梶芽衣子

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かじ めいこ
梶 芽衣子
本名 太田 雅子(おおた まさこ)
別名義 同上
生年月日 (1947-03-24) 1947年3月24日(77歳)
出生地 東京都千代田区
国籍 日本の旗 日本
職業 女優歌手
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1965年 -
配偶者 なし
主な作品
映画
野良猫ロックシリーズ』/『銀蝶シリーズ
女囚さそりシリーズ
修羅雪姫シリーズ』/『曽根崎心中
テレビドラマ
鬼平犯科帳シリーズ
剣客商売 (テレビドラマ)
 
受賞
ブルーリボン賞
主演女優賞 1978年『曽根崎心中』
その他の賞
京都市民映画祭 主演女優賞
1976年無宿 (映画)
キネマ旬報ベスト・テン 主演女優賞
1978年『曽根崎心中』
毎日映画コンクール 女優演技賞
1978年『曽根崎心中』
報知映画賞
第3回主演女優賞 1978年『曽根崎心中』
第20回助演女優賞 1995年『鬼平犯科帳』
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梶 芽衣子(かじ めいこ、1947年3月24日 - )は、日本女優歌手東京都千代田区神田出身[1]。本名:太田 雅子(おおた まさこ)。オフィスカネダ所属。

来歴

実家は神田の老舗寿司屋[1]八雲高校在学中より高橋圭三の事務所に所属し、1965年、高校卒業と同時に日活に入社[1]。同年に映画悲しき別れの歌』で本名の太田雅子でデビューし、石原裕次郎小林旭松原智恵子吉永小百合らが主演する映画で助演していた。

子役からのアイドルスターであった太田博之とコンビを組み、W太田として青春スターとして売り出され、1965年の映画『青春前期 青い果実』で主演を果たす。この頃は慣れないアフレコに四苦八苦しており、そんな梶をある大物女優があざ笑い、怒った梶はその女優に啖呵を切ったという。その噂は撮影所に瞬く間に広がって武勇伝となり、会社の重役からは絞られたものの、その事が切っ掛けでアフレコを一生懸命に練習し、上達した[2]1969年に出演した映画『日本残侠伝』で監督マキノ雅弘芸名梶 芽衣子改名される[3]。改名は成功し、以降不遇時代から抜け出す[1]

1970年の日活映画『野良猫ロックシリーズ』5作に主演し人気を得る。『大江戸捜査網』(東京12チャンネル)などのテレビドラマに日活女優として出演をする[1][3]1971年、日活がロマンポルノに移行したため退社しフリーとなる[1]。大江戸捜査網の出演が第2シリーズ迄なのはその為で、男優陣(杉良太郎、瑳川哲朗、中村竹弥、古今亭新駒)が三船プロに制作会社が移行した後も引き続き出演をしているのに対して、女優陣は梶芽衣子、岡田可愛➡古城都、江崎英子に交代をしている[1]1972年3月『純子引退記念映画 関東緋桜一家』を最後に引退した藤純子の後釜として東映に誘われ同年東映に入社した[1][4]。『銀蝶シリーズ』の後、『女囚さそりシリーズ』で人気を決定付けた[1]。本作で"ヒロインが台詞を喋らない方が凄みを増す"というアイデアは梶が出した[3][4]。また1973年深作欣二監督に誘われて出演した『仁義なき戦い 広島死闘篇』でもヒロインを好演した[3]。『女囚さそり』のシリーズ化で揉めて東映をケンカ別れの形となり、同年東映を退社し再びフリーとなる[5]。その後東宝の『修羅雪姫シリーズ』など、各社で主演映画が製作されていく。これらの作品は海外でも人気を呼び、クエンティン・タランティーノは梶の熱狂的ファンと公言[3]。タランティーノは映画『キル・ビル』で『修羅雪姫』のオマージュをし、梶の歌「修羅の花」と「怨み節」を流している。

東映の『女囚701号/さそり』を撮影していた当時、大手レコード会社のディレクターとの縁談が進んでおり、同作を最後に芸能界を引退して専業主婦となる決意を固めていた。映画が予想以上の大ヒットとなったため続編が企画されるが、梶は結婚を理由に出演を断る。しかし岡田茂の説得により「あと一作だけ」の条件で続編の出演に応じたところ、その後も俊藤浩滋ら多くの関係者の説得を受ける形でなし崩し的に続編の制作が続けられ、縁談は最終的に破談になってしまった[6][7]

一方でイメージ打破のためノーギャラで出演した『大地の子守歌』では、ほのかな優しさを主人公に向ける農婦の役を演じた[5]1978年には宇崎竜童と組んで2人の主演映画をやりたいという自身のブランのもと製作された『曽根崎心中』では[8]、強い女の情念を演じて新境地を開拓し、国内の主要映画賞を複数受賞した[5]1982年東映で映画化された『鬼龍院花子の生涯』は、元は梶が東映に企画を持ち込んだもの[9]

テレビドラマではフジテレビ系列の大映ドラマ時代劇サスペンスドラマに出演し、『鬼平犯科帳シリーズ』では密偵・おまさでレギュラー出演してきた。

歌手としても前述の楽曲を歌い、これらは2000年代以降にCDで次々と復刻発売されている。2009年6月24日には25年ぶりの新曲「女をやめたい」をリリースし、2011年5月25日には31年ぶりのオリジナル・アルバム「あいつの好きそなブルース」をリリースした。

ヴァーナルの対談番組、及びぴったんこカン・カンで「お酒は一滴も飲めない」と語っている。

実妹の太田とも子は元歌手で、『野良猫ロック』では姉妹共演を果たした他『とおく群衆を離れて』『恋はまっさかさま』などのシングル曲を出し、また「有沢とも子」の名義では『抱きしめて』『恋のおとずれ』などを出している。

あこがれのスポーツ選手の内一人は花田勝

出演したぴったんこカン・カンで、人生のモットーは「媚びない めげない くじけない」と発言した。

受賞

1976年度
1978年度『曽根崎心中
1995年度

出演

映画

テレビドラマ

音楽番組

劇場アニメ

バラエティ

CM

ディスコグラフィ

シングル

  • 仁義子守唄/恋に命を(1970年7月5日)テイチク
  • 命の涙/悲しい笑顔(1971年3月5日)
  • 浜辺のメルヘン/愛への期待(1971年7月5日)
  • 銀蝶渡り鳥(『銀蝶渡り鳥』主題歌)/銀蝶ブルース(1972年3月5日)
  • 怨み節女の呪文(『女囚さそり』シリーズ主題歌)/女の呪文(1972年12月1日)
  • 芽衣子のふて節/おんなはぐれ唄(1973年4月15日)
  • やどかり/かきおき(1973年9月1日)
  • はぐれ節/牙のバラード(1973年7月10日)
  • 修羅の花(修羅雪姫主題歌)/ほおやれほ・・・・・(1973年12月25日)
  • ジーンズぶるうす(『ジーンズブルース 明日なき無頼派』主題歌)/因果花(1974年3月25日)
  • この新しい朝に/雨の夜あなたは(1974年11月25日)
  • 命日/あかね雲(1975年9月21日)ポリドール移籍
  • 欲しいものは/今更叱らないでください~恋文~(1977年2月21日)
  • 袋小路三番町/残り火(1977年9月21日)
  • あかね雲/元町シャンソン(1978年5月21日)
  • 晩夏/陽よけめがね(1979年7月21日)
  • 酒季の歌/ああ いいお酒(1980年5月21日)
  • 熱い酒/長崎はアジサイ模様の哀愁(1980年1月)
  • 乾いた華/霧雨ホテル(1984年12月21日)EPICソニー
  • 不思議ね/舟にゆられて(1994年7月21日)テイチク
  • 女をやめたい/思い出日和(2009年6月24日)※25年ぶりの新曲

アルバム

  • 銀蝶渡り鳥(1972年7月1日)テイチク
  • 梶芽衣子の魅力{A面「さそり」サントラ、B面「銀蝶」サントラ}(1972年12月25日)
  • はじき詩集(1973年6月1日)
  • やどかり〈オリジナルベスト12〉(1973年10月25日)
  • 男・女・こころの哀歌(1974年4月25日)
  • ゴールデンスター・ツイン・デラックス(1974年5月25日)
  • 去れよ、去れよ、悲しみの調べ(1974年11月25日)
  • きょうの我が身は・・・・・(1975年12月21日)ポリドール移籍
  • あかね雲(1978年8月21日)
  • 別れ 怨み 涙うた(1979年11月21日)
  • 酒季の歌(1980年10月28日)
  • 梶芽衣子ベスト・コレクション(2010年3月24日、歌手40周年記念CD-BOX)
  • あいつの好きそなブルース(2011年5月25日)

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i 『日本映画俳優全集・女優編』キネマ旬報社、1980年、188-189頁。 
  2. ^ 日本経済新聞私の履歴書」。
  3. ^ a b c d e 『Hotwax 日本の映画とロックと歌謡曲 vol. 2』シンコーミュージック・エンタテイメント、2005年、23-40頁「梶芽衣子インタビュー」頁。ISBN 978-4-401-75101-3 
  4. ^ a b 70年代シネマ女優たち 梶芽衣子 | アサ芸プラス
  5. ^ a b c 【バック・トゥ・ザ報知映画賞】第3回(78年)主演女優賞・梶芽衣子” (2015年10月19日). 2015年10月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年10月24日閲覧。
  6. ^ 東京スポーツ』2011年6月8日付12面「梶芽衣子 あいつの好きそなブルース」
  7. ^ 「女をやめたい」梶芽衣子4 梶芽衣子 オフィシャルブログ 2009-06-09
  8. ^ 藤井浩明監修 『映画監督増村保造の世界』(1999年)ワイズ出版、515頁。
  9. ^ 週刊現代』、講談社、2010年1月23日号、62-67頁。 「東映伝説のプロデューサー日下部五朗の『無頼派活動屋人生』」『東京スポーツ』2010年4月6日 - 4月30日、高岩淡『銀幕おもいで話』双葉社、2013年、166-175頁。ISBN 4-5757-14-01-1 

外部リンク