鉄道唱歌

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地理教育鉄道唱歌から転送)
鉄道唱歌
大和田建樹の直筆による第1集第1番の歌詞。
新橋駅前に建つ『鉄道唱歌の碑』)
唱歌
出版1900年5月10日
作詞者大和田建樹
作曲者多梅稚上真行

鉄道唱歌』(てつどうしょうか)は、明治時代に作詞された唱歌。全5集・334番[注 1]

経緯[編集]

大阪の出版社「昇文館」を主宰する市田元蔵が企画し、大和田建樹に作詞を、多梅稚上真行に作曲を依頼したことから「鉄道唱歌」は誕生した。しかし、昇文館の経営状態はすでに悪化していた。1900年5月10日に第1集東海道篇を発売したものの、印刷部数はわずか3,000部であり、宣伝資金もなかったために、ほとんど売れないまま、昇文館は倒産した。

この「鉄道唱歌」の版権を市田から買収したのが、大阪で楽器店(現在の三木楽器)を営んでいた三木佐助である。江戸時代より「往来物」と呼ばれる宿場町を覚える歌や、鉄道開業後に「レールエ節」と呼ばれる鉄道沿線を紹介する歌が存在したため、鉄道路線網が形成されるに従って、それら路線の沿線を歌った書籍の販売の着想を得たと言われている[1]。第1集東海道篇は1900年に『地理教育 鉄道唱歌 第一集』のタイトル[2]で三木によって再度出版され、楽団を乗せた列車を走らせるなどの奇抜な広告戦略の効果もあって大流行した。さらに、この年の年末までに第5集までが発表された。詞はいずれも大和田建樹によるもので、曲は第1集・第2集が多梅稚と上真行、第3集が多梅稚と田村虎蔵[注 2]、第4集が納所辨次郎吉田信太、第5集は多梅稚が2種といったように、各曲に2つずつつけられた。これは「鉄道唱歌」が書籍の形式で販売されたので、「読者に好きな方を歌ってもらおう」という、最初の企画者・市田元蔵のアイディアだったといわれている。だが第1集から第3集、そして第5集の曲の1つであった多梅稚のそれが、抒情的な上真行の曲よりも、ヨナ抜き音階ピョンコ節でメロディーが覚えやすく、余りにもテンポがよく旅情がそそられるといった事情のためか広く歌われるようになって、他の方の曲はほとんど歌われなくなってしまった。現在知られているのはもちろん多梅稚の曲である。多梅稚の作曲に依らない第4集も、この曲で歌われることが多い。ちなみにテンポ良く聞こえるのは歌詞が七五調となっているのも要因の一つである。

異説として、最初から三木の企画だったとする説、無名の一青年の詞を買い取り大和田が補筆したとの説がある[3]。三木は、街頭で手風琴に合わせて演歌師が歌う哀愁を帯びたメロディーを耳にして鉄道旅行歌のアイデアを閃き、作詞を大和田に依頼する[4]。その際、参考に横江鉄石の『東海道汽車の旅』と無名作家の歌詞を大和田に差し出すが「物足りない作品ですね。表現も硬くて暗い」と言って返されたとしている[4]

「鉄道唱歌」の書籍は大正初期までの20年間に総計2000万部を売ったという[3]

タイトルに「地理教育」と付けられている背景として、当時の音楽教育の一環として歌による知識の習得という方針があり、版元はこの方針に乗って鉄道唱歌の販売数を増やす意図があったようである[1]。本歌の発表直後から全国各地で郷土版が多く製作された[2]。膨大な詞の中に沿線の地理や歴史、民話や伝説、名産品の紹介を織り込んだこの曲は、大人の間でも人気となった。

内容[編集]

歌詞の方は基本的に沿線に沿って七五調で順々に詠っているが、沿線に作者(大和田建樹)の好んだ場所や歴史的な場所のようなところがある場合、またその路線の終点の場合などは、そこに多く歌詞を割り当てたり、さらには「寄り道」していることもある。たとえば以下の最初にある鎌倉の場合、その直前に「横須賀行きは乗り換えと / 呼ばれて降るる大船の」とあり、横須賀線に乗換えて寄道することが歌詞になっている。

第1集では「鎌倉」・「近江八景」・「京都」・「大阪」・「神戸」、第2集では「厳島」・「下関(馬関)」・「関門海峡」・「太宰府天満宮」・「熊本」・「長崎」、第3集では「日光」・「仙台」、第4集では「新潟」・「佐渡島」・「金沢」、第5集では「伊勢」・「吉野山」・「和歌山」、第6集では「函館港」・「小樽」・「札幌」といった所などがそれに該当する。

また、線路が必ずしも旧街道に沿っていないために、各方面の街道の峠などの地形や旧跡、名物等が駅や線路から離れていることがあるが、そういった点でも必ずしも正確でないこともある[注 3]

各集の歌い始めは以下のようになっており、いずれも旅立ちの印象を強く読者に与えるものとしていた。

  • (第1集1番)汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり 愛宕の山に入り残る 月を旅路の友として
  • (第2集1番)夏なお寒き布引の 滝の響きをあとにして 神戸の里を立ちいずる 山陽線路の汽車の道
  • (第3集1番)汽車は煙を噴き立てて 今ぞ上野を出でてゆく 行方は何く陸奥青森までも一飛に
  • (第4集1番)車輪の響き笛の声 見かえる跡に消えて行く 上野の森の朝月夜 田端は露もまだ寒し
  • (第5集1番)汽車をたよりに思い立つ 伊勢大和の国めぐり 網島いでて関西の 線路を旅の始にて
  • (第6集1番)千里の林万里の野 四面は海に囲まれて 我が帝国の無尽庫と 世に名ざさるる北海道

なお第3集と第4集は、上野駅から大宮駅に至る区間で重複しているが、それぞれにおいて歌う場所をずらすなどの配慮をし、特色を持たせてある。

また各集の最後ないし最後の1つ前に当たる所、また、東北線の終点「青森」の歌詞(第3集40番)では、以下に示した通り急速に発達した鉄道網を賞賛する歌詞が見られる。

  • (第1集65番)思えば夢か時のまに 五十三次はしりきて 神戸のやどに身をおくも 人に翼の汽車の恩
  • (第3集40番)勇む笛の音いそぐ人 汽車は着きけり青森に 昔は陸路廿日道 今は鉄道一昼夜
  • (第3集63番)昔は鬼の住家とて 人の恐れし陸奥の 果てまでゆきて時の間に 帰る事こそめでたけれ
  • (第3集64番)いわえ人々鉄道の ひらけし時に逢える身を 上野の山も響くまで 鉄道唱歌の声立てて
  • (第4集71番)駅夫の声におどろけば 眠はさめて米原に 着きたる汽車の速かさ 見かえる伊吹雲ふかし
  • (第4集72番)思えば汽車のできてより 狭くなりたる国の内 いでし上野の道変えて いざや帰らん新橋に
  • (第6集20番)土地の話を耳に聞き 変わる景色を目に見つつ 慰むほどに呼ぶ声を 聞けば小樽か早ここは

その他、最後では以下のように次の旅(次の集)へ続くことを表したもの、または旅の終わりを祝うないし惜しむ歌詞も見られる。

  • (第1集66番)明けなば更に乗りかえて 山陽道を進ままし 天気は明日も望あり 柳にかすむ月の影
  • (第2集67番)前は海原はてもなく 外つ国までもつづくらん あとは鉄道一すじに またたくひまよ青森も
  • (第2集68番)あしたは花の嵐山 ゆうべは月の筑紫潟 かしこも楽しここもよし いざ見てめぐれ汽車の友
  • (第5集64番)治まる御代の天下茶屋 さわがぬ波の難波駅 いさみて出ずる旅人の 心はあとに残れども
  • (第6集40番)幌別輪西打ち過ぎて はや室蘭に着きにけり 青森までは海一つ 海胆は此地の名産ぞ

長さ[編集]

1985年に書かれ、翌1986年に発売された[5]石坂まさを一人旅して─全国我が町音頭」(県別編・市町村編合わせて3355番)が出るまで長らく日本一歌詞が長い歌だった。

カラオケでは鉄道唱歌第一集66番をすべて歌うことができ、その曲長は28分40秒(DAM)であり、カラオケで収録されている歌としては有数の長さを誇る。発売されたCDとしてはボニージャックスが334番全集(北海道編は含まない)、キドブラザーズが省略せずに399番を収録したCD集がある(他に山陰鉄道唱歌、中央線鉄道唱歌がある)。

全374番の歌詞を続けて歌うと1時間30分以上かかる[6]

楽譜[編集]

多梅稚曲(1)

\relative g' {
\time 2/4 \key g \major
\new Voice {
g8. g16 g8. a16 b8. b16 b8. a16 g8. g16 g8. e16 d4. r8
e8. e16 d8. e16 g8. g16 b8. b16 a8. a16 g8. a16 b4. r8
d8. d16 d8. d16 d8. d16 e8. d16 b8. g16 a8. b16 a4. r8
g8. a16 b8. b16 a8. a16 d8. d16 b8. b16 a8. a16 g4. r8
\bar "|."
}
\addlyrics {
\set stanza = #"1. "
き ー て き い っ せ い し ん ば し を
は や わ が き しゃ は ー は な れ た り
あ た ご の や ー ま に い り の こ る
つ ー き を た び じ の と も と し て
}
\addlyrics {
\set stanza = #"2. "
み ー ぎ は た か な わ せ ん が く じ
し ー じゅ う し ち し の は か ど こ ろ
ゆ ー き は き え て も き え の こ る
な は せ ん ざ ー い の の ち ま で も
}
\addlyrics {
\set stanza = #"3. "
ま ど よ り ち ー か く し な が わ の
だ い ば も み ー え て な み し ろ く
う ー み の あ な た に う す が す む
や ー ま は か ず さ か ぼ う しゅ う か
}
}
上真行曲

\relative f'' {
\new Voice {
\time 4/4 \key f \major \tempo 4 = 114
d4. d8 d4 c4 a4. a8 g4 g4 f4. f8 d4. d8 d2. r4
c4 d4 f4 g4 a4 c4 c4 d4 c4 a4 g4. f8 g2. r4
d'4. d8 d4 c4 a4. a8 g4 g4 f4. f8 d4. d8 d2. r4
c4 d4 f4 g4 a4 c4 d4 c4 a4 a4 g4. f8 f2. r4
\bar "|."
}
\addlyrics {
な つ な お さ ー む き ぬ の び き の
た ー き の ひ び き を あ と に し て
こ う べ の さ ー と を た ち い ず る
さ ん よ う せ ん ろ の き しゃ の み ち
}
}
田村虎蔵曲

\relative g' {
\time 2/4 \key g \major
\new Voice {
d8. d16 g8. g16 b8. b16 a8. g16 d'4. b8 a8. g16 a8 r8
b8. b16 a8. g16 e8. e16 g8. e16 d4. e8 d8. b16 d8 r8
e8. e16 d8. e16 g8. a16 b8. b16 a4. g8 e8. g16 e8 r8
d'8. d16 e8. e16 b8. b16 d8. d16 a4. g8 b8. a16 g8 r8
\bar "|."
}
\addlyrics {
き しゃ は ー け む り を は き た て て
い ま ぞ ー う え の を い で て ゆ く
ゆ く え は い ず く ー み ち の く の
あ お も り ま で も ー ひ と と び に
}
}
納所辨次郎曲

\relative g' {
\time 2/4 \key g \major
\new Voice {
g8. g16 d8. d16 e8. e16 d4 b'8. b16 a8. g16 a4. r8
b8. b16 a8 g8 e8. e16 g4 d8 a'8 a8. b16 g4. r8
a8. a16 a8. d,16 g8. a16 b4 d8 b8 b8. g16 a4. r8
b8. c16 d8 b8 a8. g16 e4 d8 a'8 a8. b16 g4. r8
\bar "|."
}
\addlyrics {
しゃ り ん の ひ び き ふ え の こ え
み か え る あ と に き え て ゆ く
う え の の も り の あ さ づ き よ
た ば た は つ ゆ も ま だ さ む し
}
}
吉田信太曲

\relative f'' {
\time 2/4 \key f \major
\new Voice {
c8. c16 c8 d8 c8. a16 g8 f8 g8. g16 g8 g8 g4 r4
a8. a16 g8 f8 d8. d16 f8 d8 c8. c16 c8 c8 c4 r4
d8. d16 c8 d8 f8. f16 a8 a8 g8. g16 g8 g8 g4 r4
c8. c16 a8 a8 g8. g16 c8 c8 f,8. f16 f8 f8 f4 r4
\bar "|."
}
\addlyrics {
しゃ り ん の ひ び き ー ふ え の こ え
み か え る あ と に ー き え て ゆ く
う え の の も り の ー あ さ づ き よ
た ば た は つ ゆ も ー ま だ さ む し
}
}
多梅稚曲(2)

\relative g' {
\time 2/4 \key g \major
\new Voice {
g8. g16 e8. d16 g8. g16 g8 g8 a8. a16 g8 a8 b4. r8
b8. c16 b8 a8 g8. a16 b8 d8 a8. a16 a8 b8 g4. r8
d'8. d16 d8 d8 b8. g16 a8 a8 d8. d16 b8. g16 a4. r8
d,8. d16 e8 d8 g8. a16 b8 b8 a8. a16 a8 b8 g4. r8
\bar "|."
}
\addlyrics {
き ー しゃ を た よ り に お も い た つ
い ー せ や や ま と の く に め ぐ り
あ み じ ま い で て ー か ん さ い の
せ ん ろ を た び の ー は じ め に て
}
}

各編概要[編集]

初版発行日 作曲者 路線[注 4] 番数
1 東海道篇 1900年5月10日 多梅稚
上真行
東海道線[注 5]新橋駅神戸駅
横須賀線大船駅横須賀駅、当時は東海道線の一部)
現在の湖西線大阪環状線福知山線沿線にあたる地域も歌われている。
66
2 山陽・九州篇 1900年9月3日 多梅稚・
上真行
山陽線神戸駅三田尻駅[注 6]
鹿児島線門司駅[注 7]八代駅
日豊線小倉駅宇佐駅[注 8]
長崎線[注 9]鳥栖駅長崎駅[注 10]
68
3 奥州・磐城篇 1900年10月13日 多梅稚・
田村虎蔵
東北線[注 11]上野駅青森駅
常磐線仙台駅岩沼駅田端駅[注 12]上野駅
64
4 北陸篇 1900年10月15日 納所辨次郎
吉田信太
高崎線信越線[注 13]上野駅高崎駅直江津駅沼垂駅[注 14]
両毛線高崎駅前橋駅足利駅
北陸線[注 15]富山駅米原駅
七尾線津幡駅和倉温泉駅
72
5 関西・参宮・南海篇 1900年11月3日 多梅稚 片町線関西線網島駅[注 16]新木津駅[注 17]亀山駅長島駅
奈良線新木津駅木幡駅
紀勢線参宮線亀山駅津駅山田駅[注 18]
関西線桜井線和歌山線加茂駅奈良駅高田駅柏原駅高田駅橋本駅粉河駅和歌山駅[注 19]
南海線和歌山北口駅[注 20]難波駅
64
6 北海道篇
(南の巻・北の巻)
1906年8月
1907年6月
田村虎蔵 【南の巻】函館線函館駅南小樽駅
【北の巻】函館線南小樽駅札幌駅旭川駅
 手宮線[注 21]南小樽駅手宮駅
 幌内線岩見沢駅幾春別駅幌内太駅幌内駅[注 21]
 室蘭線岩見沢駅室蘭駅
 夕張線追分駅夕張駅[注 22]
40

附録・関連作品[編集]

附録として第3集に「松島あそび」、第5集に「奈良めぐり」が付いている。

またその後、鉄道唱歌に倣って各地の鉄道を歌った歌(「豆相鉄道唱歌」・「沖縄県鉄道唱歌」・「東京地理教育電車唱歌」など)が発表された。

大和田建樹自身も、その後伊予鉄道を歌った「伊予鉄道唱歌」、「鉄道唱歌」の改訂版といえる「東海道唱歌」・「山陽線唱歌」・「九州線唱歌」や、大阪市電を歌った「大阪市街電車唱歌」、大韓帝国の鉄道・南満洲鉄道を歌った「満韓鉄道唱歌」などを作成している。

大和田建樹による鉄道唱歌の関連作品
名称 初版発行日 作曲者 路線 番数 備考
松島船あそび 1900年10月 奥好義 4 名勝地松島を歌う
鉄道唱歌第3集附録
奈良めぐり 1900年11月 目賀田万世吉 8 奈良の名所巡り
鉄道唱歌第5集附録
満韓鉄道唱歌 1906年 天谷秀 関釜連絡船下関駅釜山港
韓国鉄道京釜線(草梁駅[注 23]西大門駅[注 14]
韓国鉄道京仁線永登浦駅仁川駅
韓国鉄道京義線龍山駅[注 24]→新義州駅[注 25]
南満洲鉄道安奉線(安東駅[注 26]→奉天駅[注 27]
南満洲鉄道満洲本線(奉天駅→大連駅
60 第二次日韓協約日本保護国となった大韓帝国の鉄道と、日露戦争の結果日本が利権を得た清国満洲における鉄道(南満洲鉄道)を歌いこんだ。
阪神電車唱歌 1908年 田村虎蔵 阪神本線大阪梅田駅神戸(雲井通)駅 22 阪神電気鉄道の宣伝を兼ねて作成
大阪市街電車唱歌 1908年7月 田村虎蔵 大阪市電南北線梅田停車場前恵美須町
大阪市電南北線(中之島支線)中之島二丁目大江橋
大阪市電九条高津線(東線)(難波新川→新川橋)
大阪市電九条高津連絡線(新川橋→湊町停車場前
大阪市電東西線末吉橋→九条二番道路)
大阪市電築港線(九条二番道路→築港桟橋
大阪市電築港北海岸通線(築港桟橋→天保山桟橋
20
→21
当時の大阪市における名所を、市電を用いて歌いこんだ。
南北線(中之島支線)開業時に一度歌詞が変更されており、変更以前は全20番であった。
伊予鉄道唱歌 1909年1月 田村虎蔵 伊予鉄道高浜線高浜駅→松山駅[注 28]
伊予鉄道横河原線(松山駅→横河原駅
伊予鉄道森松線(廃線、立花駅[注 29]森松駅
伊予鉄道郡中線(松山駅→郡中駅
伊予鉄道城北線(後半廃線、古町駅木屋町停留場→道後駅[注 30]
25 伊予鉄道の開業20周年を記念して作成された。
東海道唱歌 1909年1月 田村虎蔵 東海道線[注 5](新橋駅→京都駅
横須賀線(大船駅→横須賀駅)
50 後述する「山陽線唱歌」・「九州線唱歌」と共に、「汽車」3部作として「鉄道唱歌」の改訂版の意味も兼ね作成
山陽線唱歌 1909年10月 田村虎蔵 山陽線(神戸駅→下関駅 52 「鉄道唱歌」第2集作成の翌年に全通した山陽本線を全て歌いこんだ。
九州線唱歌 1909年10月 田村虎蔵 鹿児島線[注 31](門司駅[注 7]鹿児島駅
日豊線(小倉駅→宇佐駅[注 8]
長崎線[注 9](鳥栖駅→長崎駅)
54 1901年に鹿児島までが全通した鹿児島線を中心に、九州の鉄道路線を歌いこんだ。
台湾周遊唱歌 1910年2月 高橋二三四 台湾総督府鉄道縦貫線北段(基隆→中港[注 32]
台湾総督府鉄道淡水線(台北→淡水)
台湾総督府鉄道縦貫線山線(中港[注 32]→彰化)
台湾総督府鉄道縦貫線南段(彰化→高雄)
台湾総督府鉄道屏東線(高雄→屏東)
90
訂正鉄道唱歌 1911年1月 多梅稚 東海道線 66 鉄道唱歌の東海道編で大和田建樹が訂正を望んでいた歌詞を、大和田の死後に氏の遺志を汲んで出版元の三木佐助が出版した。

また、昭和期には「鉄道唱歌」に倣う形で「新鉄道唱歌」が作成されている。これには「日本放送協会編」と「鉄道省編」の2種類がある。鉄道省編は1929年に応募曲として発表され、日本放送協会編は1937年に国民歌謡の一つとして作られた。

東海道新幹線が開通する直前、詩人の谷川俊太郎が「新・鉄道唱歌」を作った。夢の超特急「新幹線」をユーモアと風刺で包んだ落首、つまり戯れ歌で1節目に「予算の山に入りのこる 八百億を友として」というが、この八百億とは報じられた予算超過額だった。3節までの短いものだった[7]

なお、TOKIOの「AMBITIOUS JAPAN!」は、発表当時のJR東海社長だった葛西敬之が、作詞・プロデューサーを担当したなかにし礼に「新しい鉄道唱歌を作って欲しい」と依頼したというエピソードがある。鉄道唱歌は、国鉄時代に、電車特急・急行の車内放送の前に流す車内チャイムの一つとして使用された。東海道新幹線でも初代の車内チャイムは鉄道唱歌を使用していた。しかし、JR発足後に新製・更新された車両の多くは鉄道唱歌のチャイムを採用せず、さらに国鉄時代から運用された特急形車両の廃車や運用減少が進んでいるため、鉄道唱歌のチャイムを耳にする機会は非常に少なくなってきている。

使用例[編集]

  • なお『ズームイン!!朝!』(日本テレビ)では、「路線別 鉄道唱歌の旅」のコーナーとしてこの鉄道唱歌の歌詞と同じルートで旅をする特集が組まれた(ただし、前述した「北海道唱歌」も鉄道唱歌の曲に載せて歌い込んでいた)。
  • アニメ『クレヨンしんちゃん』では登場人物の一人・黒磯がカラオケでの十八番にしており、第438話「先生たちの合コンだゾ」ではカラオケで66番まである第1集を熱唱するというエピソードもある。
  • この他、キリスト教聖書の順番を覚える歌(通称:聖書名目づくし・歌い出し:創出レビ民)においても、多梅稚による鉄道唱歌の曲が流用されている[10]
  • またこの歌は、太平洋戦争前に日本が朝鮮を統治していたことや満洲に影響を与えていた関係もあってか、それらの地域にも伝わっている。現地では、曲だけが流用され、歌詞は全く別のものになっており、鉄道とは全く異なる意味の歌になっているものが多い。例として、中国においては、1904年に「揚子江歌」という名で伝わり、揚子江沿岸の風景を伝える学童向けの歌になっている。韓国では1905年に「学徒歌」という名で伝わり、学生啓蒙の歌となっている。モンゴルでは「人類」の題で、女性解放を唱えた歌になっている。また、朝鮮民主主義人民共和国では「反日革命歌」として日本帝国主義への反抗を唱える歌になっている[11]
  • 変わった所ではEXIT TUNESの発車メロディーのコンピレーション・アルバム『駅トラ』にRyu☆による鉄道唱歌のトランスミックスが収録されている[12]
  • 楽曲そのものを使ったわけではないが、Web音楽配信企画『ひなビタ♪』の楽曲「ひなちくんのうた」は、本曲を意識して制作した旨が作曲者のTOMOSUKEにより語られている[14]

記念碑[編集]

『鉄道唱歌の碑』の上部には1号機関車客車の模型が乗る[15]

大和田建樹の生誕100周年と鉄道開業85周年に当たる1957年(昭和32年)、大和田の門弟らが結成した同人「待宵舎」が記念碑の建立を発案し、日本国有鉄道同和鉱業鉄道友の会らの賛同や協力を得て『鉄道唱歌の碑』が同年10月に設置された[15]。碑の中央には大和田直筆の第1集第1番の歌詞が刻まれた銅銘板がはめ込まれ、その下の大和田の生涯を記す碑文は、彼と同郷で鉄道唱歌の全歌詞を暗誦できたという安倍能成が揮毫した[15]

鉄道唱歌の作者大和田建樹先生は安政四年(一八五七)四月廿九日愛媛縣宇和島に生まる 幼少國漢文に親しみ十五歳以後特に國学に志した 明治七年十八歳の秋上京遊学十七年東京大学講師翌年高等師範学校教授廿四年辞任 爾来又官仕せず門を開いて歌文を教え地方に出講し行餘謡曲能舞を嗜む 学は漢洋に亘り著述は辞典註釋詩歌随筆等百五十冊を越えたが丗三年鉄道唱歌東海道山陽九州奥州線磐城線北陸地方關西参宮南海各線の五冊を連刊就中汽笛一聲新橋をの一句に始まる東海道の部は普く卋に流布して津々浦々に歌われ鉄道交通の普及宣傳に絶大の貢献をなした 先生明治四十三年十月一日に歿す享年五十四 今年恰も生誕百年に當って先生の遺弟待宵舎同人の發起により東海道鉄道唱歌にゆかり深い新橋驛構内に碑を建て永く先生を記念する

— 昭和三十二年十月 安倍能成

碑の除幕日には、新橋駅(現汐留駅)- 横浜駅(現桜木町駅)間が正式開業した10月14日が選ばれ、国鉄の東京鉄道管理局吹奏楽団が鉄道唱歌を演奏する中、建樹の孫の大和田欽子や大和田門人の舟橋さわ子(舟橋聖一の母)、鷹司平通(当時交通博物館館員)などが出席して除幕式が執り行われた[15]。ただし、鉄道唱歌が制作された当時の新橋駅は記念碑建立時には汐留駅1986年(昭和61年)廃止)であったため、碑は同駅の方に向かった新橋駅汐留口に置かれている[15]

なお、大和田直筆の第1集第1番の歌詞は埼玉県さいたま市鉄道博物館に所蔵されている。かつては、東京都千代田区交通博物館に歌詞が飾られており、同館の最終営業日(2006年5月14日)の閉館時には、この歌を歌い閉館を惜しむ人たちが見られた。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 1962年に発見された「北海道唱歌」や大和田建樹の郷里を歌った「伊予鉄道唱歌」を本編に含め、全6集・374番、または、全7集・399番とする説もある。
  2. ^ 奥好義が本来作曲予定だったが締め切りに間に合わなかったため多梅稚の曲で穴埋め
  3. ^ たとえば静岡の先で宇津ノ谷峠の下をトンネルが通っているかのような歌詞になっているが、相当する場所にあるトンネルは海岸沿いであり、海から5キロメートルほど離れている宇津ノ谷峠側のルートを東海道線が通っていたことは無い。
  4. ^ 路線名は原則として現在の名称による。抜けている区間は当時未開通だった区間である
  5. ^ a b 国府津駅沼津駅は現在の御殿場線のルート
  6. ^ 現: 防府駅
  7. ^ a b 現: 門司港駅
  8. ^ a b 現: 柳ケ浦駅
  9. ^ a b 早岐駅長与駅経由。肥前山口駅(現:江北駅)→早岐駅諫早駅長崎駅は現在の佐世保線大村線長与支線(旧線)
  10. ^ 現: 浦上駅
  11. ^ 盛岡駅 - 青森駅間は現在のいわて銀河鉄道線青い森鉄道線
  12. ^ 三河島駅田端駅は現在田端貨物線となったルートを経由
  13. ^ 横川駅 - 軽井沢駅間は現在廃線、軽井沢駅 - 篠ノ井駅間はしなの鉄道線長野駅 - 妙高高原駅間はしなの鉄道北しなの線 、妙高高原駅 -直江津駅間はえちごトキめき鉄道妙高はねうまライン
  14. ^ a b 現在廃止
  15. ^ 富山駅 - 倶利伽羅駅あいの風とやま鉄道線倶利伽羅駅 - 金沢駅間はIRいしかわ鉄道線
  16. ^ 京橋駅の北西にあった。1913年廃止
  17. ^ 木津駅の近くにあった。現在廃止
  18. ^ 現:伊勢市駅
  19. ^ 現:紀和駅
  20. ^ 現:紀ノ川駅
  21. ^ a b 現在は廃線
  22. ^ 紅葉山駅(現: 新夕張駅)から夕張駅は廃線
  23. ^ 現:釜山駅
  24. ^ 現在の龍山線経由のルート
  25. ^ 現:新義州青年駅
  26. ^ 現:丹東駅
  27. ^ 現:瀋陽駅
  28. ^ 現:松山市駅
  29. ^ 現:いよ立花駅
  30. ^ 現:道後温泉駅
  31. ^ 八代駅→鹿児島駅は現在の肥薩線・日豊線
  32. ^ a b 現:竹南

出典[編集]

  1. ^ a b 井上学「鉄道唱歌に見られる近代の観光資源の特性」(PDF)『立命館文學』第650号、立命館大学人文学会、2017年3月、89-102頁、2019年5月22日閲覧 
  2. ^ a b 和崎光太郎「京都番組小学校における唱歌教育の導入」(PDF)『京都市学校歴史博物館研究紀要』第2号、京都市学校歴史博物館、2013年6月、1-12頁、2019年5月22日閲覧 
  3. ^ a b 「関西発レコード120年 第2部・歌謡曲秘話(1)鉄道唱歌」『神戸新聞』1997年4月1日付朝刊、17面。
  4. ^ a b 中村建治『「鉄道唱歌」の謎―“♪汽笛一声”に沸いた人々の情熱』(交通新聞社・2013)
  5. ^ 読売新聞』1986年5月29日付夕刊、11頁。
  6. ^ 紀田順一郎、間羊太郎『記録の百科事典 日本一編』竹内書店、1971年、198頁
  7. ^ 天声人語」(朝日新聞2014年10月1日)による。
  8. ^ 詳細
  9. ^ NHK コレナンデ商会「NHKコレナンデ商会 サイコー」”. Warner Music Japan. 2021年2月4日閲覧。
  10. ^ 聖書名目づくし浜松北キリスト教会 2017年9月3日メッセージ2020年11月4日閲覧。
  11. ^ 金成俊 日本《鐵道唱歌》의 流傳및 凡首 朝鮮 中國 歌曲 曲源을 더듬어 (國立國樂院)
  12. ^ EXIT TRANCE PRESENTS 駅トラ
  13. ^ ディスコグラフィ 力武 杏奈、ソニーミュージック オフィシャルサイト。 - 2018年2月3日閲覧。
  14. ^ _TOMOSUKE_のツイート(981174696690380800)
  15. ^ a b c d e 「鉄道唱歌」の謎, p. 135-137, - Google ブックス、2020年8月4日閲覧。

参考文献[編集]

  • 高取武『歌でつづる鉄道百年』(鉄道図書刊行会・1968)
  • 大悟法利雄『なつかしの鉄道唱歌』(講談社・1969)
  • 中村建治『「鉄道唱歌」の謎―“♪汽笛一声”に沸いた人々の情熱』(交通新聞社・2013)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]