藤崎 (福岡市)

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藤崎
藤崎(明治通りより)
藤崎(明治通りより)
地図
藤崎の地図
藤崎の位置(福岡市内)
藤崎
藤崎
藤崎の地図
藤崎の位置(福岡県内)
藤崎
藤崎
藤崎 (福岡県)
藤崎の位置(日本内)
藤崎
藤崎
藤崎 (日本)
北緯33度34分37.9秒 東経130度20分51.7秒 / 北緯33.577194度 東経130.347694度 / 33.577194; 130.347694
日本の旗 日本
都道府県 福岡県
市町村 福岡市
早良区
面積
 • 合計 17.11 ha
人口
(2023年(令和5年)2月末現在)
 • 合計 3,027人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
814-0013
市外局番 092

藤崎(ふじさき)は、福岡県福岡市早良区町名。現行の行政地名は、藤崎一丁目及び藤崎二丁目である[1]。面積は17.11ヘクタール[2]。2022年6月末現在の人口は3,027人[3]郵便番号は814-0013[4]

地理[編集]

福岡市の都心部とされる中央区天神等の西南西約5キロメートル、早良区の北部に位置する。北で百道、東で高取、南東で昭代、南で、西で弥生と隣接する。町域内は主に住宅地として土地利用がなされている。近接する西新ほどは繁華ではないものの、地下鉄の駅周辺には西新まで続くいわゆる西新商店街(通称「サザエさん商店街通り」[5]:藤崎通り商店街、高取商店街、中西商店街、西新中央商店街、オレンジ通り商店街)の西側の入口があるほか、北側の明治通りや西側の原通りの沿線には銀行医院商業施設トレーニングジムなども立地する。

通称としての地名[編集]

地域住民が認識する広域的な藤崎地域としては、町名の藤崎よりも広く、周辺の百道、高取、弥生など地下鉄藤崎駅から徒歩10分程度の地域を指すことが多い。

河川[編集]

藤崎二丁目に金屑川の支流である汐入川(準用河川)[6]が横断している。

都市計画[編集]

都市計画に関しては、「福岡市都市計画マスタープラン」[7]において定められた方針については次のとおりである。交通ネットワークとして都市の骨格となる明治通りの沿道や幹線道路である原通りの沿道は、商業、業務、サービス施設や中高層住宅などが連続した「都市軸」や「沿道軸」に位置付けられている。藤崎に西新及びシーサイドももちを合わせた地域は、都心部を取りまく東部・南部・西部の三つの広域拠点(副都心)のうち、「西部広域拠点」として位置付けられ、商業、業務、サービス機能などの誘導と商店街などと連続性のある街並みの形成、さらに、「行政核」として行政サービスの中心地としての機能充実などがまちづくりの視点とされている。また住宅地としては、中層住宅や高層住宅で形成される「中高層住宅ゾーン」として位置づけられ、良好な住環境の保全、形成などがまちづくりの視点とされている。用途地域は次のとおりである。北側の明治通りの道路境界線から南側概ね30メートルの範囲は商業地域、西側の原通りからの道路境界線から東側概ね50メートルの範囲は第二種住居地域、これら以外の範囲は第一種住居地域に指定されている[8]。また、藤崎二丁目の一部の区域約2.9ヘクタールについては、地区計画の区域として「藤崎二丁目地区地区計画」[9]が定められ、良好な低層住宅地としての保全を図るために、用途地域の規制に加えて、さらに建築物等に関する制限が加えられている。

語源[編集]

地名の「藤崎」について町内では、「かつてこの地から『筑前富士』と称される可也山がよく見えたことから「富士崎」という地名となった」と口伝されている。また、異説では、語源は縁(ふち)・前(さき)で、微高地の縁の前を呼称するものともいう[10]

歴史[編集]

弥生時代[編集]

現在の早良区役所の南あたりを中心に東西約370メートル、南北約310メートルにわたる範囲[注釈 1]で、弥生時代から海岸砂丘上に存在する共同墓地の「藤崎遺跡」が発掘されている。数回にわたる調査から、遺跡の主体となる甕棺墓の数は200基に及ぶのではないかと考えられており、この他に土壙墓(どこうぼ)、石棺墓なども発掘されており、弥生時代初期から古墳時代初期に及ぶ継続的な墓地の営みがうかがわれる。また、副葬品として三角縁二神龍虎鏡、方格渦文鏡、三角縁二神二車馬鏡、珠文鏡、乳文鏡等の銅鏡が出土している。[11]

町域の変遷[編集]

現在の地名は、1969年昭和44年)における住居表示の実施に伴う地名変更によって定められたものであり、その実施前後の地名は次表のとおりである。[12]

住居表示実施後 実施年月日 住居表示実施前
藤崎一丁目及び藤崎二丁目 1969年(昭和44年) 藤崎町一丁目から三丁目まで、西新町、紅葉町一丁目から三丁目まで、弥生町一丁目から三丁目まで及び昭代町一丁目から四丁目までの各一部

人口[編集]

藤崎一丁目と二丁目を合わせた人口の推移を福岡市の住民基本台帳(公称町別)[3]に基づき示す(単位:人)。集計時点は各年9月末現在である。

交通[編集]

交通に関しては、地下鉄藤崎駅の北側でバスターミナル藤崎バス乗継ターミナル百道地区内)が接続し、福岡市の主要な交通結節点の一つを形成している。

道路[編集]

主な幹線道路は次の通り。

鉄道[編集]

鉄道については、福岡市交通局が運営する地下鉄福岡市地下鉄空港線が地区の北側に通っており、藤崎と百道にまたがる位置に次の駅がある。

バス[編集]

バスについては、西日本鉄道株式会社が運営する西鉄バスが運行しており、次の停留所等がある。

施設[編集]

公共・公益施設[編集]

学校[編集]

町内に学校は存在しないが、校区については、小学校区、中学校区についてそれぞれ次の学校の校区に属する[16]

金融機関[編集]

商業施設[編集]

町内北側の明治通りの沿線(商業地域)や西側の原通りの沿線(第二種住居地域)には商業施設等が多く立地するが、藤崎二丁目の住宅街(第一種住居地域)の中にも次のスーパーマーケットがある。

名所・旧跡[編集]

外部リンク[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 現在の地名では藤崎と隣接する百道及び高取にまたがる範囲。
  2. ^ バスのみならず、タクシーの通行が多い。
  3. ^ 所在地:藤崎二丁目15-28北緯33度34分37.1秒 東経130度20分48.3秒 / 北緯33.576972度 東経130.346750度 / 33.576972; 130.346750、運転開始年月:1963年(昭和38年)4月、目的:汚水中継及び雨水排除用のポンプ場、【汚水ポンプ】口径:300mm、ポンプ能力:10立方メートル毎分、現有台数:3、計画台数:3、現況能力:30立方メートル毎分、【雨水ポンプ】口径:300mm、900mm、1,200mm、ポンプ能力:12.3+105+186立方メートル毎分、現有台数:2+2+2、計画台数:2+2+2、現況能力:606.6立方メートル毎分、雨水放流先:金屑川[13]
  4. ^ 所在地:福岡市早良区藤崎二丁目11番2(地番)北緯33度34分37.0秒 東経130度20分53.6秒 / 北緯33.576944度 東経130.348222度 / 33.576944; 130.348222、面積:1,981.01m2[14]
  5. ^ 所在地:藤崎二丁目7北緯33度34分31.1秒 東経130度20分52.9秒 / 北緯33.575306度 東経130.348028度 / 33.575306; 130.348028、公園種別:幼児公園、面積:917m2、開園年度:1994[15]。当該公園は「藤崎二丁目地区地区計画」の地区内に含まれている[9]。公園内の説明版には次の通り記されている。「藤崎1号公園 この公園は昭和39年から組合共有地のこども広場として組合が建設維持し、平成15年良住環境『地区計画』地区の核として、福岡市へ寄付・売却したものである。 平成15年5月 昭代住宅管理組合解散総会」
  6. ^ この校区の公民館は「室見公民館」[17]である。
  7. ^ 所在地:藤崎二丁目2番2号北緯33度34分34.5秒 東経130度20分55.3秒 / 北緯33.576250度 東経130.348694度 / 33.576250; 130.348694
  8. ^ 現在の地名では福岡市早良区高取百道及び藤崎にまたがる範囲に弥生時代に存在した共同墓地の遺跡。石碑が早良区高取二丁目17番37号の私有地内北緯33度34分52.50秒 東経130度20分55.48秒 / 北緯33.5812500度 東経130.3487444度 / 33.5812500; 130.3487444に設置されている。この石碑には次のように記されている。「藤崎遺跡 この地は、弥生時代の集団墓地の遺跡として古くから知られていたところで、弘中ビルの建築に先だって昭和五十二年八月四日から九月十六日まで発掘調査を行い、弥生時代(BC3-AD1)の上拡墓十基、甕棺墓六十基と、それを囲む大溝などが発見され、当時の人その生活や埋葬儀礼の様相が明らかにされました。この調査によって失われた祖先の跡を偲んでこの碑を建立し、永久にこれを伝えるものであります。 昭和五十三年四月二十二日 施主 広中 浩」
  9. ^ 所在地:藤崎一丁目1番41号北緯33度34分51.41秒 東経130度20分51.74秒 / 北緯33.5809472度 東経130.3477056度 / 33.5809472; 130.3477056、法人番号:8290005000199[19]
  10. ^ 一里塚の石碑に添えられた銘板には次の通り記されている。「藤崎『一里塚』の由来 江戸時代には、江戸(東京)の日本橋を起点として、東海道に道路の距離標式である一里塚(里程標)が制定された。わが福岡藩でも福岡城上の橋御門を起点とし、西の前原道は藤崎に、東の箱崎道は桝形門の西中島橋を起点とし、筥崎宮前、南の太宰府道は板付橋に一里塚が制定された。この再建された藤崎の一里塚は筑前名所図会によるものである。」。位置は次の通り。北緯33度34分51.79秒 東経130度20分48.36秒 / 北緯33.5810528度 東経130.3467667度 / 33.5810528; 130.3467667

出典[編集]

  1. ^ 福岡市. “福岡市区の設置等に関する条例”. 2022年8月9日閲覧。→別表第1
  2. ^ 福岡市統計調査課. “平成27年(2015年)国勢調査の結果”. 福岡市. 2021年4月20日閲覧。
  3. ^ a b 福岡市統計調査課. “登録人口(公称町別)- 住民基本台帳(日本人)男女別人口及び世帯数”. 福岡市. 2022年4月22日閲覧。
  4. ^ 日本郵便株式会社. “郵便局”. 2022年10月7日閲覧。→「郵便番号を調べる」→キーワード検索等
  5. ^ 「サザエさん商店街通り」開通記念にパレードとウォークラリーを開催(1/29)、西新商店街公式ホームページより。旧唐津街道の一部でもある。
  6. ^ 福岡市河川計画課. “福岡市の河川概要”. 福岡市. 2021年5月21日閲覧。より「河川図」参照
  7. ^ 福岡市都市計画課. “福岡市都市計画マスタープラン”. 福岡市. 2021年5月21日閲覧。都市計画法第18条の2に基づき市町村が定める都市計画に関する基本的な方針
  8. ^ 福岡市. “福岡市WEBまっぷ”. 福岡市. 2022年9月24日閲覧。→「都市計画情報」
  9. ^ a b 福岡市都市計画課. “地区計画決定状況一覧”. 福岡市. 2021年5月21日閲覧。の「早良区」→「早6」
  10. ^ 池田善朗 (2013), 筑前の古地名・小字, 石風社, pp. 108, ISBN 978-4-88344-222-5 
  11. ^ 濱石, 哲也『藤崎遺跡』 62巻福岡県福岡市中央区天神1丁目1-8〈福岡市埋蔵文化財調査報告書〉、1981年3月31日(原著1981年3月31日)。doi:10.24484/sitereports.59247NCID BN14733810https://sitereports.nabunken.go.jp/59247 
  12. ^ 「角川日本地名大辞典」編集委員会 竹内理三『角川日本地名大辞典』 40 福岡県(初版)、角川書店、1988年3月8日、1182頁。ISBN 4-04-001400-6 
  13. ^ 福岡市道路下水道局計画部下水道企画課. “下水道事業の概要”. 2022年8月24日閲覧。→3 下水道の現状と推移(33ページ)
  14. ^ 福岡市財政局財産有効活用部財産活用課公有財産係. “固定資産台帳の公表”. 2022年6月17日閲覧。
  15. ^ 公園等検索”. 公益財団法人福岡市緑のまりづくり協会. 2022年7月31日閲覧。→キーワード検索:「藤崎1号公園」
  16. ^ 福岡市教育委員会. “福岡市通学区域”. 福岡市. 2021年5月21日閲覧。
  17. ^ 福岡市生涯学習課. “室見公民館”. 福岡市. 2021年5月21日閲覧。室見三丁目)
  18. ^ 福岡市文化財活用課. “藤崎遺跡”. 福岡市. 2021年5月21日閲覧。
  19. ^ 国税庁長官官房企画課法人番号管理室. “国税庁法人番号公表サイト”. 2022年9月5日閲覧。→検索
  20. ^ 福岡市早良区企画課. “一里塚”. 福岡市. 2021年5月21日閲覧。

関連項目[編集]