大野将平

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大野 将平
大野 将平.jpg
基本情報
ラテン文字 Shohei Ono
日本の旗 日本
出生地 山口県の旗山口県山口市
生年月日 1992年2月3日(24歳)
身長 170cm
選手情報
階級 73kg級
所属 旭化成
 
獲得メダル
男子柔道
オリンピック
2016 リオデジャネイロ 73kg級
世界柔道選手権大会
2013 リオデジャネイロ 73kg級
2015 アスタナ 73kg級
世界団体
2014 チェリャビンスク 73kg級
2015 アスタナ 73kg級
2013 リオデジャネイロ 73kg級
グランドスラム
2012 東京 73kg級
2014 東京 73kg級
2013 パリ 73kg級
アジア柔道選手権
2012 タシュケント 73kg級
世界ジュニア
2011 ケープタウン 73kg級
2013年10月22日現在
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大野 将平(おおの しょうへい、1992年2月3日 - )は、山口県山口市出身の日本柔道選手。階級は73kg級。身長170cm。血液型はO型。組み手は右組み。段位は四段。得意技は大外刈内股[1]。現在は旭化成に所属[2]

経歴[編集]

高校まで[編集]

柔道は7歳の時に松美柔道スポーツ少年団で始めた[1]。道場の2年先輩には後に無差別の世界チャンピオンとなる上川大樹がいた。山口市立良城小学校卒業後、2歳上の兄である哲也を追って上京すると、講道学舎の所属となった[3]。指導者の持田治也によれば、入学当初の大野は同じ学年の選手8名のうち7番手に過ぎなかったものの、弦巻中学の2年生になる頃には一切妥協せず常に真剣勝負を挑んでくる大野の姿勢に躊躇して、上級生を含めた他の選手が大野と組み合うのを避ける傾向が出てくるなど、その存在感を示すようになってきたという[4]。一方で本人によれば、この当時はあまりの辛さに泣いていた記憶しかないという[5]。2年の時に出場した近代柔道杯では5位となった。3年の時には全国中学校柔道大会マルちゃん杯の団体戦で5位に入った[1]

世田谷学園高校へ進むと、1年の時には金鷲旗の準々決勝で東海大相模高校と対戦すると、同じ1年の羽賀龍之介に指導2で敗れてチームも5位にとどまった[1]全国高校選手権の団体戦では3回戦で敗れた。2年の時にはインターハイ73kg級の準々決勝で鶴来高校3年の森下純平GSに入ってから有効で破るなどして決勝まで進むと、清風高校3年の垣田恵祐を隅返で破って優勝を果たした[1]。全国高校選手権の団体戦では5位だった。3年の時は首の負傷などの影響でほとんど力を出せなかった影響もあって、金鷲旗で5位、インターハイでは都予選で敗れて出場できなかった。なお、団体戦には1年の時から1度も出場を果たせずに終わった[1][5][6]

大学時代[編集]

大学1年[編集]

2010年には天理大学へ進んだ。1年の時にはフランスジュニア国際で優勝すると、グランドスラム・東京にも出場して5位となった。この当時、全日本代表チームの監督だった大学の先輩でもある篠原信一に、特例でジュニアからシニアの強化指定選手に引き上げて貰ったことでシニアの合宿にも参加してより力を蓄えていった[6]

大学2年[編集]

2年の時には全日本ジュニアで優勝すると、世界ジュニアでも優勝を果たした[7]。2012年2月にはワールドカップ・オーバーヴァルトに出場して、シニアの国際大会初優勝を飾った[8]

大学3年[編集]

3年の時には11月の講道館杯決勝で大学の1年後輩である土井健史に内股で一本勝ちして初優勝を飾った[9]。12月のグランドスラム・東京では、決勝で綜合警備保障中矢力に小外刈で技ありを取った後に大外刈で一本勝ちして、グランドスラム大会初優勝を飾った[10][11]

大学4年[編集]

4年の時には5月の体重別準決勝で筑波大学4年の西山雄希に指導1で敗れて3位に終わったが、国際大会などでの実績が評価されて世界選手権代表に選ばれた[12]。8月の世界選手権では、初戦で元世界チャンピオンである韓国の王己春と対戦すると、苦し紛れに掛け逃げを連発する王に反則勝ちを収めた。続く2戦は内股と反則勝ちで勝利すると、準々決勝では元世界2位であるオランダのデックス・エレモントと対戦した。お互いに有効を取りあった後に指導2でリードされるも、終了10秒前に指導を取り返してポイントで並びGSに突入すると、払腰で一本勝ちした。準決勝では元世界3位であるベルギーのディルク・バンティヘルトを大外刈で豪快に畳に叩きつけると、決勝ではロンドンオリンピック銅メダリストであるフランスのウゴ・ルグランに対して、内股で有効をとった後に跳腰で破り、6試合オール一本勝ちで優勝を飾った。この際に、「前に出る攻撃的な柔道ができた。全て一本で勝てたことは満足している。勝ち続ける選手になりたい。もっと強くなってリオ五輪でまたここに戻って来たい」と語った。なお、世界団体において90kg級の西山将士がケガのため出場できず、チームは4人での戦いを強いられて3位にとどまったが、こちらでも4戦全て一本勝ちして、個人戦と団体戦の計10試合をオール一本勝ちで飾ることになった[13][14][15][16]。 その直後に後述の天理大柔道部の暴行事件発覚で、強化指定選手取消、停学、活動停止、主将解任の処分となった[17]。一方で、フランスの柔道雑誌であるL'Esprit du Judoに世界大会7連覇を達成したことで2013年の最優秀男子選手に選ばれた100kg超級のテディ・リネールは、「自分なら大野を最優秀選手に選出する。世界選手権で見せた力強い組み手から繰り出される技の数々は非常に印象に残り、なおかつ魅力的なものだった」と語った[18]

社会人時代[編集]

2014年[編集]

大学を卒業後、2014年からは旭化成の所属となった。暴力問題以降初の大会出場となった4月の選抜体重別では、決勝で中矢に指導3までとった後に浮落で一本勝ちして今大会初優勝を飾り、世界選手権代表に選出された[19]。続いて、世界チャンピオンになったことから推薦により無差別で争われる全日本選手権に出場すると、2回戦で了徳寺学園職員である100kg級の穴井亮平を判定で破るものの、3回戦で今大会優勝した東海大学4年である100kg超級の王子谷剛志に指導3で敗れた。なお、王子谷は今大会で大野のみ一本勝ちができなかった[20]。8月の世界選手権では初戦の2回戦でポーランド選手に腕挫十字固、3回戦でモンゴルのサインジャルカル・ニャムオチルを指導2で破ったが、4回戦で韓国の李栄淮に出足払でよもやの一本負けを喫して2連覇はならなかった。世界団体では準決勝まで勝利するも、決勝で地元ロシアのデニス・ヤルツェフと対戦すると内股で技ありを先取しながら大外返で有効、大外巻込で技ありを取られて逆転負けを喫したものの、チームは3-2で優勝を飾った[21][22][23]。 なお、今大会前にロサンゼルスオリンピックの60kg級金メダリストである指導者の細川伸二から「お前はもう強くならん」と言われたことがショックで、それを消化できずに大会に臨んだ。試合では前年以上に圧倒的な勝利を収めようと意気込み過ぎて色気や隙が出てしまって敗れたことで、細川が言ったことはこういうことだったのかとも思い巡らせた。細川からはその言葉の真意を結局聞き出せなかったが、「今の力をそのまま出せば充分に世界で勝てるのだから、コンディショニングやピーキングをしっかりとして、大事な試合のときに一番自分の力を出せるようにだけ意識しろ」と解釈することによって自らを納得させた[6]。 12月のグランドスラム・東京では、決勝で了徳寺学園職員の秋本啓之に背負投の有効で敗れて2位にとどまった[1]

2015年[編集]

2015年2月のグランプリ・デュッセルドルフでは、準々決勝までの3試合を一本勝ちすると、準決勝では韓国の安昌林に大内刈の技ありで勝利すると、決勝ではグルジアのヌグザリ・タタラシビリに対して内股で技ありを取った後に小外刈で一蹴して優勝を果たした[24]。4月からは天理大学の大学院へも進んで、引き続き細川の指導を受けることになった[25]。選抜体重別では準決勝でパーク24橋本壮市に大外刈の有効で敗れた。しかしながら、金メダルに近い存在だとして、世界選手権の代表に追加で選出された[26]。8月の世界選手権では最初の3試合を合技、大外刈、合技で一本勝ちすると、準々決勝ではヨーロッパチャンピオンであるイスラエルのサギ・ムキに技ありと有効3つを取って圧勝した。準決勝では安と対戦して指導1と内股の技ありを先取するが、その後に大外返で技ありを取られるも、終盤に裏投げで一本勝ちした。男子では1975年の世界選手権以来40年ぶりの日本選手同士の対決となった決勝では、世界チャンピオンの中矢を小外刈の技ありで破って、2013年以来2年ぶりの世界選手権優勝を果たすこととなった。世界団体では準決勝のドイツ戦のみに出場して大外刈で勝利すると、チームも決勝で韓国を破って優勝を飾った[27][28][29][30][31]。なお、世界選手権後のインタビューでは、柔道という競技は世界選手権で勝っても世間からは評価されないし、オリンピックに出場できなかった場合や、例え出場しても負けた場合は全く意味をなさなくなる競技なので、オリンピックに出場して必ず金メダルを取りたいし、そういう部分にこそやり甲斐がある。国に1つくらい金メダルしか求められない競技があってもいいのではないかと語った[3][32][33]

2016年[編集]

2016年2月のグランプリ・デュッセルドルフでは最初の2戦を反則勝ち、準決勝では安を内股の技ありで破ると、決勝ではアゼルバイジャンのルスタム・オルジョフをも内股の技ありで破って、今大会2連覇を達成した。試合後には、「全ては8月。そこで勝たなければ意味がない」と語った[34][35][36]。4月の選抜体重別では決勝で中矢を指導1で破って今大会2年ぶり2度目の優勝を飾り、リオデジャネイロオリンピック代表に選出された[37]。代表決定後の会見では、「全て(の経験)をリオにつなげられればいい。必ず金メダルを獲得したい」とコメントした[38]。5月の強化合宿の際には、シドニーオリンピックで金メダルを獲得した田村亮子の「最高で金、最低で金」を思い起こさせる「最低でも金」というコメントを発した。オリンピックではたとえ調子が良くなくても勝ち切れるだけの実力差を見せ付けたいという[39]。2014年の世界選手権で敗れた際のことを教訓にして、ピークもコンディションも本番に合わせられるように、練習をやりすぎずにオリンピックへ向けた調整を行うことを心がけた[6]。8月のリオデジャネイロオリンピックでは初戦となる2回戦でコスタリカのミゲル・ムリジョを横四方固、3回戦でUAEのビクトル・スクボルトフを内股でそれぞれ破ると、準々決勝でもジョージアのラシャ・シャフダトゥアシビリ腰車の技ありで破った。準決勝ではベルギーのバンティヘルトから巴投げで技あり、背負投で有効を取った後に巴投げで一本勝ちした。決勝ではオルジョフと対戦すると、内股で技ありを取った後に小内巻込で一本勝ちして、オリンピックにおいて日本男子柔道2大会ぶりの金メダルをもたらした[40][41]。試合後のインタビューでは次のように語った。「うれしいです。内容的に満足できるものではなかったですけど、柔道の素晴らしさ、強さ、美しさを見ている人に伝えられたと思います。(勝つのが当然という)周りの声が聞こえていたので、当たり前のことを当たり前にやる難しさを味わいました。五輪は独特な雰囲気はありますけど、ふつうの国際大会ですし、気持ちの持ちようだと思います」[42]。今大会における大野の活躍ぶりに筑波大学准教授の山口香は次のようなコメントを寄せた。「大げさでなく、これは日本柔道の「教科書」だ。井上康生野村忠宏が五輪を去った後、十数年にわたって絶版になっていた教本の新装版がお披露目された。「こういう柔道をしましょうよ」と日本の選手が国内外に手本を示した値打ちは、金メダル1個分にとどまらず、計り知れないものがある」「大野は(外国勢が得意とする)接近戦で相手に譲らなかった。踏ん張る相手を、大外刈りから腰車へと体勢を移しながら強引に横倒しにした。「日本人が柔道をするのに、何を譲ることがある」と語っているようだった」[43]。 9月にはオリンピックでの活躍が評価されて県民栄誉賞を受賞した[44]。11月、紫綬褒章を受章[45]。 12月にはグランドスラム・東京に出場予定だったが、古傷の右足首を負傷して出場を取りやめた[46]

世界ランキング[編集]

IJF世界ランキングは2050ポイント獲得で3位(16/12/25現在)[47]

  • 世界ランキングの年度別変遷
2011年 2012年 2013年 2014年 2015年
順位 140 10 4 20 6

(出典[1]JudoInside.com)。

柔道スタイル[編集]

右組みから繰り出される得意技の内股や大外刈は非常に切れ味鋭く、豪快に相手をなぎ倒す威力を有している。体幹が強く受けも比較的強い。現在の柔道スタイルの原型は中学3年の時に作り出された[3][4][48]。 稽古では1日1000本の打ち込みをこなす[49]。2014年の全日本選手権では優勝した100kg超級の王子谷が対戦した選手で唯一技でのポイントを奪われなかったことや、2016年にスペインのカステイダフェルスで開催された国際合同合宿における乱取りで、テディ・リネールを内股で投げて周囲をざわめかせたことなどからも示されるように、重量級の強豪選手とも渡り合えるだけの力を有している[50][51]。基本的に一本を取る柔道を理想としているが、最終的には勝たなければ意味がないので勝ちにこだわることに徹底している。きれいに一本勝ちしようと色気を見せると隙が生まれることもあるので、その辺りにも細心の注意を払うように務めている[52][53]。なお、安のように低い体勢から背負投を繰り出すタイプの選手には深追いせずに、まずは指導を取ってペースを握ることが肝要だとも心掛けている[3]。 オリンピックの60kg級で3大会連続の金メダルを獲得した野村忠宏は大野が高校3年の時に稽古を積んだ際に、その技のスピードや、瞬間のキレ味には大いに驚嘆させられたと語った。また、大野と組んだことのある選手は誰もがその技に恐怖を感じているはずだという[54]。さらに続けて、下半身への手や腕による攻防が禁じられて以降、お互いの間合いが近づいた密着型の接近戦が多くなり、従来以上にパワーが重要になってきたが、長身で力の強い外国選手が上や横から柔道衣を掴んで反則狙いの潰しにかかってくると、普通は腰が落ちて後ろに下がってしまい技を仕掛けることができない。対して、大野の場合は間合いを詰められても体の軸が強力なために体勢が崩れることなく、逆に前に出て相手を投げ切ることが可能となるとも指摘した[55]。 大学時代から大野を指導していて、大野と同じように内股や大外刈を得意にしていた天理大学監督の穴井隆将は、自分が柔だとしたら大野は剛だとした上で、大野の柔道の特徴を次のように語った。「技に入るときの威力、度胸がすごい。大外刈りは返される可能性が小さくない技だから、私は何度もタイミングを測ったものですが、大野は『そこで行くの!?』と思うようなタイミングで行ける強さがある。相手は自分が組み勝っていると思っていても、懐に入ってきたときの大野の威力がすごくて対応できない」[4]。 また、穴井からは頻繁に『我慢しろ』という言葉を掛けられるが、その言葉を苦しい場面でも気持ちを切らさず根気よく打ち勝っていくという意味に捉えることで、以前に比べて辛抱を強いられるような試合においても冷静さを維持しながら粘り強く戦えるようになったという[32][56][57]

天理大学柔道部の暴力問題[編集]

2013年9月には、天理大学柔道部で5月から7月にかけて天理大学柔道部4年生の男子部員4名が、1年生部員複数に対して暴力を振るい、そのうちの1名が鼓膜を破るなどのケガをしていたことが明らかになった。柔道部主将の大野も暴行現場に居合わせたものの、直接暴力は振るっていないという。大野は「(暴行を)止められず、ふがいない。申し訳ない」と弁明した。また、柔道部部長の藤猪省太や監督の土佐三郎らとともに暴行を受けた1年生部員の自宅に赴いて、「申し訳なかった。これからは自分が4年生をきちんと指導する」と述べたという。

大学側はこの件を謝罪するとともに、大野は暴行現場には居合わせたものの、直接暴力とは関わっていなかったので世界選手権の出場を黙認したと説明した[58][59][60]

9月5日に大学側はこの件で柔道部部長の藤猪と監督の土佐を解任するとともに、大野を主将の任から解くことも発表した。柔道部に対しても再発防止策が確認されるまで無期限の活動停止処分を下すことになった。さらに全柔連専務理事の近石康宏は、今後の展開次第では世界チャンピオンである大野が全柔連の強化指定選手から外される可能性もあることを示唆した[17][61][62]。9月11日に天理大は大野を含む4年生の部員5人を30日の停学処分にしたと発表した。それによれば、大野は1年生1人に対して平手打ちを2回したとのこと[63]。その一方で、実際に大野は暴力を振るっていなかったが、4年生の就職に影響が出てくることを恐れた大学側のたっての頼みで、一度は断った要請を飲んで暴力問題への関与を認める汚れ役を敢えて引き受けたと報じる向きもある[64]。また、後に大野本人も、同級生の内定事情などを考慮した上であえて罪を被ったと語っている。事件があった当日は世界選手権の強化合宿があって不在だったとしている。「俺に十字架を背負わすのか?これが大人のやり方か!」と、この当時思ったという。このこともあって一時は現役引退も考えたが、結果として思いとどまった[5]

9月18日に全柔連は懲罰委員会を開いて、暴力行為に関わった大野ら4年生9名に3ヶ月の登録停止処分を下したことを発表した。これにより、大野は全柔連の強化指定選手を外された。復帰は処分明けに検討されることになった[65]

10月12日には、停学処分の解けた大野を含めた天理大学柔道部が東日本大震災復興支援プロジェクトの一環として、宮城県七ケ浜町で仮設住宅の雨どいの清掃作業などのボランティア活動を行った。この際に「主将として管理しなくてはいけなかった。申し訳ないと思っています。気持ちを新たに頑張りたい」と語った。暴力問題後、全柔連からボランティア活動を求められていた天理大学柔道部は、停学期間中だった大野らを含めてすでに奈良県内や学内において清掃活動に従事していた[66][67]

11月5日には大学当局から活動の一部再開が認められて、大野も早速練習に取り組むことになった[68]

2014年1月5日には強化指定選手に復帰することになり、全日本の強化合宿に参加した。その後の記者会見で、「人間としてどうあるべきか、改めて考えさせられる3か月でした」と事件を振り返るとともに、「ご迷惑をかけ、本当に申し訳ないと思っています」と改めて謝罪した。続けて「最強かつ最高の選手になれるように努力したい」とも語った[69]

戦績[編集]

(出典[1]JudoInside.com)。

有力選手との対戦成績[編集]

(2016年12月現在)

国籍 選手名 内容
日本の旗 中矢力 4勝1敗
日本の旗 秋本啓之 2敗
韓国の旗 安昌林 4勝
モンゴルの旗 サインジャルカル・ニャムオチル 4勝1敗
イスラエルの旗 サギ・ムキ 2勝
ジョージア (国)の旗 ヌグザリ・タタラシビリ 2勝
オランダの旗 デックス・エレモント 2勝
アゼルバイジャンの旗 ルスタム・オルジョフ 2勝

(参考資料:ベースボールマガジン社発行の近代柔道バックナンバー、JudoInside.com等)。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i 「柔道全日本強化選手名鑑 2016」近代柔道 ベースボールマガジン社、2016年4月号
  2. ^ スタッフ・選手紹介 / 柔道部
  3. ^ a b c d 「金メダリストインタビュー 大野将平」近代柔道 ベースボールマガジン社、2015年12月号
  4. ^ a b c ニッポン柔道復権の旗頭、大野将平 五輪金メダルへ貫く2つのスタイル
  5. ^ a b c 「大野将平の怒りと苦悩と進化」Friday 講談社、2016年11月18日号 24項-27項
  6. ^ a b c d 大野将平 インタビュー
  7. ^ 男女4階級で優勝=世界ジュニア柔道 時事通信 2011年11月5日
  8. ^ 柔道男子W杯、73キロ級で大野将平が優勝 読売新聞 2012年2月12日
  9. ^ 康生監督イチ押し 大野が決勝1本勝ち デイリースポーツ 2012年11月10日
  10. ^ 大野将平、津金恵がV…柔道グランドスラム 読売新聞 2012年12月1日
  11. ^ 大野「一本を取る柔道できた」/柔道 日刊スポーツ 2012年12月1日
  12. ^ 世界柔道代表18人を発表…過去の内容を重視で 読売新聞 2013年5月12日
  13. ^ 大野「日本柔道が一番強く美しい」/柔道 日刊スポーツ 2013年8月30日
  14. ^ 世界柔道・談話 時事通信、2013年8月29日
  15. ^ 【世界柔道】大野、全10戦一本勝ち!男子団体で銅 スポーツ報知 2013年9月2日
  16. ^ 「リオデジャネイロ世界選手権2013」近代柔道 ベースボールマガジン社、2013年10月号
  17. ^ a b 天理大・世界柔道金の大野将平が主将解任 日刊スポーツ 2013年9月5日
  18. ^ Judokas of the year 2013 - Riner indétrônable, L'éclat de Gerbi
  19. ^ 高藤、海老沼、大野を選出=世界選手権代表-全柔連 時事通信 2014年4月6日
  20. ^ 「逃げずに」73キロ級世界王者・大野 2回戦で100キロ級の穴井破る MSN産経ニュース 2014年4月29日
  21. ^ 前回覇者・大野が4回戦敗退「執念を持って戦えなかった」/柔道 サンケイスポーツ 2014年8月28日
  22. ^ 男子が団体金、女子は銅 柔道世界選手権 日本経済新聞 2014年8月31日
  23. ^ 「チェリャビンスク世界選手権2014」近代柔道 ベースボールマガジン社、2014年10月号
  24. ^ 大野、一本勝ちで優勝 女子70キロ級・新井もV ドイツGP スポーツニッポン 2015年2月22日
  25. ^ 大野 今春から大学院生「ケガで柔道できない時に充電期間に」 産経新聞 2015年12月26日
  26. ^ 世界柔道代表決定 井上監督、大野は「金に近い」 日刊スポーツ 2015年4月30日
  27. ^ 世界柔道、金連発…57キロ松本・73キロ大野 読売新聞  2015年8月26日
  28. ^ 【世界柔道】大野2年ぶり金!前回王者・中矢破りリオ争い一歩リード スポーツ報知 2015年8月26日
  29. ^ World Championships 2015, Astana - DAY 3
  30. ^ 日本、団体で男女アベック優勝 柔道世界選手権 日本経済新聞 2015年8月30日
  31. ^ 「アスタナ世界選手権2015」近代柔道 ベースボールマガジン社、2015年10月号
  32. ^ a b すべてのことに打ち勝ってこそ 金メダルがある【大野将平 インタビュー】 テレビ東京
  33. ^ 「金メダリストインタビュー 73kg級 大野将平」近代柔道 ベースボールマガジン社、2016年10月号
  34. ^ 世界王者の大野が男子73キロ級優勝 柔道GP大会 スポーツニッポン 2016年2月21日
  35. ^ 大野が優勝=GPデュッセルドルフ-柔道 時事通信 2016年2月21日
  36. ^ 大野将平V 世界ランク1位安昌林にも圧勝 日刊スポーツ 2016年2月21日
  37. ^ 柔道五輪代表に近藤亜美、松本薫、大野将平ら発表 日刊スポーツ 2016年4月3日
  38. ^ 【リオ五輪代表会見コメント集】田知本「チャンピオンになって帰ってきたい」 サンケイスポーツ 2016年4月4日
  39. ^ 大野将平ヤワラ道「最低でも金」柔道界の名言再び - 柔道 日刊スポーツ 2016年5月3日
  40. ^ 大野将平、一本勝ち「金」…柔道男子73キロ級 読売新聞 2016年8月9日
  41. ^ Judo Olympic Games 2016
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  44. ^ リオ金の大野に山口県民栄誉賞「違った境地で柔道できる」 サンケイスポーツ 2016年9月23日
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  47. ^ World ranking list
  48. ^ 「アスタナ世界選手権観戦ガイド」近代柔道 ベースボールマガジン社、2015年8月号
  49. ^ すそ野拡大へ柔道フェスタ 現役の大野、松本らもひと役買う 産経新聞 2015年11月14日
  50. ^ The quality of the training camp in Castelldefels is unrivaled
  51. ^ Judo Crazy: Ono throws Riner with uchimata!
  52. ^ すべてのことに打ち勝ってこそ 金メダルがある
  53. ^ 井上康生監督 色気に警戒「隙をつくらぬこと大事」 日刊スポーツ 2016年2月23日
  54. ^ 【柔道】野村忠宏が語る体重別選手権 「勝ってリオ五輪出場を決めてほしい」
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  57. ^ リオ五輪 日本柔道の新エース・大野将平が激白「精神的に強くなれたあの出来事」 東京スポーツ 2016年6月30日
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  59. ^ 天理大柔道部長、暴行隠蔽を否定…会見で謝罪 読売新聞 2013年9月4日
  60. ^ 世界柔道金・大野も暴行現場に…「彼が手を出したわけではない」 スポーツニッポン 2013年9月4日
  61. ^ 【柔道】天理大部内暴力で無期限活動停止!大野主将も解任 強化指定剥奪も スポーツ報知 2013年9月5日
  62. ^ 藤猪理事の辞表受理=再調査と報告の要請も-全柔連 時事通信 2013年9月5日
  63. ^ 世界柔道金の大野元主将も暴行、1年生に平手打ち…部員12人処分 MSN産経ニュース 2013年9月11日
  64. ^ 【柔道】大野 悲願の金メダルの裏に隠された「涙の真相」 東京スポーツ 2016年8月10日
  65. ^ 大野元主将らは登録停止3カ月=天理大暴力問題で処分-全柔連 時事通信 2013年9月16日
  66. ^ “活動停止中の天理大柔道部 大野前主将ら宮城でボランティア”. スポーツニッポン . (2013年10月10日)
  67. ^ “天理大柔道部がボランティア 暴力問題で被災地へ”. 47NEWS . (2013年10月12日)
  68. ^ “部内暴力発覚から2カ月…正木監督の天理大柔道部が練習再開”. スポーツニッポン . (2013年11月5日)
  69. ^ 大野将平、柔道暴力の処分から復帰…合宿に合流 読売新聞 2014年1月6日

外部リンク[編集]