保守

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。125.4.2.230 (会話) による 2012年4月16日 (月) 16:17個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎政治的保守主義・近代保守主義)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

保守(ほしゅ、: conservative)、あるいは保守主義(ほしゅしゅぎ、ラテン語: conservare: conservatism)とは、古くからの習慣制度・考え方などを尊重し、急激な改革に反対すること[1]対義語革新若しくは進歩主義

概要

保守主義は伝統に倣い、これを墨守することを重要視する政治思想である。伝統とは何かに関しては、歌舞伎のような実体を伝統とする説から、生き方・精神の形・言葉遣いの規則のような形式を伝統とする説まで諸説ある。

ただし、伝統主義と対立しやすい新自由主義を標榜する経済保守、伝統や文化を重んじる伝統保守、国益や国家への奉仕を尊重する国家保守主義は、それぞれが目指す目標が異なる。

フランス革命当時の保守主義は「今あるアンシャン・レジームとレッテル貼りされた諸制度は、遠い過去からの取捨選択に耐えてきたものであり、これを維持存続させることが国民の利益になる」(とする主義)と定義されていた。

「維持せんがために改革する」というディズレーリの言葉や「保守するための改革」というエドマンド・バークの言葉からも明らかなように、保守主義は漸進的な改革を否定しない。

保守主義は政治および社会哲学の一つであり、この哲学は伝統的制度の維持を奨励し、社会の変化については最小で漸進的なものだけを支持する。保守主義者たちの中には、現在のものを維持しようとし安定性と連続性を強調する者たちがいる一方で、近代主義に反対し過去のものへ戻ろうとする者たちもいる。現在確認されているところでは、フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアンフランス革命をうけて1819年にこの用語を用いたのが、政治的脈絡でのこの用語の使用の最初だとされている。[2]それ以来、この用語は広範囲の見解を記述するのに用いられてきた。

政治学はしばしば、今日「保守的」と呼ばれている考えの多くはアイルランド人の政治家エドマンド・バーク(彼はイギリスの下院議員を務め、フランス革命に反対した)に由来するとみなす。[3]

アメリカの共和党日本自民党イギリスの保守党オーストラリア自由党台湾中国国民党カナダ保守党、パキスタン・イスラム連盟、インド人民党保守政党として挙げられる。

しかし、保守主義と一言で言っても、保守の意味が多様化した現代はその定義は様々である。

政治的保守主義・近代保守主義

思想の歴史

政治思想としての保守主義は、政治的保守主義ないしは近代保守主義と呼ばれ、コモン・ローの法思想を中心として発展してきた。17世紀に、イギリスのエドワード・バークは中世ゲルマン法を継承したコモン・ローの体系を理論化した。18世紀には、バークがコモン・ローの伝統を踏まえて著書『フランス革命についての省察』を公表し、保守主義を大成した。この著書は、フランス革命における恐怖政治に対する批判の書でもある。バークが英国下院で革命の脅威を説いた1790年5月6日が近代保守主義生誕の日とされる。このような経緯からバークは近代保守思想の祖と呼ばれている。

バークは「保守する」という言葉は用いたものの、「保守主義」という用語は使っていない。保守主義という言葉は、シャトーブリアン王政復古の機関紙を、Le Conservateurと名付けたことに由来する。

アメリカでは、コモン・ローの法思想が、ウィリアム・ブラックストンの『イギリス法釈義』を通じて、そのままアメリカの保守主義としてアレクサンダー・ハミルトンら「建国の父」たち(ファウンディング・ファーザーズ)によって継承された。そして、この法思想はアメリカの憲法思想となった。

このように保守主義はもともと英米の政治思想であるが、その影響を受け、フランスオランダスペインドイツイスラエルロシア、日本、韓国、インドなどにも保守思想家が存在する。

イギリス

かつてトーリー主義と呼ばれていたイギリスの保守主義は、王政復古時代(1660年–1688年)に生まれた。神授王権によって統治を行う君主をともなう階級社会をイギリス保守主義は支持した。しかし立憲政府を確立した名誉革命 (1688年)は、トーリー主義の再公式化をもたらした。再公式化後のトーリー主義においては統治権は国王上院下院の三つの身分に与えられたと現在ではみなされている。[4]

保守派の歴史家たちによると、リチャード・フッカーは保守主義の創始者であり、ハリファックス侯爵は彼のプラグマティズムが賞賛されるべきであり、デイヴィッド・ヒュームは政治における合理主義を保守的に信用しなかったことが賞賛されるべきであり、エドマンド・バークは初期の指導的な理論家とみなされる。しかし、その歴史家たちは保守主義についての穏健で擁護可能な見解を著した著作家たちの選び方を批判されてきた。例えば、フッカーは保守主義が出現する前に生きていた人物である、ハリファックスはどの政党にも属していなかった、ヒュームは政治に関与しなかった、バークはホイッグ党員だった、といった具合に。19世紀には、保守主義者たちはバークがカトリック解放を擁護したことから彼を拒絶し、代わりにブリングブローク(Bolingbroke)からインスピレーションを受けた。フランス革命に対するトーリー党の反応について書いたジョン・リーヴズ(John Reeves)は顧みられなかった。[5]保守主義者たちはバークがアメリカ独立革命を支持したことに反対しもした。例えば、トーリー党員のサミュエル・ジョンソンは著書『暴政なき課税』(Taxation No Tyranny)の中でそれを非難した。

保守主義はイングランドの王政復古の過程で王政主義から発展した。王政主義者たちは絶対君主制を支持し、国王は神授王権によって統治しているのだと論じた。主権は人びと、議会の権威、信教の自由に由来するという考えに彼らは反対した。ロバート・フィルマー(Robert Filmer)の著書『パトリアーチャないしは国王の自然権』(Patriarcha or the Natural Power of Kings)――本書はイングランド内戦以前に書かれた――は彼らの見解を述べたものとして受け入れられるようになった。1688年の名誉革命を受けて、トーリー党員たちとして知られていた保守主義者たちは国王、上院、下院の三身分が主権を共有するということを受け入れた。[6]しかし、トーリー主義はホイッグ党が優勢だった長い期間の間にすみへ追いやられるようになった。[7]1830年代に保守党と改名したこの政党は、不安に思いながらも協力し合った家父長的な貴族たちと自由市場における資本家たち両方の本拠地となったのちに、主要な政治勢力として復帰した。[8]

思想の特徴

保守主義者たちは、基本的には人間思考に期待しすぎず、「人は過ちを犯すし完全ではない」という前提に立ち、そして謙虚な振るまいをする。さらに、彼らは「先祖たちが試行錯誤しながら獲得してきた知恵、すなわち伝統が慣習の中に凝縮されている」と考え、伝統を尊重する。また彼らは、「伝統は祖先からの相続財産であるから、現在生きている国民は相続した伝統を大切に維持し子孫に相続させる義務がある」と考える。その結果、彼らは過去・現在・未来の歴史的結びつきを重視する。このように保守主義は懐古趣味とは異なる未来志向の要素も含んでいる。また、彼らは「未来を着実に進むためには、歴史から学ばなければならない」と考える。これは、歴史とは先人たちが試行錯誤してきた失敗の積み重ねの宝庫だからだとされる。

また西ヨーロッパの貴族出身の保守派の多くは、自らを騎士道精神の継承者と自負しているので、共産主義ファシズム、そして国粋主義などの思想に対して、祖先から相続した郷土を踏みにじるものとして反発する。

保守主義は基本的に過去と現在との歴史的結びつきを重視する。ただし伝統の定義が明晰ではないため、いつどの伝統を保守すべきと主張するかによって立場が異なってくる。

保守主義者達は理性を懐疑する。彼らがフランス革命で理性主義を掲げたジャコバン派議会を暴走させ、道徳を退廃させ、そして自由を軽視させる過ちを犯したと看做している事が、そのように懐疑される理由の一つである。同様の事態はロシア革命など多くの革命にも見られる。

こうして保守主義者たちは伝統保守や漸進的変革をとなえ、左翼革命を否定的に見る。

日本ドイツイタリアなどの旧枢軸国スペインなどの後進資本主義国では外圧によって伝統的な暮らしや文化などが失われた。そのためにかえって、それらの国では国家への帰依(国粋主義)を求める声が強く起こり、20世紀前半のファシズム全体主義の台頭につながった。ただし、戦時中は右翼内部においても大川周明など国体を強化するための国家革新を唱えた「革新右翼」の動きがあり、そのことが日本において革新およびこれと対をなす保守の概念を混乱させる一因となっている。英仏の貴族や特権階級などを中心とする保守主義は、国粋主義を否定する。

一方でアメリカにおいては家族を基本的な価値として尊重し、政府は家族や私有財産を脅かす存在として警戒の対象になる反連邦主義の伝統がある。ロナルド・レーガンが所得税を減税しジョージ・H・W・ブッシュが遺産税の廃止を推進したのは、こうしたアメリカの保守思想に基づいてのことである。それゆえ、アメリカの保守は国家主義的な日本・フランス・ドイツ・イタリアなどの保守とは対極的な面がある(リバタリアニズムも参照)。ただし、日本やイギリスの保守派は軍事・外交・教育・治安維持では国家の役割を強調するものの、経済政策や社会政策においては小さな政府を唱える傾向も強く、特に家族の価値を唱え、育児や介護の社会化には慎重、もしくは積極的に反対する。この面では欧州大陸諸国よりもリバタリアニズム的で、アメリカの保守との共通点が見られる。

保守主義は、伝統との親和性が高い農業などの第一次産業にたずさわる人たちが多く住む農村部や、都市部の自営業者、キリスト教イスラム教仏教民族宗教ヒンドゥー教神道ユダヤ教)などの宗教組織を支持母体とすることが多い。また、資本主義化した社会では大企業経営者・資本家中小企業経営者も既得権益を持つものとして保守主義を支持する傾向がある。

イラン革命後のイランのようなイスラム法社会では、保守主義とはウラマーなどの宗教的指導者による政治を支持する立場のことを指す。

知識人による解説

マイケル・オークショット

マイケル・オークショット(Michael Joseph Oakeshott)によれば、保守的であるとは『見知らぬものよりも慣れ親しんだものを好むこと、試みられたことのないものよりも試みられたものを、神秘よりも事実を、可能なものよりも現実のものを、無制限なものよりも限度のあるものを、遠いものよりも近くのものを、あり余るものよりも足りるだけのものを、完璧なものよりも重宝なものを、理想郷における至福よりも現在の笑いを、好むことである。得るところが一層多いかも知れない愛情の誘惑よりも、以前からの関係や信義に基づく関係が好まれる。獲得し拡張することは、保持し育成して楽しみを得ることほど重要ではない。革新性や有望さによる興奮よりも、喪失による悲嘆の方が強烈である。保守的であるとは、自己のめぐりあわせに対して淡々としていること、自己の身に相応しく生きていくことであり、自分自身にも自分の環境にも存在しない一層高度な完璧さを、追求しようとはしないことである。或る人々にとってはこうしたこと自体が選択の結果であるが、また或る人々にとっては、それは好き嫌いの中に多かれ少なかれ現れるその人の性向であって、それ自体が選択されたり特別に培われたりしたものではない。』とする [9]

ヒュー・セシル

イギリス保守党の理論家であったヒュー・セシル(Hugh Cecil)によると、コンサーヴァティズムには政治的保守主義・近代保守主義以外に自然的保守性がある[10]。自然的保守性とは、新しいもの・未知なるものへの恐怖と、現状を積極・消極両面で維持することを欲する感情のことである。これは慣れたものに愛着を持つという人間の性質であり、思想的な主義主張ではない。

サミュエル・P・ハンティントン

サミュエル・P・ハンティントン(Samuel Phillips Huntington)によると、保守主義には次の三つの定義がある。

  1. 貴族的定義
    歴史の中の特殊な運動として定義。保守主義は、フランス革命、自由主義、あるいは18世紀の終わりから19世紀前半のブルジョワジー勃興に対する、封建的勢力・貴族階級・地主階級による反動であるとする。この解釈では保守主義は封建主義、地位、そして旧体制と結びつき、中間層、労働者商業主義、産業主義、民主主義自由主義、そして個人主義と対立する。
  2. 自律的定義
    その思想の内容、固有の観念・価値などによる定義。保守主義は正義秩序平衡、そして穏健などといった普遍的価値の自律的体系であるとする。
  3. 状況的定義
    いつの時代にも見られる、歴史を越えた存在として定義。保守主義は、どんな社会秩序であろうと、それを正当化しようとするものであるとする。この定義によると、保守主義の本質は現存する制度の価値を情熱的に肯定することにある。ただし、この定義によると、保守主義はあらゆる変化に反対するわけではなく、社会の根本的要素を残すために第二義的変化を黙認することもある。

ハンティントンは、このうち1と2の定義は不適切であると考え、「保守主義の性格は静態的なものであり、同様の社会状況が生じた場合に見られる反復的なものであり、そして進歩的なものではない」としている。

ヘイルシャム

ヘイルシャム(Hailsham)はイギリスの保守党の元チェアマンであるが、彼によると「保守主義は態度ないしは定常的な精神の作用(constant force)以上のものをさす哲学ではなく、自由社会が発展する過程で時代に左右されない働きをするものであり、人間本性それ自体が心の底から恒常的に要請するものである。」[11]

カール・マンハイム

カール・マンハイム(Karl Mannheim)によると、保守主義はそれ自体として存在するものではなく、何かの変革(たとえば革命)が起こったあとでそれに対する反応として形成される。

シーモア・M・リプセット

シーモア・M・リプセットは次のように書いている。リベラルと保守は「しばしば平等や自由といった問題に関しては反対の立場を取るわけではない。そうではなく、両サイドは自由と平等のどちらかの核となる価値へ訴える。たとえばリベラルは平等主義の卓越性や無制限の個人主義から生じる社会的不公平を強調するのに対して、保守は個人の自由という価値や流動性および努力による達成の社会的必要性という価値をリベラルな特効薬に含まれる集団主義によって『危険にさらされる』価値として大切にする、といった具合である。」[12]

丸山眞男

丸山眞男によれば、「日本の保守主義とはその時々の現実に順応する保守主義で、フランスの王党派のような保守的原理を頑強に固守しない」[13]とされる。これについて中村宏は「日本人の多くに伝統的に共有されてきた、状況ないし事態の流れに順応し、権威主義的でそのときどきの権力に従う処世観「従う政治文化」」が日本の政治風土の特徴であり、価値観を持たない「仕方がない」と「状況と立場」の文化があると説明する[14]

宗教的保守主義

アメリカ

宗教的保守主義という言葉がとくに頻繁に使用されるのはアメリカ合衆国である。宗教右派キリスト教右派)の台頭にともなって、キリスト教原理主義などプロテスタント神学の内の聖書主義的な意味での保守主義、つまり聖書の記述をそのまま遵守しようとする潮流が保守主義と呼ばれる。この意味での保守主義者たちは、聖書に基づいて、「人々はキリスト十字架による身代わりの贖罪によって救われる」という教理を強調する。この立場から、彼らは福音派(エヴァンジェリカル)、あるいは伝道派と自称しており、またそのように呼ばれることもある。

アメリカ南部バプティスト派などがこの保守主義の最大勢力である。福音派は南部の所得・教育水準の低い白人層(レッドネック等)からは一定の支持を得ることができているが、それ以外の地域では、特に東部の高学歴・高所得層からはカルト扱いされており、支持されていない。また、伝統的なプロテスタント諸派においても上記南部バプティスト派以外では福音派の立場をとる派は少ない。

西方教会における自由主義神学と福音主義

自由主義神学の立場は、一つに、道はちがえども全ての宗教は人々を救いに至らしめるものであるという考え方に近く、二つに、思想哲学的潮流に影響されやすく、そして三つに、神学的に聖書を尊重しない傾向がある。この立場は福音派には受け入れがたい。同派は、そのような立場を潔しとしないキリスト教徒の集まりである。一方、反福音派(反エバンジェリカルズ)である伝統的プロテスタント諸派は、福音派を聖書の文言にのみ拘泥しその趣旨を歪曲していると批判している。

ただし、神学的に保守主義であるからといって、政治的にも保守派でありタカ派であるとは限らない。 核兵器使用賛成・反共国粋主義に偏りがちなファンダメンタリストから一線を画し、核兵器使用と戦争に反対の立場をとっている保守派のキリスト教徒も多い。彼らは、キリスト十字架の死をもって伝えたかったことは何かということと、聖書の伝えたかった使信とは何かということにかんする追求に基づいて、「キリストの十字架のメッセージは、と人との和解あるいは人と人との和解であり、平和主義である」との考えを持っていることから、そのような立場をとっている。だが、そんな彼らも中絶には反対する。

カトリック教会の保守派

カトリックの保守派はプロテスタントの上記保守派とは神学的に正反対であり相容れないが、中絶には反対する。

東方教会(正教会・東方諸教会)

上述の自由主義神学福音主義の対比は、西方教会、そのうち主にプロテスタントに当てはまる分類であり、宗教改革や自由主義神学の興隆の歴史を有さない東方教会正教会東方諸教会)においてはこのような分類に当てはまる潮流が歴史上存在しておらず、神学的見解・奉神礼形式・社会問題に対する態度における「保守的」「革新的」の語も、西方教会とは異なった意味で用いられる。

神学、および教会と社会の関係を考察する領域において、西欧・西方教会における論理の枠組みの段階から根本的に疑問の対象とし、ここから距離を取ろうとする聖職者神学者、哲学者が正教会には多く生み出されている。

神学的に保守的であるからといって政治的に保守的・タカ派的であるとは限らないのは西方教会でも同様であるが、アメリカのファンダメンタリストなどのように神学的見解と政治的姿勢が結び付いているような例は、東方教会では殆ど皆無である。


脚注

  1. ^ 保守goo辞書より)
  2. ^ The Scary Echo of the Intolerance of the French Revolution in America Today(英語)
  3. ^ BBC: エドマンド・バーク (1729年 - 1797年)(英語)
  4. ^ Eccleshall, p. ix, 21
  5. ^ Eccleshall, p. 2
  6. ^ Eccleshall, pp. 21-25
  7. ^ Eccleshall, p. 31
  8. ^ Eccleshall, p. 43
  9. ^ マイケル・オークショット「保守的であるということ」(『政治における合理主義』所収、石山文彦訳、勁草書房、1988年、200頁)
  10. ^ 原語では前者がConservatism、後者がconservatism 違いは固有名詞と普通名詞
  11. ^ Viscount Hailsham. The Conservative Case. Middlesex: Penguin Books, 1959. (英語)
  12. ^ http://www.ppionline.org/documents/equality_lipset.pdf(英語)
  13. ^ 「日本人の政治意識」『集』第3巻328ページ
  14. ^ 中村「占領下での「民主化」と日本の「従う政治文化」」(神戸学院法学第34巻第1号2004-4)[1]

参考文献

  • 中川八洋『保守主義の哲学 知の巨星たちは何を語ったか』PHP研究所、2004年
  • 中島岳志【連載】「私の保守思想」『表現者』2010年1月号~
  • 西部邁『保守思想のための39章』ちくま新書、2002年、ISBN 9784480059666
  • 野田裕久編『保守主義とは何か』 ナカニシヤ出版、2010年
  • Behrens, R. 1980. The conservative party from Heath to Thatcher: Policies and politics 1974-1979. London: Saxon House.
  • Burke, E. 1976. Reflections on the revolution in France. ed. C. C. O'Brein. London: Penguin.
  • Eccleshall, Robert. English Conservatism since the Restoration: An Introduction and Anthology. London: Unwin Hyman, 1990 ISBN 0-04-445346-9
  • Epstein, K. 1966. The genesis of German conservatism. Princeton: Princeton Univ. Press.
  • Gottfried, P., Fleming, T. 1988. The conservative movement. Boston: Twayne.
  • Hoover, K., Plant, R. 1989. Conservative capitalism in Great Britain and the United States: A critical appraisal. London and New York: Routledge.
  • Hayyek, F. 1960. The constitution of liberty. London: Routledge; Chicago: Univ. of Chicago Press.
  • Huntington, S. 1957. Conservatism as an ideology. in American Political Science Review 51:454-73.
  • Kirk, R. 1962. A program for Conservatives. Chicago: Regnery.
  • Kirk, R. 1986. The conservative mind: From Burke to Eliot. 7th edn. Chicago: Regnery.
  • Kristol, I. 1983. Reflections of a neoconservatives: Looking back, looking ahead. New York: Basic Books.
  • Lawson, N. 1980. The new conservatism. London: Center for Policy Studies.
  • Nisbet, R. 1979. The conservatism. Minneapolis: Univ. of Minnesota Press.
  • Oakeshott, M. 1962. Rationalism in politics. London: Methuen.
  • O'Sullivan, N. 1976. Conservatism. New York: St Martine's Press.
  • Reichley, A. 1981. Conservatives in an age of change: The Nixon and Ford administrations. Washington, D.C.: Bookings Institution.
  • Scruton, R. 1980. The meaning of conservatism. London: Macmillan.
  • Wills, G. 1979. Confessions of a conservatives. London: Penguin.

関連項目

外部リンク

Template:Link GA