本多静六

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本多静六(ほんだ せいろく、1866年7月2日 - 1952年1月29日)は、日本林学博士造園家。「公園の父」といわれる。

埼玉県菖蒲町生まれ。南埼玉郡河原井村の名主折原家の第6子。

北海道の大沼公園や福島県鶴ヶ城公園、埼玉県羊山公園東京都明治神宮日比谷公園石川県の卯辰公園、福岡県大濠公園ほか、設計・改良に携わった公園多数。東京山林学校卒業後に留学したドイツを始め、海外に十数回視察に赴き、明治期以降の日本の大規模公園の開設・修正に携わった。

また、昭和3年当時の比企郡菅谷村(現、埼玉県比企郡嵐山町)にある、現嵐山渓谷周辺を訪れた際、風景が京都の嵐山(あらしやま)によく似ていることから、武蔵嵐山と命名したことにより、のちに駅名(東武東上線、菅谷駅・現武蔵嵐山駅)や自治体名(比企郡菅谷村)が町制施行時に嵐山町と改称している。

幼少時に父親を亡くした経験とドイツ留学でのブレンターノ教授の教えから、勤倹貯蓄を処世訓とした。資産家として成功したことでも知られる。

目次

[編集] 経歴

[編集] 著書

[編集] その他

  • 首かけイチョウ - 道路拡張により伐採されることになった日比谷見附のイチョウの大木を、日比谷公園に移植した。当時移植は不可能という声が多かったなかで、自分の首にかけても、と実行した。推定樹齢400年。日比谷公園松本楼の脇。
  • 本多静六博士育英奨学金 - 埼玉県に寄贈した山林に基づく。
  • 四分の一天引き貯金 - 収入の4分の1を貯蓄に充てる、倹約して生きていく本多静六のやり方。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

『現代名士の演説振』「本多静六」1908年文献)国立国会図書館