ゼウス (プロレスラー)
ゼウス | |
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プロフィール | |
リングネーム | ゼウス ゼウス金谷 ZEUS |
本名 | 大林 賢将[1] |
ニックネーム | ザ・ストロンガー |
身長 | 181cm |
体重 | 105kg |
誕生日 | 1982年1月27日(36歳) |
出身地 | 大阪府大阪市[1] |
所属 | 全日本プロレス |
スポーツ歴 | ボクシング |
デビュー | 2006年11月11日 |
ゼウス(1982年1月27日 - )は、日本のプロレスラー、元プロボクサー、元ボディビルダー。本名:大林 賢将(おおばやし けんしょう)[1]。
プロボクサー時代はゼウス金谷(ゼウスかねや)のリングネームで仲里・ATSUMIボクシングジムに所属していた。階級はクルーザー級。
人物[編集]
在日朝鮮人3世で幼少期の名前は「金 繁優(きん しげまさ、韓国語読み:キム・ボヌ)」[1]。「金谷 成格(かなや しげまさ)」という通名を名乗っていた[1]。
2011年、日本に帰化と同時に本名を現在の名前に改名[1]。
経歴[編集]
ボディビル[編集]
内進で進学した高校を素行不良で退学になり、大阪朝鮮高等学校に入り直したがまたも退学となる[1]。その後、紆余曲折を経てボディビルを始めることとなる[1]。
ボディビルダーとして活動していた頃は、フライパンを軽々と折り曲げる怪力をTBS系「オールスター感謝祭」等で披露したこともあった。2004年、大阪ボディビル選手権ライトヘビー級優勝[1]。JPCのコンテスト(本人いわく「怪力コンテスト」)も優勝経験がある[1]。
プロレス[編集]
ボディビルダー時代の20歳の頃に一度全日本プロレスに履歴書を送ったことがあったがその時は採用されることはなかった[1]。
履歴書を送っていた他Gammaの誘いもあり2006年に大阪プロレスに入団[1]。11月、ヒールユニット「バッドフォース」のメンバーとしてデビュー。12月にはデビュー1か月に満たないにもかかわらず、GAINAとのタッグで大阪プロレスタッグ王座を獲得。
2008年1月にバッドフォースを追放されてからは正規軍に加入。2月に行われた団体最大の興業「大阪ハリケーン」では新崎人生とシングルで対戦し勝利する。4月には若手選手による新ユニット「BLOOD&GUTS」を結成。同月の大阪プロレス9周年興業では曙とシングルで対戦して敗れたものの200kgを超える曙を肩車で持ち上げ投げ飛ばすという怪力ぶりを発揮した。
亀田興毅似の顔立ちと大阪出身で大阪弁のためにミラクルマンとの抗争で「亀田ゼウス」に改名させられそうになったが、試合に勝利しリングネームを死守した。そのためかハッスルでは「亀田」と呼ばれることが多々あった。
大阪に参戦していたKUSHIDAとの因縁からハッスル参戦を示唆、5月13日のハッスル・ハウス後楽園大会に乱入し坂田亘らを急襲、24日のハッスル・エイドにも乱入し川田利明をフライパンで急襲し参戦をアピールした。7月27日のハッスル横浜大会で行われたハッスルGP1回戦の「こ・り・た・ん」vs小路晃戦の試合前に小路をフライパン攻撃で失神させ、小路に替わり試合に参戦し圧勝する。8月21日のハッスル後楽園大会では小路のリベンジマッチを受け、これを返り討ちにした。8月23日のハッスル大阪大会で行われたGP2回戦ではボブ・サップに勝利する。しかし、9月28日ハッスル名古屋大会で行われた準決勝では川田に敗れてしまった。
10月ハッスル栃木大会ではメインの川田vs坂田の途中、観戦していた川田の父が発作で倒れた。父の容体が気になった川田だったが、ゼウスが会場から救急車へ担いで搬送した。
ボクシング[編集]
日本人のヘビー級ボクサーを育成したいというオファーを受け[1]、2009年2月、日本ボクシング界にヘビー級が復活したことをきっかけにボクサー転向を宣言し大阪プロレスを退団。仲里・ATSUMIボクシングジムに所属する。クルーザー級としてライセンスを取得し、同年12月、ゼウス金谷としてプロデビューしたが、デビュー戦は4R判定負けとなった。その後も試合は組まれないまま、2010年4月22日、デビュー戦のみで協会に引退届けを提出した。
プロレス[編集]
2010年4月29日、大阪プロレスにてレスラーに復帰、同じくボディビル出身のThe Bodyguardとのタッグチーム「ザ・ビッグガンズ」として活動し2014年1月29日大阪プロレス選手権王者となった。
2013年から大阪・京橋にスポーツジムを開設。代表を務める。同ジムのスタッフには現DDT NEW ATTITUDEの吉村直巳がいた。
2014年の全日本プロレスで開催されるチャンピオン・カーニバルに参戦することが発表された。ゼウスの主な参戦団体は全日本プロレスなどであった。さらには大阪プロレスを退団したビリーケン・キッド、The Bodyguard、菅沼修、三原一晃、織部克巳とともに道頓堀プロレスにも参戦する。
9月13日、DDTプロレスリングに参戦する。DDT EXTREME級選手権試合で王者・男色ディーノとリング上で対戦相手以外の第三者の男性に3秒間キスをすると言う変則ルールでの王者戦に敗北した。試合後、松井幸則レフェリーに求愛をすることになった。
2015年2月7日、全日本プロレスで潮崎豪の持つ三冠ヘビー級王座に挑戦したが敗北した。8月16日にも曙の持つ同王座に挑戦したが敗れた。
2015年8月29日の全日本プロレス後楽園ホール大会において、9月1日付で全日本所属になることを表明[2]。
2015年12月23日、大阪府立体育会館第一競技場にて行われた「レッスルドリーム」にて秋山準&大森隆男組を撃破。ボディガーともに第71代世界タッグ王座となった。
得意技[編集]
- ジャックハマー
- チョークスラム
- ラストライド
- ゼウスボム
- シットダウン式ジャンピングパワーボムと同型。
- ジハード
- ヘラクレスカッターと同型。アルゼンチンバックブリーカーの要領で両肩に担ぎ上げて自身の体を左右に大きく捻ってから上半身を左方向へと軽く捻って体を右方向へと振ると同時に相手の足を掴んでいた腕を離して相手の首を両手で抱え込んで背中から倒れ込み、落下させた相手の後頭部や背中を痛打させる。
- カタボリックメルトダウン
- 相手をリフトアップスラムで抱え上げたままリングの中を歩き回って体を支えていた腕を離して相手を落下させて自身の体を左方向へと軽く捻って落下させた相手の体を右肩の上に着地させて相手をオクラホマスタンピードの形で叩きつける。
- バイセップスエクスプロージョン
入場曲[編集]
- 祭
獲得タイトル[編集]
- 大阪プロレス王座(第28代)
- 大阪プロレスタッグ王座(第15、28、34代)(パートナーはGAINA→The Bodyguard)
- 世界タコヤキ級王座(第5代)
- 天王山優勝(2013年)
- 大阪タッグフェスティバル優勝(2008、2013年)(パートナーは原田大輔→The Bodyguard)
- NWA UNヘビー級王座(第19代)
- NWAインターコンチネンタルタッグ王座(第26代)(パートナーは田中将斗)
- 風林火山優勝(2012年)(パートナーはジェームス・ライディーン)
- アイアンマンヘビーメタル級王座(第1017代)
- 世界タッグ王座(第71、73、75、81代)(パートナーはボディガー)
脚注[編集]
外部リンク[編集]
- ゼウス (@zeusmatsuri) - Twitter
- KING GYM公式サイト
- 全日本プロレス公式サイト 選手名鑑
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