場所前の座談会では35代木村庄之助が「いいときはものすごい馬力でもっていくんだけど、そうでないときはさっぱり。脇も甘いですね」と評している。同じ座談会で36代木村庄之助は「なまじ、(押し相撲も四つ相撲も)どっちも取れるから、どっちつかずというか」と話している。[7]その後、四つ相撲に傾倒するようになり、2017年3月場所前の座談会では甲山(元幕内・大碇)が「もともとは突き押しだったと思うけど、最近は四つ相撲の方が多いですね。左四つでの寄りは重くて圧力がありますね」と話している他、竹縄(元関脇・栃乃洋)は「もちゃもちゃしたイメージがあるけど、土俵際でパッと体を離す感じがいいですね。寄りながらの突きというか」と評している[8]。2018年の相撲雑誌の記事には、小手に巻いた自分の手で自分の回しを掴んで打つ変則的な小手投げ、通称「青木スペシャル」が紹介された[9]

エピソード[編集]

  • 明徳義塾高校の同級生には栃煌山[10]、1年後輩には千代桜、1年先輩には出羽鳳がおり、近畿大学での同級生には宝富士[11]、1年先輩には誉富士がおり、宝富士とは同じ経営学部出身である。
  • 琴奨菊とは高校の先輩で、学年が3年違いのため特に面識はないが場所中はよく声をかけてもらうという。
  • 2016年11月場所の関取70人の内、四股名「徳勝龍」の42画は阿夢露と並んで1位の画数である(出典の記事中では正式な表記の「德」ではなく新字体の「徳」を用いているため。厳密には43画で単独1位)。最初は1つ1つ書くのに時間がかかり、これについて德勝龍は「取組が終わって帰るときに求められると大変でした」と言い、また「今は崩して流れで書いています。師匠に『何を書いているか分からない』と言われましたが、誰か分からないのがサインかなと」と語った[12]
  • 2010年11月場所は東幕下2枚目の地位で1勝6敗と大敗したが、場所後のパーティーで当時の師匠であった北の湖から「歌でも歌おうか」と、カラオケに誘ってもらったことを、北の湖の死去に際しこのエピソードを語っていた[13]
  • 2016年7月場所より奈良県のマスコットキャラクター「せんとくん」の化粧まわしを締めることとなった。同年6月24日に地元の奈良県庁を訪問した際に後援会「育てる会」から贈呈された。若草色の生地の上に、締め込み姿で四股を踏む「せんとくん」の図柄があしらわれている。德勝龍は「奈良は相撲発祥の地ですが、出身力士が少ない。自分がいい相撲を取ってもっとアピールしていきたい」と意気込んだ[14]
  • 2017年の山根千佳の発言によると、SNS界隈での人気は現役力士の中でもトップ3であるという[15]
  • 2018年の記事によると、部屋では「青木さん」と慕われる兄貴分であるとのこと[4]

主な成績[編集]

2018年11月場所終了現在

通算成績[編集]

  • 通算成績:380勝362敗(59場所)
  • 幕内成績:153勝192敗(23場所)
  • 十両成績:153勝132敗(19場所)

各段優勝[編集]

  • 十両優勝:1回(2018年9月場所)
  • 三段目優勝:1回(2009年9月場所)
  • 序ノ口優勝:1回(2009年3月場所)

場所別成績[編集]

 
德勝龍 誠
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2009年
(平成21年)
(前相撲) 西序ノ口22枚目
優勝
6–1
西序二段55枚目
6–1 
西三段目87枚目
6–1 
東三段目29枚目
優勝
7–0
東幕下19枚目
6–1 
2010年
(平成22年)
西幕下8枚目
5–2 
東幕下4枚目
3–4 
東幕下8枚目
3–4 
東幕下17枚目
5–2 
西幕下7枚目
5–2 
東幕下2枚目
1–6 
2011年
(平成23年)
西幕下16枚目
5–2 
八百長問題
により中止
西幕下7枚目
3–4 
西幕下7枚目
4–3 
東幕下筆頭
5–2 
西十両11枚目
10–5 
2012年
(平成24年)
東十両6枚目
2–13 
西幕下2枚目
4–3 
東十両13枚目
8–7 
西十両10枚目
10–5 
西十両4枚目
8–7 
西十両3枚目
6–9 
2013年
(平成25年)
東十両7枚目
9–6 
東十両5枚目
7–8 
東十両6枚目
12–3 
東前頭16枚目
9–6 
東前頭10枚目
6–9 
西前頭14枚目
7–8 
2014年
(平成26年)
東前頭15枚目
8–7 
西前頭11枚目
9–6 
西前頭7枚目
6–9 
東前頭10枚目
4–11 
東十両筆頭
12–3 
西前頭9枚目
4–11 
2015年
(平成27年)
東前頭16枚目
11–4 
西前頭7枚目
8–7 
西前頭4枚目
6–9 
西前頭5枚目
7–8 
西前頭6枚目
6–9 
東前頭8枚目
8–7 
2016年
(平成28年)
東前頭6枚目
4–11 
東前頭12枚目
8–7 
西前頭10枚目
6–9 
西前頭12枚目
6–9 
東前頭15枚目
6–9 
東十両3枚目
6–9 
2017年
(平成29年)
東十両8枚目
11–4 
西前頭15枚目
8–7 
東前頭12枚目
8–7 
東前頭9枚目
4–11 
東前頭15枚目
4–11 
東十両3枚目
6–9 
2018年
(平成30年)
東十両5枚目
8–7 
西十両4枚目
5–10 
東十両10枚目
8–7 
東十両9枚目
7–8 
東十両11枚目
優勝
11–4
西十両3枚目
7–8 
2019年
(平成31年)
x x x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴[編集]

  • 青木 誠(あおき まこと)2009年1月場所 - 2010年11月場所
  • 德勝龍 誠(とくしょうりゅう まこと)2011年1月場所 -

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 大空出版『相撲ファン』vol.06 p68-71
  2. ^ 元関脇の碧山が結婚 同郷ブルガリア人と2月挙式、十両徳勝龍も スポーツニッポン、2017年1月12日閲覧。
  3. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年8月号 p56
  4. ^ a b 『相撲』2018年10月号 p.68
  5. ^ 『相撲』2013年11月号57頁
  6. ^ 2014年1月場所3日目のNHK中継では厚井大樹がとったりに移行する際の様子を「わずかに左に動くのはよく見る」と分析していた。
  7. ^ 『大相撲ジャーナル』2016年10月号73ページ
  8. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年4月号76ページ
  9. ^ 『相撲』2018年10月号 p.65
  10. ^ 栃煌山「高校以来10年ぶり」徳勝龍倒し三役復帰だ 日刊スポーツ 2015年3月21日0時13分
    2015年3月場所13日目の栃煌山との取組では栃煌山の三役復帰を確定させる白星を献上している。本人はこの取組について「対戦は高校生の時が最後かな。10年ぶりくらい」と懐かしそうに話した。
  11. ^ その宝富士は2014年1月場所14日目に行われた德勝龍との「近大対決」について「緊張して吐き気がしました。待ったが多く、審判長であり師匠でもある伊勢ヶ濱親方も怒っていたし」と『相撲』2014年2月号62頁で語っていた
  12. ^ サインの画数 喜怒哀楽あり 日刊スポーツ 2016年11月25日7時29分 紙面から
  13. ^ 臥牙丸、北の湖理事長は「お父さんみたいに優しかった」/九州場所 SANSPO.COM 2015.11.21 21:52
  14. ^ 徳勝龍に「せんとくん」化粧まわし「いい相撲を取ってアピール」 Sponichi Annex 2016年7月1日 06:55
  15. ^ Sports Graphiv Number PLUS April 2017(文藝春秋、2017年4月10日)p95

関連項目[編集]

外部リンク[編集]