渡辺通 (福岡市)

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新川橋から南東方面を望む

渡辺通(わたなべどおり)は、福岡市中央区の地名。現行行政地名は渡辺通一丁目から渡辺通五丁目。郵便番号810-0004。

地理[編集]

福岡市中央区東部に位置する。北で西中洲、東で春吉、南東で清川、南で高砂、南西で白金、西で薬院今泉、北西で天神と隣接する。天神市街地の南側にあたり、南天神と一体化した市街地を持つ。地名と同名の渡辺通り福岡県道602号)が町域の中央を南東から北西に貫いている。渡辺通りを挟んで東側が南から1・3・5丁目、西側が南から2・4丁目。広い通りが中央にあるため、ホテルニューオータニ博多九州電力本社(通称・電気ビル)、BiVi福岡などの施設がある。西辺には那珂川水系薬院新川が流れる。

河川[編集]

歴史[編集]

地名の由来[編集]

地名は、1910年明治43年)に博多電気軌道株式会社を設立した博多の呉服商「紙與(紙与)」の渡辺與八郎の名に由来する。1911年10月に電車道を整備したが同月末に與八郎が急死。会社は與八郎の偉業を偲んで下警固法印田(現在の博多大丸西日本新聞社の位置)から住吉までの電車道に「渡辺通り」という通称を付けた。昭和になりこの通称が公称となる。

発展[編集]

第二次世界大戦前、博多区大博町にあった遊廓が渡辺通1丁目の南側に移転すると店舗等が増加し始め、戦争直後は闇市が立ち並ぶ一大繁華街になった。「博多の新宿」と呼ばれる時代が続いたが、1960年代以降は店舗の老朽化が進み人足が遠のき始め、1970年代には再開発事業が行われた。ホテルニューオータニ博多やサンセルコは、この時期に建設されたものである[1]

町域の変遷[編集]

住居表示実施後 実施年月日 住居表示実施前(各町名・大字ともその一部)
渡辺通一丁目から渡辺通五丁目 1962年昭和37年) (旧)渡辺通1丁目〜5丁目・昭和通・新開町1丁目〜3丁目・今泉町1丁目〜5丁目・大字住吉・大字春吉・大字庄

交通[編集]

中心となる駅は薬院駅西鉄の特急・急行を含めすべての列車が停車する。薬院駅は城南線を境に渡辺通と白金に跨る。西鉄と地下鉄博多駅方面へのバスなど乗換客も多い。

施設[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

福岡市中央区東部に位置する。北で西中洲、東で春吉、南東で清川、南で高砂、南西で白金、西で薬院・今泉、北西で天神と隣接する。

  • 渡辺通り - 地名の由来にもなっている道路。

外部リンク[編集]