生きる (映画)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

生きる
Ikiru
監督 黒澤明
製作 本木莊二郎
脚本 黒澤明
橋本忍
小国英雄
出演者 志村喬
金子信雄
関京子
音楽 早坂文雄
撮影 中井朝一
編集 岩下広一
配給 日本の旗東宝
公開 1952年10月9日 日本の旗
上映時間 143分
製作国 日本
言語 日本語
allcinema
キネマ旬報
allmovie
IMDb
  

生きる』(いきる)は、1952年日本映画黒澤明監督作品。志村喬主演。

目次

[編集] 概要

数ある黒澤明監督作品の中でも、そのヒューマニズムが頂点に達した作品と評価される名作。その題名通り「生きる」という普遍的なテーマに真っ向から切り込んだ作品であり、時代劇の印象が強い黒澤の、現代劇での代表作である。

日本では「お役所仕事批判の作品」と捉えられる傾向も強いが、この作品で舞台を市役所に置いたのは、そのテーマをあぶりだすのに最適な場所という以上の意味は無い。この映画で皮肉られている形式主義的な仕事のやり方、上司に気に入られるための部下のお追従などは、民間企業においても見られるものである。志村演じる主人公がブランコをこぐシーンは名シーンとしてよく知られている。脚本はレフ・トルストイの「イワン・イリイチの死」が下敷きにされており、作中にそれを暗示するせりふも盛り込まれている。

1948年の『酔いどれ天使』に出演以降、1965年の『赤ひげ』まで黒沢映画の看板役者であった三船敏郎が、その間で唯一出演していない作品としても知られている。

黒澤はこの当時、東宝争議の影響で、映画界入り以来所属してきた東宝を去り、独立プロ「映画芸術協会」を設立して、他社で『野良犬』、『羅生門』、『白痴』などを制作していた。労働争議が終息した後の1952年に、東宝復帰第1作として制作されたのが本作『生きる』である。

黒澤は作中で積極的に流行歌を取り入れているが、「生きる」では作中に絶望した初老の主人公が口ずさむ歌として「ゴンドラの唄」が選ばれた。「ゴンドラの唄」は吉井勇の作詞、中山晋平の作曲で1915年芸術座の第5回公演『その前夜』(ツルゲーネフ作)の劇中歌として用いられ、のちに流行歌となった。

1953年度のベルリン国際映画祭第4回)においてベルリン市政府特別賞を受賞した(日本では銀熊賞を受賞したとされることがあるが誤り)[1]

[編集] ストーリー


注意以降の記述で物語・作品・登場人物に関する核心部分が明かされています。


市役所に勤める渡辺勘治は日々無気力に過ごしていたが、ある日自分が胃癌で余命が少ないことを知る。絶望の果てに自分の無意味な人生に愕然としていた時、奔放に生きる部下の小田切とよと出会い、力強く生きる姿に心を動かされる。そして無意味に感じていた自分の職場で意味を見つけ、「生きる」ことの意味を取り戻す。

[編集] キャスト

以下の3人は「特別出演」としてクレジットされている。

[編集] 特記事項

  • 作中に引用された『トウ・ヤング』『カモナ・マイ・ハウス』など、アメリカのポップスの著作権をめぐってトラブルが起こり、1974年までリバイバル上映が出来なかった。

[編集] リメイク

松本幸四郎主演。物語の舞台は現代(2007年)に設定されており、それに合わせて一部の登場人物や、終盤にかけての話の流れが変更されている。

[編集] 脚注

  1. ^ Special Prize of the Senate of Berlin. 参照:山本英司「徒然映画日記 考えるネコ」第61回「生きる」
  2. ^ 「黒澤明監督の「生きる」が米でリメイク」、ZAKZAK、2002年11月17日
  3. ^ 「ジム・シェリダン、『生きる』リメイクへ」、シネマトゥデイ、2004年9月15日
ウィキメディア・コモンズ