鈴鹿1000km
インターナショナル SUZUKA 1000km International SUZUKA 1000km | |
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インターナショナル SUZUKA 1000kmが開催される鈴鹿サーキット(写真はグランドスタンド) | |
イベントの種類 | 自動車レース |
旧イベント名 |
インターナショナル ポッカサッポロ1000km インターナショナル ポッカGTサマースペシャル ポッカインターナショナル1000km耐久レース 鈴鹿1000km |
開催時期 | 毎年8月下旬の土曜日・日曜日 |
初回開催 | 1966年 |
会場 | 鈴鹿サーキット |
主催 |
関西スポーツカークラブ 鈴鹿モータースポーツクラブ 株式会社モビリティランド |
後援 |
三重県鈴鹿市 鈴鹿F1日本グランプリ地域活性化協議会 一般社団法人鈴鹿観光協会 鈴鹿商工会議所 |
来場者数 | 27,000人(2011年大会) |
鈴鹿サーキットへの交通アクセス | |
最寄駅 | 鈴鹿サーキット稲生駅 |
駐車場 | あり |
公式サイト |
鈴鹿1000km(すずかせんきろ)は、1966年より毎年夏に鈴鹿サーキットで開催されている耐久レース。文字通り1,000kmを走行する耐久レースで、2009年から2011年の間のみ距離を短縮して開催している(詳細は後述)。
概要
鈴鹿8時間耐久ロードレースと共に夏の鈴鹿を代表する耐久レースの一つ。元々は、1966年に鈴鹿サーキットが立ち上げた「鈴鹿500km」、「鈴鹿1000km」、「鈴鹿12時間」(1967年より)の3戦から成る「鈴鹿耐久レースシリーズ」の1戦だった。オイルショックで一時期中断していたが、1980年に復活。1981年より国際格式レースになった。
1983年より全日本耐久選手権(1987年に全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権に改称)の1戦として開催されるようになる。1992年にはスポーツカー世界選手権(SWC)の1戦として開催されるが、出走台数は11台と過去最低を記録した。以降、1995年、1996年はBPR GTシリーズ、1997年、1998年はFIA GT選手権の1戦として開催される。
1999年から2005年までは単独イベントとして開催。全日本GT選手権(2005年より「SUPER GT」)のGT500車両およびGT300車両、スーパー耐久車両、国際GT車両などによる混成レースだったが、この期間のすべてでGT500のマシンが総合優勝している。
2006年よりSUPER GTと統合されることになった。SUPER GTは、基本的に2名のドライバーで参戦するが、通常戦より長丁場になるこのレースのみ3人目のドライバー登録が認められており(2011年のみ禁止)、国内外の有名レーサーがスポット参戦する。また2006年と2012年以降はボーナスポイントが加算されるなど、SUPER GTシリーズの中でも特殊なレースである。
1994年よりポッカコーポレーション(現・ポッカサッポロフード&ビバレッジ)が冠スポンサーとなり「ポッカインターナショナル1000km耐久レース」の名称で知られるようになる。2013年、ポッカの経営統合に伴う社名変更からレース名称が「インターナショナル ポッカサッポロ1000km」に変更された[1]。
なお2009年 - 2011年はレース距離が約700kmに短縮され[2]、レース名称を「インターナショナルポッカGTサマースペシャル」に変更している。また2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)及び東京電力・福島第一原子力発電所での事故による全国的な電力不足問題(東日本大震災による電力危機)の影響から夜間走行を控える目的で「500km(87周)もしくは18時半を過ぎた段階でレース終了」とさらに距離が短縮されたため、第3ドライバーの登録が認められなくなった。2012年、4年ぶりに距離を1,000kmに戻して開催された[3]。
2014年からは、ポッカサッポロが冠スポンサーを外れ[4]「インターナショナル SUZUKA 1000km」と名称を変更。SUPER GTのスケジュール変更に伴い8月中旬の第5戦から同月下旬の第6戦へと移動した。レース距離は1000km・173周、レーススタート時刻から6時間が最大延長時間[5]である。
鈴鹿8耐と同様、レース終了後には花火を打ち上げるのが恒例となっている。
歴代優勝車・ドライバー
- 単独レースとして開催
- 1966年 トヨタ・2000GT(福沢幸雄/津々見友彦)
- 1967年 ポルシェ・906(滝進太郎/田中健二郎)
- 1968年 トヨタ・7(福沢幸雄/鮒子田寛)
- 1969年 ポルシェ・906(津々見友彦/米山二郎)
- 1970年 日産・フェアレディZ432(西野弘美/藤田皓二)
- 1971年 ポルシェ・910(川口吉正/鮒子田寛)
- 1972年 トヨタ・セリカ1600GT-R(高橋晴邦/竹下憲一)
- 1973年 日産・フェアレディ240Z-R(高橋国光/都平健二)
- 1980年 マーチ・75S/マツダ(辰巳裕信/長坂尚樹)
- 1981年 ポルシェ・935K3(ボブ・ウォレク/アンリ・ペスカロロ)
- 1982年 BMW・M1(佐藤文康/長坂尚樹)
- 全日本耐久選手権として開催
- 全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権として開催
- 1987年 トヨタ・87C(ジェフ・リース/関谷正徳/小河等)
- 1988年 ポルシェ・962C(岡田秀樹/スタンリー・ディケンズ)
- 1989年 ポルシェ・962C(高橋国光/スタンリー・ディケンズ)[6]
- 1990年 日産・R90CP(星野一義/鈴木利男)
- 1991年 トヨタ・91C-V(ローランド・ラッツェンバーガー/ピエール=アンリ・ラファネル/長坂尚樹)
- スポーツカー世界選手権として開催
- 1992年 プジョー・905(デレック・ワーウィック/ヤニック・ダルマス)
- 単独レースとして開催
- 1993年 日産・R92CP(和田孝夫/鈴木利男)
- 1994年 ポルシェ・911ターボLM(ジャン=ピエール・ジャリエ/ボブ・ウォレク/ジーザス・パレハ)
- BPR GTシリーズとして開催
- 1995年 マクラーレン・F1-GTR(レイ・ベルム/マウリツィオ・サンドロ=サーラ/関谷正徳)
- 1996年 マクラーレン・F1-GTR(レイ・ベルム/ジェームス・ウィーバー/J.J.レート)
- FIA GT選手権として開催
- 1997年 メルセデスベンツ・CLK‐GTR(アレッサンドロ・ナニーニ/マルセル・ティーマン/ベルント・シュナイダー)
- 1998年 メルセデスベンツ・CLK‐LM(ベルント・シュナイダー/マーク・ウェバー)
- 単独レースとして開催
- SUPER GTとして開催。いずれもGT500クラスの優勝マシンを記載。
- 2006年 カルソニック インパル Z(ブノワ・トレルイエ/星野一樹/ジェレミー・デュフォア)
- 2007年 宝山 TOM'S SC430(脇阪寿一/アンドレ・ロッテラー/オリバー・ジャービス)
- 2008年 カルソニック IMPUL GT-R(松田次生/セバスチャン・フィリップ)
- 2009年 KRAFT SC430(石浦宏明/大嶋和也)
- 2010年 ARTA HSV-010(ラルフ・ファーマン/井出有治/小林崇志)
- 2011年 ウイダー HSV-010(小暮卓史/ロイック・デュバル)
- 2012年 S Road REITO MOLA GT-R(柳田真孝/ロニー・クインタレッリ)
- 2013年 ウイダー モデューロ HSV-010(山本尚貴/フレデリック・マコヴィッキィ)
- 2014年 PETRONAS TOM'S RC F(中嶋一貴/ジェームス・ロシター)
- 2015年 PETRONAS TOM'S RC F(伊藤大輔/ジェームス・ロシター)
テレビ中継
テレビ中継については、JSPC時代は1週間遅れでテレビ東京系列で録画放送があった。スポーツカー世界選手権(SWC)の1戦となった1992年から1997年までは、テレビ朝日系列(名古屋テレビ製作)で当日深夜に録画中継が行われていた。また、1998年は名古屋テレビが東海ローカルで、ヨーロッパで放送されていたTV中継をオリジナルのままで、約2ヵ月後の深夜に放送したこともある。1999年と2000年はテレビ東京系列で9月に放送した。
現在はSUPER GT中継の一戦としてBS放送のJ SPORTSでスタートからレース終了まで生中継されている。
実況・解説等
- 実況 勝智久(名古屋テレビアナウンサー)
- 解説 熊谷睦(1992年)、津々見友彦(1994・95年)、安田崇(1996年)
- ゲスト 関谷正徳(1996年)、土屋圭市(1997年)
- ピットリポート 岡田秀樹(1996年)
脚注
- ^ 2013 AUTOBACS SUPER GT Round5 第42回インターナショナルポッカサッポロ1000km開催概要およびチケット発売のご案内
- ^ SGT:09シーズンの富士500km、鈴鹿1000kmはレース距離短縮に - fmotor.jp
- ^ 2012 SUPER GT Round 5 決勝レース距離決定について
- ^ 2014年は大会協力、2015年は完全にスポンサーを降りた。ただし鈴鹿サーキットへの支援は続けている
- ^ 2015年は降雨により序盤のレースペースが低調だったため、この『6時間ルール』が適用された
- ^ 台風により延期、予選結果はそのままに決勝レースのみ12月に行った。