王己春

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王 己春
基本情報
ラテン文字 Ki-Chun Wang
大韓民国の旗 大韓民国
生年月日 (1988-09-13) 1988年9月13日(29歳)
選手情報
階級 男子73kg級
 
獲得メダル
大韓民国の旗 大韓民国
男子 柔道
オリンピック
2008 北京 73kg級
世界柔道選手権
2010 東京 73kg級
2007 リオデジャネイロ 73kg級
2009 ロッテルダム 73kg級
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王 己春(ワン・キチュン、1988年9月13日 - )は、韓国全羅北道全州市出身の柔道家北京オリンピック柔道銀メダリスト。身長171cm[1]世界柔道選手権には5度出場しそのうち2大会で金メダルを獲得するなど、韓国でも有数の実力者でもある[2]

概要[編集]

柔道は7歳の時に始めた。 2006年、韓国での国内選手権で2位の好成績を挙げ世界柔道選手権代表に選ばれ、翌2007年世界柔道選手権大会でいきなり優勝し世界チャンピオンとなった[2]

アテネオリンピック金メダリストの李元熹から代表の座を奪い北京オリンピックに出場。エルヌル・ママドリに決勝で敗れるも銀メダルを獲得した[1]

2009年のロッテルダム世界選手権決勝では、北朝鮮のキム・チョルスを破って2連覇を達成した[2]

2010年最初の試合であるワールド・マスターズでは、日本粟野靖浩に一本負けして連勝記録が53で止まるが[3]、2月のグランドスラムパリでは優勝した。だが、世界選手権では準決勝で日本の秋本啓之に敗れ銅メダルに終わった[2]

2011年の世界選手権では4回戦でフランスのウゴ・ルグランと対戦したが、開始早々で一本負けを喫しメダルを獲得することができなかった[2]

2012年1月のワールド・マスターズでは優勝を果たした[2]。しかし、7月のロンドンオリンピックでは準決勝でそれまで6連勝していたロシアのマンスール・イサエフと対戦し指導2で敗れると、さらに3位決定戦でも昨年の世界選手権で対戦したフランスのルグランに技ありで敗れ、メダルを獲得することが出来ずに終わった[2]

2013年のユニバーシアードでは2009年以来2度目の優勝を飾るが、世界選手権では初戦で日本の大野将平に反則負けした[2]。その後、階級を81kg級に変更し2015年に地元の光州で開催されたユニバーシアードでは2位に終わった。グランプリ・青島では優勝した[2]

2016年には国内の代表選考大会の初戦で敗れ、リオデジャネイロオリンピック代表に選出されなかったために引退を決意した。今後はコーチに転進するという[4]

IJF世界ランキングは374ポイント獲得で47位(16/8/1現在)[5]

暴行騒ぎ[編集]

2009年10月17日、王は京畿道竜仁市処仁区内のナイトクラブの個室で一緒に酒を飲んでいた女性と口論になり、 ほおを殴ったとして書類送検に付された[6]。その事件で王は動揺してか自らのファンサイトに引退を示唆する書き込みを残し、10日ほど身を潜めた。そのため出場が予定されていた全国体育大会にも参戦することはなかった。その後姿を現して今回の一件を謝罪した[7]。 これを受け韓国の柔道協会は今回の騒ぎで、王に2ヶ月間の地方での無料講習会に参加させるボランティア活動を課すことに決めた[8]

軍隊内での規律違反[編集]

2013年12月10日に韓国軍の基礎軍事訓練を受けるために忠清南道論山にある陸軍訓練所に入所した王は、厳禁されている携帯電話を訓練中に使ったとして、12月31日から1週間の拘置処分に付された。これにより訓練時間の不足が生じたことで退営措置を受け、再入所しなければならなくなった。韓国軍の関係者は、「4週間の訓練で携帯電話の使用が発覚するのは珍しい」と語った。韓国の柔道協会は、「王己春がこの時点で代表選手ではないことから、処分は考えていない」という。韓国では、オリンピックメダリストやアジア大会金メダリストは4週間の基礎軍事訓練を受ければ兵役が免除されることから北京オリンピックの銀メダリストである王も2013年12月から訓練に参加していた[9][10]

主な戦績[編集]

71kg級での戦績

81kg級での戦績

(出典[2]JudoInside.com)。

脚注[編集]