ベルサイユのばら (宝塚歌劇)
『ベルサイユのばら』は、宝塚歌劇団のミュージカル作品。原作は池田理代子の同名漫画『ベルサイユのばら』。
1974年の初演以来再演を繰り返し、2006年1月9日には通算上演回数1500回を突破、2014年6月27日には通算観客動員数500万人を記録した[1]、宝塚歌劇団史上最大のヒット作である。
概要
初演時に演出を担当したのは俳優の長谷川一夫。宝塚歌劇団の専属脚本家、植田紳爾が潤色・脚本化し、長谷川と共に演出を担当した。
初演までは上演反対の意見も多かったが(詳しくは別項「ベルばらブーム」参照)、初演は大成功を収め、空前絶後の社会現象になった。
この作品は、初演当時テレビに押されて停滞気味であった宝塚歌劇団の人気を復活させる作品となったばかりではなく、非宝塚歌劇団ファンの一般人にとっても「宝塚歌劇団」の代名詞的な作品になっている。上演すればかなりの集客を常に期待できる演目であるため、宝塚歌劇団にとって「ここ一番の真剣勝負」というときに上演されることが多い。
長谷川の死後は、長谷川の遺した「型」を生かしつつ、植田が脚本・演出を取り仕切っている。最近では、谷正純が演出陣に加わっている。
2005年12月6日、NHK総合テレビの『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』にて、初演が行われるまでの経緯と舞台裏の再現ドラマが特集された。(この放送内容は宝塚歌劇団関連会社のTCAより発売された「ベルサイユのばらGRANDHISTOY」の特典ディスクに収録されている[2]。ただし、著作権上の理由により、中島みゆきの曲、及び長谷川一夫出演映画と歌舞伎映像使用場面は割愛してある)[3]
2008年より『外伝 ベルサイユのばら』として、池田理代子が新たに書き下ろしたストーリーにより、新作が上演されている。
あらすじ
上演ごとに内容が異なるので、基本的なあらすじを記す。
オスカル編
貴族の出身のオスカルは、世継ぎの生まれぬ父親によって、女でありながら男として育てられた、男装の麗人である。
幼くして両親を亡くしたアンドレは、オスカルの乳母をつとめる祖母のマロン・グラッセに引き取られる。ジャルジェ家へ迎えられ、オスカルの世話役を仰せつかり、それ以来、片時も傍を離れず影となって支える。いつしかオスカルを親友から一人の女性として見るようになるが、アンドレは平民の身分であった。
アンドレは、オスカルをかばって目を怪我して以来、段々と目が見えなくなってしまう。オスカルは王宮守護の近衛隊から国民を守る軍隊衛兵隊への転属を自ら志願し、隊長を務めることになる。最初は隊員の誰もが、「女の貴族には従えない」と反発していたが、オスカルの博愛精神と純粋な心に、いつしか結束が固まっていく。
アンドレは、オスカルとオスカルのかつての部下で貴族の将校ジェローデルとの結婚話にショックを受け、オスカルを殺してでも永遠に自分のものにしようとするが、寸前で思いとどまり、今までの自分の想いを告げる。最初はとまどったオスカルだが、そのうちに自分の中のアンドレへの想いに気づきはじめる。
そんな中、フランス国内の情勢は急速に悪くなっていった。貧富の差が拡大し、平民の不満は頂点に達し、いつ貴族と平民が血と血で争うことになっても、おかしくない状況となっていく。ついにオスカルは、衛兵隊の指揮官として、パリ出動の先陣に立つことになる。
いま、パリにゆけば、生きて帰れるかわからない。パリ出動前夜オスカルはアンドレに自らの思いを吐露し、二人はついに結ばれる。
しかしアンドレは目が不自由なためにセーヌ河畔の橋上でオスカルの身を案じながら銃弾に倒れる。翌7月14日、悲しみを振り切り、気丈にも衛兵隊を率いてバスティーユに向かうオスカル。後に「フランス革命」と呼ばれた、平民が絶対王政の象徴だった、バスティーユ監獄を篭絡した日。オスカルは、弱き者の力になると、平民の盾となって貴族の部隊と戦うのだった。
激戦の中、銃弾に倒れたオスカルは「バスティーユに白旗が!」と叫ぶ部下アランの言葉を妹同然の娘ロザリーの腕の中で聞く。フランス革命がなされたその瞬間に、生涯の幕を閉じるのだった。
絶命したオスカルに「オスカル、オスカル・・・」と聞き覚えのある声が呼びかける。その声に目覚めてオスカルが立ち上がるとアンドレが現われる。一足先に戦死したアンドレが天国からオスカルを迎えに来たのだった。アンドレに抱擁されるオスカル。地上では実らなかった「身分違いの恋」をここに成就し、二人は天国へ旅立つのだった。
- ラストシーンにおける原作漫画との差異
原作漫画においては、オスカルがバスティーユ攻撃中に敵弾に撃たれた直後に、傷の手当てをするロザリーが「あ・・・ アンドレ アンドレ 聞いてちょうだい お願いよ!! オスカルさまを・・・ オスカルさまをつれていかないで つれていかないで お願い!!」というセリフや、オスカルの死後、二人の死を悼んでベッドで休んでいるマロングラッセ(アンドレの祖母、オスカルの乳母)の頭上にオスカルとアンドレ(の魂のようなもの)が二人寄り添う画は出てくる[4]。 しかし、一足先に戦死したアンドレの魂がそのあとバスティーユ攻撃で戦死したオスカルの魂を天国から迎えに来る明確なシーンを演じるのは宝塚歌劇団の舞台作品におけるオリジナルである。 差異の理由は、原作はオスカルの死後も物語が続くが、「宝塚歌劇 ベルサイユのばら -オスカル編- -オスカルとアンドレ編- -アンドレとオスカル編-」においてはオスカルの戦死によって物語を終結させなくてはならない。 また、”主役の男女二人(オスカルとアンドレ)はラストシーンに必ず出番がある”という宝塚歌劇独特のしきたりがあるため。
フェルゼンとマリー・アントワネット編
オーストリア皇女・マリー・アントワネットは、政略結婚で14歳の時にフランス王太子、後のルイ16世の元に嫁ぐ。無知で幼く、単純に奇麗なドレスを喜ぶ少女であった。
アントワネットは18歳の時にパリ・オペラ座の仮面舞踏会にて生涯の恋人、スウェーデン貴族のフェルゼンと遭遇する。その時、アントワネット付きの近衛仕官だったのが、金髪の男装の麗人オスカル。異国に生を受けた3人はその夜、運命の出会いを果たす。
フェルゼンとの道ならぬ恋に思いを募らせるアントワネットに「国家の母としての義務を忘れるな」といさめるオスカル。アントワネットは「軍服を着ているうちに女の気持ちを忘れてしまった」とオスカルをなじった。しかしオスカルもまたフェルゼンへのかなわぬ思いに悩んでいた。親友として親交を暖めていたオスカルとフェルゼンだったが、オスカルの胸のうちには女としての想いが芽生えていたのだ。
フェルゼンはアントワネットを深く愛していた。2人の愛が醜聞となりアントワネットを破滅させると感じたフェルゼンは男らしく身を引く決心をする。彼は、愛を胸に秘めてスウェーデンに帰国した。
フランス国内の不穏な空気は高まり、貧しい民衆達の不満は爆発寸前だった。近衛隊から衛兵隊へ転属したオスカルは民衆達の暴動に備えて1789年7月12日、パリ出動を命じられる。
オスカルの養育係の孫である平民のアンドレは護衛として常にオスカルに寄り添ってきた。彼は身分違いと知りながら心密かに長年オスカルを愛していた。オスカルも常に自分を支えてくれるアンドレの大きな愛に気づき、彼を愛するようになる。パリ・ノ進駐することになれば身分を捨て命をかけて戦わねばならないと覚悟したオスカルはアンドレとの結婚を決意し、ついに2人は結ばれる。オスカルは貴族の身分を捨て民衆と共に戦うことを宣言し、貴族側の軍隊との戦闘に突入した。アンドレはオスカルの身を案じながら戦死し、翌7月14日(フランス革命記念日)、民衆達はバスティーユ監獄を襲撃した。愛する人の死を耐えながら気丈に軍隊を指揮するオスカル。しかし彼女も銃弾に倒れ、部下の衛兵隊員アランの「バスティーユに白旗が!」という言葉を聞きながら息絶えた。
革命の勢いに押された群集はベルサイユに押し寄せ、アントワネットは民の声にベルサイユを離れパリに行くこととなる。彼女の窮地を知ったフェルゼンは彼女を救うべく、命がけで急遽スウェーデンからフランスにやってきた。
国王の処刑後、コンシェルジュリ牢獄に囚われていたアントワネットのもとにフェルゼンは彼女を脱獄させるためにやってくる。「別に囚われている子供たちを置いては行けない」と脱獄を断るアントワネットにフェルゼンは涙ながらに説得するが、アントワネットは拒み通す。アントワネットはフェルゼンの絶叫がこだまする中、フランスの王妃らしく誇り高く毅然として断頭台へと向かうのだった。
- ラストシーンにおける原作漫画との差異
原作漫画においては、コンシェルジュリー牢獄に移されたマリーアントワネットのもとにジャルジェ将軍が面会に訪れマリーに脱走計画を明かすが、「子供たちをおいて逃げるわけにはいかない」と拒否するシーンはある[5]。しかしフェルゼンがコンシェルジュリー牢獄に極秘面会に訪れ、脱走を持ちかけるラストシーンは宝塚歌劇団の舞台作品におけるオリジナルである。 差異の理由は”主役の男女二人(フェルゼンとマリー)はラストシーンに必ず出番がある”という宝塚歌劇独特のしきたりがあるため。
主な登場人物
楽曲
- 愛あればこそ/作詞:植田紳爾、作曲:寺田瀧雄
- 愛の面影/作詞:植田紳爾、作曲:寺田瀧雄
- 愛の巡礼/作詞:植田紳爾、作曲:寺田瀧雄
- 愛の怯え/作詞:植田紳爾、作曲:平尾昌晃
- 結ばれぬ愛/作詞:片桐和子、作曲:平尾昌晃
- 駆けろペガサスの如く/作詞:植田紳爾、作曲:寺田瀧雄
- ごらんなさい ごらんなさい/作詞:植田紳爾、作曲:寺田瀧雄
- 白ばらのひと/作詞:植田紳爾、補作詞:片桐和子、作曲:平尾昌晃
- 我が名はオスカル/作詞:植田紳爾、作曲:寺田瀧雄
- ばらベルサイユ/作詞:植田紳爾、作曲:寺田瀧雄
- 青きドナウの岸辺/作詞:植田紳爾、作曲:寺田瀧雄
- アン・ドゥ・トロア/作詞:植田紳爾、作曲:吉田優子
- 心の白薔薇/作詞:植田紳爾、作曲:寺田瀧雄
- 心のひとオスカル/作詞:植田紳爾、作曲:寺田瀧雄
- ばらのスーベニール/作詞:植田紳爾、作曲:寺田瀧雄
- 乙女の祈り/作詞:植田紳爾、作曲:吉田優子
ベルばらブーム
1970年前後、宝塚歌劇団はスターを輩出し、ブロードウェイ・ミュージカルの翻訳上演も行なうなど、新機軸を打ち出してもいたが、テレビの普及や娯楽の多様化の影響を拭い去るには至らず、赤字決算となっていた。平日には客席に閑古鳥が鳴く日も増えており、歌劇団存続を危ぶむ声が歌劇団内部にも広がり始めた[6]。危機感を感じたスタッフ(歌劇団専属演出家も含む)たちには「舞台に主に責任を持つ専属演出家[注 1]をはじめ、ほぼ歌劇団内部の人間のみで舞台作りに携わる旧来からの制作体制では、現在の観客の嗜好に対応するのは困難では」との認識があり、その結果、新しい方向性を求めて外部からの演出家の招聘が行なわれ[注 2]、その一環として、戦前からの宝塚ファンでもあった長谷川一夫も招かれ、1971年、宝塚歌劇団で『我が愛は山の彼方に』の演出を手がけた(脚本・共同演出:植田紳爾)。
10世紀朝鮮半島を舞台にした『我が愛は山の彼方に』は長谷川一夫演出ということで話題作となり、観客動員で一定の成果を挙げ、宝塚歌劇団は長谷川一夫に更に演出を依頼、長谷川が、宝塚歌劇団での2作めは洋物(外国を舞台にした作品)を手がけたいと希望、また脚本・共同演出担当として、評価していた植田を指名した。
長谷川の要望を受け題材の選定作業に入った植田は、交流のあったファンから、約半年前に「『ベルサイユのばら』は宝塚歌劇団にぴったりの作品。」と聞かされており、題材として検討(もっとも植田自身、ファンから初めて聞いた時は、宝塚歌劇団で漫画を舞台化した例もほとんどなかったため、真剣に考えていなかったという)。
原作を通読した植田は「この作品は舞台化すればいける、ぜひ手がけたい」と手応えを感じ、企画案を長谷川に相談、はじめ長谷川は「描かれているのは王妃の浮気の話。清く正しく美しく(が方針)の宝塚ではやったらあかん」と指摘、主に物語の内容面から乗り気でなかったという。植田は「宝塚歌劇らしい作品にします」と脚本での工夫などを改めて言明して説得、なんとか長谷川の賛同を得て上演計画が動きだしたという[7]。
企画を聞いた宝塚歌劇団内部では首脳陣から「漫画が原作ではだめだ」と反対の声もあがったが、長谷川の賛同を得ていたこともあってなんとか上演が決定、原作者・池田は宝塚歌劇好きで、舞台化を快く了承(植田の回想によると「安めの原作料の支払いだけで上演許可をくれた」という[7])。多忙な長谷川が稽古や演出のために時間をと れる時期を考慮したうえで[8]、月組公演として公演時期も正式に決定する。
しかし、宝塚歌劇団から上演・配役が公表されると、原作ファンから「原作での八頭身のオスカルを日本人が演じるのは無理、イメージが壊れるから上演は中止してほしい」などと批判的な投書が多数届き[9]、植田のもとにもたびたびカミソリを入れた脅迫の投書が送られてくる事態となる。
上記のような逆風の中稽古が始まり、演技を磨くのはもちろん、生徒たちは、鬘や衣装がよく馴染むよう入念に調整、原作の絵柄を化粧台に置き、参照しながら化粧する[10]など、「原作のイメージが壊れる」と訴えるファンたちにも舞台を見て納得してもらおうと、様々な努力を払った。
演出の長谷川も「漫画の舞台化なのだから、原作と全く同様に目を輝かせるのは無理でも、照明を活かして役者の目に星を飛ばせないものか」と着目、照明のあたり方を研究した末、2階席に視線を送れば照明が目にうまく写り込むことに気づき、最も照明を活かせる位置の座席番号を把握した。そして生徒たちにその座席番号まで指示して視線の配り方を徹底指導し(その際、2階席の手すりから1階席に落とし込むよう視線の配り方を指導した[9])、照明や衣装を活かして最大限に美しく演じる二枚目俳優らしい切り口で、劇画から飛び出してきたような舞台を追求していった。
また、若き日に歌舞伎界で女形修業を積んだ後、映画界に転じて二枚目大スターとなった長谷川は、その経歴を生かして登場人物の男女を演じわけ、観客から見て美しいラブシーンを生徒たちに見せ「役者が苦労してこそ、観客には美しく見える。」という彼ならではの美学により、体の捻りを多用した演技を指導。彼の指導により生み出された数々の演技・所作は、長谷川の遺産ともいえる“型”として、最近の上演にまで受け継がれている。
宝塚大劇場で迎えた初日は、開幕前、出演者全員が一言も発しない異様な集中力が漲っていた。そして開幕、終演後、「3階席から歓声が降ってきました。」と喜ぶ榛名由梨たちの声を聞いて、植田は作品の成功を確信したという[7]。初日観客数は約9割の動員であったが、翌日から連日満員御礼の盛況が続き、思わぬ反響に歌劇団は沸き、「翌年に第2弾を」と決定する。翌年の上演は一本立て上演となり、花組公演に決定、トップスターの個性等からオスカルとアンドレを中心とし、一本立てとなってより長い公演時間を確保できることもあって、「今宵一夜」の場面等を植田が加筆、大当たり作品の第2弾とあって、植田がオスカル役に安奈淳を推したことが論議を呼んだりもした(当該公演の項目参照)が、結果は初演版以上の大ヒットを記録。結局77年まで、更に雪組、星組、月組による各本公演が続く大ブームとなった。
ベルばらブームが歌劇団の話題のみにとどまらず、社会現象にまで膨らんだこともあって、「ブームは一過性のもの」との評も聞かれ、植田は「次に作る作品がベルばら以上の作品でなければ、ベルばらブームはたまたまのものだったと言われる」と痛感、次回作にはベルばらに物語、スケール、知名度等で匹敵する作品を、と考慮を重ねた結果、77年、植田脚本・演出で宝塚版「風と共に去りぬ」を上演、ベルばらに次ぐヒットを記録。以降「風と共に去りぬ」は78年まで全4組により上演、ベルばらも80年まで毎年地方公演で上演され、ブームの継続に貢献、2作品はその後折に触れて再演され続け、21世紀の現在に至るまで、歌劇団の財産となっている。
これまでの上演
1974 - 1976年(昭和ベルばら)
月組初演を皮切りに4組で上演。
- 1974年・月組
- 8月29日 - 9月26日[11]:宝塚大劇場、11月2日 - 27日[12]:東京宝塚劇場
- 併演は宝塚では舞踊詩『秋扇抄 [11]』、東京ではショー『ザ・スター [12]』。今から比較すれば、一番原作に忠実な脚本といえる。
- 宝塚公演のデータ[11]
- 形式名:宝塚グランドロマン
- 3部30場
- 1975年・花組
- 7月3日 - 8月12日[13]:宝塚大劇場、11月1日 - 27日[12]:東京宝塚劇場
- サブタイトルは「〜アンドレとオスカル〜[13]」。この作品からすべて一本立て興行。原作で人気のあったアンドレとオスカルのカップルに的を絞った脚本。
- 当時ダブルトップだった花組においてオスカル役をめぐり、初演で演じて人気を決定付けた榛名由梨と、初演前にファンの間でオスカル役が最も似合うといわれていた安奈淳それぞれを推す意見があり、歌劇団上層部でも議論が分かれた。最終的には植田紳爾がオスカル:安奈を強行主張し押し切った。そのかわり、サブタイトルでは榛名の役名の方をトップにしたという、ダブルトップの扱いに配慮したエピソードが残っている。
- 宝塚公演のデータ[13]
- 形式名:昭和49年度芸術祭受賞記念 宝塚グランドロマン
- 3部34場
- 1975年・雪組
- 8月13日 - 9月30日[13]:宝塚大劇場、1976年3月28日 - 4月25日[12]:東京宝塚劇場
- 花組が大評判となった為、急遽続演が決定。花組版の細部を改訂した脚本。当時研6(入団6年目)の麻実れいがアンドレに大抜擢された。
- 宝塚公演のデータ[13]
- 形式名:昭和49年度芸術祭受賞記念 宝塚グランドロマン
- 3部35場
- 1976年・星組『ベルサイユのばらIII』
- 3月25日 - 5月12日[14]:宝塚大劇場、7月2日 - 8月1日[12]:東京宝塚劇場
- 初演月組の脚本を元に、花組・雪組の名場面も取り入れた改訂版。
- 宝塚では当初、5月11日までの予定であったが、好評のため12日まで上演された[14]。
- 初風諄が月組から特別出演。また初日には歴代4人のオスカルが勢ぞろいし、華を添えた。東京公演中、7月21日、22日に役代わり公演があり、マリー・アントワネットを四季乃花恵、フェルゼンを峰さを理が演じた。
- 第62期生(日向薫、夏美よう、飛鳥裕ら)の初舞台公演。
- 宝塚歌劇のベルばら作品ではこの作品において唯一ヴァレンヌ事件が演じられている。(「第2部・7場 ヴァレンヌの森」)[15]
- このシーンでは国王一家が乗る馬車を曳く馬に本物の馬が使われた[16]。
- 宝塚公演のデータ[14]
- 形式名:宝塚グランド・ロマン
- 2部30場
- 1976年・月組『ベルサイユのばらIII』
- 8月5日 – 8月30日[12]:東京宝塚劇場
- 星組の大評判のため、急遽東京宝塚劇場でのみ上演された。星組の脚本をさらに改訂、昭和ベルばらの集大成として、上演に約2時間30分を要する昭和版最大規模の作品に仕立てられた(当時としてはむろん大作だが、平成版以降はこの作品規模が標準となる)。初風諄はこのアントワネット役を花道に退団した。
- 鳳蘭が星組より特別出演。20日に役代わり公演があり、マリー・アントワネットを北原千琴、フェルゼンを当時研4(入団4年目)の大地真央が演じた。
- ここまでの上演で合計約140万人の観客を動員。長谷川の演出ということもありファンが急増、空前のタカラヅカブームを巻き起こす。作品の成功に対し1974年に文化庁芸術祭優秀賞、ベルばらシリーズに対して1976年に菊田一夫演劇賞特別賞が贈られた。
1989 - 1991年(平成ベルばら)
宝塚歌劇75周年・フランス革命200年を記念して再演。
- 1989年・雪組(アンドレとオスカル編)
- 8月10日 - 9月19日[17]:宝塚大劇場、11月3日 – 11月28日[18]:東京宝塚劇場
- 第1部:許されざる愛[17]、第2部:神に召されて[17]
- 形式名は「住友VISAシアター 宝塚グランドロマン[17][18]」。2部34場[17]。
- 当時のトップスター杜けあきがアンドレ、2番手の一路真輝がオスカルを演じた。初めてアンドレが単独の主役として描かれ、彼の出番が増えた。
宝塚[17] | 東京[18] | |
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朝香じゅん | 8月10日-8月17日 | 11月3日-11月9日 |
紫苑ゆう | 8月18日-9月19日 | 11月10日-11月19日 |
麻路さき | 8月29日-9月19日 | 11月20日-11月28日 |
- 1989年・星組(フェルゼンとマリー・アントワネット編)
- 9月22日 - 11月7日:宝塚大劇場、1990年3月4日 - 4月1日:東京宝塚劇場
- この年に行われたニューヨーク公演に参加した人数が多かったため、少ない人数で行われた。
- 宝塚では星組の大輝ゆうの他に花、月、雪より特別出演した安寿ミラ、涼風真世、一路真輝がオスカル。
- 東京公演では星組の紫苑ゆうがオスカル役を演じた。またこの公演では前出・大輝もオスカルを演じ、大輝はこの公演でオスカル役を花道に退団した。
- 1990年・花組(フェルゼン編)
- 3月29日 - 5月8日:宝塚大劇場、7月1日 - 29日:東京宝塚劇場
- 当時の主演コンビ大浦みずき・ひびき美都がダンスに秀でたコンビだったため、ダンスシーンが加筆される。通称「踊るフェルゼン編」とも。
- 第76期生(彩輝直、風花舞、純名里沙、月影瞳、星奈優里、樹里咲穂、寿つかさ、高翔みず希ら)の初舞台公演。
- 入団首席の純名里沙が歌劇団史上初の「初舞台生にしていきなりエトワール」という快挙を達成している。エトワールとはフィナーレのパレードでの初めの部分を受け持つ歌手である。
- 1991年・月組(オスカル編)
- 3月28日 - 5月7日:宝塚大劇場、7月2日 - 31日:東京宝塚劇場
- 涼風真世のトップお披露目公演であり、第77期生(春野寿美礼、朝海ひかる、花總まり、安蘭けい、成瀬こうきら)の初舞台公演。
- 植田によると「王妃役に似つかわしいスターがいなかった」ことなどから、初めてフェルゼンとマリー・アントワネットが登場しないヴァージョンとなった。
- なお新人公演においては、涼風アントワネット、天海祐希フェルゼンが1場面サプライズ出演している。
- 天海はまだ研5(入団5年目)だったが、アンドレとジェローデルの2役を演じ、この公演から2番手スターとして活躍する。そのため組内のバランスをとるため、より上級生の久世星佳のアランの比重もこれまでにない大きさとなった。
- 「20世紀最後のベルばら」という宣伝文句がついた。
- 7月6日に皇太子徳仁親王が台覧。
2001年(ベルサイユのばら2001)
宙組と星組が東西同時上演。ポスターを横尾忠則が担当。
- 宙組(フェルゼンとマリー・アントワネット編)
- 4月6日 - 5月14日:宝塚大劇場、6月29日 - 8月12日:東京宝塚劇場
- 第87期生(龍真咲、早霧せいなら)の初舞台公演。
- ある日の宝塚大劇場2回公演時、1回目公演後に大階段を繋ぐワイヤーにトラブルの為、第2回開演時間が大幅にずれ込む事態が発生したことがあり、その際、第一幕の歌が本来『♪御覧なさい 御覧なさい…』の部分を『♪ごめんなさい ごめんなさい…』と変更するなどのファンサービスが行われた。なお、応急修理の為に業者が呼ばれ、修理される待ち時間の間、支配人が2回舞台に上がり謝罪を述べている。
2006年
マリー・アントワネット生誕250年を記念して再演。
- 星組(フェルゼンとマリー・アントワネット編)
- 1月1日 - 2月6日:宝塚大劇場、2月17日 - 4月2日:東京宝塚劇場
- 雪組(オスカル編)
- 2月10日 - 3月20日:宝塚大劇場、4月7日 - 5月21日:東京宝塚劇場
- 雪組大劇場公演中の2006年3月17日に通算観客動員400万人を記録した。
2013年 - 2014年
宝塚歌劇100周年を記念して再演。
- 2013年・月組(オスカルとアンドレ編)
- 1月1日 - 2月4日:宝塚大劇場、2月15日 - 3月24日:東京宝塚劇場
- 前公演『ロミオとジュリエット』に続く主役の役替わり公演第2弾。トップスター龍真咲と準トップスター明日海りおがオスカル役、アンドレ役を役替わりで演じる。
- 大劇場公演では、花組の蘭寿とむ、雪組の壮一帆がアンドレ役で特別出演した。
- 3月21日(木)13時30分からの公演で、1974年初演以来の観劇者が450万人に到達[19]。
- 2013年月組版の演出面での目玉としては、最後の馬車に乗って天国に行くシーンで、オスカルとアンドレを乗せた馬車を、クレーンを用いてそのまま空中へ飛ばす新演出が挙げられる(従来、このシーンは回り舞台の上に銀馬車を置き、回り舞台を回転させて馬車の走行を演出していた。なお銀馬車を使わないバージョンもある)。この派手な演出は製作発表会にて植田紳爾 (脚本・演出)が「これは大きな見せ場だと思います」と言った通りになった。銀馬車および馬車を曳く白馬にはLEDで溢れんばかりの電飾が施された。光り輝く馬車に乗った二人が舞台から大きくせり出し、一階観客の頭上を上手側、下手側へ大きく左右に動いてアピール、この演出によって「地上では結ばれない貴族と平民の恋の、天国での成就」を描き出し、観客は拍手喝采、またクレーンによる上昇は思いのほか上がって、二階席の客へは今にも手が届かんばかりに迫っており、これもまた客の期待に予想以上に応えた。舞台退場時は馬車を持ち上げたままクレーンが後退し、左右から黒カーテンが閉まった[20]。
- 2013年・雪組(フェルゼン編)
- 4月19日 - 5月27日 : 宝塚大劇場、6月14日 - 7月21日:東京宝塚劇場
- 壮一帆と愛加あゆのトップコンビお披露目公演であり、第99期生の初舞台公演。
- 大劇場公演では、月組の龍真咲、星組の柚希礼音がアンドレ役で、宙組の凰稀かなめがオスカル役で特別出演した。
- ”積極的に行動するフェルゼン像”を描くため、再び台本、演出を改訂、オーストリア女王マリア・テレジア(アントワネットの母親)、マロングラッセ婆や(アンドレの祖母、オスカルの乳母)など登場しなくなった脇役も多い。物語終盤、スウェーデンに帰国していたフェルゼンがアントワネット救出のため、フランス再訪への決意を胸に、スウェーデン国王グスタフ3世に謁見するシーンはカットされ、代わりにスウェーデン・デンマーク国境において、フェルゼン・ジェローデルの二人組が国境警備隊と大立ち回りを演ずる、迫力あるシーンに差し替わった。
- 2014年・宙組(オスカル編)
- 5月2日 - 6月2日 :宝塚大劇場、6月20日 - 7月27日 :東京宝塚劇場
- 6月27日の東京宝塚劇場公演中に観客動員500万人を突破[21]。
その他の劇場での公演
- 1976年・花組(アンドレとオスカル) 全国ツアー
- 4月15日 - 26日 仙台、山形、酒田、秋田、清水、浜松、四日市、伊勢
- 4月30日 - 5月7日 福岡市民会館
- 5月8日 - 5月23日 広島、福山、岡山、倉敷、福井、高岡、金沢、糸魚川、新潟、長岡
- 6月10日 – 27日 前橋、水戸、平、盛岡、八戸、太田、浦和、藤沢、徳島、丸亀、高松、松山
- 6月30日 - 7月11日 名古屋・中日劇場
- 足掛け3ヶ月に及ぶ長期地方公演(当時は全国ツアーの事をこう呼んでいた)。それほど人気があったともいえる。しかし、糸魚川の公演では地元の行事と日程が重なったため、観客が4人しかいなかった。
- 1977年・花組『ファンタジー・ベルサイユのばら』 全国ツアー
- 10月8日 - 31日 釧路、帯広、札幌、小樽、苫小牧、室蘭、花巻、仙台、千葉、川越、那覇
- 併演は『うつしよ桜』。
- アンドレとオスカル編を短くして、1時間半の作品にしたもの。
- 1978年・雪組『宝塚ファンタジー・ベルサイユのばら』 全国ツアー
- 9月1日 - 24日 刈谷、一宮、和歌山、広島、福山、下関、小倉、防府、佐賀、佐世保、長崎、熊本、大分、久留米、武雄
- アンドレとオスカル編に、東京月組の脚本等を取り込んで改訂した作品。
- 1979年・花組(アンドレとオスカル) 全国ツアー
- 9月7日 - 10月1日 一宮、春日井、伊勢、各務原、豊橋、磐田、静岡、横浜、東松山、習志野、八王子、柏、福島、仙台、盛岡、札幌、帯広、芦別、旭川
- 脚本は1978年の雪組全ツの時のもの。松あきらがオスカルを演じ、フェルゼン、アンドレと男役の主要3役すべてを演じたことで「ベルばら三冠王」と呼ばれた。
- 1980年・雪組(アンドレとオスカル) 全国ツアー
- 5月1日 - 5月5日 福岡市民会館
- 5月10日 - 5月25日 倉敷、奈良、広島、宇部、菊池、甘木、島原、鹿児島
- 脚本は1978年雪組全ツの改訂版。汀夏子の最後の地方公演となったため、全日程をついてまわった熱狂的なファンもいた。
- 1991年・雪組(オスカル・アンドレ編) 全国ツアー
- 4月13日 - 4月29日 瀬戸、一宮、川口、相模大野、前橋、市川、多摩、静岡、浜北、豊川、大津、呉、広島
- 5月1日 - 5日 福岡市民会館
- 杜けあきがオスカル役、鮎ゆうきがマリー・アントワネット役と本公演とは配役と脚本を変更して上演された。
- 1991年・花組(フェルゼン編) 全国ツアー
- 9月8日 - 9月30日 高松、守山、半田、江南、松阪、町田、川口、調布、相模大野、多賀城、仙台、函館、帯広、札幌、旭川
- 大浦みずきとひびき美都の退団がすでに発表されており、最後の全国ツアーとなった。
- 2005年・星組(フェルゼンとマリー・アントワネット編)
- 9月24日 - 10月21日 全国ツアー
- 11月11日(金) - 11月13日(日) 慶熙(きょんひ)大学「平和の殿堂」(大韓民国ソウル特別市東大門区回基洞1番地)
- 日韓国交正常化40周年記念「日韓友情年2005 宝塚歌劇韓国公演」
- 併演はショー『ソウル・オブ・シバ!!』。
- 全国ツアーの公演場所
- 2006年・雪組(オスカル編)
- 7月1日 - 28日 全国ツアー
- 当時2番手男役の水夏希が主演を務めた。
- 全国ツアーの公演場所
- 7月1日・2日 梅田芸術劇場・メインホール
- 7月4日 山梨県立県民文化ホール
- 7月5日 アミューたちかわ(立川市民会館)
- 7月7日 さいたま市文化センター
- 7月8日・9日 神奈川県民ホール
- 7月11日 グリーンホール相模大野(神奈川県)
- 7月13日 富士市文化会館(静岡県)
- 7月15日 日進市民会館(愛知県)
- 7月16日 一宮市民会館(愛知県)
- 7月17日 守山市民ホール(滋賀県)
- 7月19日 呉市文化ホール(広島県)
- 7月21日 九州厚生年金会館(北九州市)
- 7月22日・23日 福岡市民会館
- 7月25日 iichiko総合文化センター グランシアタ(大分県)
- 7月27日・28日 鹿児島県文化センター
- 2014年・雪組(オスカルとアンドレ編)
- 3月7日 - 26日 全国ツアー
- 2013年の「フェルゼン編」でオスカル役を演じた2番手男役の早霧せいなが主演を務めた。
公演日 | 公演場所 |
---|---|
3月7日(金) | 梅田芸術劇場・メインホール (大阪府) |
3月8日(土) | |
3月9日(日) | |
3月12日(水) | まつもと市民・芸術館(長野県) |
3月13日(木) | コラニー文化ホール(山梨県立県民文化ホール) |
3月15日(土) | 日本特殊陶業市民会館フォレストホール(名古屋市民会館) (愛知県) |
3月16日(日) | |
3月18日(火) | 伊勢市観光文化会館(三重県) |
3月19日(水) | 三重県文化会館(三重県) |
3月21日(金) | 北九州ソレイユホール(旧・九州厚生年金会館) (福岡県) |
3月22日(土) | 福岡市民会館(福岡県) |
3月23日(日) | |
3月25日(火) | アルカスSASEBO(長崎県) |
3月26日(水) | 長崎ブリックホール(長崎県) |
- 2014年・宙組(フェルゼンとマリー・アントワネット編)
- 8月29日 - 9月21日 全国ツアー
- 2番手男役の朝夏まなとが主演を務めた。
公演日 | 公演場所 |
---|---|
8月29日(金) | 梅田芸術劇場・メインホール (大阪府) |
8月30日(土) | |
8月31日(日) | |
9月3日(水) | オーバード・ホール(富山県) |
9月5日(金) | 府中の森芸術劇場(東京都) |
9月6日(土) | 相模女子大学グリーンホール(グリーンホール相模大野) (神奈川県) |
9月7日(日) | 市川市文化会館(千葉県) |
9月9日(火) | 酒田市民会館「希望ホール」 (山形県) |
9月11日(木) | 秋田市文化会館(秋田県) |
9月13日(土) | イズミティ21(宮城県) |
9月14日(日) | |
9月15日(月) | |
9月17日(水) | リンクステーションホール青森(青森市文化会館) (青森県) |
9月18日(木) | 大館市民文化会館(秋田県) |
9月20日(土) | ニトリ文化ホール(旧・北海道厚生年金会館) (北海道) |
9月21日(日) |
- 2015年・花組(フェルゼンとマリー・アントワネット編)
- 7月10日 - 7月16日 梅田芸術劇場メインホール
- 8月8日(土) - 8月16日(日) 国立中正文化中心・台北国家戯劇院
- 宝塚歌劇団台湾公演の第二弾。
- 併演はレヴューロマン『宝塚幻想曲』。
配役一覧
青背景が主演男役、ピンク背景が主演娘役を示す。1970年代にはスターシステムが確立していないため、ダブルトップスター制がある。不明点は空白とする。
本公演
1974年月組 | 1975年花組 | 1975年雪組 | 1976年星組 | 1976年月組 | |
---|---|---|---|---|---|
オスカル | 榛名由梨 | 安奈淳 | 汀夏子 | 榛名由梨 安奈淳 汀夏子 順みつき[注 3] |
榛名由梨 |
アンドレ | 麻生薫 | 榛名由梨 | 麻実れい | 但馬久美 | 瀬戸内美八 |
アントワネット | 初風諄 | 上原まり | 高宮沙千 | 初風諄 | |
フェルゼン | 大滝子 | 松あきら | みさとけい | 鳳蘭 | 鳳蘭 |
ジェローデル | 叶八千矛 | 新城まゆみ | 常花代 | 三代まさる | 有明淳 |
アラン | みさとけい | 汐見里佳 | 千城恵 | 牧原なおき | 江夏淳 |
ロザリー | 小松美保 | 有花みゆ紀 | 麗美花 邦月美岐 |
衣通月子 | 北原千琴 |
ベルナール | 藤城潤 | 麻月鞠緒 立ともみ[注 4] |
上條あきら | 浦路夏子 | 藤城潤 |
ディアンヌ | 麗美花 | - | |||
ジャンヌ | - | 千草美景 | 城月美穂 | 四季乃花恵 奈緒ひろき[注 5] |
小松美保 |
小公子 | 常花代 | 寿ひづる | 山城はるか | 峰さを理 | 大地真央 |
小公女 | 北原千琴 | - | |||
脚本・演出 | 植田紳爾 | ||||
劇場 | 宝・東 | 宝・東 | 宝・東 | 宝・東 | 東京のみ |
1989年雪組 | 1989年星組 | 1990年花組 | 1991年月組 | |
---|---|---|---|---|
オスカル | 一路真輝 [17] | 涼風真世 一路真輝 大輝ゆう 安寿ミラ 紫苑ゆう[注 6] |
涼風真世 紫苑ゆう 真矢みき 安寿ミラ |
涼風真世 |
アンドレ | 杜けあき[17] | 麻路さき | 朝香じゅん | 杜けあき 日向薫 天海祐希 大浦みずき[注 7] |
アントワネット | 仁科有理 [17] | 毬藻えり | ひびき美都 | - |
フェルゼン | 朝香じゅん[17] 紫苑ゆう[17] 麻路さき[17] |
日向薫 | 大浦みずき | - |
ジェローデル | 海峡ひろき [17] | 北斗ひかる 真矢みき 千珠晄[注 8] |
三矢直生 | 天海祐希 愛川麻希 |
アラン | 轟悠 [17] | 卯月佳 | 友麻夏希 | 久世星佳 |
ロザリー | 鮎ゆうき [17] | 綾瀬るり 洲悠花[注 9] |
峰丘奈知 | 朝凪鈴 |
ベルナール | 古代みず希[17] | 一樹千尋 | 舵一星 | 若央りさ |
ディアンヌ | - | 麻乃佳世 | ||
ジャンヌ | 小乙女幸[17] | 花愛望都 | 梢真奈美 | - |
ポリニャック伯爵夫人 | 北斗ひかる[17] | |||
ジャルジェ将軍 | 星原美沙緒[17] | |||
ジャルジェ婦人 | 木花咲耶[17] | |||
マロン・グラッセ | 葉山三千子[17] | |||
オルレアン公爵 | 沙羅けい[17] | |||
プロヴァンス伯爵 | 箙かおる[17] | |||
ブイエ将軍 | 泉つかさ[17] | |||
シャルロット | 早原みゆ紀[17] | |||
オルタンス | 桂あさひ[17] | |||
ランバール公爵夫人 | 矢代鴻[17] | |||
小公子 | 有未れお 北山里奈 和央ようか |
大輝ゆう 絵麻緒ゆう |
夏城令 | いつき吟夏 汐風幸[注 10] |
小公女 | 鮎ゆうき | 青山雪菜 | 路あかり 白城あやか |
朝吹南 時由布花 |
脚本・演出 | 植田紳爾 | |||
劇場 | 宝・東 | 宝・東 | 宝・東 | 宝・東 |
2001年星組 | 2001年宙組 | 2006年星組 | 2006年雪組 | 2013年月組 | 2013年雪組 | 2014年宙組 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
オスカル | 稔幸 | 彩輝直 水夏希 |
大空祐飛 霧矢大夢 朝海ひかる 貴城けい 水夏希 |
安蘭けい | 朝海ひかる | 龍真咲 明日海りお |
早霧せいな 凰稀かなめ[注 11] |
凰稀かなめ | ||
アンドレ | 香寿たつき 湖月わたる 樹里咲穂[注 12] |
彩輝直 水夏希 |
安蘭けい | 立樹遥 柚希礼音 |
湖月わたる 春野寿美礼 瀬奈じゅん 貴城けい 水夏希 |
安蘭けい 貴城けい 水夏希 |
龍真咲 明日海りお 蘭寿とむ 壮一帆[注 13] |
未涼亜希 柚希礼音 龍真咲[注 14] |
朝夏まなと 緒月遠麻 | |
アントワネット | 星奈優里 | 花總まり | 白羽ゆり | - | 愛加あゆ | - | ||||
フェルゼン | 安蘭けい | 和央ようか | 湖月わたる | - | 紫門ゆりや | 壮一帆 | - | |||
ジェローデル | 夢輝のあ | 寿つかさ | 涼紫央 | 貴城けい 壮一帆 |
珠城りょう 美弥るりか[注 15] |
夢乃聖夏 | 七海ひろき 朝夏まなと | |||
アラン | 真飛聖 | - | 柚希礼音 | 綺華れい | 水夏希 音月桂 |
星条海斗 | 彩風咲奈 彩凪翔[注 16] |
緒月遠麻 七海ひろき | ||
ロザリー | 秋園美緒 | 陵あきの | 陽月華 | 舞風りら | 愛希れいか | 早花まこ | 実咲凜音 | |||
ベルナール | 久城彬 | 朝宮真由 | 立樹遥 | 立樹遥 柚希礼音 |
未来優希 | 美弥るりか 明日海りお[注 17] |
彩凪翔 早霧せいな[注 18] |
蓮水ゆうや | ||
ディアンヌ | - | 山科愛 | - | |||||||
オスカル(子供時代) | 映美くらら 華美ゆうか[注 19] |
- | 早花まこ | 咲妃みゆ | - | 星吹彩翔 | ||||
アンドレ(子供時代) | 陽月華 | - | 愛原実花 | 海乃美月 | - | |||||
小公子 | 朝澄けい | 久遠麻耶 | 麻尋しゅん | 沙央くらま 大湖せしる 蓮城まこと |
- | 和希そら | ||||
小公女 | 映美くらら 南海まり[注 20] 陽月華 |
遠野あすか | 妃咲せあら 蒼乃夕妃 |
- | 真みや涼子 瀬戸花まり | |||||
脚本・演出 | 植田紳爾 | |||||||||
演出 | 谷正純 | 鈴木圭 | 谷正純 | |||||||
劇場 | 宝・東 | 宝・東 | 宝 | 東 | 宝 | 東 | 宝・東 | 宝・東 | 宝・東 |
新人公演
※1976年月組は役替り公演とする
1974年月組 | 1975年花組 | 1975年雪組 | 1976年星組 | 1976年月組 | |
---|---|---|---|---|---|
オスカル | 常花代 | 祐樹叶 寿ひずる[注 21] |
山城はるか | 桐生のぼる | 榛名由梨 |
アンドレ | 大湖かつら | 汐見里佳 | 槇さやか | 賀茂鶴みき | 瀬戸内美八 |
アントワネット | 城月美穂 | 島ゆり | 瑞穂まり 城月美穂[注 22] |
四季乃花恵 | 北原千琴 |
フェルゼン | みさとけい | 新城まゆみ | 大浦みずき | 峰さを理 | 大地真央 |
ジェローデル | 有明淳 | 寿ひずる なかいおり[注 23] |
湖条千秋 | 一樹千尋 | 有明淳 |
アラン | 藤城潤 | 宝純子 欧わたる[注 24] |
光香王子 | 克美仁 | 江夏淳 |
ロザリー | 野々ひかり | 美樹ひろみ | 茜真弓 | 紫城いずみ | 野々ひかり |
ベルナール | 水乃亮 | 一条ひかる | 克沙千世 | 有季れいな | 藤城潤 |
ディアンヌ | 英理絵 | - | |||
ジャンヌ | - | 美野真奈 星すばる[注 25] |
麻路まりこ 五條愛川[注 26] |
藤京子 | 小松美保 |
脚本・演出 | 植田紳爾 | ||||
劇場 | 宝・東 | 宝・東 | 宝・東 | 宝・東 | 東京のみ |
1989年雪組 | 1989年星組 | 1990年花組 | 1991年月組 | |
---|---|---|---|---|
オスカル | 和央ようか | 絵麻緒ゆう 大輝ゆう[注 27] |
汐風幸 | 真織由季 汐風幸[注 28] |
アンドレ | 轟悠 | 卯月佳 | 真琴つばさ | 大海ひろ 彩輝直[注 29] |
アントワネット | 桂あさひ | 青山雪菜 | 香坂千晶 | - |
フェルゼン | 海峡ひろき | 麻路さき | 香寿たつき | - |
ジェローデル | 美樹さやか | 天地ひかり 英りお[注 30] |
夏城令 | 一紗まひろ |
アラン | - | 雅景[注 31] | 紫吹淳 | 嘉月絵理 |
ロザリー | 朝霧舞 | 羽衣蘭 麻丘奈里[注 32] |
詩乃優花 | 朝吹南 |
ベルナール | 北山里奈 | 千秋慎 稔幸[注 33] |
橘沙恵 | 水月静 |
ディアンヌ | - | 風花舞 | ||
ジャンヌ | 夏生かおり | 麗美花 出雲綾[注 34] |
夏目佳奈 | - |
脚本・演出 | 植田紳爾 | |||
劇場 | 宝・東 | 宝・東 | 宝・東 | 宝・東 |
2001年星組 | 2001年宙組 | 2006年星組 | 2006年雪組 | 2013年月組 | 2013年雪組 | 2014年宙組 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
オスカル | 真飛聖 | 華宮あいり | 麻尋しゅん | 沙央くらま | 煌月爽矢 | 煌羽レオ | 和希そら |
アンドレ | 柚希礼音 | 速水リキ | 夢乃聖夏 | 凰稀かなめ | 鳳月杏 | 帆風成海 | 実羚淳 |
アントワネット | 琴まりえ | 美羽あさひ | 陽月華 | - | 夢華あみ | - | |
フェルゼン | 椿火呂花 | 月船さらら | 柚希礼音 | - | 星那由貴 | 彩風咲奈 | - |
ジェローデル | 涼紫央 | 悠未ひろ | 水輝涼 | 谷みずせ | 天翔りいら | 久城あす | 桜木みなと |
アラン | 大真みらん | - | 美弥るりか | 緒月遠麻 | 珠城りょう | 永久輝せあ | 留依蒔世 |
ロザリー | 映美くらら 華美ゆうか[注 35] |
遠野あすか | 南海まり | 晴華みどり | 海乃美月 | 星乃あんり | 伶美うらら |
ベルナール | 嶺恵斗 | 夢大輝 | 天緒圭花 | 宙輝れいか | 輝月ゆうま | 月城かなと | 瑠風輝 |
脚本・演出 | 植田紳爾 | ||||||
演出 | 谷正純 | 鈴木圭 | 谷正純 | ||||
劇場 | 宝・東 | 宝・東 | 宝・東 | 宝・東 | 宝・東 | 宝・東 | 宝・東 |
その他の劇場での公演
この節の加筆が望まれています。 |
1976年花組 | 1977年花組 | 1978年雪組 | 1979年花組 | 1980年雪組 | |
---|---|---|---|---|---|
オスカル | 安奈淳 | 安奈淳 | 汀夏子 | 松あきら | 汀夏子 |
アンドレ | 榛名由梨 | 松あきら | 麻実れい | みさとけい | 麻実れい |
アントワネット | 上原まり | 城月美穂 | 邦月美岐 | 城月美穂 | |
フェルゼン | 松あきら | みさとけい | 常花代 | 汐見里佳 | 常花代 |
ジェローデル | 新城まゆみ | 新城まゆみ | 尚すみれ | 央いおり | 尚すみれ |
アラン | 汐見里佳 | 汐見里佳 | ? | ? | ? |
ロザリー | 美樹ひろみ | ? | ? | ? | 花鳥いつき |
ベルナール | 立ともみ | 室町あかね | ? | ? | 真咲佳子 |
ジャンヌ | 八汐みちる | ? | ? | ? | 昇路みちる |
脚本・演出 | 植田紳爾 | ||||
公演 | 全国ツアー |
1991年雪組 | 1991年花組 | 2005年星組 | 2006年雪組 | 2014年雪組 | 2014年花組 | 2014年宙組 | 2015年花組 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
オスカル | 杜けあき | 真矢みき | 涼紫央 | 水夏希[注 36] | 早霧せいな[注 36] | 芹香斗亜 | 七海ひろき | 柚香光 |
アンドレ | 海峡ひろき | 愛華みれ | 立樹遥 | 壮一帆 | 夢乃聖夏 | 望海風斗 | 蒼羽りく | 芹香斗亜 |
アントワネット | 鮎ゆうき | ひびき美都 | 白羽ゆり | - | - | 蘭乃はな | 実咲凜音 | 花乃まりあ |
フェルゼン | 高嶺ふぶき | 大浦みずき | 湖月わたる | - | 蓮城まこと[注 37] | 明日海りお | 朝夏まなと | 明日海りお |
ジェローデル | 轟悠 | 宝樹芽里 | 麻尋しゅん | 沙央くらま | 鳳翔大 | 鳳真由 | 澄輝さやと | 鳳真由 |
アラン | 風見玲央 | - | - | 緒月遠麻 | 彩凪翔 | 真輝いづみ | 実羚淳 | 真輝いづみ |
ロザリー | 朝霧舞 | 峰丘奈知 | 琴まりえ | 舞風りら | 咲妃みゆ | 花乃まりあ | 瀬音リサ | 城妃美伶 |
ベルナール | 和光一 | 舵一星 | 綺華れい | 悠なお輝 | 彩風咲奈 | 大河凜 | 星吹彩翔 | 瀬戸かずや |
脚本・演出 | 植田紳爾 | |||||||
演出 | - | 谷正純 | ||||||
公演 | 全国ツアー | 中日劇場 | 全国ツアー | 梅田・台湾 |
スタッフ
この節の加筆が望まれています。 |
1974年
- 宝塚大劇場公演
- 演出[11][22]:長谷川一夫
- 脚本[11][22]:植田紳爾
- 音楽[22]:寺田瀧雄、入江薫、河崎恒夫
- 音楽指揮[22]:野村陽児
- 振付[22]:岡正躬、喜多弘
- 装置[22]:渡辺正男
- 衣装[22]:小西松茂
- 照明[23]:今井直次
- 音響[23]:松永浩志
- 小道具[23]:上田特市
- 効果[23]:中田正廣
- 演出補[23]:阿古健
- 演出助手[23]:太田哲則
- 制作[23]:野田浜之助
1975年
- 宝塚大劇場公演(花・雪組共通)
- 演出[13][22]:長谷川一夫
- 脚本[13][22]・演出[13][22]:植田紳爾
- 作曲[22]・編曲[22]:寺田瀧雄、入江薫、河崎恒夫
- 作曲[22]:平尾昌晃
- 編曲[22]:京健輔
- 音楽指揮[22]:野村陽児
- 振付[22]:岡正躬、喜多弘
- 擬闘[22]:二階堂武
- 装置[22]:渡辺正男
- 衣装[22]:小西松茂
- 照明[23]:今井直次
- 音響[23]:松永浩志
- 小道具[23]:上田特市、万波一重
- 効果[23]:中田正廣
- 演出補[23]:阿古健
- 演出助手[23]:村上信夫、三木章雄
- 制作[23]:秋尾久、野田浜之助
1976年
- 宝塚大劇場公演
- 演出[14][22]:長谷川一夫
- 脚本[14][22]・演出[14][22]:植田紳爾
- 音楽[22]:寺田瀧雄、入江薫、河崎恒夫
- 作曲[22]:平尾昌晃
- 音楽指揮[22]:野村陽児
- 振付[22]:岡正躬、喜多弘
- 擬闘[22]:二階堂武
- 装置[22]:渡辺正男
- 衣装[22]:小西松茂
- 照明[23]:今井直次
- 音響[23]:松永浩志
- 小道具[23]:上田特市、万波一重
- 効果[23]:中田正廣
- 演出補[23]:阿古健
- 演出助手[23]:村上信夫、三木章雄
- 制作[23]:秋尾久、野田浜之助、大西八洲雄
逸話
原作を読んで「この作品は舞台化すればいける」と感じた理由について、植田は以下の3点を挙げている。
•原作のオスカルとアンドレ、フェルゼンとマリー=アントワネットそれぞれの愛の描き方が魅力的だった。
•作品はフランス、ブルボン王朝時代を背景とした華やかなコスチューム・プレイであり、長谷川の演出に合いそうだった。
•歌劇団はロココ朝の舞台美術に関し日本有数のノウハウをもっており、この作品の時代ならそのノウハウを活用できた[6]。
1975年花組版で植田がオスカル役に安奈を推したのは、当時歌劇団が抱えていたスターたちの中でも、安奈がとりわけオスカルに相応しいと考えていたことなどからだったが、安奈が初役で観客動員力としては未知数だったのに対し、共にトップスターをつとめる榛名は、月組初演で原作ファンたちからも「オスカル様そのもの」と讃えられるオスカルを演じており、榛名が花組版でオスカルを再演するとなれば、初演を観劇してくれた相当数のファンたちを再観劇に呼び込める可能性が高く、興行としては榛名の方が予め成功を見込めるとして、“榛名オスカル”を推す意見も根強かった。東京宝塚劇場を管理する東宝の担当者も、興行的観点からオスカル役には榛名が順当だと考えていたようで、植田の“安奈オスカル”の意向を伝え聞くと、植田を呼び出して「商売を全くわかっていない」と配役変更を迫ってきたという。呼びつけられてこのような言葉を浴びせられた植田は怒りを抑えきれず「でしたら東京公演はなしで結構です」と、啖呵をきって帰ったと回想している[6]。
1975年花組版で“安奈オスカル”を植田が決断した際、植田は榛名に「今回もオスカルを演ったら、(君は)オスカルのイメージが抜けなくなる。アンドレに回って演技の幅を広げてほしい」と話して説得したという。植田は当時を回想した際「榛名も残念だったと思うが、納得してくれた」と榛名に感謝している [6]。
その他
2003年にダイハツ・ムーブのCMで、絵麻緒ゆうがオスカル、香寿たつきがアンドレにそれぞれ扮して、CMに出演。どちらもトップスターを経て、宝塚から退団していた2人の、テレビCMでの共演であった。絵麻緒ゆうは1989年公演「フェルゼン・アントワネット編」新人公演でのオスカル役、香寿たつきは2001年公演「ベルサイユのばら2001」本公演でのアンドレ役、という正真正銘の本物である。[要出典]
この演目の大当たりによって宝塚歌劇団は人気を盛り返した。しかしその反動で世間一般には「宝塚といえばベルばら ベルばらといえば宝塚」というイメージが強烈しみついてしまった。また上演すれば満員大入りは必至である。そのイメージが歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」やテレビ・映画・演劇界の「忠臣蔵」モノ(必ず当る演目)と重なるのか、「宝塚歌劇団では年に一度は必ずベルばらを上演する」「カネに困るとベルばらを上演する」などの過った認識を持つ一般人も多い。[要出典]
さらには社会現象となった1970年代のベルばらブームのみを覚えている一般人(舞台演劇に明るくない人)の中には他劇団のロングラン公演やブロードウェイミュージカル(ライオンキング、キャッツ、アニー、放浪記、屋根の上のバイオリン弾き、オペラ座の怪人など)とイメージが重なるのか「宝塚歌劇団ではいつでもベルばらを上演している」「宝塚歌劇団はベルばら専門の劇団」と勘違いしている人も多い。[要出典]
しかし宝塚歌劇ではいつでもベルばらを上演しているわけでもなければベルばら専門の劇団でもない。これまでのベルばら上演は初回上演の1974年から最新の2013年の39年間で本公演15回、地方公演9回、計24回のみである。しかも1974-1976年(昭和ベルばら)、1989-1991年(平成ベルばら)といった公演期間が連続しているものをひとまとめにすると、39年間でベルばらが公演されていた機会は1974-1976年、1989-1991年、2001年、2006年、2013年の5回のみである。よって宝塚歌劇団がベルばらを上演している機会に遭遇するのは7.8年に1回である。宝塚歌劇団のベルばらを観劇するのは五輪、サッカーW杯、諏訪大社の御柱祭の観賞よりも希少な体験と言える。[要出典]
脚注
注釈
- ^ 宝塚歌劇団公演は原則として歌劇団専属演出家(大抵は脚本も自ら書く)が演出する。歌劇団では必要に応じて演出助手を採用、助手たちは先輩演出家の下で演出・脚本作法を学び、数年間の研鑽を経た後演出家デビュー作を手がけ、専属演出家となっていくという内部での専属演出家養成制度が整備されている。演出家たちは歌劇団演出部に所属、定年制だが、演出活動による功労が認められれば歌劇団理事(企業でいえば重役)への昇格の道も開かれており、理事に就任すれば定年制の適用外となり、歌劇団での終身雇用も可能となる。
- ^ もっとも、戦前から歌劇団で活躍してきた古参演出家たちの高齢化に伴う体力低下を補う必要などから、歌劇団の収益問題顕在化のかなり以前、1950年代から、歌劇団外部からの演出家招聘自体は行なわれていた/植田・川崎賢子著「宝塚・百年を越えて」国書刊行会より。
- ^ 順以外は宝塚のみ
- ^ 麻月は宝塚のみ
- ^ 四季乃が宝塚、奈緒が東京
- ^ 紫苑は東京のみで、それ以外は宝塚のみ
- ^ 大浦は宝塚のみ
- ^ 北斗、真矢は宝塚のみで、千珠は東京のみ
- ^ 綾瀬は宝塚のみで、洲は東京のみ
- ^ いつきが宝塚、汐風が東京
- ^ 凰稀は宝塚のみ
- ^ 香寿以外は東京のみ
- ^ 蘭寿、壮は宝塚のみ
- ^ 柚希、龍は宝塚のみ
- ^ 美弥るりかは宝塚のみ
- ^ 彩凪翔は宝塚のみ
- ^ 明日海りおは宝塚のみ
- ^ 早霧せいなは宝塚のみ
- ^ 映美は東京のみ、華美は宝塚のみ
- ^ 映美は東京のみ、南海は宝塚のみ
- ^ 祐樹は宝塚のみ、寿は東京のみ
- ^ 瑞穂は宝塚のみ、城月は東京のみ
- ^ 寿は宝塚のみ、なかは東京のみ
- ^ 宝は宝塚のみ、欧は東京のみ
- ^ 美野が宝塚、星が東京
- ^ 麻路が宝塚、五條が東京
- ^ 絵麻緒は宝塚、大輝は東京
- ^ 汐風は東京のみ
- ^ 彩輝は東京のみ
- ^ 天地は宝塚、英は東京
- ^ 東京のみ
- ^ 羽衣は宝塚、麻丘は東京
- ^ 千秋は宝塚、稔は東京
- ^ 麗は宝塚、出雲は東京
- ^ 映美は東京、華美は宝塚
- ^ a b 当時は、雪組の二番手男役
- ^ ロベスピエール役と2役
出典
- ^ 「ベルばら」観客500万人=初演から40年—宝塚歌劇団(時事通信社、2014年6月27日)
- ^ http://www.tca-pictures.net/shop/press/100202_versailles.html DVD-BOX ベルサイユのばらGRANDHISTOY
- ^ http://www.tca-pictures.net/shop/press/100202_versailles_detail.html DVD-BOX ベルサイユのばらGRANDHISTOY Special Disc詳細内容
- ^ 池田理代子原作 ベルサイユのばら 第9章 神にめされて
- ^ 池田理代子原作 ベルサイユのばら 第9章 神にめされて
- ^ a b c d 植田紳爾の回想/日本経済新聞「私の履歴書」2014年10月。
- ^ a b c 植田・川崎賢子著「宝塚・百年を越えて」国書刊行会より。
- ^ 宇佐美正 監修・解説「宝塚タカラジェンヌ100」平凡社(1994年1月初版)124p「ベルサイユのばら・昭和から平成へ」より。
- ^ a b 先述・NHK「プロジェクトX・挑戦者たち」(2005年12月6日放映)より。
- ^ 初演でオスカルを演じた榛名由梨の回想。「宝塚の卒業生たち・昭和のベルサイユのばら」日本テレビ放送網・刊より。
- ^ a b c d e 100年史(舞台) 2014, p. 139.
- ^ a b c d e f 100年史(舞台) 2014, p. 215.
- ^ a b c d e f g h 100年史(舞台) 2014, p. 141.
- ^ a b c d e f 100年史(舞台) 2014, p. 142.
- ^ http://shop.tca-pictures.net/tcaonlineshop/goods/index.html?cid=99999&ggcd=TCAD-006 TCA発売 ベルサイユのばら大全(DVDソフト)
- ^ 2013年4月8日 AM02:15 放送SKY STAGE(CS有料放送) ベルサイユのばらCheck it Out!#5「他では見られないレアものシーン」
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa 80年史 1994, p. 335.
- ^ a b c 80年史 1994, p. 337.
- ^ 宝塚歌劇『ベルサイユのばら』ご来場者450万人達成(宝塚歌劇公式ページ・2013年3月21日)
- ^ http://kageki.hankyu.co.jp/versailles2013/moon/report.html 宝塚歌劇公式ページ『ベルサイユのばら』-オスカルとアンドレ編-を上演するにあたり
- ^ 「ベルばら」観客500万人=初演から40年—宝塚歌劇団(時事通信社、2014年6月27日)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac 100年史(人物) 2014, p. 196.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 100年史(人物) 2014, p. 197.
参考文献
- 企画・構成・執筆:橋本雅夫、編集統括:北川方英『夢を描いて華やかに -宝塚歌劇80年史-』宝塚歌劇団、1994年9月9日。ISBN 4-924333-11-5。
- 編集:山本久美子・西村房代・須藤晃代、編集補助:松岡幸子・浜田聖子・松本恵美・加藤貴子、編集協力:坂島和歌子・松川咲絵・浜本ひろ美・浅野千佳子・川口桂、執筆:三宅顕人(小林一三、ならびに劇場解説)、監修・著作権者:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(舞台編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日。ISBN 978-4-484-14600-3。
- 編集:山本久美子・西村房代・須藤晃代、編集補助:松岡幸子・浜田聖子・松本恵美・加藤貴子、執筆:三宅顕人(出版物・CD類解説)『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日。ISBN 9784484146010。
外部リンク
- 宝塚歌劇公式サイト
- 2001年星組 東京宝塚劇場公演
- 2001年宙組 宝塚大劇場公演
- 2001年宙組 東京宝塚劇場公演
- 2001年星組 宝塚大劇場公演
- 2005年星組 全国ツアー
- 2006年星組 宝塚大劇場公演
- 2006年星組 東京宝塚劇場公演
- 2006年雪組 宝塚大劇場公演
- 2006年雪組 東京宝塚劇場公演
- 2006年雪組 全国ツアー
- 2013年月組 宝塚大劇場公演
- 2013年月組 東京宝塚劇場公演
- 2013年雪組 宝塚大劇場公演
- 2013年雪組 東京宝塚劇場公演
- 2014年雪組 全国ツアー
- 2014年花組 中日劇場公演
- 2014年宙組 宝塚大劇場・東京宝塚劇場公演
- 2014年宙組 全国ツアー
- 2015年花組 梅田芸術劇場メインホール・台北国家戯劇院公演