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一里塚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三重県亀山市に残る東海道の野村一里塚(国の史跡)。

一里塚(いちりづか)は、江戸の日本橋を起点として、主要な街道の側に1里(約3.927キロメートル)毎に設置された塚(土盛り)である。多くは塚の上にエノキやマツが植えられ、街道を往来する旅人の道標となった[1]。

特色

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塚の側にエノキなどの木を植えたり、標識を立てたりしていた[2]。いわゆる街道のマイルストーン・キロポストと同様である。一里塚は中華人民共和国にも存在する[注釈 1]。

一里塚の大きさは5間(約9メートル)四方、高さ1丈(約1.7メートル)に土を盛り上げてつくられ、一里塚の上にはエノキなどの木が植えられ、木陰で旅人が休息を取れるように配慮されていた[3]。また、植えられた樹木は築いた塚の崩壊を根で防ぐ役割も持っていた。

一里塚の本来の姿は街道の両側に対で設置されるものである。ただし現存する一里塚の多くは道の片側にのみ存在していることが多い。街道を挟んで一対で現存する一里塚には、国のほか都道府県や市町村(地方自治体)の史跡に指定されているものもある。類例として神奈川県横浜市戸塚区の品濃一里塚は2つの塚が1対で現存し、神奈川県の史跡に指定されている。なお、国・都道府県・市町村の史跡に指定されている一里塚や未指定の塚であっても、地域住民の崇敬の対象として守られているものやその跡地も多い。

一里塚の樹種

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五街道における樹種は、エノキが55%、マツが27%、スギが8%であり、以後はサクラ、クリ、ムクノキ、ヒノキ、カシの順だった[4]。稀にクワ、ヒイラギ、ウルシなどが植えられることもあった[4]。日光街道で最も多い樹種はスギだった[4]。

歴史

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日本では、平安時代末期に、奥州藤原氏が白河の関から陸奥湾までの道に里程標を立てたのが最初と言われている。室町時代の一休(または一休に近しい遊女・地獄太夫)が「門松は冥土の旅の一里塚 目出度くもあり目出度くもなし」との歌を詠んでいる。

一里塚が全国的に整備されるようになったのは江戸時代である。慶長9年2月4日(グレゴリオ暦1604年3月4日)、徳川家康が子の徳川秀忠に命じ、金山奉行の大久保長安が総監督となって設置したのが始まりである[5]。江戸幕府は江戸の日本橋を起点として全国の各街道の1里(約4 km)ごとに一里塚を設置するよう指令を出し[5]、長安の指揮の元に一里塚の設置が行われ、10年ほどで完了した。

明治時代に入ると、鉄道の発達や道路制度の再編により、一里塚は近世交通における里程標・休息地点としての実用性を急速に失っていった[6]。明治9年(1876年)10月4日には、太政官文書として「一里塚廃毀」が扱われており、少なくともこの時期に一里塚の撤去が中央行政の議題となっていたことが確認できる[7][注釈 2]。

その一方で、近代以降に保存対象へ転じた一里塚もある。志村一里塚は、明治以降に多くの一里塚が消滅したのちも二基一対で残る稀少な例であり、現在は国の史跡に指定されている[8]。また、西ヶ原一里塚も1922年(大正11年)3月8日に国の史跡に指定されており、道路拡張により西側の塚が撤廃されかけたが保存された経緯が記されている[9]。さらに北区の案内では、市電延長に伴う撤去計画に対して、渋沢栄一や地元住民、学識経験者らが保存を要請し、塚を避けて軌道が敷設されたことが紹介されている[10]。

五街道の一里塚一覧

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ギャラリー

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脚注

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注釈

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  1. ↑ 。なお、当時の中国での1里は約500メートルである
  2. ↑ 板橋区の解説では、明治になると風雨による劣化に加え、鉄道の発達など交通体系の変化によって荒廃が進み、同年の「一里塚廃毀」の法令後に全国的な取り壊しが進んだとされる[6]。このため、一里塚が本来は街道の両側に対で設けられる施設であったにもかかわらず、近代以降には片側のみが残る事例が多くなった背景も理解しやすい[6]。

出典

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  1. ↑ 『はてなに答える!小学社会』学研、2019年、531頁。
  2. ↑ 国土技術政策総合研究所資料 (PDF) - 国土交通省 国土技術政策総合研究所
  3. ↑ ロム・インターナショナル(編) 2005, pp. 60–61.
  4. 1 2 3 街道の一里塚と並木 日本鋳造工学会関東支部
  5. 1 2 ロム・インターナショナル(編) 2005, p. 61.
  6. 1 2 3 “時代を紡ぐ「志村一里塚は動かなかった!」”. 板橋区公式ホームページ. 2026年3月18日閲覧。
  7. ↑ “一里塚廃毀”. 国立公文書館デジタルアーカイブ. 2026年3月18日閲覧。
  8. ↑ “板橋十景 志村一里塚”. 板橋区公式ホームページ. 2026年3月18日閲覧。
  9. ↑ “西ヶ原一里塚”. 国指定文化財等データベース. 文化庁. 2026年3月18日閲覧。
  10. ↑ “西ケ原一里塚”. 東京都北区観光ホームページ. 2026年3月18日閲覧。
  11. ↑ 下館河川事務所ホーム > 鬼怒川・小貝川を知る > 川の一里塚(いちりづか)って知ってる? Archived 2025-05-18 at the Wayback Machine. 国土交通省 関東地方整備局 下館河川事務所

参考文献

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  • ロム・インターナショナル(編)『道路地図 びっくり!博学知識』河出書房新社〈KAWADE夢文庫〉、2005年2月1日。ISBN 4-309-49566-4。 

関連項目

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外部リンク

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