ヘンリー・フォールズ

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ヘンリー・フォールズ

ヘンリー・フォールズ(Henry Faulds、1843年6月1日 - 1930年3月19日)はイギリスの医師、指紋研究者である。個人の識別に指紋を用いることができるという記事を1880年『ネイチャー』に発表した。指紋研究を誰が最初に行ったかについて、ウィリアム・ジェームズ・ハーシェル、フランシス・ゴールトンと争った。

経歴[編集]

スコットランドのビースに生まれた。父親の事業が破綻し、おじの商社で働きながら学んだ。グラスゴー大学を1868年に卒業、アンダーソンカレッジ(現:ストラススクライド大学(en))で医学を学び医師免許をえる。1871年長老派スコットランド教会の医療宣教師としてインドに渡る。1873年合同長老教会の医療伝道団の一員として来日し、東京の築地病院で働き、治療とともに日本人医学生を指導した。日本で、エドワード・モースと親しくなり大森貝塚の発掘に参加した。発掘された土器に残された、古代人の指紋に興味を持ち、指紋の研究を始め、数千セットの指紋を集め、比較対照し、同一の指紋をもつもののないこと、物理的に除去したとしても再生すること、児童の指紋が成長によって変わらないことを確かめた。1880年、その結果を知らせる手紙をチャールズ・ダーウィンに書くが、ダーウィンは手紙をいとこにあたるフランシス・ゴールトンに送った。返事のないまま『ネイチャー』に論文を投稿し掲載された。翌月ウィリアム・ジェームズ・ハーシェル(ウィリアム・ハーシェルの孫)が1860年頃インドの役人時代に契約書に指紋押捺させていた経緯を『ネイチャー』に発表した。指紋による個人識別についてはフォールズの発表時には注目を集めなかったが、1892年に優生学、遺伝学の研究者ゴードンによる『指紋』の出版、インドの警視総監エドワード・ヘンリー、分類法を確立したアジズル・ハクの研究と1900年のヘンリーの『指紋の分類と使用法』の出版によって実用的なものとなっていった。フォールズの業績については、エリート主義者のゴードンによって無視されることになった。さらにフォールズは指紋による誤認逮捕を恐れる立場から単指指紋を証拠として採用するのに反対する立場をとったため、スコットランド・ヤードとも対立した。ハーシェル、ゴートンと指紋研究における、フォールズの業績を争ったが、存命中はフォールズの業績は認められなかった。

1987年に指紋検査官の協会がフォールズの墓を再建しその功績を顕彰した。


関連書籍[編集]

  • 『指紋を発見した男』コリン・ビーヴァン(著)、茂木健(訳)主婦の友社(ISBN4-07-241258-9)