幾春別駅

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幾春別駅
いくしゅんべつ
Ikushumbetsu
弥生 (1.3km)
所在地 北海道三笠市幾春別町1丁目
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 幌内線
キロ程 18.1km(岩見沢起点)
電報略号 イク
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1888年明治21年)12月10日
廃止年月日 1987年昭和62年)7月13日
備考 幌内線廃線に伴い廃駅
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幾春別駅(いくしゅんべつえき)は、かつて北海道三笠市幾春別町1丁目に置かれていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)幌内線である。電報略号イク。幌内線の廃止に伴い、1987年(昭和62年)7月13日に廃駅となった。

歴史[編集]

1976年の幾春別駅と周囲1km範囲。左が岩見沢方面。すぐ南を幾春別川が西へ流れる。単式ホーム1面1線、駅舎横の貨物ホームに引込み線、駅裏に5-6本の仕分線、外側に転車台の残る機回し線を有する。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

官営幌内鉄道幾春別支線は、幌内太駅(三笠駅)より1マイル延伸しただけで建設を中断し放置されていたが、幾春別からの出炭及び販売を当初から目標として掲げ、当鉄道の業務を委託された北有社によって延伸開業された。当初は空知集治監の囚人が炭鉱労役に就いていたため、出炭駅である当駅や幌内駅の一般人の利用は多くなかったが、集治監の廃止による一般人の採用や幾春別炭砿の採炭量増加、奔別炭砿の開発により周辺人口が増えたこともあり、利用客が徐々に増え 、特に戦後の増産体制によって一気に増加した。年間乗降客数は1958年度(昭和33年度)に746,441人を記録しており、幌内線では三笠駅に次いで多かった。一方貨物の方は2つの大手炭鉱を擁していた[1]ため取扱量は同線で最大で、1963年(昭和38年)には発送量1,316,213tと幌内駅の2倍以上を記録している。このため貨車扱い要員が多く駅員数も最多で、特に戦時中は女子採用者が多く、重労働であったためか、1942年(昭和17年)には70人という大所帯であった。

駅名の由来[編集]

当駅が所在した地名より。アイヌ語の「イクスンペッ[4]」(向こう側にある・川)に由来する[5]

この名称はかつて対岸のポロモイ(幌向)に居住していたアイヌ達が、この地方一帯を指して呼んでいたとされる[5]。1882年(明治15年)前後の幌内村形成後から開拓者が入り始め、「郁春別」の当て字を付けていたが、1889年(明治22年)5月28日に幾春別村が発足した際に「幾春別」と改められ、駅名も変更された[6]

駅構造[編集]

廃止時点で、1面1線の単式ホームを有する業務委託駅であった。

駅周辺[編集]

隣の駅[編集]

北海道旅客鉄道(JR北海道)
幌内線
弥生駅 - 幾春別駅

脚注[編集]

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  1. ^ 昭和32年までは住友奔別炭砿と北炭幾春別炭砿、昭和34年からは住友奔別炭砿と同弥生炭砿。
  2. ^ 山県は明治40年倒産。その後に日本興業(奔別炭礦/山下鉱業/山下汽船鉱業)、昭和2年12月から住友合資(住友鉱業/井華鉱業/住友石炭鉱業)と所有者及び社名変遷。
  3. ^ a b c d e f g h 三笠市史 昭和46年3月発行。
  4. ^ アイヌ語ラテン翻字: ikusun-pet
  5. ^ a b アイヌ語地名リスト ア~イチ P1-10”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年10月20日閲覧。
  6. ^ 新三笠市史 平成5年1月発行 P32等。

関連項目[編集]