政略結婚

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政略結婚(せいりゃくけっこん)とは、政治上の駆け引きを目的とした結婚を指す。

概要[編集]

政略結婚が行われる主な理由は、下記の通りがある。

  • 同盟を結び、戦争回避を目的としたもの
  • 侵略推進を目的としたもの
  • 相手の君主の継承権を得るため
  • 経済的支援を得るため

日本戦国時代においては、敵対する勢力同士の和睦や臣従、同盟関係の締結などにおいて政略結婚としての婚姻が行われており、織田信長の妹であるお市の方浅井長政へ)など、広く行われていた。時には10歳に満たない者が、嫁に出されることさえあった。豊臣政権下において、徳川家康毛利輝元前田利家など5人の大大名の連名で、大名間の私婚の禁止の文書が諸大名に通達されたが、家康と伊達政宗によって破られた。江戸幕府では、これにより大名同士の結束が強まることを恐れたため、武家諸法度で大名同士の結婚には幕府の許可を要するようにするなど、強く規制した。

元王朝は自らが征服した朝鮮半島高麗王朝に対し、王世子に元の皇女と結婚することを義務付けた。代を重ねるごとにモンゴル人が濃くなるため、高麗王室独自のアイデンティティーを喪失することを目論んでのものであった。

オーストリアハプスブルク家は政略結婚によって大きな成功を収めた王家の一つである。ハプスブルク家は婚姻を通じてブルゴーニュ公国ハンガリー王国ボヘミア王国スペインの君主の継承権を手に入れ、ヨーロッパ屈指の名門王家としてカール5世の時代にはスペイン領の中南米も含めた広大な領土を支配した。このことにより「戦争は他家に任せておけ。幸いなオーストリアよ、汝は結婚せよ」と言われた。

  • 地位を得ることを目的としたもの

奈良時代から平安時代にかけての藤原氏などが、好んで用いた手段である。

皇室男系であるため、皇太子と結婚させ、娘が産んだ皇子を天皇にすることにより、天皇の外戚となり、政府高官を独占した(摂関政治)。

現在の「政略結婚」[編集]

  • 会社や旧家の存続や閨閥の目的のために、当人同士の同意よりも優先させて結婚させること
  • 戦国時代の「政略結婚」とは異なり、一応お見合いという形でとることはあるが、比喩的にそう呼ばれることが多い
  • 銀行と取引先の企業との間で、経営者の娘と銀行幹部(その逆もある)を結婚させるなどの政略結婚は、現代でも行われている。
    • 親会社と子会社、一企業とその株主、同一社内の上司と部下(または先輩と後輩)といった例もある。
    • 結婚は基本両者の合意が必要であるが、上下関係で下になる者に断る機会を与えない(断ると解雇左遷などをちらつかせるなど)場合も少なくない。
  • 大相撲においては、江戸時代から伝統的に親方の娘と結婚して年寄名跡を継承する例が多い。特に部屋継承において多く、こういう場合には政略結婚と俗称されることがある。

関連項目[編集]