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曹州

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

曹州(そうしゅう)は、中国にかつて存在した南北朝時代から清代にかけて、現在の山東省菏沢市一帯に設置された。

魏晋南北朝時代

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527年孝昌3年)[1]北魏により設置された西兗州を前身とする。北周により曹州と改称された。

隋代

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初に曹州は2郡6県を管轄した。607年大業3年)、郡制施行に伴い曹州は済陰郡と改称され、下部に9県を管轄した[2]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。

隋代の行政区画変遷
区分 開皇元年 区分 大業3年
曹州 汴州 徐州 兗州 済陰郡
済陰郡 陽夏郡 永昌郡 高平郡 済陰県 定陶県 冤句県
乗氏県 済陽県 外黄県
成武県 金郷県 単父県
定陶県
冤句県
乗氏県
済陽県
外黄県
成武県 金郷県

唐代

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621年武徳4年)、により済陰郡は曹州と改められた。742年天宝元年)、曹州は済陰郡と改称された。758年乾元元年)、済陰郡は曹州の称にもどされた。曹州は河南道に属し、済陰・考城・冤句・乗氏・南華・成武の6県を管轄した[3]

宋代

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1102年崇寧元年)、北宋により曹州は興仁府に昇格した。興仁府は京東西路に属し、済陰・宛亭・乗氏・南華の4県を管轄した[4]1129年天会7年)、興仁府はに占領され、曹州の称にもどされた[5]。曹州は山東西路に属し、済陰・定陶・東明の3県と濮水鎮を管轄した[6]

元代

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のとき、曹州は中書省に属し、済陰・成武・定陶・禹城楚丘の5県を管轄した[7]

明代以降

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のとき、曹州は兗州府に属し、・定陶の2県を管轄した[8]

1724年雍正2年)、清により曹州は直隷州に昇格した。1735年(雍正13年)、曹州直隷州は曹州府に昇格した。曹州府は山東省に属し、直属の菏沢鉅野鄆城・成武・曹・定陶の7県と濮州に属する観城朝城の3県、合わせて1州10県を管轄した[9]

1913年中華民国により曹州府は廃止された。

脚注

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  1. ^ 魏書』地形志二中
  2. ^ 隋書』地理志中
  3. ^ 旧唐書』地理志一
  4. ^ 宋史』地理志一
  5. ^ 金史』太宗紀
  6. ^ 『金史』地理志中
  7. ^ 元史』地理志一
  8. ^ 明史』地理志二
  9. ^ 清史稿』地理志八