久米田康治

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久米田 康治
くめた こうじ
生誕 1967年9月5日(47歳)
日本の旗 日本神奈川県
国籍 日本の旗 日本
職業 漫画家
活動期間 1990年平成2年) -
ジャンル 少年漫画
青年漫画
ギャグ漫画
代表作 行け!!南国アイスホッケー部
かってに改蔵
さよなら絶望先生
受賞 第27回小学館新人コミック大賞 少年部門 入選
(「行け!!南国アイスホッケー部」)
第31回 講談社漫画賞少年部門
(『さよなら絶望先生』)
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久米田 康治(くめた こうじ、1967年9月5日[1] - )は、日本漫画家神奈川県出身[1][2]和光大学人文学部芸術学科卒業[1]

略歴[編集]

神奈川県に生まれる。和光大学在学中、美術教員免許を取得[3]。また、漫画研究会に所属し、松本大洋とは同期だったが、松本とは入れ違いの形になったという[3]。卒業後は漫画編集者になろうと編集プロダクション銀杏社入社試験を受けるが合格せず[4]、漫画家の道を選んだ。

1990年(平成2年)、サンデーまんがカレッジに「地上げにスマッシュ!」を投稿し努力賞、また『行け!!南国アイスホッケー部』により小学館新人コミック大賞を受賞し、漫画家としてデビューする。デビュー直後、満田拓也の所に2日程アシスタントに行ったが、新人なので特に出来ることもなく何もせずにいただけだった、とも語っている[3]

1991年(平成3年)より「行け!!南国アイスホッケー部」を『週刊少年サンデー』にて連載。初期はあだち充のような漫画を目指し[5][6]スポーツコメディ漫画を描いていたが、突然下ネタ及びダジャレを多用するギャグ漫画に変化した[7]。また「行け!!南国アイスホッケー部」と並行して『ヤングサンデー』で「ルートパラダイス」(1995年 - 1996年)、『週刊少年サンデー超』で「育ってダーリン!!」(1994年 - 1996年)を連載した(「育ってダーリン!!」については当初第1回は『少年サンデー増刊』に「だんな様は小学生!!」のタイトルで読切として発表され、翌月から改題しての連載)。「育ってダーリン!!」の連載は1996年(平成8年)で一時中断し、そのまま長期間が経過しており、作者本人もこのことをネタにするほどだったが、2002年(平成14年)に『週刊少年サンデー』誌上にて完結編が掲載された。

1996年(平成8年)、「行け!!南国アイスホッケー部」の連載を終了し、その3週間後、『週刊少年サンデー』で「太陽の戦士ポカポカ」を翌年1997年(平成9年)まで連載する。その後1998年(平成10年)より同誌で「かってに改蔵」を連載開始する。この作品からパソコンを使っての執筆(後述)となる。序盤は「行け!!南国アイスホッケー部」のような下ネタを用いることも多かったが、次第に世相や一般常識を皮肉るようなネガティブなものがほとんどとなり、時事的な話題のほかアニメ美少女ゲームなどからのマニアックな話題や作者の私生活に関するネタも頻繁に取り上げた。同作は2001年(平成13年)に第25回講談社漫画賞少年部門に「ノミネート」されている。

2004年(平成16年)、「かってに改蔵」の連載終了後、読み切り「いいがかり姉さん」の発表を経て、2005年(平成17年)、『週刊少年マガジン』で「さよなら絶望先生」の連載を開始する。2007年(平成19年)、同作はアニメ化され、また2007年度(第31回)講談社漫画賞少年部門を受賞した。「さよなら絶望先生」は2012年に完結し、その間に、週刊少年マガジンにて読み切り作を2本掲載するが、基本的には「じょしらく」の原作(本人曰く「せりふ係」)のみに専念していた。 2013年10月に「じょしらく」の連載が終了。2013年11月9日の週刊少年マガジン49号にて「せっかち伯爵と時間どろぼう」の連載開始。

作風[編集]

変遷[編集]

太陽の戦士ポカポカ』を境に『南国アイスホッケー部』と『かってに改蔵』以降とでは作風がやや異なっている。

『南国』は下ネタを重視したギャグマンガで、あらゆる話題を下ネタに結びつけ読者の笑いを誘うというものだった。ただし断片的にではあるが、この頃から「社会風刺」「作家いじり」といったネタも盛り込まれている。

その後、『ポカポカ』で「あるテーマを取り上げ、そこからネタを広げる」という形式が模索され、『改蔵』中盤で「毎回1つのテーマに沿って、皮肉や社会風刺などを交えながら考察を行う」という『さよなら絶望先生』に続く形式が確立した。インタビューでは「嫌なことから連想してネタを作っていく、嫌なことはいくらでもあるから」とも語っている。逆に『改蔵』中盤からは下ネタの頻度が減少し、『絶望先生』ではほとんど下ネタは見られなくなる(『絶望先生』で下ネタをする際には、その度ごとにキャラクターが「下品です!」などと言っている)。その代わりアニメ・漫画・映画などマニアックなネタの割合が増えた(ただし漫画家になる前は特にこの方面の知識は詳しくはなかったとも語っている。)。また、同雑誌に連載している漫画家をネタにする漫画家いじりも数多くやっていた。

週刊少年マガジンに移った『さよなら絶望先生』以降は、編集部から身内いじりはやめてくれと懇願されたこともあり、身内いじりがなくなったが、古巣である週刊少年サンデーのネタを多く取り上げている。声優オタクで恩知らずな元アシ(後述の畑健二郎)ネタ、同じく講談社に移籍した雷句誠の『金色のガッシュ』原画紛失訴訟ネタ、『サンデー』と『マガジン』のタイアップによる江戸川コナン金田一一競演時の暴露ネタなど。ただし、雷句問題の際にこれらのネタが雷句支持派に文脈を無視して使われた事に関しては遺憾だったようである[8]。なお、小学館と関係を解消したと言われることも多いが、実際にはそのようなことなく、旧作の復刻を機に週刊少年サンデー連載陣による「まんが家バックステージ」の久米田のコーナーが復活している。

特徴[編集]

各話で主要人物が登場する(またはそれに準じる)際に、ページ4段ブチ抜き画法で人物を描く。これはデビュー当時からの特徴であり、ヤスが作画を担当している『じょしらく』でも同様の描写が踏襲されている。弟子の畑健二郎も初期に使っていたものの徐々に使用頻度は減っていった。

『改蔵』から『絶望先生』まで続く画風に関しては、キャラクターや衣装、構図などのデザインにおいて、漫画業界内、さらには『改蔵』公式ファンブック『かってに研究しやがれBOOK』(以下『ファンブック』)で雑誌「ファッションニュース」編集長の向千鶴からも高評価を得ている。編集部内で話題になった現実世界のファッションを何週か後に『改蔵』内で名取羽美が着ていたこともあったという。

「どよんど」「にょんたか」など、独特の擬音を作中で織り込むことでも知られ、特にメールを打つ際の擬音「めるめる」は『かってに改蔵』内で「著作権フリーなのでどんどん使ってください」と宣言して以来、漫画家の間でも広まっている。

特に『絶望先生』ではやや政治的なネタも見られるが、それは思想の押し付けではなく、久米田は「(喜劇としての)漫画が説教臭くなったらおしまいだ」と『改蔵』作中で登場人物に述べさせ、インタビューでも「その時々の報道内容をネタにしているため、思想が一定しない」旨の発言もしている。

「片付ける」「といって」「みたいに」というべきところを、「かたす」「つって」「みたく」とセリフにするなど、関東方言色が強い。方言と標準語の区別がついていない。(絶望先生など)

コマ稼ぎのためか登場人物を主に引きつった顔で半分だけ描く描写がある(改蔵以降)。

執筆方法[編集]

『行け!!南国アイスホッケー部』後期にスクリーントーン処理に関してMacを導入して以降、次第にパソコンに頼る部分が多くなり、『かってに改蔵』以降は全工程においてパソコンを使い執筆している。なおパソコン本格導入の背景には『ポカポカ』から『改蔵』に至る間にそれまでのアシスタントが独立することになったこともあると『改蔵』コミックス等で述べている。

『かってに改蔵』(1998年)よりデジタル作成を導入した。使用しているパソコンは一貫してアップル社製のものである。

執筆の環境[編集]

1995年8月時点[9] 2000年8月時点[10] 2007年3月時点[11]
PC Power Macintosh 8100 (アップル Power Macintosh G3 (アップル) Power Mac G5 (アップル)
OS Mac OS X (アップル)
MO 80MB (会社不明) 230MB (会社不明)
HDD 500MB (会社不明)
プリンタ MICROLINE 902PSII (OKI
スキャナ ScanTouch (ニコン ES-8000 (エプソン
使用ソフト Photoshop CS (アドビ
タブレット 機種不明 (ワコム Intuos3 (ワコム)

現在[いつ?]はMac Pro 3.0GHz 8コアモデルを使用している。ソフトはPhotoshop CS3。メモリは8GB積んでいる。

人物[編集]

『南国』や『改蔵』初期では烏帽子のようなもの(通称:下ネタ帽)を装着した根が明るいキャラの自画像を描き、『南国』の単行本に自身のヌード写真を掲載したり、サンデーの読者イベントでも同様の行動を行うなど、作品内容と同調した破天荒なキャラクターであった。

『改蔵』中期からは売れない漫画家と自虐的・ネガティブな発言を行うようになった。このキャラクターは太宰治を意識して作り上げた面があり、『かってに改蔵』ファンブックには太宰治に扮して玉川上水縁に佇んだ写真が掲載されている(太宰の自殺について「周囲からかわいそうがられるための狂言」説に基づいた見解を述べている[3])。文芸にも深識があり、後期の作品は、漫画的な流行りやおちょくりはあっても、基本内容はプロレタリア文学に近い。

メディアへの露出は少ないが、島本和彦のラジオに一度電話出演している。同ラジオのアシスタントは終始テンションの高い島本しか漫画家を知らず、漫画家=テンションが高いものと考えていたらしく、終始テンションが低かった久米田に対し、何度も大丈夫ですかと気遣っていた。このアシスタントは久米田との電話が終わった後のトークでは「本当に危ない人なのではないか」と思ったと発言している。TVアニメ『さよなら絶望先生』の第4話から第9話で放映されたOPでは、白黒映像で出演している。なお、この写真は後述の生前葬の時の遺影である。絶望先生のアニメでは「前田君」を初めとするアシスタント陣が声優出演を果たしているが、久米田本人の出演はなく、久米田とおぼしき無精髭の漫画家の声は神谷浩史が担当した。オファーは出したが、出演してくれなかったようである(さよなら絶望放送第31回より)。またWebラジオさよなら絶望放送にゲストとして出演して欲しいと神谷浩史・新谷良子両パーソナリティは発言しているが、やはり未だ出演していない。しかし、2008年(平成20年)8月にサイン会で台湾を訪れた際には現地のラジオ番組に出演しており、その事を知った新谷がメールで問い詰めたところ、「日本じゃ晒されないと思ったのに」という返信が来たとの事(『さよなら絶望放送』第53回より)。

『南国』時代に費用全額を自分で負担して、アシスタントをセブ島へ旅行に連れて行ったり、『改蔵』時代はミコノス島へ旅行に連れて行ったり[12]、アニメ『さよなら絶望先生』のアフレコの度に声優に洋菓子を差し入れしたりするなど、ネガティブなキャラクターとは裏腹な、気前の良さを感じさせるエピソードもある。

アニメでは出崎統作品のファンで、特に『おにいさまへ…』はお気に入りという[13]

生前葬[編集]

2007年(平成19年)6月21日に行われた講談社漫画賞少年部門受賞パーティーの2次会は、本人の生前葬という形で行われた。生前葬を行った理由の1つとして、「今まで縁のなかったアニメ化や賞受賞など幸運が続いたので、逆に不運が訪れそう」と厄払いの意味合いがあったと『絶望先生』第九集巻末やインタビューにて語っている。また授賞式の2次会を有名な漫画家と顔を合わさずに乗り切るという意味合いもあったらしい。

生前葬は「千の風になって」をBGMに、入棺、焼香、『週刊少年マガジン』編集長と『週刊少年サンデー』編集長による別れの辞、出棺等まであるかなり本格的な生前葬となり、賞金以上の出費となったと記している(同賞の2次会は賞金により行うのが慣例となっている)。戒名は「漫画院暗闇之助」。生前葬は終始笑いに包まれていたようで、その様子が参加した複数の漫画家のブログにて語られている[14][15][16]。また西本英雄もう、しませんから。』においてもレポートが書かれている。

『絶望先生』第十三集巻末によると、ウィキペディアの「生前葬」の「生前葬を行った主な有名人」の項目に自分の名前が載っていることから、漫画家であることがばれたり生前葬がらみの仕事の依頼が入ったりしたという。「Wikipedia、恐るべしでございます。」「漫画に興味はないのに、生前葬には興味のある人たちばかりなんですね。」などと記している。

交友・他の漫画家との関係[編集]

週刊少年サンデー』に連載していた頃は、自分の作品で他の漫画家やその作品をネタに用いることがしばしば見られ、あだち充藤田和日郎青山剛昌村枝賢一椎名高志北崎拓猪熊しのぶ万乗大智といった同業の面々を茶化した描写があった。特に北崎拓については、当時の久米田の作品、『行け!!南国アイスホッケー部』が完全にシモネタ中心になっていたのに対し、北崎の作品が純愛物であった為、自らの作風との対比として頻繁に作中でいじられた。藤田は『改蔵』で接待を受ける漫画家として登場している。マガジン転籍後も『名探偵コナン』ネタは使われている。また逆に椎名は『絶対可憐チルドレン』で袴姿の薫に「絶望したー」と言わせる絶望先生ネタを披露している。

高橋留美子とは『週刊少年サンデー』の巻末コメントで、「一緒に歌舞伎を観に行きました」「また行きましょう、久米田先生」などとやり取りしており、プライベートな時間を共にしている仲。久米田は高橋に『らんま1/2』の人気キャラ「八宝斎」を自身の作中に登場させて欲しいとねだった話がある。生前葬にも参列した。また、『さよなら絶望先生』アニメ(一期)第7話において、放送後の恒例となっているエンドカードを高橋が担当している。

『週刊少年サンデー』にて『ハヤテのごとく!』を連載している畑健二郎は久米田の元アシスタントで、アシスタント時代から時折久米田の漫画にもゲスト出演していた。久米田がライバル誌に移籍し、畑が独立した現在でも2人の交流は続いており、WEBサンデーにある「まんが家BACK STAGE」の『ハヤテのごとく!』コーナーに度々登場しているほか、『俗・さよなら絶望先生』の第5話では畑がエンドカードを担当した。一方『ハヤテのごとく!』劇中にも久米田をモデルとした漫画家が登場している。また、その際は「師匠」と呼ばれている。『サンデー』誌上で行われた『ハヤテのごとく!』のキャラクター人気投票にて作者・畑(21位)よりも順位が上の14位(得票数は畑の3倍以上、職業欄に「ニート」と書いた人のみの集計では1位)に入り自虐的なコメントを残した。漫画賞授賞式や生前葬にはサイン会などによる多忙で参加できなかった。スケジュールの都合で『ハヤテのごとく!(第二期)』のアフレコに参加できない畑が『懺・さよなら絶望先生』のアフレコに参加して声優のサインを集めたことも紙ブログでネタにしている。

『週刊少年サンデー』時代から赤松健とのやり取りがあった。『改蔵』や『絶望先生』で赤松の『ラブひな』や『魔法先生ネギま!』をネタにし、後日、赤松が公式サイトの日記で「久米田の野郎」と発言した。後に赤松はこの発言を、敵意ではなくジョークであり、「もっと弄ってくれ」の意であると弁解している。『改蔵』が第25回講談社漫画賞少年部門にノミネートされたものの、受賞したのは『ラブひな』であったことも『改蔵』でネタにされた(その後、『絶望先生』が第31回の同賞を受賞した)。2007年現在は赤松と共に週刊少年マガジンで連載を持つが、実は面識はないという(毎年恒例となっているエイプリルフールのネタで、講談社内で会っているという日記を書いた程)。また赤松が公式サイト2007年10月9日の日記[17]において「何か久米田の野郎が、やっぱりウチのビルの近辺に生息しているらしく、雑誌『オトナアニメ』のインタビュー記事[18]で、『赤松スタジオは高層マンションの最上階辺りで、いつも灯りがついているから分かる』みたいなことを言っておりました。(笑)」と語っていることから、赤松スタジオの入居しているビルの近くに住んでいることと見られる。また、赤松自身も久米田の作品をネタにしたことがあり、『ネギま!』20巻に「失望先公(18禁)」という同人誌が登場する。

島本和彦がパーソナリティを務めるラジオ番組『島本和彦のマンガチックにいこう!』(第087回 2003年05月31日)に久米田が電話でゲスト出演したこともある。

アシスタント[編集]

上記4人は全員声優経験がある(畑はハヤテのごとく!および懺・さよなら絶望先生で、前田君はさよなら絶望先生で、エリクサーと超藹明は俗・さよなら絶望先生でそれぞれ出演)。

作品[編集]

連載作品[編集]

読み切り[編集]

その他[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c ぱふ2006年9月号、44頁。
  2. ^ 『このマンガがすごい! SIDE-B』31頁。
  3. ^ a b c d 『かってに改蔵 かってに研究しやがれBOOK』116頁。
  4. ^ 『このマンガがすごい! SIDE-B』28頁。
  5. ^ ぱふ』2006年9月号、45頁。WEBサンデーのまんが家BACK STAGEによる(マガジンに移籍のしばらく後削除 (wayback machineのリンク))。
  6. ^ 久米田の担当編集者と、あだちの現在の担当編集者はどちらも「竹田哲也」であるが、同姓同名の別人である。
  7. ^ 島本和彦によると、編集部内でも問題になり臨時会議が行われたという。島本和彦のマンガチックにいこう!(第087回 2003年05月31日)
  8. ^ 『このマンガがすごい! SIDE-B』
  9. ^ 『行け!!南国アイスホッケー部』17巻
  10. ^ まんが家BACK STAGE 久米田康治 Vol.1インターネット・アーカイブ) 2000年8月2日
  11. ^ 『季刊エス』18号、66頁。
  12. ^ まんが家BACK STAGE 畑健二郎 Vol.28 2005年4月27日
  13. ^ 『オトナアニメ』Vol.6、115頁。
  14. ^ 瀬尾探偵調査日記 : 講談社漫画賞 2007年6月21日
  15. ^ 山本航暉オフィシャルサイト 【ヴァルハラ】2007年6月22日
  16. ^ 久米田先生漫画賞レポート: 完成原稿速報・ブログ版 2007年6月22日
  17. ^ 2007年(後半)の日記帳
  18. ^ 『オトナアニメ』Vol.6、113頁。
  19. ^ 一部のページが紛失された為、穴埋めに謝罪の書き下ろしページが掲載された。
  20. ^ 「アヌメージョ」は元々「さよなら絶望先生」第10集のおまけページのひとつであった。

外部リンク[編集]