週刊少年マガジン
週刊少年マガジン | |
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ファイル:Shōnen Magazine first issue.jpg 『週刊少年マガジン』創刊号 (表紙の写真は朝汐太郎) | |
愛称・略称 | マガジン・週マガ |
ジャンル | 少年向けコミック誌 |
読者対象 | 男性 |
刊行頻度 | 週刊(水曜日発売) |
発売国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
定価 | 260円 |
出版社 | 講談社 |
編集部名 | 少年マガジン編集部 |
編集長 | 森田浩章 |
雑誌名コード | 065 |
刊行期間 | 1959年3月17日(1959年3月25日号) - |
発行部数 | 177万部(2007年10月 - 2008年9月日本雑誌協会調べ) |
レーベル | 講談社コミックス(KCマガジン) |
ウェブサイト | http://www.shonenmagazine.com/ |
Template:漫画 は 廃止されました |
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『週刊少年マガジン』(しゅうかんしょうねんマガジン)は、講談社が発行する日本の週刊少年漫画雑誌。1959年3月17日創刊。毎週水曜日発売。略称は 「マガジン」「週マガ」。
概要
創刊は『週刊少年サンデー』と同じ1959年3月17日。創刊号の表紙を飾ったのは大相撲の大関・朝汐(ちなみに創刊当時開催されていた大相撲春場所で横綱昇進を決める)。なお、成人向けの週刊誌として「週刊現代」も同時に発行された。
編集者・牧野武朗が率いた創刊後の数年間は、雑誌に占めるマンガ頁が全体の4割程度で、漫画家も少女漫画作家が多かった。 部数の低迷が続いていたが、1965年に第3代編集長に就任した内田勝の様々な手段や、第4代編集長・宮原照夫による、ちばてつやの野球漫画の掲載開始などで、1970年には150万部を達成。少年漫画雑誌売り上げ1位の座を獲得し、『朝日ジャーナル』『平凡パンチ』と共に大学生の愛読誌と呼ばれ、黄金時代を築いた[要出典]。
しかし、黄金期の主力作品の相次ぐ終了や他誌の追随などにより1973年に『週刊少年ジャンプ』に少年漫画雑誌売り上げ1位の座を奪われる。その後しばらくは低迷期が続くが、それを経て1990年代に着実に部数を伸ばし、1997年には『週刊少年ジャンプ』の「黄金期」の終焉に伴い、再び売り上げ1位の座を手にするものの、2002年8月に再び『週刊少年ジャンプ』に首位を奪われ、少年漫画雑誌売り上げ2位に甘んじている状況が現在も続いている。
他誌の場合は新年号になると背表紙や目次などの外形を一新するが、『週刊少年マガジン』の場合は数年間同じ図案を使い続けるのが特徴。目次も長年タイトルだけが並ぶ飾り気のないものであった[1]が、2004年40号から作者のコメントがついたものへと変更されている。
なお発売日は毎週水曜日、通常定価は2008年7月より260円となっている。創刊当初の定価は40円。現在の誌名ロゴは1984年から使用されている。イメージキャラクターのモグラ“ピモピモ”は1982年から誌面に登場している。
1997年以降、長らく単行本の定価は390円(税抜)であったが、2006年8月発売分より400円(税抜)に定価が改定。さらに、2008年12月発売からは419円(税抜)に値上げされ、現在に至る。
特徴
企画モノの発案や市場調査の実施に見られるように、編集部側主導で誌面を作る傾向が強く、作風が編集方針から外れないように漫画家へ依頼することも多いという[要出典]。
劇画路線からの脱却
W3事件の際、手塚治虫が『週刊少年マガジン』から原稿を引き上げたため、対立軸を明確にすべく1970年代に劇画路線をとったことで知られる。以降読者の高年齢化が進み、1980年代から1990年代中頃まではヤンキー漫画等が主流を占めたため「不良の読む雑誌」とされたこともあったが、いわゆる第2次黄金期(1997年 - 2002年)以降はそのイメージは過去のものとなりつつある。
近年の少年誌では珍しい、ノンフィクションのドキュメンタリー漫画が掲載される他、一時期は芸能人による連載企画も行われていた。
グラビア企画
多数の女性芸能人を輩出しているオーディション企画ミスマガジンを始め、グラビアアイドルや人気女優などのカラーグラビアも積極的に行なっている。また、「マガジン一押し!若手アイドル○連発」などと銘打ってまだ知名度の低いグラビアアイドルをまとめて掲載する企画が不定期で行なわれており、中には乙葉や小倉優子など現在では多くのテレビ番組に出演し知名度の高い女性タレントも出演していた。しかし、最近はすでにテレビで活躍している女性タレント(スザンヌ、南明奈など)が出演することが多い。
アンケートの扱い
読者アンケートは、編集方針の参考という扱いである。『週刊少年ジャンプ』とは異なり、アンケート至上主義ではない。
アンケートで人気が芳しくなかった作品は、打ち切りとなることが多い。ある編集者は4年間で15作品ほどを担当し、ほとんどが打ち切りになったという[2]。
掲載順は「アンケート上位順」ではなく、様々な要因によって決定される。例えば、単行本の売り上げや作品同士の相性を考慮する、特に読者にアピールしたい作品を上位にする、巻末にギャグ漫画やネタ系漫画[3]を配置する、などである[4]。そのため、常時下位掲載でも打ち切られないケース[5]も見られる(いわゆるしんがり漫画)。
作品の転出および転入
人気が低迷したり作者・編集部側の事情などにより本誌で打ち切りになったとしても完全に打ち切るのではなく、兄弟誌である『マガジンSPECIAL』や『月刊アフタヌーン』へ舞台を移して連載をするケースが多い。例えば「Dreams (漫画)」や「ガチャガチャ」などが前者へ、「ヴィンランド・サガ」が後者へ移籍している。逆に「将太の寿司」や「生徒会役員共」など当初は『マガジンSPECIAL』において連載されていた作品が本誌へ移籍するケースもある。特異な例として、「中華一番!」は本誌から『マガジンSPECIAL』に移籍したのち、『真・中華一番!』と改題して本誌に復帰している。逆に「スミレ17歳!!」は『マガジンSPECIAL』で連載が始まり、「スミレ16歳!!」と改題して本誌に移籍したのち、結局『マガジンSPECIAL』へと戻っている。
また、『マガジンSPECIAL』や『別冊少年マガジン』の連載作品がPRも兼ねて本誌で読みきりを掲載することもある。
連載漫画家の特徴
1999年頃から同社他誌の主力漫画家や他社デビューの漫画家を積極的に起用している。前者についてはCLAMP(『なかよし』)や福本伸行(『週刊ヤングマガジン』)が該当し、後者については大暮維人(『ウルトラジャンプ』)や木多康昭(『週刊少年ジャンプ』)、久米田康治(『週刊少年サンデー』)の例がある。その他能條純一や板垣恵介など他社の主力漫画家が一時的に『週刊少年マガジン』で連載を行なうことがある。
女性漫画家の起用は早い時期から多く行なっているが、ペンネームが男性風になることが多い。例として塀内真人(現・塀内夏子)、島崎譲、大島司、さとうふみや、恵広史、山本航暉などがおり、他誌では女性風だったペンネームをわざわざ男性風にした久保ミツロウのケースもある。最近では咲香里や吉河美希、西山優里子など男性風に変えない女性漫画家もいる。
ショートギャグにも比重を置いていることから専門の漫画家も多く起用しており、過去には斉藤富士夫や三ツ森あきら、現在は西本英雄や氏家ト全がそれに該当する。また島田英次郎のように普段は他誌で連載をしているが、本誌の連載漫画が休載したときの穴埋めとしてショートギャグ漫画の読み切りを描くことがある。
作品のアニメ・ドラマ化
テレビアニメについては1960年代から1970年代前半にかけて『あしたのジョー』や『巨人の星』などの有名作品を出していたが、1970年代後半から1980年代にかけてアニメ化される作品が少なかった。これは上記に記述されているとおり「泥臭さ・社会性」の誌風のため時代背景にあった作品を出すことができなかったためである。1990年代以降はラブコメや萌え路線など誌風の多様化によりアニメ化される作品が多くなったが、2000年代になると少子化の影響により全日帯アニメが縮小され、深夜アニメでの放映が多くなっている。
一方でテレビドラマ・映画では1970年代に『愛と誠』、『野球狂の詩』、『翔んだカップル』を、90年代には『シュート!』(映画のみ)、『金田一少年の事件簿』、『GTO』などが放映された。特に『金田一少年の事件簿』と『GTO』は視聴率も良好であったためのちに映画化、更にはアニメ化もされている。
作品名 | キー局 | 放送時期 | 備考 |
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金田一少年の事件簿 (ドラマ版) |
NTV系列 | 1995年7月15日 - 9月16日 1996年7月13日 - 9月14日 2001年7月14日 - 9月15日 |
数回にわたりスペシャル版を放送。 1997年に映画化(ドラマ版項目を参照)。 1997年にアニメ化(アニメ版)[6]。 |
MMR マガジンミステリー調査班 (ドラマ版) |
CX系列 | 1996年4月18日 - 9月12日 | タイトルは「MMR未確認飛行物体」。 木曜の怪談内にてオムニバス形式で放送。 |
将太の寿司 | 1996年4月19日 - 9月20日 | 2000年にアニメ化(但しキー局はTX系列)。 | |
サイコメトラーEIJI | NTV系列 | 1997年1月11日 - 3月15日 1999年10月16日 - 12月18日 |
2000年にスペシャル版を放送。 |
GTO (ドラマ版) |
KTV・CX系列 | 1998年7月7日 - 9月22日 | 同年映画化(ドラマ版項目を参照)。 1999年にアニメ化(漫画版項目を参照)[7]。 |
BOYS BE… | NTV系列 | 1998年10月4日 - 12月27日 | タイトルは「BOYS BE…Jr.」。 ジャニーズJr.によるオムニバス形式で放送。 |
MAYA 真夜中の少女 | BS日テレ | 2003年3月8日 | 日テレジェニック2002卒業制作ドラマとして放送。 連載終了後のドラマ化。 |
クニミツの政 | KTV・CX系列 | 2003年7月1日 - 9月9日 | |
探偵学園Q | NTV系列 | 2007年7月3日 - 9月11日 | 2003年にアニメ化(但しキー局はTBS系列)。 |
魔法先生ネギま! (ドラマ版) |
TX系列 | 2007年10月3日 - 2008年3月26日 | タイトルは「MAGISTER NEGI MAGI 魔法先生ネギま!」。 2005年にアニメ化(アニメ版)。 その他OVA化などされている。 |
スミレ16歳!! | BSフジ | 2008年4月13日 - 6月29日 | 『マガジンSPECIAL』へ移籍後のドラマ化。 |
シバトラ | CX系列 | 2008年7月8日 - 9月16日 | 2009年、2010年にスペシャル版を放送。 |
BLOODY MONDAY | TBS系列 | 2008年10月11日 - 12月20日 2010年1月23日 - 3月20日 |
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ゴッドハンド輝 | 2009年4月11日 - 5月16日 | ||
ヤンキー君とメガネちゃん | 2010年4月23日 - 6月25日 | ||
ハンマーセッション! | 2010年7月10日 - 9月18日 |
コラボレーション・メディアミックスなど
当誌におけるメディアミックスの代表作として『魔法先生ネギま!』が挙げられ、アニメ・ドラマ化以外にもTVゲームやカードなど幅広いジャンルで活動している。また、また、かつてはエイベックスとのメディアミックスで『アソボット戦記五九』が連載されていた。また、創刊50周年記念として『週刊少年サンデー』との数々のコラボレーション企画が行われたほか、最近ではテレビ朝日のドキュメント番組『GET SPORTS』とのタイアップによる短編作品や女性アイドルグループ『AKB48』公認漫画作品『AKB49〜恋愛禁止条例〜』の連載が行われている。
約物の使用
作中の台詞表現において、句読点を原則として用いず、沈黙を表すリーダーも三点リーダー(…)ではなく二点リーダー(‥又は・・)を用いるという特色がある。この特徴は、マガジンSPECIALや月刊少年マガジン、ヤングマガジン等の系列・派生誌でも見られる(一方、同じ講談社発行のモーニングとその系列誌では、一貫して三点リーダーが用いられている)。
また、『スクールランブル』と『新約「巨人の星」花形』の三点リーダーや『さよなら絶望先生』の木津千里の台詞にある句読点など、例外も存在する。
歴史
- 1959年 - 1968年
- 1959年に創刊。当初は木曜日発売で定価は40円だったが、同年5号で30円に値下げ。キャッチコピーは同年14号から翌1960年26号まで「ゆめと希望の少年マガジン」だった。当初の主力作品は連続小説が大半を占めていたが、当時はまだヒット作には恵まれず、ライバルである『週刊少年サンデー』に水を空けられている状況が続いた。しかし1965年の「ハリスの旋風」を皮切りにマガジンの快進撃が始まり、「巨人の星」「あしたのジョー」の2大スポ根マンガで一気に少年雑誌としての地位を不動のものとした。その他にも「ゲゲゲの鬼太郎」「天才バカボン」なども連載を始め、1967年1月にはついに100万部を突破した。また大伴昌司の構成によるグラビア記事も人気に大きく貢献した。円谷プロの怪獣物テレビ番組「ウルトラQ」の怪獣を表紙の採用し、メディア・ミックスの先駆ともなった。
- 1969年 - 1977年
- 「キッカイくん」の連載を機にエログロナンセンスが用いられるようになり、それにともない読者の対象年齢も上昇。さらに1970年には「アシュラ」「ワル」「メッタメタガキ道講座」など多くの問題作が登場。さらに横尾忠則を表紙のデザイナーに迎えるなど、マガジンは「ガロ」に近い青年向けの雑誌となり、現在までに至るマガジンのイメージがほぼ確立されはじめる。大学生の間で「右手に(朝日)ジャーナル左手にマガジン」と言われたこともあった[1][2]。この影響は大きく、神奈川県児童福祉審議会が1970年32号を有害図書に指定。その後は1971年に「巨人の星」、1973年に「あしたのジョー」が終了したことなどからマガジンの勢いは徐々に下降。「あしたのジョー」などに変わる新たな主力作品としては「空手バカ一代」「愛と誠」「おれは鉄兵」「釣りキチ三平」などがスタートし、新たに篠山紀信によるアイドルのグラビア記事を導入するも、部数は伸び悩み、1974年に『週刊少年ジャンプ』に発行部数首位の座を奪われた。このため1975年1号より創刊以来親しまれた誌名ロゴを初めて大幅に変更するなどのリニューアルを行い巻き返しを図ったが、低迷からは思うように抜け出せなかった。因みに1971 - 1973年には「仮面ライダー」などの特撮ヒーロー作品がいくつか掲載されているものの、当時創刊されていた「テレビマガジン」の独擅場となりつつあったことから、以後特撮ヒーロー作品の掲載は控えられた。
- 1978年 - 1988年
- 2度目の誌名ロゴ変更を行った1978年2号で創刊1000号到達。だがこの頃の『マガジン』は『ジャンプ』だけでなく、『サンデー』や『チャンピオン』の後塵をも拝する状態となっていたが、「翔んだカップル」のヒットによってラブコメ漫画が定着。「あした天気になあれ」「1・2の三四郎」「コータローまかりとおる!」などの新たな主力作品の登場と新体制により勢いを徐々に取り戻し、部数を回復させた。1982年には初の雑誌系オーディション企画「ミスマガジン」とイメージキャラクターのピモピモの投入。1983年には定期増刊「マガジンSPECIAL」の創刊とバイク漫画としては『マガジン』始まって以来の大ヒットとなる「バリバリ伝説」の連載開始。さらに創刊25周年の年である1984年に誌名ロゴを現在のバージョンに変更。1980年代後半には少年誌の部数で『サンデー』を再び抜き、2位となったが、首位の『ジャンプ』の背中はまだ遠く、差は開く一方だった。
- 1989年 - 1994年
- 1980年代末から1990年代初頭にかけては主に、大ヒットした「金田一少年の事件簿」の連載が開始され、『マガジン』史上最も連載期間の長い(続編が連載途中でマガジンSPECIALに移動した『コータローまかりとおる!』は除く)「はじめの一歩」や「シュート!」「オフサイド」「風のシルフィード」などのスポーツ漫画や、「湘南純愛組!」「カメレオン」「疾風伝説 特攻の拓」などのヤンキー漫画の分野でヒット作が続出し、それらの作品に支えられしっかりと部数を伸ばし、1990年代の第2次黄金期の基礎を築いた。しかし1990年代初頭に『ジャンプ』が発行部数600万部を突破したことなどもあってか、この頃のマガジンの健闘ぶりは当時は過小評価されがちで、スポーツものや不良ものに比重を重く置いたこの頃の誌面の内容には、「絞れば汗が出る」と揶揄する声も一部にはあった。一方、1994年には草創期から長年に渡って『マガジン』で連載を続けていたちばてつやが、「少年よラケットを抱け」の連載終了をもって『マガジン』から離れている。
- 1995年 - 1999年
- 「金田一少年の事件簿」「はじめの一歩」「シュート!」などの看板漫画を擁する『マガジン』は、看板漫画を失った『ジャンプ』との差を徐々に縮め、1997年にはついに『ジャンプ』を抜き久々に発行部数首位の座を取り返す。この期間には「金田一少年の事件簿」「GTO」「サイコメトラーEIJI」などの看板・主力作品がドラマ化され、どれも高視聴率を記録し、そこから多くの読者を呼びこんだ。また、1998年から始まった「ラブひな」がヒットし、関連グッズも飛ぶように売れ、そのことが後の『マガジン』の路線に多大な影響を与えることとなる。さらに、それまでの『マガジン』としては珍しかった「RAVE」「SAMURAI DEEPER KYO」「GetBackers-奪還屋-」などのバトル漫画が立て続けにヒット。まさしく第2次黄金期と言えるほどの、誌面の充実振りを見せた。
- 2000年 - 2005年
- 2000年代に入ると、1990年代中 - 後期の第2次黄金期を支えた主力作品の休載・終了が目立つようになり、部数は徐々に下降していった。そして2002年5月20日には副編集長が大麻所持で逮捕されるという衝撃的な事件がおきた。弱り目に祟り目となった『マガジン』はこの1年で部数が急落し、8月には再び『ジャンプ』に首位の座を奪われてしまう。ちなみに捕まった元副編集長は、その後逮捕事件について自伝を出版している。2003年にはCLAMPを少年誌の『マガジン』本誌に引き抜くというサプライズを見せる。またこの年に「魔法先生ネギま!」の連載が開始され、同作のメディアミックスが盛んに行われた。「ラブひな」ヒットの影響からか、「スクールランブル」を始めとしたラブコメ・萌え・恋愛漫画などが多く誌面に見られるようになった。これらと従来の連載陣に加えて、『サンデー』から移籍した久米田康治が「さよなら絶望先生」の連載を開始したり、巻末漫画として「もう、しませんから。」が定着するなど、ギャグ漫画の分野でも個性的なヒット作が登場した。
- 2006年 -
- 原点回帰を狙ったのか、スポーツ漫画の新連載が大量に始まる。「巨人の星」のリメイク漫画、「新約「巨人の星」花形」の新連載が決定されたときは、テレビや新聞などの各種マスコミにも取り上げられた。ここ数年勢いがあった萌え系・ファンタジー系は最近はやや落ち着いてきている。その反面、部数の減少に歯止めはかからず、2007年には発行部数が200万部を下回った。2008年には50周年記念として様々な企画を行い、ライバル誌の『サンデー』と協力して異例のコラボレーションを見せた。2009年3月17日「少年サンデー・少年マガジン創刊50周年大同窓会」が東京で開催された。
この節の加筆が望まれています。 |
連載作品
以下、2012年5月30日(2012年26号)現在連載中の作品。休載中の不定期連載作品も含む。
作品名 | 作者(作画) | 原作など | 開始号 | 備考 |
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はじめの一歩 | 森川ジョージ | - | 1989年43号 | |
金田一少年の事件簿 | さとうふみや(漫画) | 金成陽三郎(原作) 天樹征丸(原案) |
1992年45号 | 2001年2号で一旦終了 2004年から2011年まで短期連載 2012年14号より連載再開 |
あひるの空 | 日向武史 | - | 2004年2・3合併号 | |
さよなら絶望先生 | 久米田康治 | - | 2005年22・23合併号 | |
エリアの騎士 | 月山可也(漫画) | 伊賀大晃(原作) | 2006年21・22合併号 | |
ダイヤのA | 寺嶋裕二 | - | 2006年24号 | |
FAIRY TAIL | 真島ヒロ | - | 2006年35号 | |
ベイビーステップ | 勝木光 | - | 2007年46号 | |
君のいる町 | 瀬尾公治 | - | 2008年26号 | |
CØDE:BREAKER | 上条明峰 | - | 2008年28号 | |
生徒会役員共 | 氏家ト全 | - | 2008年34号 | 『マガジンSPECIAL』より移籍 |
エデンの檻 | 山田恵庸 | - | 2008年52号 | |
我間乱〜GAMARAN〜 | 中丸洋介 | - | 2009年24号 | |
波打際のむろみさん | 名島啓二 | - | 2009年33号 | |
GE〜グッドエンディング〜 | 流石景 | - | 2009年38号 | |
A-BOUT! | 市川マサ | - | 2009年52号 | |
AKB49〜恋愛禁止条例〜 | 宮島礼吏(漫画) | 元麻布ファクトリー(原作) 高橋ヒサシ(構成協力) |
2010年39号 | |
ゼウスの種 | 飯島浩介 | - | 2011年12号 | |
アゲイン!! | 久保ミツロウ | - | 2011年19号 | |
ばくだん!〜幕末男子〜 | 加瀬あつし | - | 2011年26号 | |
賭博覇王伝 零 ギャン鬼編 | 福本伸行 | - | 2011年33号 | |
ドラゴンコレクション 竜を統べるもの | 芝野郷太(漫画) | 金城宗幸(原作) コナミデジタルエンタテインメント(原案・監修) |
2011年40号 | |
探偵犬シャードック | 佐藤友生(漫画) | 安童夕馬(原作) | 2011年47号 | |
ハッピープロジェクト | 落合ヒロカズ | - | 2012年4・5合併号 | |
山田君と7人の魔女 | 吉河美希 | - | 2012年12号 | |
Dr.デュオ | 大沢祐輔 | 木下繁(原案協力) | 2012年21・22合併号 |
読者コーナー
60年代後半にはダジャレやナンセンスギャグをメインとした「パンパカ学園」が人気だったが、70年代に入ると「へんな学校」や「星一徹のモーレツ人生相談」があった。その後「マイマガジン」や「マイマガ7」へと変遷し、少年誌の読者コーナーでは最もレベルの高い投稿センスを誇っていたが(編集長まで三段腹などが毎週ネタにされていた)、次第に「ジャンプ放送局」にその座を抜かれ、さらに2000年代には「サンデー青春学園」の影響もあり「ピモピモ広場」を最後に現在は廃止されている。この為、現在の週刊少年誌では唯一読者コーナーがない。
なおピモピモ広場でマスコットキャラとして活躍していた、鉄腕アトムみたいな髪型に眼鏡をかけたキャラには「こく坊」という名がちゃんと存在し、「マイマガ7」から出演し続けていた(ただしイラストレーターは交代している)知られざる長寿キャラであった。流れとしてはハル坊だけが編集長などと競演→こく坊が途中参戦しハル坊とこく坊のコンビで活躍→ハル坊がフェードアウトしてこく坊のみ、となる。
2008年に連載していたルポ漫画「発掘!マガジン野郎!!」にて、二人とも実在人物であることが判明。こく坊のモデルは小久保さんであった。ただしハル坊と実在のモデルは似ても似つかない。
歴代編集長
- 牧野武朗(1959年 - 1964年)
- 井岡秀次(1964年 - 1965年)
- 内田勝(1965年 - 1971年)
- 宮原照夫(1971年 - 1980年)
- 三樹創作(1980年 - 1986年)
- 五十嵐隆夫(1986年 - 1997年)
- 野内雅宏(1997年 - 2004年)
- 工富保(2004年 - 2005年)
- 森田浩章(2005年 - 在職中[8])
発行部数
- 1959年 20万5000部(創刊号)
- 1995年 436万部(本誌の最高記録)
- 1998年 425万部
- 2000年 405万部
- 2001年 380万部
- 2002年 364万部
- 2003年 319万部
- 2004年 272万部
- 2005年 236万部
- 2006年 215万部
- 2007年 187万部
- 2008年 178万部
1〜3月 | 4〜6月 | 7〜9月 | 10〜12月 | |
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2008年 | 1,755,000 部 | 1,720,000 部 | 1,691,667 部 | |
2009年 | 1,664,167 部 | 1,633,334 部 | 1,614,616 部 | 1,593,637 部 |
2010年 | 1,571,231 部 | 1,565,000 部 | 1,556,250 部 | 1,551,819 部 |
2011年 | 1,529,693 部 | 1,491,500 部 | 1,489,584 部 | 1,472,084 部 |
講談社コミックスマガジン
単行本は講談社コミックスレーベルで発行される。通称少年マガジンコミックス。コード番号はKCM406から振られているが、これは1~405までの番号はKCMの前身であるKCが使用しているからである。
- デザインの特徴は、初代では表紙の上部に「Kodansya Comics マガジン」の表記が使用され、背表紙にはKとCの間にマガジンと黒文字と黄色のバックが使用された。
- 1984年の2代目では、現在(2011年)にも雑誌のロゴマークとして使われているモグラを使用し、「SHONEN MAGAZINE COMICS」と表記され、斜め向きの旗風のデザインを1995年頃まで使用した。現在連載中の作品では「はじめの一歩」のみ使用し続けている。
- 1996年頃から、デザインを一新し、KCロゴとマガジンの旗印の「MAGAZINE」を組み合わせたデザインを採用。KC部分の色が自由に作家により、指定ができるようになっている。現在も使用されている。
増刊号
派生誌
脚注
- ^ 1970年代後半から1980年代前半の『週刊少年マガジン』を扱った「青春少年マガジン1978〜1983」には作者のコメントがあったと思われる描写がある。
- ^ 週刊少年マガジンの編集者に大苦言!(ロケットニュース24配信、ライブドアニュース掲載)
- ^ 2004年からは『もう、しませんから。』がそれにあたる。
- ^ 『別マガ』班長は今日も困っている。 掲載順はいかにして決まるか(H本)
- ^ 『神to戦国生徒会』などが挙げられる。
- ^ アニメ版の制作局は讀賣テレビ放送
- ^ アニメ版の制作局はフジテレビ
- ^ 2009年3月現在。
関連項目
- 週刊少年マガジン連載作品の一覧
- 週刊少年マガジン新人漫画賞
- 講談社スーパーキャラクターフェスティバル(Kフェス) - 講談社主催のイベント