ダニエル・クロスビー・グリーン

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ダニエル・クロスビー・グリーン
生誕 1843年2月11日
アメリカ合衆国マサチューセッツ州
死没 1913年9月15日
職業 宣教師牧師建築家
配偶者 メリー・ジェイン・グリーン
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ダニエル・クロスビー・グリーン(Daniel Crosby Greene, 1843年2月11日 - 1913年9月15日)は、宣教師牧師建築家、聖書翻訳者。アメリカ合衆国マサチューセッツ州出身。

生涯[編集]

生い立ち[編集]

アメリカ外国伝道委員会アメリカン・ボード)の幹事の9人目の子供として生まれる。父は1849年に病気でアメリカン・ボードを辞職した。1850年に母が亡くなり、1852年までグリーンの一家は離散する。

学生時代[編集]

1860年ミドルベリー・カレッジに入学したが、翌年の1861年ダートマス大学に転校。南北戦争が起こり、1862年6月24日北軍側のダートマス騎兵隊に入隊し、10月2日に除隊。1863年9月に信仰を告白し、キリスト者となる。1864年に大学を卒業。

献身1866年会衆派シカゴ神学校に入学。その後アンドーヴァー神学校に転校。

若くして両親を亡くし、1864年9月に救われたメリー・ジェイン・フォービスと出会い、文通の後1865年に婚約。1869年にアンドーバー神学校を卒業し、7月28日按手礼を受け、翌日29日に結婚。

来日[編集]

1869年、アメリカ外国伝道委員会(アメリカン・ボード) (American Board of Commissioners for foreign Missions)に派遣され11月30日(木曜日)に来日。横浜に到着し、その後の1870年ヘンリー・ブロジェットの勧めにより、神戸で宣教。その当時の神戸には、プロテスタントの宣教師は、チャニング・ウィリアムズ以外にいなかった。

神戸に移ったグリーンは、フリーメイソンから建物を借りて、1870年5月22日に最初の礼拝を持ち25名が参加したが、ここは礼拝に適さず、1871年に商人のブラッドフィールド礼拝堂建設のための土地献品を申し出る。1872年11月23日ユニオン・チャーチが完成し、グリーンがその初代牧師となる。ユニオン・チャーチは赤レンガ造りの建築でグリーンの設計だと考えられている。ユニオン・チャーチは超教派であったので出席者の中には監督制の者もおり、教会政治を巡って問題が起こった。監督制の者たちは1897年に別の教会(オール・セインツ・チャーチ)を建設した。

1871年6月30日にグリーンとO・H・ギューリック宣教師に日本語を教えていた市川栄之助夫婦が逮捕されてしまう。グリーンらはアメリカ領事館に訴え、アメリカ領事は兵庫県知事中山信彬に抗議した。市川栄之助はキリスト教を理由に拷問にかけられたと考えられる。1872年11月25日に市川栄之助は死んだ。グリーンは釈放された未亡人の市川まつを、引き取って生涯世話をし、アメリカ・ボードに未亡人に支払う年金を請求した。市川まつは摂津第一公会洗礼を受け、1909年7月30日に召天

グリーンは「切支丹邪宗門之儀は堅く御禁制たり」という高札を見た。また浦上四番崩れの事件をアメリカン・ボードに報告し、信教の自由を守るための運動を呼びかけた。これを受けてアメリカ・ボードは、日本における信教の自由をアメリカ政府に訴えた。

1874年4月19日に洗礼を授けた11名によって創立された摂津第一公会(現:日本基督教団神戸教会)は、当初から会衆制を採る会衆派教会であった。ここから日本組合基督教会に繋がる。

1874年の6月1日から再び横浜に戻り、聖書翻訳に取り組む。

同志社大学の教員として、また同志社内の建築物の設計などで活躍。

参考文献[編集]

  • 茂義樹『明治初期神戸伝道とD.C.グリーン』新教出版社、1986年。