日産・R92CP

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日産・R92CP
Nissan R91CP 001.JPG
カテゴリー グループC
コンストラクター NISMO
デザイナー 岡寛[1]
先代 日産・R91CP
後継 日産・NP35
主要諸元
シャシー カーボンコンポジット・モノコック
サスペンション(前) ダブルウィッシュボーン
サスペンション(後) ダブルウィッシュボーン
全長 4,800 mm
全幅 1,990 mm
全高 1,100 mm
トレッド 前:1,600 mm / 後:1,560 mm
ホイールベース 2,795 mm
エンジン 日産・VRH35Z 3,496 cc V8 2Turbo ミッドシップ
トランスミッション ヒューランド VGC 5速+リバース MT
重量 850 kg以上
タイヤ ブリヂストン
主要成績
チーム 日本の旗 ニスモ
ドライバー 日本の旗 星野一義
日本の旗 鈴木利男
日本の旗 長谷見昌弘
アメリカ合衆国の旗 ジェフ・クロスノフ
日本の旗 影山正彦
日本の旗 和田孝夫
出走時期 1992年
コンストラクターズ
タイトル
1
ドライバーズタイトル 1
初戦 1992年 鈴鹿500km
初勝利 1992年 鈴鹿500km
最終戦 1992年 美祢500km
出走
回数
優勝
回数
ポール
ポジション
ファステスト
ラップ
7 7(クラス優勝2回を含む) 5 2
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日産R92CPは、1992年全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)用に日産自動車が製作したグループCカー。前作日産・R91CP同様、全て日産社内で作られた純国産車である。

概要[編集]

エンジンは3.5リッターV型8気筒ツインターボVRH35Zを搭載。1992年JSPC全6戦、および1993年鈴鹿1000kmの参加した計7戦全戦で優勝(クラス優勝2戦含む)。1992年JSPCグループC1部門のドライバーズ(星野一義)・メイクスの二冠タイトルを獲得。1993年デイトナ24時間レースにも参加予定だったが、直前にキャンセルされた。[要出典]

R92CPは、基本的には前年度のR91CPの改良発展型であり、R91CPとは外観的な差異は大きくない。顕著な差異は、フロントフェンダー上部のエアアウトレットで、R91CPまではルーバー状だったものがR92CPではJSPC第4戦菅生から開閉するフラップ状になったこと程度であり、前部に位置するラジエータ、同じく前部に開口するインタークーラー用ダクト、特徴的なブレーキ冷却用エアインレットなどは、そのまま継承されている。

サスペンションの設計については、R91CPでは扱いやすさを狙ってレーシングカーとしては高めに設定されていたロールセンターは、常識的なレベルまで下げられ、コーナリング性能は一段と向上し、タイヤへの負担も小さくなった。また、ホイール径がR90CP、R91CPではフロント17インチ/リヤ19インチであったが[2]、R92CPではフロント17インチ/リヤ18インチに改められた[3]

エンジンはV型8気筒3549ccのVRH35Zが改良の上継承されている。トランスミッションも、引き続きヒューランド社製5速VGCが採用されているが、R91CPと同様に内部のギアだけが使用されており、ル・マンなどで強度不足の問題が出たミッションケースは日産内製で作りなさおれている。

戦績[編集]

1992年のJSPCに日産/NISMOは2台のR92CPをエントリ-させた。前年まで日産と激しくタイトルを争っていたトヨタは1992年シーズンはSWCに注力することになりJSPCではトムスサードトラストの各トヨタユーザーの後方支援をするにとどまった[4]

1号車は星野一義/鈴木利男組が担当した。開幕戦の鈴鹿500kmこそサスペンションを傷めて9位に終わったものの、第2戦・富士1000kmでポール・トゥ・ウィンを記録。第3戦・富士500マイルではニュー・モノコックを投入してきたトムスの92C-Vを抑えて連勝。第4戦・菅生500kmでは全車周回遅れにして3連勝を達成した。第5戦・富士1000kmではトヨタの投入したSWCマシン・TS010に敗れ総合2位に終わるもクラス優勝し星野/鈴木組のドライバー・タイトルが確定。最終戦・美祢500kmでは鈴木利男はニューマシン・NP35のドライブを担当したため和田孝夫が星野のパートナーとなった。シーズン2度目のポールポジションを獲得し、総合2位とクラス優勝を獲得。星野は2年連続でドライバー・タイトルを獲得した。

24号車は長谷見昌弘/ジェフ・クロスノフ組が担当した。開幕戦の鈴鹿500kmでポール・トゥ・ウィンを達成。しかしその後成績は伸び悩んだ。第2戦・富士1000kmでは4位に終わり、第3戦・富士500マイル、第4戦・菅生500kmと2戦連続でポールポジションを獲得するも、レースではそれぞれ5位と4位に終わった。24号車のモノコックはレース後半になるとペースが上がらないクセがあり、それが決勝レースでの不振につながっていたという[5]。第5戦・富士1000kmからテストで負傷したクロスノフに代わって影山正彦(これまでもサード・ドライバーとして登録はされていた)が長谷見のパートナーとなった。第5戦・富士1000kmでは総合5位・クラス4位、最終戦・美祢500kmでは総合6位・クラス4位に入賞した。

1993年の鈴鹿1000kmがR92CPの最後の出場レースとなった。ルマン・NISMO合同チームからのエントリーで鈴木利男と和田孝夫がステアリングを握った。最上位のグループCクラスにはルマン・NISMO以外にはノバ・エンジニアリング日産・R93CKの1台のみで、優勝争いは日産勢同士による一騎打ちとなった。ICL参戦のために大がかりなモディファイを施したノバのR93CKに対し、1992年12月に1度テストを行っただけ[6]のR92CPは予選、決勝とも苦戦を強いられたが、レース終盤に逆転し優勝。有終の美を飾った。

脚注[編集]

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  1. ^ 「Racing On」 No.136、p.30、ニューズ出版、1993年。
  2. ^ 「オートスポーツ」 No.592、p.60、三栄書房、1991年。
  3. ^ 「Racing On」 No.120、p.25、武集書房、1992年。
  4. ^ 「Racing On」 No.120、p.29、武集書房、1992年。
  5. ^ 「Racing On」 No.127、p.79、ニューズ出版、1992年。
  6. ^ 「オートスポーツ」 No.641、p.20、三栄書房、1993年。

関連項目[編集]