松江城
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松江城 (島根県) |
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天守
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| 通称 | 千鳥城 |
| 城郭構造 | 輪郭連郭複合式平山城 |
| 天守構造 | 複合式 5重6階望楼型 |
| 築城主 | 堀尾忠氏 |
| 築城年 | 1611年(慶長16年) |
| 主な改修者 | 京極忠高 |
| 主な城主 | 堀尾氏、京極氏、松平氏 |
| 廃城年 | 1871年(明治4年) |
| 遺構 | 現存天守、石垣、堀 |
| 指定文化財 | 国の重要文化財(天守)、国の史跡 |
| 再建造物 | 櫓・門・橋 |
| 位置 | 北緯35度28分30.42秒 東経133度3分2.69秒 |
松江城(まつえじょう)は島根県松江市殿町にある城。別名・千鳥城。国の史跡に指定されている。指定管理者制度に則り、NPO法人松江ツーリズム研究会が運営をしている。
目次 |
[編集] 概要
日本に12箇所しか現存しない、江戸時代以前建造の天守を有する城郭の一つである(現存天守)。また中国地方の県庁所在地に所在する唯一の現存天守でもある。
松江市街の北部に位置し、南に流れる大橋川を外堀とする輪郭連郭複合式平山城である。本丸を中心に据え、東に中郭、北に北出丸、西に後郭、東から南にかけ外郭、西から南にかけ二の丸が囲んでいる。二の丸の南には一段低く三の丸が配されている。
高さ30メートル、5層6階の天守は桃山様式の天守として築城当時のまま現存しており、国の重要文化財に指定されている。
江戸時代には松江藩の藩庁として、出雲地方の政治経済の中心となった。現在は松江城山公園として観光名所となっている。
宍道湖の眺望が良く日本三大湖城の一つとなっている。また、桜の名所として日本さくら名所100選に選ばれている。
城内には松江市街のミニチュア模型が展示されている。
[編集] 歴史・沿革
[編集] 前史
[編集] 築城
- 1600年(慶長5年) 関ヶ原の戦いで戦功のあった堀尾忠氏(堀尾吉晴の子)が、24万石を得て月山富田城に入城し松江藩が成立。月山富田城は中世山城であり近世城下町形成には不利であったので、末次城址を近世城郭の候補とした。
- 1607年(慶長12年) 末次城のあった亀田山に築城を開始。
- 1611年(慶長16年) 冬、堀尾忠氏の松江城落成。(父の吉晴はこの年6月に完成目前で急死している。)
- 1633年(寛永10年) 堀尾忠晴没、嗣子無く堀尾氏は3代で改易となった。
- 1634年(寛永11年) 京極忠高が若狭国小浜藩より出雲・隠岐両国26万石で入封。三の丸の修築を行い、松江城の全容が完成した。
- 1637年(寛永14年) 忠高が嗣子無く没し京極氏は廃絶。
- 1638年(寛永15年) 信濃国松本藩より松平直政が18万6千石で入封。以後、明治維新まで続く。
[編集] 近現代
- 1871年(明治4年) 廃藩置県により、廃城となる。
- 1873年(明治6年) 廃城令が公布され、天守を除く建造物は全て破却された。天守も米100俵で売却されることとなったが、有志の運動により保存された。
- 1934年(昭和9年) 国の史跡に指定される。
- 1935年(昭和10年) 天守が旧・国宝保存法に基づく国宝(現行法の重要文化財に相当)に指定される。
- 1950年(昭和25年) 文化財保護法の施行に伴い、天守は重要文化財となる[1]。
- 1960年(昭和35年) 本丸一ノ門と南多聞の一部を復元。
- 1994年(平成6年) 三の丸と二の丸を結ぶ廊下門(千鳥橋)と二の丸下段の北惣門橋(旧眼鏡橋)を復元。
- 2000年(平成12年) 二の丸南櫓と塀(40メートル)を復元。
- 2001年(平成13年) 二の丸に中櫓・太鼓櫓と塀(87メートル)を復元。
- 2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(64番)に選定され、2007年(平成19年)6月から全国規模の日本100名城スタンプラリーが開始された。
[編集] 人柱伝説
天主台の石垣を築くことが出来ず、何度も崩れ落ちた。人柱が無ければ工事は完成しないと、工夫らの間から出た。そこで、盆踊りを開催し、その中で最も美しく、もっとも踊りの上手な少女が生け贄にされた。娘は踊りの最中にさらわれ、事情もわからず埋め殺されたという。石垣は見事に出来上がり城も無事落成したが、城主の父子が急死し改易となった。人々は娘の無念のたたりであると恐れた。そのため、天守は荒れて放置された。その後、松平氏の入城まで天守からはすすり泣きが聞こえたという城の伝説が残る。また、城が揺れるとの言い伝えで城では盆踊りをしなかった。(「小泉八雲/人柱にされた娘」など)。
[編集] 城郭内の施設
[編集] 復元
1960年(昭和35年)に本丸一ノ門と南多聞の一部が復元され、1994年(平成6年)に三の丸と二の丸を結ぶ廊下門と二の丸下段の北惣門橋が復元された。
二の丸の建造物として、2000年(平成12年)2月に南櫓と塀の一部(40メートル)が、更に2001年(平成13年)2月には中櫓・太鼓櫓と塀の一部(87メートル)が、それぞれ復元された。
[編集] 周辺
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
[編集] 脚注
- ^ ウェブサイト等で、松江城天守について「戦前は国宝だったが、解体修理が行われたため、戦後重要文化財に格下げされた」という説が流布しているが、これは誤りである。松江城天守の「国宝」から「重要文化財」への改称は、旧法(国宝保存法)の廃止と新法(文化財保護法)の施行に伴うものであって、解体修理とは関係がない1950年までは、国指定の有形文化財はすべて「国宝」と称されていたが、文化財保護法附則第3条の規定に基づき、同法の施行日である。1950年8月29日をもって、従前の「国宝」(旧国宝)を「重要文化財」と称するようになった。そして、「重要文化財」のうち、特に貴重なものをあらためて「国宝」(新国宝)に指定することとなったものである。国宝保存法における「国宝」(「旧国宝」)と文化財保護法における「重要文化財」とは同等のものであり、「格下げ」されたわけではない。

