ウィリアム・ブラックストン

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「イングランド法釈義」に描かれたウィリアム・ブラックストンの肖像

ウィリアム・ブラックストン(William Blackstone、1723年7月10日 - 1780年2月14日)は、ジョージ3世の時代のイングランド法学者である。代表的な著作である "Commentaries on the Laws of England"1765年-1769年出版、『イギリス法釈義』)は、イギリス法の解説書であり、コモン・ローの歴史を研究する上で必携の書となっている。

人物[編集]

ブラックストンは絹織物商人の家に生まれ、オックスフォード大学ペンブルック・カレッジを卒業した。1743年に同大学の研究員に就任。1746年ミドル・テンプル法曹院から法廷弁護士の資格を得、その後1758年まで法曹界に籍をおいた。その後ふたたびオックスフォードの教壇に戻り、法学の講師となった。その後マグナ・カルタに関する論文を執筆し、王室弁護士にも就任した。

ブラックストンが執筆した『イングランド法釈義』は現代アメリカの裁判においてもしばしば引用され、英米法のなかではなくてはならない書のひとつとなっている。その一方で、同書はカトリシズムへの反感もにじませている。ブラックストンは熱心なホイッグといわれ、ホイッグ史観の先駆的存在とも揶揄される。

ブラックストン率[編集]

「10人の真犯人を逃すとも、1人の無辜を罰するなかれ」という独自の教えがブラックストン率英語版と呼ばれている。

著書[編集]

  • Elements of Architecture (1743)
  • An Abridgement of Architecture (1743)
  • The Pantheon: A Vision (1747)
  • An Analysis of the Laws of England (1756)
  • A Discourse on the Study of the Law (1758)
  • The Great Charter and the Charter of the Forest, with other authentic Instruments (1759)
  • A Treatise on the Law of Descents in Fee Simple (1759)
  • Commentaries on the Laws of England イギリス(英国)法釈義 (1765-1769)[1]
  • Reports in K.B. and C.P., from 1746 to 1779 (1781)

脚注[編集]

  1. ^ 1873-1878年に『英国法律全書』と題して星亨らにより邦訳刊行が試みられたが、序文によれば、本編部分の底本とされたのは同時代の英国裁判官 R. Malcolm Kerr(馬耳幹格爾)編纂による短縮版 The Student's Blackstone (斯周典徳貌刺屈斯的翁)。

外部リンク[編集]