西新

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西新
PRALIVA(2020年撮影)
PRALIVA(2020年撮影)
地図
西新の地図
西新の位置(福岡市内)
西新
西新
西新の地図
西新の位置(福岡県内)
西新
西新
西新 (福岡県)
西新の位置(日本内)
西新
西新
西新 (日本)
北緯33度35分4.5秒 東経130度21分25.4秒 / 北緯33.584583度 東経130.357056度 / 33.584583; 130.357056
日本の旗 日本
都道府県 福岡県の旗 福岡県
市町村 福岡市
早良区
面積
 • 合計 79.65 ha
人口
(2022年9月末現在)
 • 合計 12,500人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
814-0002
市外局番 092 (福岡MA)
ナンバープレート 福岡

西新(にしじん)は、福岡県福岡市早良区の地名。現行の行政地名は西新一丁目から七丁目まで[1]。面積は79.65ヘクタール[2]。2022年9月末現在の人口は12,500人[3]郵便番号は814-0002[4]

地理[編集]

福岡市の都心部とされる中央区天神の西南西約4キロメートル、早良区北部に位置し、福岡市西部においては最大の繁華街が展開される。また、西南学院大学等の学校が所在し学生街の性格も持つ。北で百道浜と、東で樋井川を介して中央区地行浜地行今川と、南東の橋梁上の一点で中央区鳥飼と、南で城西祖原と、南西の道路上の一点で昭代と、西で高取と、北西で百道と隣接する。藤崎シーサイドももち[注釈 1]等とともに福岡市西郊の副都心を形成する。福岡市地下鉄空港線西新駅が置かれている。幹線道路は明治通り早良街道城南線等が通っている。

河川[編集]

西新の東側、今川との間に次の河川が流れている。

地価[編集]

住宅地の地価は2014年(平成26年)1月1日に公表された公示地価によれば西新2-11-9の地点で31万5000円/m2となっている。[6]

学生街[編集]

西新周辺には福岡県立修猷館高等学校西南学院中学校・高等学校西南学院大学などがあり、また学習塾も多く存在する。学生が多いためカラオケボウリングビリヤード場等の遊戯施設が多数立地し、昼夜問わず若年層が多く行き交う。また福岡市総合図書館福岡市博物館があるシーサイドももちからも近いことから、西新の周辺も含めての学生の往来が多い。 なお、地下鉄西新駅のシンボルマークは地名のイニシャル「N」を文教を象徴する鉛筆とペンで図案化したものになっている[注釈 2]

住宅街[編集]

西新は文教地区であることや利便性・住環境の良さから、マスコミや不動産会社による「福岡市で住みたい街」ランキングなどでたびたび上位に入るほど住む街としても非常に人気が高い。公務員官舎や転勤族向けの賃貸マンションも集中しており、「転勤族の街」とも呼ばれる。

西新周辺の公立の小中学校が、福岡市内の他の小中学校に比べて生徒の学力が平均的に高く、教育環境も良いとの評判から、近年における都心回帰の傾向と相まって、西新周辺の小中学校に我が子を入学させたいと願って転入してくるファミリー層が増えており、こうした人々は地元で「ニシジニスト」と呼ばれる[要出典]。このような事情から西新小学校では入学から卒業まで在籍する児童が3分の1以下という極めて特殊な状況に置かれている。

広域地名[編集]

地元での広域汎称地名としての西新の認識は、行政区分の西新の町名から拡大され、概ね福岡市立西新小学校校区(西新・城西など)及び福岡市立高取小学校校区(高取祖原昭代など)の旧早良郡西新町の東部区域に及ぶ[要出典]。例えば西新保育園[注釈 3]は曙にあり、マンションアパート等にも西新と名前が付くものが西新以外にも城西、曙、高取、祖原、昭代付近まで存在する。

都市計画[編集]

都市計画に関しては、「福岡市都市計画マスタープラン」[7]において定められた方針については次のとおりである。西新に藤崎及びシーサイドももちを合わせた地域は、都心部を取りまく東部・南部・西部の三つの広域拠点(副都心)のうち、「西部広域拠点」として位置付けられている。交通ネットワークとして都市の骨格となる明治通り及び早良街道の沿道や幹線道路である城南線及びよかトピア通りの沿道は、商業、業務、サービス施設や中高層住宅などが連続した「都市軸」や「沿道軸」に位置付けられている。樋井川の河川沿いが散策・憩いの場となるとともに、緑と広がりのある景観が連続したゆとりと潤いのある水辺空間として「河川緑地軸」に位置付けられている。土地利用については、中層住宅や高層住宅で形成される「中高層住宅ゾーン」として位置づけられ、良好な住環境の保全、形成などがまちづくりの視点とされている。用途地域は、明治通りを中心とする範囲は商業地域、北側の荒津豊濱線(通称「よかトピア通り)に沿った範囲は第二種住居地域、これら以外の範囲は第一種中高層住居専用地域及び第一種住居地域に指定されている。西新四丁目1番1号の商業施設(PRALIVA)等を含む区域約1.1ヘクタールは高度利用地区に指定されている。また、西新三丁目、六丁目及び七丁目の各一部の区域約11.2ヘクタールについては、 再開発等促進区を含む地区計画である「西新北地区」[8]が定められ、教育施設等の機能更新とあわせて、周辺環境に配慮した土地の有効利用を行い、教育機能(西南学院等)を中心として地域交流機能や地域防災機能等の誘導も図ることが土地利用の方針とされている。

語源[編集]

江戸時代、現在の中央区今川付近が「西町」と呼ばれていたのに対し、樋井川以西を「新西町」と呼んだことに由来する。これがいつしか逆転して「西新」になった。

歴史[編集]

前身は早良郡西新町

1666年寛文6年)、紅葉八幡宮福岡藩第3代藩主黒田光之によって樋井川西岸の唐津街道沿いに移されたため、門前町として人家が並ぶようになる。1694年元禄7年)には藩によって下級藩士の宅地が造成される。頭山満の生家も西新であった。1872年明治5年)の区画制施行では城下町福岡と同じ第1大区となるも、1889年(明治22年)の市制町村制施行の際に西新町、麁原(そはら)村が合併して早良郡西新町となる。

1891年-1892年頃より西新炭鉱の採掘が始まるも振るわず1900年(明治33年)に閉山。採掘は麁原炭鉱や鳥飼炭鉱に移った。同じ頃、1900年(明治33年)に修猷館が、1918年大正7年)に西南学院が移転し文教地区の性格を帯びる。

1910年(明治43年)には西新町内に電車駅が開業。1925年(大正14年)には北九州鉄道西新町駅(のち国鉄西新駅、1983年3月21日限りで廃止)も開業。それに伴い商業地区としても活気づく。

1922年(大正11年)4月1日に福岡市へ編入。

1945年昭和20年)の福岡大空襲ではさほど被害を受けず、戦後は住宅が激増した。

人口[編集]

西新一丁目から七丁目までを合わせた人口の推移を福岡市の住民基本台帳(公称町別)[3]に基づき示す(単位:人)。集計時点は各年9月末現在である。

交通[編集]

道路[編集]

主な幹線道路は次の通り。

鉄道[編集]

鉄道については、福岡市交通局が運営する地下鉄が地区の北側に通っており、町内に次の駅がある。

なお、かつて西鉄福岡市内線貫線・城南線が通っていたが、1975年(昭和50年)に廃止された。1983年(昭和58年)に廃止となった筑肥線西新駅は西新地区から約1km離れた昭代三丁目にあった。

バス[編集]

バスについては、西日本鉄道株式会社が運営する西鉄バスが運行しており、次の停留所がある。

  • よかトピア通り沿い:西南中高前 - 博物館南口
  • 明治通り沿い:西新一丁目(西行きのみ) - 西新駅 - 西新商店街前(平日・土曜朝、東行きのみ) - 修猷館前 - 防塁前
  • 城南線沿い:西新四丁目 - 西新駅/修猷館前
  • 西新通り沿い:西南中高前 - 西南大学前 - 西新駅/脇山口
  • 早良街道沿い:西新駅/西南大学前 - 脇山口

施設[編集]

西新に立地する施設としては、スーパー家電量販店飲食店パチンコ店などの比較的大規模な商業施設が集積しており、藤崎方面へもつながる商店街にも多くの人が行き交っている。また、学校も多く立地している。

公共・公益施設[編集]

公園・緑地等[編集]

教育施設[編集]

商業施設[編集]

比較的規模の大きい商業施設の例としては次のものがある。

西新商店街[編集]

西新地区には旧唐津街道にそって商店街が形成されている。東から概ね以下の順に位置している。

  • 西新オレンジ通り商店街 - 今川橋から城南線まで(西新一丁目及び四丁目の一部)
  • 西新中央商店街 - 城南線から早良街道まで
  • 中西商店街 - 早良街道から高取との町界まで
  • はとや通り商店街
  • 勝鷹水神通り商店街
  • 西新名店街

様々な飲食店や商店で賑わう西新商店街の特徴の1つとして、リヤカー部隊の露店がある。この露店は、福岡市近郊で採れた新鮮な魚介類や野菜を、歩行者天国となった商店街の真ん中で売っている。市内でも珍しい商店街である。

なお、中西商店街から西へは、高取へ入って、高取商店街が続き、そのさらに西には藤崎通り商店街(高取)が藤崎駅まで続き、今川橋から藤崎駅までの約1.4kmの東西に長い商店街が形成されている。通称では、これらも含めて「西新商店街」と呼ぶこともある。詳細は次のリンク先を参照のこと。

金融機関[編集]

サザエさん発案の地[編集]

サザエさん発案の地(磯野広場)

西新6丁目の磯野広場に「サザエさん発案の地」の陶板が設置されている。これは同漫画の原作者長谷川町子東京から疎開していた1944年から1946年まで現在の西新3丁目に住んでおり、百道の海岸を散歩しながら、サザエカツオワカメ等の登場人物を考案したことに由来する。当時は西新北側のシーサイドももちが埋め立てられていなかったため、西新のすぐそばに海岸線があった。なお、西新駅の改札口の前に第1巻の表紙と第1話をモチーフにした高取焼の陶板が2015年1月30日から設置されている[13]。また、2017年1月29日より樋井川から藤崎駅南東まで続くオレンジ通り・西新中央・中西・高取・藤崎の5つの商店街の通りに「サザエさん商店街通り」の愛称が付いている[14]

名所・史跡[編集]

  • 元寇防塁
  • 元寇神社(西新七丁目4、元寇防塁の緑地内)
  • 松山稲荷神社
  • 杉山神社
  • 中西宮地嶽神社(なかにしみやじだけじんじゃ、西新五丁目8番19号)[注釈 15]
  • 浦賀神社(うらがじんじゃ、中西宮地嶽神社の境内内)
  • 旧黒田藩窯高取焼東皿山窯跡(きゅうくろだはんがまたかとりやきひがしさらやまがまあと、中西宮地嶽神社の境内内)[注釈 16]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 百道浜及び地行浜を合わせた区域をいう。
  2. ^ 福岡市出身のグラフィックデザイナー、西島伊三雄がデザインしたものである。
  3. ^ 曙一丁目3-26(早良市民プールの隣)、西新保育園のホームページ http://nishijin-nursery.ed.jp/ 参照]
  4. ^ 所在地は西新一丁目1番35号。救急告示病院福岡県災害拠点病院等に指定されている総合病院
  5. ^ 所在地は西新二丁目10-5。
  6. ^ 西新七丁目13-1に福岡市市立幼稚園連盟が置かれる。
  7. ^ 所在地:西新一丁目8番36号北緯33度35分3.5秒 東経130度21分43.6秒 / 北緯33.584306度 東経130.362111度 / 33.584306; 130.362111、用途:変電所、管理者:九州電力送配電株式会社
  8. ^ 所在地:西新一丁目8北緯33度35分3.6秒 東経130度21分41.8秒 / 北緯33.584333度 東経130.361611度 / 33.584333; 130.361611、公園種別:街区公園、面積:1,288m2、開園年度:1972、通称:「オレンジ通り公園」、[9]。西新公園は1898年(明治31年)に設置された行政官庁早良郡役所の跡地である。1896年(明治29年)、福岡県下で郡制が施行され、早良郡を含む19群が置かれた。早良郡役所は当初、西新町の新屋敷に設置され、1898年(明治31年)にこの地(当時の同町片原町)に移転新築された。1922年(大正11年)、西新町は福岡市に編入されたが、その後もしばらくの間、郡役所の敷地として利用されていたとされている。1923年(大正12年)に郡制は廃止され、1975年(昭和50年)には地名としての早良郡もなくなったが、「早良」の名は区名、町名として今も残っている[10]
  9. ^ 所在地:西新二丁目10、公園種別:都市緑地、面積:620m2、開園年度:1978、[9]
  10. ^ 所在地:西新六丁目6北緯33度35分12.0秒 東経130度21分12.8秒 / 北緯33.586667度 東経130.353556度 / 33.586667; 130.353556、公園種別:都市緑地、面積:1,623m2、開園年度:1996、[9]
  11. ^ 所在地:西新六丁目10北緯33度35分16.7秒 東経130度21分21.2秒 / 北緯33.587972度 東経130.355889度 / 33.587972; 130.355889、公園種別:都市緑地、面積:164m2、開園年度:1993、[9]、参考:「サザエさん」発案の地
  12. ^ 閉館した西新エルモールプラリバの跡地に、再開発で建てた新施設を、請け負った東京建物が名称決定(2019年7月開業)。
  13. ^ 旧・イオン西新店
  14. ^ 当該建築物2階にあるヤマハ西新センターはヤマハ音楽振興会直営店である。2020年現在は全国に2箇所しかないヤマハ音楽振興会直営店(もう1つは東京にある)である。なお、福岡市内にある他のヤマハ音楽教室はヤマハ系列の関連会社運営か地元企業によるフランチャイズ店舗である。[11]
  15. ^ 市道西新7号線の途中から西へ向かう私道の階段から境内北緯33度34分52.8秒 東経130度21分20.0秒 / 北緯33.581333度 東経130.355556度 / 33.581333; 130.355556に入るため車両は入れない。国税庁の法人番号は9290005000487である。
  16. ^ 所在地:北緯33度34分53.04秒 東経130度21分19.58秒 / 北緯33.5814000度 東経130.3554389度 / 33.5814000; 130.3554389。この表示には次のように記されている。「旧黒田藩窯高取焼東皿山窯跡 黒田藩御用窯東皿山窯跡が、この宮地嶽神社附近にあった。(実際には、ここより約百メートルほど西側一帯にあったと思われる。)四代黒田綱政は、宝永五年(一七〇八年)に小石原から陶工を選んで、福岡城下の西、麁原(そはら)村に開窯させた。これを『東皿山』と呼んでいる。陶工は西皿山に居住し、交代で、この東皿山に製成ならびに焼成に来ていた。この東皿山は、黒田藩の御庭焼として隆盛をきわめ、主として茶入、茶碗、置物など薄手の遠州好みの製品を作陶していたが、その製品は、幕府及び諸侯への贈答用に限られていた。なお西皿山(西区高取一丁目)では、現在も引き続き製陶されている。 昭和五十三年三月 東皿山窯跡保存会 福岡市教育委員会」

出典[編集]

  1. ^ 福岡市. “福岡市区の設置等に関する条例”. 2022年10月29日閲覧。→別表第1
  2. ^ [https://www.city.fukuoka.lg.jp/soki/tokeichosa/shisei/toukei/kokusei/H27_kokuchou/Census2015_jinkoutoukihon.html 平成27年(2015年)国勢調査の結果「公称町別面積及び人口密度」より
  3. ^ a b 住民基本台帳 男女別人口及び世帯数・公称町別世帯数及び人口、2022年8月8日閲覧。
  4. ^ 日本郵便株式会社. “郵便局”. 2023年3月24日閲覧。→「郵便番号を調べる」→キーワード検索等
  5. ^ 道路下水道局計画部河川計画課. “福岡市の河川概要”. 福岡市. 2022年8月9日閲覧。より「河川図」参照
  6. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  7. ^ 福岡市都市計画マスタープラン
  8. ^ 福岡市のWEBページ「地区計画決定状況一覧」の「早良区」→「再13」
  9. ^ a b c d 公園等検索”. 公益財団法人福岡市緑のまりづくり協会. 2022年6月24日閲覧。
  10. ^ 福岡市早良区役所『早良郡役所跡地(公園内の説明版より)』(レポート)。
  11. ^ ヤマハ西新センター - ヤマハ音楽振興会、2020年5月19日閲覧。
  12. ^ a b 当金庫について-ごあいさつ(福岡信用金庫)、2012年2月25日閲覧。
  13. ^ 西新駅に「サザエさん」の陶板を設置 - 福岡市早良区役所、2015年2月2日
  14. ^ 「サザエさん商店街通り」開通記念行事のお知らせ - 西新商店街、2017年1月23日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]