マルク・マリー・ド・ロ
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マルク・マリー・ド・ロ(Marc Marie de Rotz, 1840年 - 1914年)は、旧長崎県西彼杵郡外海町(現・長崎市)において、キリスト教(カトリック)の布教活動や貧困に苦しむ人達のための社会福祉活動に尽力したパリ外国宣教会所属のフランス人司祭(神父)である。
彼が行った社会福祉事業に関連する遺跡(ド・ロ神父遺跡、旧出津救助院)や、設計・指導を行った出津教会、大野教会、旧羅典神学校、旧大司教館、布教活動の拠点の1つであった黒崎教会は、ユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定一覧表へ登録された「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」に加えられている。
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[編集] 略歴
- 1840年3月26日 - フランス ノルマンディー地方に生まれる。
- 1865年 - 司祭叙階
- 1867年 - パリ外国宣教会入会
- 1868年 - 布教のため、来日
- 1873年 - 大浦天主堂付となる。
- 1875年 - 大浦天主堂の隣に旧羅典神学校(長崎公教神学校)を建設[1]
- 1879年 - カトリック教会に復帰した信者やカクレキリシタンが多く住んでいた外海地方(黒崎教会、出津教会)の主任司祭に着任
- 1882年 - 出津教会堂を建設。ここを布教の拠点とした。
- 1883年 - 出津救助院を建設。ここを社会福祉事業の拠点とした。
- 1885年 - 外海の貧しい人々が、自分の村で働き、生活できるようにするためにイワシ網工場を建設
- 1898年 - 出津の野道に共同墓地を新設
- 1914年 - 大浦天主堂にて帰天(逝去)
- 1915年 - 大浦天主堂司教館竣工
貴族の家に生まれたド・ロ神父は、施設建設や事業のために私財を惜しみなく投じ、フランスで身につけた農業・印刷・医療・土木・建築・工業・養蚕業などの広範な分野に渡る技術を外海の人々に教え、ド・ロさまと呼ばれ親しまれた。
地域の貧困者や海難事故で未亡人となった女性を進んで雇い、西洋式の機織や日本初のマカロニ製造工場でもあるそうめん工場を造り、人々の宗教的指導者であるとともに地域の経済的発展にも貢献した。また、農業用地を買い取り、フランスから持ち込んだ農耕用具で自ら開墾を行ったほか、当時日本では珍しかったドリルや滑車なども彼が持ち込み、20世紀初頭の西洋と長崎の文化的掛け橋となるとともに、あらゆる分野でその功績を残している。
ド・ロ神父が設計・建築に携わった数々の教会堂は、ゴシック様式を踏襲しながらも、扉を引き戸にして大工の技術を生かしたり、木造建築ならではの柱と梁の配置としたりするなど、日本の伝統文化を重んじた建築様式が特徴である。当時の厳しい環境下において実現したこれらには一見の価値がある。
[編集] 関連施設
- ド・ロ神父記念館
- 旧羅典神学校(国の重要文化財)- 日本における最初の作品
- 旧カトリック長崎大司教館(県文化財)- 生涯最後の作品
- 道の駅夕陽が丘そとめ(特産物としてド・ロ様そうめんを販売している)
[編集] 脚注
- ^ このとき建てた長崎公教神学校の校舎は、1972年に旧羅典神学校として国の重要文化財に指定された。また、長崎公教神学校は、現在は移転して長崎カトリック神学院となっている。
[編集] 参考文献
- 三沢博昭『大いなる遺産 長崎の教会』(智書房、2000年) ISBN 4434002651
- 『長崎遊学2 長崎・天草の教会と巡礼地完全ガイド』(長崎文献社、2005年) ISBN 4888510911
- 片岡弥吉『ある明治の福祉像 ド・ロ神父の生涯』(NHKブックス276 日本放送出版協会 1977年)