学校法人東北学院
学校法人東北学院(がっこうほうじんとうほくがくいん)は宮城県に本部を置く学校法人である。
目次 |
[編集] 概観
[編集] 学校全体
東北学院はキリスト教主義学校(ミッションスクール)のひとつであり、校祖を同じくする宮城学院とは関係が深い。福音主義キリスト教に基づく教養教育(リベラル・アーツ)を重視している。卒業生は15万余名を超え、国内外の幅広い分野で活躍している。2006年(平成18年)で創立120周年を迎えた。
[編集] 建学の精神
東北学院の建学の精神は、福音主義キリスト教の精神に基づく「個人の尊厳の重視と人格の完成」の教育としている。また、建学の精神のシンボルとして「LIFE LIGHT LOVE」(3L精神とも呼ばれる)が在校生、卒業生の間で親しまれている。
[編集] 象徴
[編集] 校章
背景に十字架を用い、その中心に東北学院の頭文字であるTGを据えている(TG章とも呼ばれる)。
[編集] 校歌
校歌(作詞&作曲:E.H.ゾーグ 和訳:青木義夫)
[編集] 沿革
[編集] 略歴
1886年(明治19年)5月、仙台区木町通に設置された私塾「仙台神学校」を端緒とする。キリスト教伝道者の育成を目的にこの学校を興したのは、横浜で受洗し日本基督公会の設立に関わった押川方義と、アメリカ人ドイツ改革派教会宣教師のウィリアム・E・ホーイである。
押川が学院内部での意見対立により同校を去り、またホーイが体調不良の為に日本を離れた後には、ホーイと同じくフランクリン・アンド・マーシャル大学で学び、ホーイの推薦によって日本伝道の任に就いていたデヴィッド・ボウマン・シュネーダーが指導的立場に立った。押川、ホーイ、シュネーダーの3名は「三校祖」と呼ばれている。特にシュネーダーはその人格的影響力と学校経営の手腕によって東北学院の基礎を築いた人物として、格別の尊敬を集めている。
1891年(明治24年)、伝道者育成に加え、普通高等教育を施すようになり校名を「東北学院」に改称。現在では、幼稚園、中学校、高等学校、大学、大学院までを有する総合学園となった。
明治期には、自然主義作家の岩野泡鳴や、冒険小説作家の押川春浪が在学していた。作文教師として島崎藤村が教鞭をとっていたこともある。また、「日本力行会」の設立に加わった島貫兵太夫を輩出している。
大正期には、後に20世紀前半の日本を代表するろう教育の実践者となった高橋潔、その後輩で『大曽根式指文字』の考案者でもある大曽根源助など、著名なろう教育家を輩出している。
[編集] 年表
- 1886年(明治19年) - 押川方義、ウィリアム・E・ホーイの協力により「仙台神学校」を開校。場所は、木町通りと北六番丁の交差点(地図)の角地にある借家[1]。
- 1887年(明治20年)5月 - 東二番丁の本願寺別院跡(地図。現・仙台トラストシティの庭園)に、仙台神学校および仙台教会を移転。
- 1891年(明治24年) - 校名を「東北学院」に改称。予科2年、本科4年、神学部3年に学制変更。9月には、南町通と南光院丁との角地[2](地図。現・仙建ビルほか)に新校舎完成。
- 1895年(明治28年) - 予科・本科を普通科5年(旧制中学)に改組。その上に専修部(文科・理科)2年を設置。
- 1898年(明治31年) - 理科専修部を廃止。
- 1903年(明治36年) - 東北学院同窓会が発足。
- 1904年(明治37年) - 専修部を専門学校令による専門科(神学部、文学部)3年に改組。
- 1905年(明治38年) - 専門科(神学部、文学部)を専門部(神学科、文科)と改称。
- 1908年(明治41年) - 「社団法人東北学院」を設置。
- 1915年(大正4年) - 普通科を中学部と改称。
- 1918年(大正7年) - 専門部を神学科、文科、師範科、商科に改組。
- 1925年(大正14年) - 神学科を専門部より分離し、神学部とする。
- 1926年(大正15年)[元号要検証] - 創立40周年に合わせ、南六軒丁に専門部校舎完成(地図。現・土樋本館)。
- 1929年(昭和4年) - 社団法人から財団法人に改組。専門部を高等学部と改称。
- 1929年(昭和4年) - 高等学部師範科に専攻科1年を設置。
- 1936年(昭和11年) - 高等学部文科を文科第1部、師範科を文科第2部と改称。
- 1937年(昭和12年) - 神学部廃止、日本神学校と合同(3月)。
- 1943年(昭和18年) - 高等学部商科を高等商業部、中学部を中学校と改称。
- 1946年(昭和21年) - 英文科、経済科を含む、東北学院専門学校を開設。
- 1949年(昭和24年) - 教育基本法、学校教育法に基づき、専門学校は新制大学に昇格。文経学部を設置(専門学校の廃止は1951年(昭和26年))。
- 1950年(昭和25年) - 土樋キャンパスでの第1回公開クリスマスが行われる(以来、12月の恒例行事として毎年開催されている)。
- 1951年(昭和26年) - 財団法人から学校法人に改組され、「学校法人東北学院」となる。
- 1962年(昭和37年) - 工学部を多賀城キャンパス(地図。終戦まで「多賀城海軍工廠」、占領期は進駐軍「キャンプ・ローパー」の跡地)に設置。
- 1964年(昭和39年) - 文経学部を文学部と経済学部に、文経学部二部を文学部二部と経済学部二部に分離。大学院文学研究科を設置。
- 1965年(昭和40年) - 法学部と大学院経済研究科を設置。
- 1966年(昭和41年) - 大学院工学研究科を設置。
- 1972年(昭和47年) - 高等学校榴ヶ岡校舎を榴ヶ岡高等学校として分離独立。
- 1975年(昭和50年) - 大学院法学研究科を設置。
- 1983年(昭和58年) - 高等学校二部を閉校。
- 1985年(昭和60年) - 幼稚園園舎を新築し移転。
- 1986年(昭和61年) - 東北学院創立100周年。
- 1988年(昭和63年) - 泉キャンパス(地図)に教養部(文・経済・法学部)を移転。
- 1989年(昭和64年)[元号要検証] - 教養学部を泉キャンパスに設置。
- 1994年(平成6年) - 大学院人間情報学研究科を設置。
- 1997年(平成9年) - 大学院文学研究科にヨーロッパ文学史専攻とアジア文化史専攻を設置。
- 1999年(平成11年) - 大学設置50周年。
- 2000年(平成12年) - 文学部英文学科、経済学部経済学科と商学科に昼夜開講制を導入。
- 2001年(平成13年) - 文学部基督教学科をキリスト教学科に、経済学部商学科を経営学科に、教養学部教養学科言語科学専攻を言語文化専攻に改称。
- 2002年(平成14年) - 工学部機械工学科を機械創成工学科に、電気工学科を電気情報工学科に、応用物理学科を物理情報工学科に、土木工学科を環境土木工学科に改称。大学院経済研究科に経営学専攻を設置。
- 2004年(平成16年) - 大学院法務研究科法実務専攻(法科大学院)を設置。
- 2005年(平成17年) - 教養学部を人間科学科、言語文化学科、情報科学科に改組、及び地域構想学科を開設。文学部史学科を歴史学科に改称。中学・高等学校新校舎が仙台市宮城野区小鶴地区(地図)に完成し移転。
- 2006年(平成18年) - 東北学院創立120周年。工学部を機械知能工学科、電気情報工学科、電子工学科、及び環境建設工学科に再編し、工学基礎教育センターを開設。
- 2009年(平成21年) - 経済学部を改組し、新たに共生社会経済学科を設置。経済学部経営学科は経営学部経営学科に改組。
- 歴代理事長
- 初代…W.E.ホーイ
- 第2代…D.B.シュネーダー
- 第3代…E.H.ゾーグ
- 第4代…出村悌三郎
- 第5代…杉山元治郎
- 第6代…鈴木義男
- 第7代…杉山元治郎
- 第8代…山根篤
- 第9代…月浦利雄
- 第10代…小田忠夫
- 第11代…児玉省三
- 第12代…情野鉄雄
- 第13代…田口誠一
- 第14代…赤澤昭三
- 第15代…平河内健治(現在)
- 歴代院長
- 初代…押川方義
- 第2代…D.B.シュネーダー
- 第3代…出村悌三郎
- 第4代…出村剛
- 第5代…A.アンケニー
- 第6代…小田忠夫
- 第7代…情野鉄雄
- 第8代…田口誠一
- 第9代…倉松功
- 第10代…星宮望(現在)
[編集] 設置教育機関
- 東北学院大学
- 東北学院中学校・高等学校
- 東北学院榴ヶ岡高等学校
- 東北学院幼稚園
- 過去にあった教育機関
- 東北学院大学短期大学部:1961年(昭和36年)廃止。
[編集] 脚注
- ^ 東北学院の100年(1886年 ~ 1900年)(学校法人東北学院)
- ^ 「仙台地図さんぽ」(ISBN 978-4-9903231-7-2 有限会社イーピー 風の時編集部)による1912年の地図より。
[編集] 公式サイト
- 学校法人東北学院 公式サイト (日本語)
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