高安晃

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本来の表記は「髙安晃」です。この記事に付けられた題名は、技術的な制限により、記事名の制約から不正確なものとなっています。
髙安 晃 Sumo pictogram.svg
Takayasu 2012 Jan 2.JPG
基礎情報
四股名 髙安 晃
本名 髙安 晃
愛称 ヤス、クマちゃん[1][2]
生年月日 (1990-02-28) 1990年2月28日(27歳)
出身 茨城県土浦市
身長 186cm
体重 177kg
BMI 51.16
所属部屋 鳴戸部屋田子ノ浦部屋
得意技 突き、押し、左四つ、寄り、上手捻り
成績
現在の番付 大関2
最高位 東大関2
生涯戦歴 438勝367敗11休(73場所)
幕内戦歴 278勝251敗11休(36場所)
優勝 幕下優勝1回
殊勲賞3回
敢闘賞4回
技能賞2回
データ
初土俵 2005年3月場所
入幕 2011年7月場所
趣味 音楽鑑賞
備考
金星4個(日馬富士3個、白鵬1個)
2017年5月29日現在

髙安 晃(たかやす あきら、1990年〈平成2年〉2月28日 - )は、茨城県土浦市出身の大相撲力士、第247代大関田子ノ浦部屋(入門時は鳴戸部屋)所属。本名同じ。身長186cm、体重177kg、血液型はA型。突っ張り、押し相撲を得意とする一方で左四つからの寄りもある。先代師匠13代鳴戸(隆の里)と同じく上手捻りも得意とする。[3]

好物は煮魚(特にサバの味噌煮)。入門前は野菜嫌いであったが現在では好き嫌いが無いという。[4]最高位は大関(2017年7月場所)。趣味は音楽鑑賞。メディアによって、高安(晃)の表記も見られる。TwitterとFacebookを利用している。

来歴[編集]

中学卒業まで[編集]

父が日本人、母がフィリピン人という家庭に高安は生まれる。土浦第一中学校では野球部に所属し中堅手として活躍していた。AKB48の元メンバーでタレント・女優の秋元才加は幼なじみである[5][6]。ビジュアル系バンドMUCC(ムック)のドラマーSATOちは従兄弟にあたる。横野レイコの取材によれば次男で甘えん坊であった高安は母親にさえ怒られたことがなかったといい、入門後も息子を心配した母が、高安の大好物のビーフシチューなどを部屋まで届けたことも幾度となくあったそうである[7]。父は「集中力がなく『楽しいことだけやりたい』という子どもだった」と高安の幼少期を振り返る[1]


子供の頃は野球少年で、小学校4年生からリトルリーグに所属していた高安。当時、巨人で活躍していたドミンゴ・マルティネスに似ていたことから、あだ名は「マルちゃん」だった[8][7]。中学時代は足に合う靴がないのでサンダルをはいて学校生活を行い、サンダル履きでも足は速かったと母は証言している[8]。中1から塾にも通ったが成績が落ち始めて、中2で少人数制の塾へ見学に行った。そこで講師から「本人のやる気があれば挽回もできるけど、今からじゃ、遅い」と断られると、父は「楽しくやってろ。塾にも行かなくていい」と息子に伝え、職人への進路も考えた。高校進学は難しくなったが“自由の身”となった高安は野球とカードゲームに没頭。午後7時には帰宅して両親が経営するエスニック料理店を手伝った[9]。「横綱の部屋に預ければ運が良ければ関取になれるかも」と考えた父は「見るだけ」と言って高安を車に乗せるとアポなしで鳴戸部屋へ向かった[9][8]。高安はその時「絶対に嫌だ!」と見学を拒絶していた[8]。中卒後の進路は迷っており、一説には「昼間働いて夜間の学校に行って野球をやりたい」と思っていたという[8]が「身一つで稼ぐ方が性に合う」と結論を出し、父の勧めもあり中学卒業と同時に鳴戸部屋に入門し、2005年3月場所において初土俵を踏んだ。「もともと相撲に大した関心はなかったが、中学卒業を前に興味本位で訪れた鳴戸部屋で、当時の師匠に大きな手や足を触られて褒められると、すぐにその気になった」と当時を説明する報道もある[10]

入門後の度重なる脱走[編集]

入門時で既に180cm・120kg、足の大きさ33cm[11]という恵まれた体格、鳴戸から「ゴムマリのようだ」と評された体質[12]から将来を嘱望されていて、その期待に違わずに順調に番付を上げていった。しかし、鳴戸部屋は昼過ぎまで稽古が行われるなど厳しい環境であり、入門前の陽気さは消えていった[8]。鳴戸部屋の厳しさに耐えられずに都合7度(父は10回以上と主張)にわたって脱走したことがあり[8]、部屋があった松戸から土浦まで6時間自転車を漕いで実家に逃げ帰っていた[13]。部屋に連れて帰る前に両親は必ず焼肉の食べ放題に連れて行ったが、その度トイレに行ってくるふりをして逃げた[8]。特に4度目の脱走では、赤信号で停車した隙に、乗っていた車から飛び出したという[14]。脱走に関する本人の記憶は2017年5月場所前の時点では曖昧であり、本人は「(逃げた理由は)大したことではなかったと思うけど。15歳で慣れない環境だったから。いい思い出です」と語っている[10]。ある時両親は、高安がこれ以上脱走しないように鳴戸に対して部屋の力士らに可愛がりを控えるように土下座して懇願したが、高安は「俺は親になんてことをさせているんだ」と自らの弱さを実感した[8]

十両昇進まで[編集]

脱走の常習犯であったため、若の里は「入ってきた時から別格でしたね」と語る稀勢の里の対極として見ていてロクに期待してはいなかったが、稀勢の里が横綱昇進場所で優勝を果たした直後の雑誌の記事では「元々体の芯はしっかりしているので、幕下ぐらいの時に、もしかしたら関取になれるかも知れないと思いました。それが関取どころか三役に上がって、大関を目指すところまできましたからね」と若の里は高安が出世するにつれて見方を変えたことを話している[15]。転機となったのは2006年に父が腎臓がんを患い腎臓を1個摘出する大手術を受けて経営していた飲食店を手放したことであり、これを本人は大関昇進直後の時期に「父親が望むことは相撲で大成すること。そういう状況で『頑張れ』と言われてすごく身に染みた。ウカウカしていられない。結果を出して喜んでもらいたいという気持ちが強かった。土俵に足がつくようになって番付も上がった」と話している[16]。横野レイコの記事では鳴戸が高安を怒ったことはないとされており、ある日の夜、呼び出されて鳴戸の部屋に行くと、鳴戸は冷蔵庫からアイスを取り出し、食べさせてくれたという。高安は「あの時、厳しくされていたら、今の自分はなかったかもしれない。師匠はよく見てくれていました」と、今は亡き恩師に感謝している[7]。高安の才能を評価していた鳴戸は、ある時期自分の付け人に高安を指名して、手取り足取り相撲のことを叩き込んだ[8]。三段目の上位まで番付を上げた頃、初めて稀勢の里に胸を出してもらったが、その時の感覚を後に高安は「何回ぶつかっても下がらない。全身の関節一つ一つがミシミシ来るような重さを感じた」と振り返る。こうした稽古を含め、1日100番を超える稽古で強くなっていった[8]。食事は1食7品目から8品目で野菜が多く、栄養食により高安の体は強くなっていった[8]

2010年9月場所では、西幕下13枚目の位置で7戦全勝の成績を挙げて幕下優勝を果たし、内規により翌11月場所において新十両へと昇進し、舛ノ山千賀ノ浦部屋、高安と同じく日比ハーフ)と共に、平成生まれでは初となる関取力士となった。十両昇進に際して「苦労がムダじゃなかった」「やめたいときもあった。両親の応援が支えになった」とコメントし、鳴戸は「三役、その上を狙える」と期待した[17]。十両に昇進した際も「一族が高安のしこ名で相撲を取ってくれたらありがたいと言っています」「『高安』姓をみんなに知ってもらいたい」と父が本名にこだわりを持っていることから下の名前も含めて変えず、大関昇進後も本名を一字も一音も変えずに取り続けている[9][18]

十両昇進から大関候補に名乗りを上げるまで[編集]

新十両昇進を決めた直後の10月15日の秋巡業土浦場所では白鵬に胸を出してもらった。この日の白鵬は関取衆では最も多い18番を取って17勝1敗であったが、1敗は高安につけられたものであった[19]。後に高安は大関に昇進したので、白鵬には先見の明があったということになる[18]

新十両で迎えた翌11月場所では、11勝4敗という好成績を挙げ、東十両3枚目の位置まで大きく番付を上げた翌2011年1月場所でも、9勝6敗と勝ち越し、続く5月技量審査場所でも東十両筆頭の位置で8勝7敗と勝ち越しを決めて、翌7月場所において新入幕を果たした。高安と同時に十両に昇進した平成生まれの舛ノ山を一歩リードしての新入幕に「目指していた地位なのでうれしい」と素直に喜んだ。十両を3場所で通過した要因を「迷いがなく思い切った相撲が取れるようになった」と説明。父の強い勧めもあって、しばらくしこ名は本名の高安のままでいく。「精神力を鍛えてまずは勝ち越しをしたい」と抱負を語った。[20]しかしデイリースポーツにおける高安の記事の扱いは同時に入幕した「マツコ・デラックス激似」の宝富士と「負け越しで再入幕」という44年ぶり珍事の当事者となった高見盛に押されて小さな扱いだった[21]

新入幕となった2011年7月場所では8日目の時点で7勝1敗と非常に好調で、後半戦では黒星が込んだものの最終的には9勝6敗と勝ち越した。幕内4場所目となる2012年1月場所では西前頭3枚目まで番付を上げ、8日目には横綱白鵬と対戦し、平成生まれの力士としては初めて結びの一番を務めた[22]。同年5月場所では、自己最高位となる西前頭筆頭へと番付を上げたが、5勝10敗と大きく負け越した。翌7月場所でも、初日から8連敗と振るわず、後半には盛り返したものの6勝9敗と負け越した。翌9月場所では、初日からの8連勝で中日に勝ち越しを決め、勝てば敢闘賞受賞が決定していた千秋楽の舛ノ山戦に敗れて三賞受賞はならなかったものの、10勝5敗という好成績を挙げた。

2013年1月場所では、6日目から9連勝して10日目に勝ち越しを決め、12勝3敗の好成績を挙げて自身初となる敢闘賞を受賞した[23][24]。翌3月場所では3日目に横綱・日馬富士を破り自身初となる金星を獲得したものの[25]、結果的には5勝10敗と大きく負け越した。続く2013年7月場所では、3日目に横綱・日馬富士上手捻りで破り2個目の金星を獲得し[26]、その後も5日目に鶴竜、6日目に琴欧洲の2大関を破って9勝6敗と勝ち越し、初の殊勲賞を受賞した[27]。翌9月場所では小結へ昇進し、平成生まれ初の三役力士となった[28][29]しかし、その場所では横綱大関陣からは白星を挙げられず(琴欧洲の不戦勝を除く)、5勝10敗と大きく負け越した。翌11月場所は番付運に恵まれてわずか2枚半減の東前頭3枚目の地位に就いたがここで3勝12敗の大敗を喫してしまう。

2013年末には、師匠の14代鳴戸(隆の鶴)が田子ノ浦に名跡を変更したことに伴う部屋移転に追われる苦労を味わった。田子ノ浦部屋の力士として迎えた2014年1月場所直前の2014年1月2日には、木刀を振るという独特の調整法[30]を実践している様子が伝えられていた。1月場所は終盤4連勝する追い上げもあって9勝6敗の勝ち越しとなった。

同年5月場所を東前頭8枚目での6勝9敗で終えた高安は、千秋楽の翌日に「優勝争いに絡みたい」と翌7月場所に向けての決意を固めるべく、母の故郷・フィリピンへ出掛け、マニラの議員会館でマニー・パッキャオを訪ねたり、母の兄弟と会うなどして過ごした。ちなみに高安がフィリピンを訪れるのはこれが初めてだったという。[31]13代鳴戸もパッキャオをボクサーとして気に入っており、稽古場で試合の話をすることが多かったという。[4]

西前頭11枚目の地位で迎えたその7月場所は、2012年9月場所以来となる中日勝ち越しを果たし、三役以上との対戦が、大関・琴奨菊ただ1人に留まった有利もあって優勝争いに最後まで加わるも、千秋楽の取組を終えて11勝4敗となった時点で、12勝3敗同士の優勝決定戦に望みをつなぐことは不可能となった。結局、優勝は13勝2敗の白鵬が勝ち取ったものの、2013年1月場所以来となる2ケタ勝利を収めた上に、敢闘賞を獲得する活躍を果たすことができた。[32]

東前頭3枚目の地位で迎えた11月場所は、白鵬に初めて勝利して唯一の黒星を付けた[33] 他、日馬富士・豪栄道と2横綱1大関を破る活躍で10勝5敗の好成績を挙げ、2つの金星が評価されて2度目の殊勲賞を受賞した。[34]

2015年春巡業のトーナメント戦では、優勝を果たして賞金100万円を手にし、これで弾みが付いたのか、直後の5月場所では10勝5敗の勝ち越しを収めた。[35]同年9月場所では、2日目に大関豪栄道を撃破する星があったが、3日目の逸ノ城戦で左足を負傷し、「左下腿筋挫傷、左足関節靱帯損傷で約3週間の安静加療を要する見込み」との診断書を提出して4日目から途中休場(この日の栃煌山戦は不戦敗)、これが自身初の休場となった。[36]休場明けとなる翌11月場所は、場所前に稽古ができなかったと本人が語っていたが、9日目に勝ち越すなど好調であった。しかし10日目以降は13日目以外白星を挙げられず、終盤の失速により9勝6敗にとどまった。[37]

大関へ[編集]

2016年7月場所は、再小結で11勝4敗の好成績を挙げ、自身初めて技能賞を受賞した。翌9月場所は新関脇に昇進。一時は優勝争いするなど好調だったが終盤3連敗してしまい10勝5敗で場所を終えた。終盤の3連敗に対して「クソー」と言い残し、千秋楽の取組後の支度部屋では記者の質問に一切応じなかった。[38]しかし翌11月場所は大関取りの場所となり、昇進を預かる審判部の二所ノ関部長は「優勝争いに絡み、悪くても(昇進目安とされる直前3場所合計の)33勝だ」と12勝を大関昇進のノルマに設定した。[39]10月14日の秋巡業豊橋場所では照ノ富士と三番稽古をして12連勝と好調を示した[40]。しかし11月場所は6日目までに3敗、後が無くなったが中日の4敗目でこの場所での大関取りに失敗。さらに10日目には6敗目を喫したことで大関取りを次の場所に持ち越すことが不可能になった。そして中日から連敗が5になり、12日目に負け越し、関脇からの陥落を確定させた。それでも13日目から残りをすべて勝って7勝8敗と意地を見せた。12月9日の冬巡業天草場所では千代の国、正代、佐藤(現・貴景勝)、栃煌山、豪風、輝を相手に12番取り8勝4敗、体重が増えたせいか今一つ動きにキレがなく、佐藤(現・貴景勝)の突き押しに動き負ける場面が見られると伝えられた[41]

靖国神社奉納大相撲 土俵入りする高安関(2017年4月17日撮影)
靖国神社奉納大相撲 高安関の相手は琴奬菊関(2017年4月17日撮影)

2017年1月場所は再び東小結で白鵬、鶴竜の横綱2人と照ノ富士、豪栄道、琴奨菊の大関3人を倒す活躍を見せる。最終的には11勝、自身4度目の敢闘賞を受賞した。3月7日の田子ノ浦部屋の大阪場所の稽古場で30番連続で相撲を取って、横綱稀勢の里と9勝14敗、出稽古に来た幕内嘉風に6勝1敗と充実の稽古を行った[42]。3月場所は関脇復帰。初日から同部屋の横綱・稀勢の里と共に10連勝。同じ部屋の力士による初日からの10連勝は、2004年3月場所の高砂部屋の横綱・朝青龍と当時平幕の朝赤龍以来13年ぶり[43]。15日制定着後、同部屋の2関取のみが10戦全勝で並ぶのは史上初[44]。しかし11日目から3連敗。それでもこの場所は12勝3敗で殊勲賞を獲得。4月21日、父親の出身地であり自身も幼少期に数年間住んだことがある茨城県水戸市での春巡業に参加。偶然にも、前夜に宿泊したホテルの目の前はかつて、両親がレストランを開いていた場所で、当時は記憶も定かでない幼稚園の前の時代だが「懐かしい。思い出しますね。何となく覚えている。思い出すのは、父親と散歩したことかな」と懐かしんだ[45][46]

5月場所前の5月2日には「初日から堂々とやって全勝を目指す」と強気の発言[47]。2017年5月28日、5月場所を11勝4敗で終え34勝を記録し、取組後、12代二所ノ関(若嶋津)審判部長が高安の大関昇進を議題とした緊急の臨時理事会を要請したと発表。大関昇進が確実となった。5月31日、高安は大関昇進伝達式で「大関の名に恥じぬよう、正々堂々精進します」と力強く口上を述べた[48]。昇進伝達式の直前に口上に関して高安は「自分が思っていることをストレートに言いたい。これからの覚悟や気持ちを込めて、伝えたいと思います」とコメントしており[16]、昇進伝達式の後には口上に入れた「正々堂々」について三役に定着する一年ほど前から温めていた言葉であると明かし「一番好きな言葉。この言葉を胸にやってきて、こういう日を迎えられるようになったら使おうと思っていた」と説明した[49]。大関昇進伝達式が行われた際、高安は次の7月場所について「やはりここ(大関)から上がるには、優勝しかない。目指してやります」と取材に答え、稀勢の里との優勝決定戦のイメージを問われ、10秒近く考え込んで「できたら最高ですね」と兄弟子超えの覚悟を決め、力強くうなずいた[50]

大関昇進後[編集]

6月5日に本格的な稽古を再開。 本人によれば3日も稽古場で軽く汗を流したという。5日は相撲を取らず、すり足をしたり、若手に胸を出したりした。当面は基本運動や体幹強化に努める方針で「激しい稽古をしても、壊れない体をつくりたい」と説明した。5月の夏場所千秋楽で大関照ノ富士の小手投げに屈した際に右肘を痛めたが「もう治った」と問題がないことを強調した[51]。6月26日に7月場所の番付発表がされ、番付上に大関として高安の名前が載った。初土俵から所要73場所での大関昇進はこの時点で史上9位のスロー記録[52]。7月場所の目標としては「ここから上(横綱)を目指すには優勝が必要になる。しっかりと15日間、堂々と相撲を取って優勝したい」と語った[53]。7月場所は10日目に勝ち越しを決めるなどここまでは順調であったが、11日目から14日目まで黒星続きと途端に崩れた。千秋楽の豪栄道戦では勝って連敗を4で止めたが、9勝6敗とやや振るわなかった[54]

取り口など[編集]

基本的に突き押しを得意としており[55]、13代鳴戸からは、入門当初より「当たってひたすら突っ張れ」と教え込まれた。[12]一方で、左四つからの寄り身も強みである[55]。差し手の返しが多少甘くても、胸を合わせて体力で押し込む場合が多い。前述のように上手捻りも得意としており[55]、投げは左四つになれば上手からでも下手からでも出る[56]。攻めが速いので出足が鈍い力士には相性が良い。大至伸行は2014年3月場所前の座談会で「足腰が硬い印象はあるけど、そこを分かった上で相撲を取っている印象」と体質と取り口の兼ね合いについて好評価していた。[57]豪栄道との対戦成績は13勝8敗(不戦勝1を含む)と大きく勝ち越しており、2013年7月場所に初黒星を喫するまで豪栄道には初顔から6連勝していた。足腰は堅いが上体は柔らかく、鳴戸は2016年11月場所前の座談会で「ちょっと力が上に抜けてやりづらい相手でしたね。突っ張っても力が上に逃げてしまうというか、ほかの力士にないものを持っていますね」と高安の体質について現役時代の取組の感想と共に話している[56]。2016年11月場所前には左四つ一本の力士になろうと決めたが、実際に左四つ中心の相撲を試して負け越したため諦めている[58]。叩きも上手く、無理して攻める相手にはいなしてタイミングよく落とすことが多い[56]。2017年7月場所前のコラムでは舞の海が「夏場所(2017年5月場所)の高安は、叩きが多かったことで、やや批判的な声もありますが、自分はあまり悪い印象はないですね。高安の叩きは苦し紛れではなく、馬力で圧倒しておいての引き技なので、危なげがないです。それだけ馬力、押し込みが強いとも言えます。相撲は押して勝つ、寄って勝つですが、バランスの崩し合いなんです。たとえばはたき込みだけで8番勝ったとすれば、それはもうその力士の芸なんですよ(笑)」と評価している[59]。大関候補に名乗りを上げてから本人は「突っ張ってから展開する相撲が合っている」と考えるが、実際は突っ張りだけで勝負が決まることも増えている[55]。強烈なかち上げや、突き、押しを軸に大関の地位を手に入れたが、昇進直後の記事では「これまでやってきた自分のスタイルを強化していく」と力強く言い切った。[51]

一方で、腰高で脇が甘いので守勢に回ると脆く、特に差し身の上手い相手には苦労しており、諸差し(もろさし)からの速攻を得意とする栃煌山は大の苦手で、対戦成績は5勝18敗(不戦敗1を含む)と大きく負け越している。また、機動型の力士も苦手としており、稽古場では兄弟子の隆の山を苦手としていた。[60]2017年5月場所前の時点では、稽古場で稀勢の里と三番稽古を行うと五分近い割合で勝ち、時には勝ち越す日もある[61]。大関昇進直前の時期になると立合いでもたついて守勢に回っても巧さで勝つことが増え、2017年5月場所12日目の宝富士戦などは左下手を取られかけ、とっさに右から上手で振り回し、俵を前に一瞬2人が横並びになったところで懸命に右上手投げを決めた[62]

四つになると捻りを含めて器用さを見せるがたまにその器用さが裏目に出て敗戦を喫することがあり、甲山(元幕内・大碇)がその点を指摘している。実際に2017年3月場所などは前捌きに頼った四つ身の相撲を取ったことが裏目に出て11日目から3連敗しており、阿武松(元関脇・益荒雄)は場所後の座談会で高安に対して「終盤戦は相手を見るようになり、そしてさばく守りの相撲でした。何をやっているんだという感じの相撲になりました。もっと突っ張って攻めるべきです」と注文を付けている[63]。とはいえ器用さが白星を生むことも事実であり、実際に2017年5月場所5日目の遠藤戦などは、下から両手であてがって起こそうとしたが「起こしきれない」と判断すると、相撲内容を瞬時に変更、前に出ていた圧力を利用しながら左を差し、まわしを取って胸を合わせる相撲で寄り切った[64]

メンタルが強い印象を持たれることがあり、雷(元小結・垣添)などが2017年3月場所前の座談会で「あの大一番(2017年1月場所の白鵬戦)でむしろ、楽しんでいる印象すらある。表情を見ていても、硬くなっている感じは全くしない」と話している[65]

星取表に現れる特徴としては、序盤の出遅れが目立つ[66]

合い口[編集]

  • 横綱・白鵬には2勝15敗。初白星は初金星。直近では2017年1月場所の押し出しで勝利した。
  • 横綱・日馬富士には5勝14敗。直近では2017年5月場所で勝利した。
  • 横綱・鶴竜には5勝12敗。2016年7月場所では不戦勝、直近では2017年1月場所で勝利した。
  • 元大関・琴奨菊には9勝11敗。2016年7月場所から現在6連勝中。
  • 大関・豪栄道には15勝8敗。
  • 大関・照ノ富士には8勝7敗。2016年7月場所から2017年3月場所まで5連勝していた。

エピソード[編集]

  • 2017年5月31日放送のTBS系『ビビット』で高安の大関昇進伝達式会場から生中継したMCの真矢ミキから伝達式で高安がどんな口上を述べるかを聞かれた上路雪江リポーターは「高安関は、正々堂々という言葉が大変お好きということで、もしかしたら、その四字熟語が入るかもしれません」と予想した[67]
  • 苗字「高安」は現在の大阪府・八尾市で発祥したと言われており、飛鳥時代の667年に天智天皇が高安山に高安城を築城し、その豪族の一つが高安氏となり今も受け継がれている[67]
  • 自身の大関昇進確定直後、近鉄「高安駅」に近い商店街では高安フィーバーが起きていることが報じられ、地域のふとん店が手作りの特大サイズの座布団を通常の1万円から7000円にして販売。パン店では「高安大関ツイッペ」と呼ぶ特製のパンを200円で販売。また、京都市内の大阪場所の時は高安も通うラーメン店「高安是空」も、昇進を記念しラーメンを注文したお客さんに唐揚げをサービスするという。店主は取材に対して今後、高安に懸賞をかけることも計画していることを明かしていた[67]
  • 2017年4月時点では、入門以来、母親の誕生日である9月16日には負けたことがない[68]
  • 2017年6月8日、東京都江戸川区東小松川のボートレース江戸川で行われたイベント「地元若手プロアスリートトークショー」に参加した。午後1時すぎから、同じ江戸川区を地元に活躍する女子ボートレーサーの富樫麗加と1回目のトークショーを行った。同年5月23日、大関取りのかかる高安は夏場所10日目で白鵬に敗れ2敗目を喫した。落胆で部屋に戻ったが、富樫の参加していた「トランスワードトロフィー2017男女W優勝戦」(富樫はこのレースで初優勝を果たした)を見て一転。「すごく落ち込んでいたのが、レースを見て鳥肌が立って、翌日以降のいいモチベーションになりました」と、大関取りにつなげたエピソードを明かした。富樫との2回目のトークショーでも「好物は煮魚」「ケーキよりプリンが好き」などリップサービス。司会者のリクエストに応じ、富樫をお姫様抱っこするサービスも見せた。最後には、優勝選手への花束贈呈のセレモニーなどでイベントに花を添えた高安。ボート場のファンから「横綱になれよ!」のかけ声も飛んだ[69][70]
  • 2017年3月場所前、13代鳴戸がかつて自分に対してそうしたように、一気に5人加入した新弟子にアイスを振る舞った[8]
  • 入門前から1日4食と大食漢であり、体ができあがった現在でも1色に丼飯4杯から5杯を食べ、その他に、外食、間食を行う。本人は「増やそうと思えば体重は200㎏までいける」という[8]
  • 体幹を鍛えるため道具としてウォーターバッグを利用している。2017年4月の春巡業加東場所では付け人の手違いによってそれが東京に送られてしまったが、高安は付け人に一時帰京の際に取りに帰らせ、直後の藤沢場所でウォーターバッグを抱えてすり足を行った[8]

主な成績[編集]

2017年5月場所終了現在

通算成績[編集]

  • 通算成績:438勝367敗11休(73場所)
  • 幕内戦歴:278勝251敗11休
  • 幕内在位:36場所
  • 三役在位:8場所(関脇4場所、小結4場所)

各段優勝[編集]

  • 幕下優勝:1回(2010年9月場所)

三賞・金星[編集]

  • 三賞:9回
    • 殊勲賞:3回(2013年7月場所、2014年11月場所、2017年3月場所)
    • 敢闘賞:4回(2013年1月場所、2014年7月場所、2016年9月場所、2017年1月場所)
    • 技能賞:2回(2016年7月場所、2017年5月場所)
  • 金星:4個(日馬富士3個、白鵬1個)

場所別成績[編集]

                                                                                                                            

髙安 晃
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2005年
(平成17年)
x (前相撲) 西 序ノ口 #29
4–3 
西 序二段 #129
4–3 
東 序二段 #98
4–3 
東 序二段 #73
4–3 
2006年
(平成18年)
西 序二段 #48
2–5 
西 序二段 #78
3–4 
西 序二段 #98
5–2 
東 序二段 #44
3–4 
西 序二段 #67
4–3 
西 序二段 #41
5–2 
2007年
(平成19年)
西 序二段 #5
4–3 
東 三段目 #86
5–2 
東 三段目 #55
5–2 
西 三段目 #27
3–4 
西 三段目 #41
4–3 
東 三段目 #26
5–2 
2008年
(平成20年)
東 三段目 #2
3–4 
東 三段目 #11
4–3 
西 幕下 #59
4–3 
西 幕下 #51
3–4 
東 三段目 #5
4–3 
東 幕下 #54
5–2 
2009年
(平成21年)
東 幕下 #39
2–5 
東 三段目 #3
4–3 
東 幕下 #54
4–3 
東 幕下 #44
4–3 
西 幕下 #36
5–2 
東 幕下 #27
4–3 
2010年
(平成22年)
西 幕下 #22
4–3 
西 幕下 #18
5–2 
西 幕下 #10
4–3 
東 幕下 #6
2–5 
西 幕下 #13
優勝
7–0
東 十両 #11
11–4 
2011年
(平成23年)
東 十両 #3
9–6 
八百長問題
により中止
東 十両 #1
8–7 
東 前頭 #11
9–6 
東 前頭 #6
6–9 
西 前頭 #8
9–6 
2012年
(平成24年)
西 前頭 #3
6–9 
東 前頭 #7
10–5 
西 前頭 #1
5–10 
西 前頭 #5
6–9 
西 前頭 #9
10–5 
東 前頭 #4
5–10 
2013年
(平成25年)
東 前頭 #7
12–3
東 前頭 #1
5–10
西 前頭 #5
8–7 
西 前頭 #1
9–6
西 小結
5–10 
東 前頭 #3
3–12 
2014年
(平成26年)
東 前頭 #9
9–6 
西 前頭 #3
5–10 
西 前頭 #8
6–9 
西 前頭 #11
11–4
東 前頭 #2
7–8 
東 前頭 #3
10–5
2015年
(平成27年)
東 小結
6–9 
東 前頭 #3
3–12 
西 前頭 #8
10–5 
東 前頭 #2
6–9 
西 前頭 #3
1–3–11[71] 
西 前頭 #12
9–6 
2016年
(平成28年)
西 前頭 #8
11–4 
西 前頭 #1
5–10 
西 前頭 #5
9–6 
西 小結
11–4
東 関脇
10–5
東 関脇
7–8 
2017年
(平成29年)
東 小結
11–4
西 関脇
12–3
西 関脇
11–4
東 大関 #2
9–6 
x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績[編集]

2017年5月場所終了現在

力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
碧山 7 10 朝赤龍 4 0 旭日松 1 0 安美錦 2 9
阿夢露 2 0 荒鷲 2 0 阿覧 0 6 9 4
逸ノ城 3 1 遠藤 6 6 大砂嵐 3 0 隠岐の海 10 3
魁聖 8 4 臥牙丸 6 2 鏡桜 1 0 鶴竜 5(1) 12
北太樹 8 2 木村山 1 0 旭秀鵬 3 2 旭天鵬 3 1
豪栄道 15(1) 8 黒海 1 0 琴欧洲 2(1) 2 琴奨菊 9 11
琴勇輝 2 1 磋牙司 1 1 佐田の海 3 0 佐田の富士 3 1
里山 1 0 常幸龍 4 3 正代 2 2 翔天狼 6 3
松鳳山 5 5 蒼国来 4 2 大栄翔 2 0 大道 3 0
貴ノ岩 3 2 高見盛 1 0 宝富士 12 4 豪風 4 10
玉飛鳥 2 0 玉鷲 6 7 千代鳳 2 3 千代翔馬 1 0
千代大龍 5 3 千代の国 3 0 千代丸 1 0 照ノ富士 8 7
天鎧鵬 0 1 時天空 5 4 德勝龍 3 3 土佐豊 1 0
栃煌山 6 18(1) 栃ノ心 6(1) 6 栃乃洋 1 0 栃乃若 4 6
豊ノ島 5 7 豊響 7 5 白鵬 2 15 把瑠都 2 2
日馬富士 5 14 英乃海 0 1 富士東 3 1 寶智山 2 0
豊真将 4 3 誉富士 1 1 舛ノ山 2 1 御嶽海 5 3
雅山 5 1 妙義龍 4 11 嘉風 9 8 若荒雄 1 3

(カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数、太文字は2017年5月場所終了現在、現役力士

四股名[編集]

高安 晃(たかやす あきら)(2005年3月 - )

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 毎日新聞2017年6月1日 東京朝刊
  2. ^ 小倉智昭キャスター、高安の口上「今後は部屋から逃げることもなく…」と予想 2017年5月31日8時21分 スポーツ報知
  3. ^ 『相撲』2013年11月号33頁の記述によると、「序二段の頃に自然に稽古場でやるようになった。」と本人が証言しており、13代鳴戸が右上手から放つのとは異なり左右どちらからでも放つ。
  4. ^ a b 公益財団法人日本相撲協会監修『ハッキヨイ!せきトリくん わくわく大相撲ガイド 寄り切り編』18pから19p
  5. ^ 高安が幼なじみ秋元才加の観戦に応え白星2敗守る
  6. ^ 秋元才加、印象一番は「もちろん髙安関、格好いい」
  7. ^ a b c 「脱走常習」の高安を大関昇進に導いたひと(2/4ページ) YOMIURI ONLINE 2017年06月01日 17時30分
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『大相撲ジャーナル』2017年8月号p8-12
  9. ^ a b c 新大関・高安 稀勢の十両昇進が転機 父とアポなしで鳴戸部屋へ Sponichi Annex 2017年5月29日 09:00
  10. ^ a b 大相撲 高安晃(下) 兄弟子・稀勢の躍進から刺激 「次は自分がオープンカーに」 日本経済新聞 2017/5/10付
  11. ^ 『相撲』2012年3月号  ちなみに兄も弟にあたる高安(晃)に負けず劣らずの巨漢であり、晃と兄弟喧嘩をすると母親ではとても止められなかったという。
  12. ^ a b 『相撲』2016年9月号28ページ
  13. ^ 新大関・高安、相撲イヤで脱走7回 身にしみた父の一言 朝日新聞DIGITAL 2017年5月31日18時15分
  14. ^ 『相撲』2016年4月号
  15. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年6月号7頁
  16. ^ a b 高安、口上に「自分で言う言葉だから自分で考えた」 日刊スポーツ 2017年5月31日9時15分 紙面から
  17. ^ デイリースポーツ2010年9月30日付紙面より
  18. ^ a b 「脱走常習」の高安を大関昇進に導いたひと(3/4) 2017年06月01日 17時30分 YOMIURI ONLINE
  19. ^ デイリースポーツ2010年10月16日付紙面より
  20. ^ デイリースポーツ2011年6月28日付紙面より
  21. ^ 祝「日本出身平成生まれ初」大関昇進!高安の軌跡をまとめてみた デイリースポーツ 2017.5.30
  22. ^ “平成生まれ初の幕内力士・高安 敗れても充実感”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2012年1月15日). http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2012/01/15/kiji/K20120115002437600.html 2013年7月18日閲覧。 
  23. ^ 記者クラブは千秋楽に13勝目を挙げることを条件に技能賞受賞も推薦していた。
  24. ^ “高安が初の敢闘賞 3敗目も満足「日頃からの稽古の成果」”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年1月28日). http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2013/01/28/kiji/K20130128005072940.html 2013年7月16日閲覧。 
  25. ^ “高安 日馬撃破!平成生まれ初金星、実感なし「何が何だか」”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年3月13日). http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2013/03/13/kiji/K20130313005381630.html 2013年7月16日閲覧。 
  26. ^ “稀勢弟弟子が“援護”高安また金星「自信」2戦2勝”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年7月10日). http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2013/07/10/kiji/K20130710006187180.html 2013年7月29日閲覧。 
  27. ^ “5場所ぶり殊勲賞選出 1横綱2大関破った高安が初受賞”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年7月21日). http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2013/07/21/kiji/K20130721006263840.html 2013年7月29日閲覧。 
  28. ^ “高安が新三役、遠藤は最速で入幕…大相撲秋場所”. 読売新聞. (2013年9月2日). http://www.yomiuri.co.jp/sports/sumo/news/20130902-OYT1T00116.htm 
  29. ^ 本名三役も2004年3月場所に同時新小結を果たした霜鳥典雄垣添徹以来の記録となる。
  30. ^ 知り合いの合気道家から教わった調整法であり、腕の筋や腱、手首等を鍛え脳を活性化する目的であるという。
     『大相撲ジャーナル』2014年4月号106頁
  31. ^ 高安がパッキャオ効果で3連勝 2014年7月16日 紙面から
  32. ^ 高安、平幕2年ぶりVへ今日琴奨菊戦 nikkansports.com 2014年7月26日10時10分 紙面から
  33. ^ 白鵬にとっては2013年1月場所3日目(妙義龍戦)以来10場所ぶりの金星配給で、史上1位だった対平幕戦の連勝記録が82で止まった。また、この日は6日目だったため、同様に史上1位だった中日勝ち越しの連続記録も10場所で止まった。
    白鵬、668日ぶり金星配給 平幕連勝記録も82でストップ スポニチアネックス 2014年11月15日(2014年11月25日閲覧)
  34. ^ “高安、金星2つで殊勲賞 三役復帰も濃厚「精進したい」”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2014年11月24日). http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2014/11/24/kiji/K20141124009340150.html 2014年11月24日閲覧。 
  35. ^ 『相撲』2015年6月号70ページ
  36. ^ 高安が左下腿筋挫傷などで休場 逸ノ城戦で痛める 日刊スポーツ 2015年9月16日(2015年9月27日閲覧)
  37. ^ 『大相撲ジャーナル』2016年1月号43頁
  38. ^ 『大相撲ジャーナル』2016年11月号7ページ
  39. ^ 高安、敢闘賞受賞も終盤で3連敗「本当に駄目。後味悪い」/秋場所 SANSPO.COM 2016.9.26 05:01
  40. ^ 『相撲』2016年11月号18ページ
  41. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年2月号30ページ
  42. ^ 大関候補の高安、30番連続稽古「自分の人生のために闘う」 SANSPO.COM 2017.3.7 15:01
  43. ^ 春場所 稀勢の里と高安がともに10戦全勝 NHK NEWS WEB 3月21日 20時23分
  44. ^ 史上初!同部屋2関取のみが10連勝!稀勢の里、高安で達成! 2017年3月21日17時57分 スポーツ報知
  45. ^ 高安に大歓声「懐かしい」父親の地元水戸で春巡業 日刊スポーツ 2017年4月21日17時9分
  46. ^ 『大相撲中継』2017年5月27日号46頁
  47. ^ 東京新聞 2017年5月2日 朝刊
  48. ^ 大関昇進の高安、口上で「正々堂々と精進」 日本経済新聞 2017/5/31 10:22
  49. ^ 東京新聞 2017年5月31日 夕刊
  50. ^ 東京中日スポーツ 2017年6月1日
  51. ^ a b 2017/6/6付日本経済新聞 朝刊
  52. ^ 日刊スポーツ 2017年6月27日
  53. ^ 毎日新聞 2017年6月26日 東京夕刊
  54. ^ 新大関高安、反省の9勝6敗「巡業で心と体を鍛えたい」 デイリースポーツ 2017.7.23
  55. ^ a b c d 日本経済新聞夕刊 2017年5月9日掲載
  56. ^ a b c 『大相撲ジャーナル』2016年12月号57ページ
  57. ^ 『大相撲ジャーナル』2014年4月号58頁
  58. ^ 東京新聞 2017年5月16日 朝刊
  59. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年8月号p18-19
  60. ^ 叩き上げ高安 ホープ遠藤叩き2敗死守、残ったV争い Sponichi Annex
  61. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年6月号7頁
  62. ^ 東京新聞 2017年5月26日 朝刊
  63. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年5月号16ページ
  64. ^ 東京新聞 2017年5月19日 朝刊
  65. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年4月号58ページから59ページ
  66. ^ 北の富士勝昭、嵐山光三郎『大放談!大相撲打ちあけ話』(新講舎、2016年)P160
  67. ^ a b c 大関昇進の高安、ゆかりの土地のフィーバーぶり紹介 2017年5月31日9時21分 スポーツ報知
  68. ^ 週刊FLASH 2017年4月11日号
  69. ^ 新大関高安が「お嬢様レーサー」とトークショー 日刊スポーツ 2017年6月8日17時47分
  70. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年8月号p105
  71. ^ 左下腿筋挫傷及び左足関節靱帯損傷のため4日目から休場

関連項目[編集]

外部リンク[編集]