中京圏

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中京のデータ
中京圏
日本の旗 日本
面積 6,911 km2
総人口

9,363,221
1.5%都市圏)(2015年国勢調査
11,293,097
(東海3県。「名古屋圏」として各指標などに使用される。[1])

10,240,000人(Demographia World Urban Areas 2019 [2])
人口密度 1,288人/km2
(2010年国勢調査)
外観

名古屋都心部夜景

中京圏(ちゅうきょうけん)は、愛知県名古屋市を中心とする都市圏である。日本三大都市圏の一つ。

別名名古屋圏(なごやけん)、中部圏(ちゅうぶけん)。

名称

名古屋(中京圏)

中京」とは、名古屋市東京市(現在の東京都区部)と京都市との間に位置している点から、明治時代に名古屋市が「中京」と呼称されたことに因む。

名古屋及び尾張地域は都になったことは無いが、「中京」の呼称は明治20年代半ばより使用例がみられる。明治20年代の名古屋を中心とする産業、鉄道、都市の発展で東西大経済圏に対する意識が生まれ、「東海道線の中間点」を、さらに「ひそかに全国の中心を目指す」名古屋経済圏の意味があった。実際に両京と並ぶ実勢をもつのは明治末期である[1]

範囲

概説

中京圏は、名古屋大都市圏名古屋市の経済や文化の影響力を強く受け、人口交流のきわめて濃密な圏域を指す言葉)と重複する範囲が多い。

明治時代の中期に、名古屋駅東海道本線中央本線関西鉄道(現在の関西本線)など鉄道の拠点となると、名古屋市を中心とする経済圏が形成されて、愛知県岐阜県三重県の3県(東海3県)に跨る圏域を中京圏(名古屋圏)と称するようになった。

交通網、情報通信網などのインフラ整備が進んだことや、圏の力が増したことにより圏域を拡大し続けている。圏域には、愛知県尾張三河、岐阜県美濃、三重県北勢が含まれている[2]。また、30%以上の依存率を示す地区が名古屋市と同一生活圏とされ、10%以上から30%までが近郊型地帯とされている[3]

他にも、内閣府政府広報室の大都市地域の住宅・地価に関する世論調査では、名古屋駅を中心とした半径30kmの円内地区とし、国土交通省の大都市交通センサス調査では愛知県、岐阜県、三重県の区域とした。

ただし、三重県の伊賀地域は関西との繋がりが強く、特に名張市大阪市ベッドタウンでもあるため「名古屋圏」から外される。

三大都市圏の一つだが、他の大都市圏を「東京圏」「大阪圏」と呼ぶ場合には、「名古屋圏」の方が多用されている。

交通面で見ると、太平洋沿岸(愛知県、三重県)は東海道の、内陸側(岐阜県)は中山道の沿線になっている。

中京大都市圏(総務省国交省では名古屋大都市圏と呼称)

総務省統計局の国勢調査統計表で用いられる圏域設定で、名古屋市への15歳以上通勤・通学者数の割合が、当該市町村の常住人口の1.5%以上であり、かつ名古屋市と連接している「周辺市町村」を合わせた範囲としている。都市圏 (総務省)参照。

なお、名古屋の1.5%都市圏は、2010年国勢調査によると、北端が岐阜県本巣市恵那市八百津町、東端が、愛知県豊川市豊田市岡崎市、西端が岐阜県関ケ原町、三重県いなべ市、南端が愛知県南知多町、三重県四日市市であり、三県に収まるが、かつては滋賀県山東町(現米原市)が含まれたこともあった。

中京圏は自動車産業が強く、その関連企業の労働者として九州南部(熊本県宮崎県鹿児島県)や、ブラジルフィリピン中華人民共和国から流入してくる人が多い。

中京大都市圏の人口、
面積及び人口密度の推移[4][5][6]
人口
(人)
面積
(km2)
人口密度
(人/km2)
1960年 4,367,811
1965年 6,053,032 5,037 1,202
1970年 6,633,958 5,305 1,201
1975年 7,356,168 5,688 1,293
1980年 7,800,279 5,861 1,331
1985年 8,035,159 5,632 1,427
1990年 8,427,429 6,072 1,388
1995年 8,765,712 6,533 1,342
2000年 8,738,842 6,380 1,370
2005年 8,923,445 6,911 1,291
2010年 9,107,414 7,072 1,288
2015年 9,363,221 7,266 1,289

(2020年現在:9,286,934人[7]

中京経済圏

物流や資本動向を指標とする広域圏。範囲は確定されておらず、概ね愛知県全域、岐阜県全域、三重県の伊勢志摩東紀州静岡県遠州長野県木曽下伊那と言われている。三重県の名張市は大阪のベットタウンとなっており関西圏に含まれる。伊賀市の北部の半分は距離的に名古屋のほうが近く名阪国道の利便性を受け森精機をはじめとした工場立地も集中しているため中京圏と関西圏の両方に含む場合がある。さらに滋賀県米原市も中京圏と関西圏の両方に含む場合があり(米原ステーションタウンなどの例がある)、各種要因により拡大の傾向がある。名古屋市の経済界や企業では「中部経済圏」(愛知県、岐阜県、三重県、静岡県の一部)という語を使う場合が多い。

中京交通圏

名古屋駅を中心に半径40kmの地域を指す。首都交通圏、京阪神交通圏と合わせた三大都市交通圏の一つで、国土交通省関連の統計に多く利用される。

中京広域圏

地上波による放送の広域放送圏の一つで、愛知県、岐阜県、三重県の区域を指す。この範囲は東海3県とも呼ばれ、該当エリアの放送局では「東海地方」と呼ばれる。当地の日本テレビ系列局は「中京テレビ」であるが、同局でも3県を「東海地方」と呼んでいる。

中京地方

国土地理院をはじめとする官公庁や一般でも時に利用される用語であるが、明確・厳密な区域区分の定義はない用語である。東海地方に比べると使用頻度は少ない。地元で呼ばれることはほぼ無い。

自然地理

伊勢湾へ注ぐ揖斐川(左)と木曽川(右)

中京圏の地理

濃尾平野を中心に名古屋都市圏が広がり、更に太平洋岸の中小規模な平野に都市が連なる。

地質的には北部及び中部が西南日本内帯に属し、それぞれ美濃帯(丹波-美濃帯)、領家帯に区分される。三重県南部及び三河の一部は西南日本外帯に属し、三波川帯及び四万十帯に区分される。

沿岸はプレート境界になっているため、東海地震東南海地震などの警戒区域になっている。

主な地形

歴史

古代

平野部は気候が温暖なので、古代から人類の定住が見られた。特に濃尾平野においては、弥生人の勢力が隆盛を誇った。また、伊勢湾岸一帯には多くの古墳が分布していた。

平安時代

律令時代には東海道(初期)や東山道が整備され、古代三関の1つである鈴鹿関などが設置されるなど、中部関東から畿内北九州へ向かう防人の通行路となった。

また、院近臣の政変であり源平合戦の1つである平治の乱では、源氏側の棟梁であった源義朝の最後の地が、知多半島大御堂寺に存在する。

戦国時代

戦国大名が乱立すると、織田信長豊臣秀吉徳川家康といった三英傑をはじめ、数多くの武将が輩出された。中でも尾張国や三河国(特に西三河地方)の出身者が多く、江戸時代の大名の約7割がこの2つの地方の出身である(例:前田利家加藤清正池田輝政山内一豊堀尾吉晴蜂須賀家政など)[8]

中世から近世への節目となる、桶狭間の戦い長篠の戦い小牧・長久手の戦いや、天下分け目の合戦である関ヶ原の戦いもこの地方で勃発した。

江戸時代

江戸幕府が樹立されると、江戸京都とを結ぶ東海道五十三次中山道六十九次が整備された。主な宿場町には、東海道では岡崎宿池鯉鮒宿桑名宿四日市宿亀山宿などがあり、中山道では大湫宿太田宿加納宿関ヶ原宿などがあった。

また、江戸時代には綿が盛んに生産され、副業として綿織物産業が成立していた。尾張国の桟留縞など、好評を博す地域の名産品も誕生した。尾張藩第7代藩主徳川宗春の代に、現在の大都市としての名古屋の基礎が築かれた。

明治から第二次大戦まで

綿織物生産が隆盛を極め、大阪府に次いで全国二位の綿織物生産量を誇るに至った。濃尾地震の発生とインド綿の輸入に端を発して衰えた綿織物工業は、第一次世界大戦の勃発により毛織物の輸入が途絶えるとともに毛織物工業へと移行し、以後中京圏は国内繊維産業の中心地となった(例:一宮市岐阜市西尾市)。

三重は、古来より揖斐川を境にして西側は近畿文化圏であり、東側は尾張と同じ文化圏であったが、 明治中期の1895年に、木曽三川に橋が架かり鉄道で名古屋へ短時間で移動できるようになると、 桑名四日市などの北勢地域が、名古屋圏に取り込まれた。

第二次大戦後

高度経済成長期以後、特に成長する東京都区部大阪市を結ぶ東海道と中山道の交通網が当地域の発展にとって益々重要と考えられるようになり、交通網や都市開発が進められた。このため、特に東海道線沿線は当地域における工業生産の中心地になっていった。 名古屋市に近い岐阜県南部、三重県北部(北勢)との経済的な連関も一層深くなり、伊勢湾岸の中京工業地帯の形成も伴って、「名古屋圏」「中京圏」が確立された。近年では、東海道新幹線東名高速道路新東名高速道路中央自動車道の開通や中央新幹線の計画などから、静岡県西部長野県南部などとの関係も形成されつつある。

方言

交通

鎌倉時代以降、国家的な見地から東西の連結が重視されてきたが、近代においても東西の幹線が重点的に整備された。

主な鉄道(JR東海、名鉄、近鉄)

主な道路

伊勢湾岸自動車道名港トリトン
高速道路
国道

港湾

空港

経済

全体で見ると名古屋市が際立った存在感であるが、名古屋都市圏の中で人口10万人台の小牧市刈谷市半田市東海市安城市も昼間人口比率が1を超えており(働きに来る人が多い)、小規模な業務の中心として位置づけられている[9]豊田市・岡崎市・岐阜市四日市市津市といった中核市や県庁所在地も広義のエリアに含まれ、二次的な経済・文化・交通の中心となっている。

農業

温暖な気候と豊富な日照に恵まれているため、全国一のシェアを誇る電照菊をはじめとする花卉、柑橘類などの果樹、野菜の生産が盛んである。都市近郊では、一戸当たりの耕地面積が小さいが販売金額が大きくなっており、生産性の高さが特色となっている。愛知県では名古屋コーチンをはじめとする、三重県、岐阜県では松阪牛飛騨牛といった肉牛の生産も盛んである。

工業

太平洋ベルト上に位置しており、伊勢湾岸には日本を代表する工業地帯である中京工業地帯が形成されている。

西三河地方は「トヨタ王国」とも呼ばれており、トヨタ自動車の影響力が非常に強い。

経済圏構想

なお、近年では、名古屋市を中心とした半径100kmの以内の地域を「グレーター・ナゴヤ」のブランド名で統一して、海外企業を積極的に誘致し、世界有数の産業集積地にすることを目標とした大名古屋経済圏構想もあり、グレーター・ナゴヤ・イニシアティブ(GNI)と呼ばれる(関連ページ)。これには名張市も支援を受けている(関連ページ)。

脚注

  1. ^ 「百年前の中京名古屋: 愛知県遊廓地域資料集 (中京大学経済学研究叢書) 」 ISBN 4326549637
  2. ^ 伊藤郷平/著「中京圏」『日本大百科全書 第15巻』より(小学館、1985年) ISBN 4-095-26014-9
  3. ^ 『日本地名大辞典 4 中部』(朝倉書店、1968年)
  4. ^ 総務省統計局『大都市圏の人口』日本統計協会〈平成17年国勢調査人口概観シリーズ, no.9〉、2009年、470-475頁。ISBN 9784822335779 
  5. ^ 2010:平成22年国勢調査 我が国人口・世帯の概観 - 表1-28 大都市圏・都市圏別人口、面積及び人口密度” (PDF). p. 35. 2018年9月26日閲覧。
  6. ^ 2015:平成27年国勢調査 我が国人口・世帯の概観 - 表1-28 人口、面積及び人口密度 - 大都市圏・都市圏” (PDF). p. 32. 2018年9月18日閲覧。
  7. ^ 国勢調査 中京大都市圏
  8. ^ 愛知の引力
  9. ^ 都市雇用圏-Urban Employment Area-”. www.csis.u-tokyo.ac.jp. 2020年4月29日閲覧。

参考文献

  • 尾留川正平・他/編『日本地誌 第9巻 中部地方総論・新潟県』(二宮書店、1972年) ISBN 4-817-60012-8
  • 尾留川正平・他/編『日本地誌 第12巻 愛知県・岐阜県』(二宮書店、1969年) ISBN 4-817-60012-8
  • 尾留川正平・他/編『日本地誌 第13巻 新潟県・三重県』(二宮書店、1976年) ISBN 4-817-60013-6
  • 溝口常俊/著「中京工業地帯」『世界大百科事典 第18巻』より(平凡社、1988年) ISBN 4-582-02200-6
  • 伊藤郷平/著「中京圏」『日本大百科全書 第15巻』より(小学館、1985年) ISBN 4-095-26014-9
  • 金森久雄・他/編「中京交通圏」『経済辞典 第4版』より(有斐閣、2002年) ISBN 4-641-00207-X
  • 伊藤郷平/著『中京圏』(大明堂、1972年)
  • (参考)ノート:中京圏/参考文献(ノートにおける議論の中で持ち寄られた、参考文献、国土地理院の見解、検索結果等の要約)

関連項目