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深津尚子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
深津 尚子
『世界の選手に見る卓球の戦術・技術』(1967年)より
基本情報
よみがな ふかつ なおこ
ラテン文字 FUKAZU Naoko
現姓名 徳永 尚子
生年月日 (1944-12-23) 1944年12月23日(79歳)
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県額田郡岩津町(現・岡崎市宮石町
居住 高知県の旗香川県高松市
性別 女性
選手情報
段級位 9段
利き腕
ITTFサイト WTTプロフィール
経歴
学歴 慶應義塾大学
世界卓球選手権戦歴
出場大会数 2
初-最終出場 1965 - 1967
受賞歴
日本スポーツ賞 1967
獲得メダル
世界卓球選手権
1965 リュブリャナ 女子シングルス
1965 リュブリャナ 混合ダブルス
1965 リュブリャナ 女子団体
1967 ストックホルム 女子シングルス
1967 ストックホルム 女子ダブルス
1967 ストックホルム 混合ダブルス
1967 ストックホルム 女子団体
アジア卓球選手権
1964 ソウル 女子ダブルス
1964 ソウル 混合ダブルス
1964 ソウル 女子団体
アジア大会卓球競技
バンコク1966英語版 女子シングルス
バンコク1966英語版 女子ダブルス
バンコク1966英語版 混合ダブルス
バンコク1966英語版 女子団体
■テンプレート ■プロジェクト:卓球 ■選手一覧

深津 尚子(ふかつ なおこ、1944年12月23日 - )は、日本の元卓球選手。段級位は9段。

経歴

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愛知県額田郡岩津町(現・岡崎市宮石町)出身[1]。生家は紡績業を営んでいた。7人きょうだいの末っ子[2]岡崎市立奥殿小学校、岡崎市立香山中学校(現・岡崎市立新香山中学校)、桜丘高等学校卒業。1963年、慶應義塾大学文学部社会学科に進学[1]

1965年4月、ユーゴスラビアリュブリャナで開催された第28回世界卓球選手権大会に日本代表として参加。団体戦では男女とも中国に敗れるが、深津は女子シングルスで決勝まで進出し、中国の林慧卿と対戦した。

実力的に一枚上の相手に私が勝てる方法は唯一つだけ持久戦に持っていくことだった。私が攻撃をしない限り、ラリーは50本も60本も続く。そして、双方ちょっとした相手のミスをねらうという、技術というより、精神力の勝負となった。相手より一球でも多く返球したいと唯それだけを考えた。新聞記者によると百本近くのラリーもあったという[3]

深津はフルセットの大接戦の末に優勝、世界チャンピオンとなった。なお、このとき銅メダルを獲得したのは、1967年の第29回世界選手権で団体・混合複優勝した山中教子である。

1967年、日本スポーツ賞を受賞した。

現役引退後は結婚して徳永姓となり、香川県高松市で1946年創業の料亭(二蝶)の女将を長く務めていた[2][4]

2016年7月1日、岡崎市より市民栄誉賞が授与された[5]

成績

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ギャラリー

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脚注

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  1. ^ a b 東海新聞』1965年1月3日、7面、「深津さん世界のヒノキ舞台へ 〝中国遠征で自信つける〟 岡崎が生んだ日本女子卓球界のホープ」。
  2. ^ a b “「世界一への道」深津尚子 ―60年代を駆け抜けたきら星―1”. 卓球レポート. (2017年5月22日). http://www.takurepo.com/past_archive/2017/05/003979.html 2017年11月5日閲覧。 
  3. ^ 『月報 岡崎の教育』1980年6月号” (PDF). 岡崎市教育ポータルサイト OKリンク. 岡崎市教育委員会. 2022年6月13日閲覧。
  4. ^ 二蝶の歩み | 料亭 二蝶(香川県高松市百間町)
  5. ^ 市民栄誉賞 | 岡崎市ホームページ
  6. ^ 愛知新聞』1965年5月23日、4面、「〝卓球の女王〟故郷へ錦飾る さかんな歓迎ぜめ 初めて世界制覇の実感が」。

関連項目

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外部リンク

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