シャルル・モーラス

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シャルル・モーラス
Charles Maurras
誕生 1868年4月20日
フランスの旗 フランスマルティーグ
死没 1952年11月16日
フランスの旗 フランスサン=サンフォリアン=レ=トゥール
職業 作家・文芸評論家
国籍 フランスの旗 フランス
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シャルル・モーラスシャルル・モラスCharles Maurras, 1868年4月20日 - 1952年11月16日)は、フランスの文芸評論家、作家詩人王党派右翼アクション・フランセーズを主宰した。

生涯[編集]

マルティーグで中流ブルジョア家庭に生まれ、17歳でパリに出て文芸誌や政治紙に寄稿を重ねた。ドレフュス事件の当時は、王党派の新聞の記者であったが、ユダヤ人であるドレフュスを追放すべきであると主張し、連日、新聞紙上で反ユダヤ主義の激しい論陣をはっていた。1905年に、仲間とともに政治団体としての「アクション・フランセーズ」を発足させた。

イタリアムッソリーニスペインフランコを支持したが、徹底したドイツ嫌いのため早くからナチスを警戒していた。しかしナチス占領下では、フランス国家のひたすらな回復を求める考え方からフィリップ・ペタンヴィシー政権に協力した。「フランスあるのみ」と主張して、パリを逃れてフランス中部のリヨンに居を移し、そこで「アクション・フランセーズ」紙の発行を続けたが、相変わらずユダヤ人、フリーメイソン、民主主義、ドイツへの攻撃を止めなかった。また、対独抵抗運動家のテロ行為を激しく批判した。

そのため、フランス解放後の1944年にド・ゴール政権により戦犯として告発され、終身禁固刑となった。有罪判決を受けたとき、「ドレフュスの復讐だ」と叫んだ。獄中でも執筆活動を続けたが健康を害し、1952年に治療恩赦を受け、病院にて死去した。

思想[編集]

フランスにおける反近代主義の代表的存在であり、その思想は、古典主義的要素を含め、反ロマン主義的であり、T・S・エリオットT・E・ヒュームパウンドらに影響を与える。

その系譜は、アルチュール・ド・ゴビノーモーリス・バレスを受け継ぐものであった。対独協力派ファシストとなりモーラスと袂を別った作家のリュシアン・ルバテは、若い頃はモーラスの薫陶を受け、その強い影響を受けている。ジョルジュ・ソレルもモーラスの反民主主義的な姿勢に賛同しており、また作家のジッドとも論争したことがある。さらに、初期は極右イデオローグとして出発したモーリス・ブランショも間接的に影響されている。

王という無意味で不合理な存在をあえて据えることで民主主義の害を防げると考え、王制を支持した。


前任:
アンリ・ロベール
アカデミー・フランセーズ
席次16

第16代:1938年 - 1945年
後任:
アントワーヌ・ド・レヴィ・ミルポワー

日本語訳作品[編集]

  • 『ヴェネチアの恋人たち』(後藤敏雄訳、彌生書房(彌生選書)1972年)
  • 『ミストラルの智慧』(畠中敏郎訳 青山社 1987)

関連書籍[編集]

外部リンク[編集]