1977年の野球
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< 1977年 | 1977年のスポーツ
競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
セントラル・リーグ | ||||||
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順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 |
優勝 | 読売ジャイアンツ | 80 | 46 | 4 | .635 | - |
2位 | ヤクルトスワローズ | 62 | 58 | 10 | .517 | 15.0 |
3位 | 中日ドラゴンズ | 64 | 61 | 5 | .512 | 15.5 |
4位 | 阪神タイガース | 55 | 63 | 12 | .466 | 21.0 |
5位 | 広島東洋カープ | 51 | 67 | 12 | .432 | 25.0 |
6位 | 大洋ホエールズ | 51 | 68 | 11 | .429 | 25.5 |
パシフィック・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | 前・後 |
優勝 | 阪急ブレーブス | 69 | 51 | 10 | .575 | 1・2 |
2位 | 南海ホークス | 63 | 55 | 12 | .534 | 2・3 |
3位 | ロッテオリオンズ | 60 | 57 | 13 | .513 | 5・1 |
4位 | 近鉄バファローズ | 59 | 61 | 10 | .492 | 3・6 |
5位 | 日本ハムファイターズ | 58 | 61 | 11 | .487 | 4・4 |
6位 | クラウンライターライオンズ | 49 | 73 | 8 | .402 | 6・5 |
- 優勝はプレーオフにより決定。2位以下の順位はプレーオフの結果にかかわらず勝率順とした。
パシフィック・リーグプレーオフ
詳細は「1977年のパシフィック・リーグプレーオフ」を参照
- 阪急ブレーブス(3勝2敗)ロッテオリオンズ
日本シリーズ
詳細は「1977年の日本シリーズ」を参照
- 阪急ブレーブス(4勝1敗)読売ジャイアンツ
個人タイトル
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
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タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | 王貞治 | 巨人 | 山田久志 | 阪急 | ||
最優秀新人 | 斉藤明雄 | 大洋 | 佐藤義則 | 阪急 | ||
首位打者 | 若松勉 | ヤクルト | .358 | 有藤道世 | ロッテ | .329 |
本塁打王 | 王貞治 | 巨人 | 50本 | L.リー | ロッテ | 34本 |
打点王 | 王貞治 | 巨人 | 124点 | L.リー | ロッテ | 109点 |
最多安打 | 若松勉 | ヤクルト | 158本 | 福本豊 | 阪急 | 165本 |
盗塁王 | 柴田勲 | 巨人 | 34個 | 福本豊 | 阪急 | 61個 |
最多出塁数(セ) 最高出塁率(パ) |
王貞治 | 巨人 | 272個 | 加藤秀司 | 阪急 | .405 |
最優秀防御率 | 新浦寿夫 | 巨人 | 2.32 | 山田久志 | 阪急 | 2.28 |
最多勝利 | 高橋里志 | 広島 | 20勝 | 鈴木啓示 | 近鉄 | 20勝 |
最多奪三振 | 池谷公二郎 | 広島 | 176個 | 村田兆治 | ロッテ | 180個 |
最高勝率 | 新浦寿夫 | 巨人 | .786 | 稲葉光雄 | 阪急 | .739 |
最優秀救援投手 | 鈴木孝政 | 中日 | 23SP | 江夏豊 | 南海 | 22SP |
ベストナイン
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
---|---|---|---|---|
守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 小林繁 | 巨人 | 山田久志 | 阪急 |
捕手 | 木俣達彦 | 中日 | 加藤俊夫 | 日本ハム |
一塁手 | 王貞治 | 巨人 | 加藤秀司 | 阪急 |
二塁手 | 高木守道 | 中日 | B.マルカーノ | 阪急 |
三塁手 | 掛布雅之 | 阪神 | 有藤道世 | ロッテ |
遊撃手 | 河埜和正 | 巨人 | 石渡茂 | 近鉄 |
外野手 | 若松勉 | ヤクルト | 福本豊 | 阪急 |
山本浩二 | 広島 | 門田博光 | 南海 | |
張本勲 | 巨人 | L.リー | ロッテ | |
指名打者 | 高井保弘 | 阪急 |
ダイヤモンドグラブ賞
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
---|---|---|---|---|
守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 堀内恒夫 | 巨人 | 山田久志 | 阪急 |
捕手 | 大矢明彦 | ヤクルト | 加藤俊夫 | 日本ハム |
一塁手 | 王貞治 | 巨人 | 加藤秀司 | 阪急 |
二塁手 | 高木守道 | 中日 | 山崎裕之 | ロッテ |
三塁手 | 高田繁 | 巨人 | 島谷金二 | 阪急 |
遊撃手 | 山下大輔 | 大洋 | 大橋穣 | 阪急 |
外野手 | 山本浩二 | 広島 | 福本豊 | 阪急 |
柴田勲 | 巨人 | 弘田澄男 | ロッテ | |
若松勉 | ヤクルト | 大熊忠義 | 阪急 |
オールスターゲーム
詳細は「1977年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
高校野球
- 第49回選抜高等学校野球大会優勝:箕島(和歌山県)
- 第59回全国高等学校野球選手権大会優勝:東洋大姫路(兵庫県)
大学野球
- 第26回全日本大学野球選手権大会優勝:駒澤大
- 第8回明治神宮野球大会優勝:法政大
社会人野球
メジャーリーグ
詳細は「1977年のメジャーリーグベースボール」を参照
- ワールドシリーズ
- ニューヨーク・ヤンキース(ア・リーグ)(4勝2敗)ロサンゼルス・ドジャース(ナ・リーグ)
できごと
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1月
- 1月5日 - 巨人の王貞治が球団と契約交渉を行い推定6360万円で更改し、日本プロ野球史上初めての年俸6千万円台となった[1]。
- 1月11日 - 日本ハムの坂井勝二が体力の限界を理由に引退、パ・リーグは坂井を任意引退選手として公示[2]。
- 1月14日 - 大洋ホエールズのオーナーで大洋漁業社長の中部謙吉が心筋梗塞で都内の病院で死去[3]。
- 1月21日 - 水原茂と西沢道夫の野球殿堂入りが決まる[4]。
- 1月26日 - 大洋の長田幸雄が引退[5]。
- 1月28日 - 大洋は新オーナーに大洋漁業副社長の中部新次郎が就任したと大洋漁業本社にて発表[6]。
2月
- 2月2日 - 野球殿堂に森茂雄、西村幸生が特別表彰として殿堂入り[7]。
- 2月16日 - 株式会社横浜スタジアムの創立総会が開かれ、新役員が選出されて新会社として発足[8]。
- 2月25日 - 中日はキャンプ地の浜松市営球場にて、トレードを拒否して球団からキャンプへの自費参加と開幕からの出場停止処分を受けていた藤波行雄について、反省の態度が見られるとして4月7日までに短縮すると発表[9]。
3月
4月
- 4月8日 - 第49回選抜高等学校野球大会の決勝戦が阪神甲子園球場で行われ、箕島高校が中村高校を3-1で破り、1970年大会以来2度目の優勝[11]。
- 4月10日 - 巨人対中日ドラゴンズ戦で、巨人の柴田勲が対中日戦でNPB史上45人目の通算150本塁打。中日の木俣達彦が対巨人戦でNPB史上53人目の通算1500試合出場。
- 4月10日 - 大洋の長崎慶一が対中日戦(秋田)で球団タイ記録の5試合連続本塁打[12]。
- 4月29日 - 川崎球場での大洋対阪神戦で、阪神の外野手佐野仙好が9回裏大洋の清水透の左中間への打球を追ってフェンスに激突、頭部骨折で1か月の重傷を負う[13]。
- 4月30日 - 大洋の中塚政幸が対阪神戦でNPB史上190人目の通算1000試合出場を達成。
5月
6月
7月
- 7月6日 - 阪急の福本豊が阪急対南海の後期1回戦の4回裏に二盗に成功し、通算597盗塁のプロ野球記録を達成[16]。
- 7月14日
- 7月16日 - 巨人の王貞治が、対広島16回戦の5回表に松原明夫から四球を選び、通算で2056四球となりベーブ・ルースの記録に並ぶ[18]。
- 7月19日 - 阪急の福本豊が対クラウン後期1回戦の3回裏に二盗を決め、通算600盗塁を達成[19]。
- 7月20日 - 巨人の張本勲が対中日13回戦の2回裏に星野仙一から14号本塁打を放ち、プロ通算450本塁打を達成[20]。
- 7月21日 - 近鉄の鈴木啓示が対ロッテ後期2回戦に先発してロッテを4-0と無四球完封勝利を収め、プロ通算47無四球試合となり、土橋正幸の46を更新するパ・リーグ新記録[21]。
- 7月31日 - 近鉄の米田哲也が対クラウン後期7回戦の4回表から登板し、プロ通算945試合となり、金田正一の持つプロ最多登板944試合を抜いてプロ野球新記録を達成[22]。
8月
- 8月11日
- 8月20日 - 第59回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が阪神甲子園球場で行われ、兵庫県代表の東洋大姫路が愛知県代表の東邦を4-1で破り初優勝。
- 8月22日 - 中日の高木守道が対ヤクルト戦でNPB史上28人目の通算200本塁打[25]。
- 8月29日 - 【MLB】セントルイス・カージナルスのルー・ブロックが対パドレス戦の1回表に二盗を成功させ、タイ・カッブの持つメジャー記録892を抜いてメジャー新記録を更新[26]。
- 8月31日 - 巨人の王貞治が後楽園球場での対大洋22回戦の1回裏に39号本塁打を放ち、これで通算本塁打がハンク・アーロンのメジャーリーグ本塁打記録の755本に並ぶ[27]。
9月
- 9月3日
- 9月6日 - 広島の池谷公二郎が広島球場での対中日23回戦に先発登板し、3回表に大島康徳に、7回表に田尾安志に本塁打を打たれ、これでシーズン被本塁打が44本となり、金田留広が1971年に記録したシーズン最多被本塁打の記録42を更新する[31]。
- 9月14日
- 9月23日 - 広島球場で広島対ヤクルト24回戦でヤクルトが広島に0-7で敗れたため、巨人のリーグ優勝が決まる[34]。
- 9月25日 - 南海の江夏豊が後楽園球場での対日本ハムダブルヘッダー第2試合の後期12回戦の9回裏一死から登板し、プロ入り通算500試合登板達成[35]。
- 9月27日 - ロッテの村田兆治が西京極球場での対阪急後期12回戦の6回裏に島谷金二から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[36]。
- 9月28日 - 南海は選手兼任監督の野村克也に対して監督を解任したと電話で通告[37]。
10月
- 10月1日 - 南海は外野手の広瀬叔功の新監督就任を発表、大阪市内の南海ホテルで記者会見[38]。
- 10月5日
- 10月7日 - 近鉄の米田哲也が対阪急後期13回戦の4回裏から登板して2イニングを投げて勝利投手となり、通算350勝を達成[41]。
- 10月8日 - 【MLB】ナ・リーグのプレーオフ第4戦が行われ、ロサンゼルス・ドジャースがフィラデルフィア・フィリーズを4-1で破り、1974年以来通算15度目のリーグ優勝決定[42]。
- 10月14日 - 近鉄は投手コーチの杉浦忠を解任を発表[43]。
- 10月15日 - パ・リーグプレーオフの第5戦で阪急がロッテに勝利し、3勝2敗で日本シリーズ進出決定。
- 10月17日 - 中日は午後4時より名古屋市にある中日ビル「クラブ東海」で記者会見を行い、中利夫の就任就任を発表[44]。
- 10月18日 - 近鉄の米田哲也が大阪市森之宮にある球団事務所を訪れて引退を申し入れ、了承される[45]。
- 10月19日 - 沢村賞に巨人の小林繁が選出される[46]。
- 10月27日 - 日本シリーズの第5戦(後楽園)が行われ、阪急が6-3で勝利し、4勝1敗で3年連続日本シリーズ優勝達成。MVPは阪急の山田久志。
11月
- 11月2日 - 阪神は午後2時より大阪市内の阪神電鉄本社にて記者会見し、後藤次男の監督就任を発表[47]。
- 11月7日 - クラウンは根本陸夫と大阪市内のホテルにて監督要請の話し合いを行い、根本は監督要請を受諾[48]。
- 11月8日
- 第1回正力松太郎賞の選考委員会で巨人の王貞治を選出。
- ナ・リーグMVPにシンシナティ・レッズのジョージ・フォスターが選出される[49]。
- 11月14日 - クラウンライターは午後4時より福岡市内の西鉄グランドホテルにて記者会見し、根本陸夫の監督就任を発表[50]。
- 11月16日 - 【MLB】大リーグのアメリカン・リーグのMVPにミネソタ・ツインズのロッド・カルーが選出される[51]。
- 11月17日 - ロッテは南海を退団した野村克也の入団を発表[52]。
- 11月21日 - ヤクルトは新橋のヤクルト本社にて野球評論家の森昌彦と交渉を行い、森がバッテリーコーチとして正式契約、その後記者会見を行い正式発表[53]。
- 11月22日 - NPBドラフト会議が行われる。法政大学の江川卓がクラウンライターから1位指名(後に入団拒否)、中日から史上最多の5度目の指名を受けた藤沢公也は翌年オフに入団[54]。
12月
- 12月3日 - クラウンライターからドラフト1位指名された法政大学の江川卓が入団拒否を正式表明、江川は高校卒業時に続いて2度目の入団拒否[55] 。
- 12月9日 - 元巨人の投手中尾碩志が入院先の川崎市内の病院で急性胆嚢炎で死去[56]。
- 12月22日 - 南海の球団代表の森本昌孝と広島の球団代表の重松良典が東京都内で行われたプロ野球実行委員会の後会談し、江夏豊を南海から広島へ金銭トレードすることで合意[57]。
- 12月26日 - 広島は先に南海ホークスと金銭トレードで獲得した江夏豊の入団発表を広島市内の球団事務所の会議室にて行う[58]。
誕生
1月
- 1月11日 - リック・ガトームソン
- 1月30日 - 新井貴浩
2月
3月
4月
- 4月4日 - エリック・バレント
- 4月14日 - 上坂太一郎
- 4月24日 - カルロス・ベルトラン
- 4月25日 - 三木肇
- 4月26日 - 福留孝介
- 4月27日 - 高橋和幸
- 4月28日 - 吉川勝成
- 4月30日 - 江尻慎太郎
5月
- 5月1日 - 松本奉文
- 5月5日 - 田中雅興
- 5月6日 - 青木勇人
- 5月9日 - 的場直樹
- 5月12日 - 藤井秀悟
- 5月13日 - クリス・オクスプリング
- 5月14日 - ロイ・ハラデイ
- 5月17日 - 奈良将史
- 5月19日 - 山下勝充
- 5月19日 - 飯田雅司
- 5月29日 - 十川孝富
- 5月30日 - 鶴岡一成
6月
- 6月1日 - 横山道哉
- 6月5日 - 杉山俊介
- 6月6日 - クリストファー・ライト
- 6月13日 - ホセ・オーティズ
- 6月14日 - 川崎泰央
- 6月16日 - ケリー・ウッド
- 6月17日 - 的場寛一
7月
8月
- 8月5日 - エリック・ヒンスキー
- 8月6日 - 山口弘佑
- 8月11日 - 佐藤宏志
- 8月12日 - 小石澤浄孝
- 8月15日 - 日高剛
- 8月18日 - 宮出隆自
- 8月21日 - 小林聡
- 8月21日 - 田中総司
- 8月27日 - ジャスティン・ミラー(+ 2013年)
- 8月29日 - ロイ・オズワルト
- 8月30日 - 原俊介
- 8月30日 - 松本輝
9月
10月
- 10月4日 - 藤本敦士
- 10月4日 - 前田忠節
- 10月5日 - 木村一喜
- 10月9日 - ブライアン・ロバーツ
- 10月13日 - 吉年滝徳
- 10月24日 - ラファエル・ファーカル
- 10月25日 - 花田真人
11月
12月
死去
- 1月14日 - 中部謙吉(大洋ホエールズのオーナー、*1896年)
- 5月14日 - 木次文夫(読売ジャイアンツ他の元内野手、*1937年)
- 6月9日 - 小西得郎(松竹ロビンスの元監督、野球解説者、*1896年)
- 6月24日 - 森茂雄(大阪タイガース・大洋ホエールズ他の元監督、*1906年)
- 9月26日 - アーニー・ロンバルディ(元メジャーリーガー、*1908年)
- 10月26日 - 岡田源三郎(明治大学硬式野球部・名古屋金鯱軍の元監督、*1896年)
- 11月16日 - ホセ・アコスタ(元メジャーリーガー、*1891年)
- 12月9日 - 中尾碩志(読売ジャイアンツの元投手、*1919年)
- 12月18日 - 西沢道夫(中日ドラゴンズの元選手・監督、*1921年)
出典
- ^ 朝日新聞1977年1月6日15面「日本初の20万ドルプレーヤー 巨人、王選手、10%アップ」縮刷版p131
- ^ 読売新聞1977年1月12日17面「最古参選手、坂井引退」読売新聞縮刷版1977年1月p325
- ^ 朝日新聞1977年1月15日23面
- ^ 読売新聞1977年1月22日17面「水原、西沢氏 殿堂入り」読売新聞縮刷版1977年1月p653
- ^ 読売新聞1977年1月27日17面「"ポパイ"長田引退」読売新聞縮刷版1977年1月p817
- ^ 朝日新聞1977年1月2915面「球団維持はプラス 大洋オーナーに中部新次郎氏」縮刷版p861
- ^ 読売新聞1977年2月3日「森氏、故西村投手野球殿堂入り」読売新聞縮刷版1977年2月p81
- ^ 読売新聞1977年2月17日17面「『横浜スタジアム』発足」読売新聞縮刷版1977年2月p513
- ^ 読売新聞1977年2月26日17面「藤浪の出場停止短縮 反省認め4月7日まで」
- ^ 読売新聞1977年3月15日17面「ヤクルト 新代表に相馬氏」読売新聞縮刷版1977年3月p487
- ^ 毎日新聞1977年4月8日1面「箕島、2度目の優勝 センバツ 健闘の中村くだす」毎日新聞縮刷版1977年4月p211
- ^ 『ホエールズ&ベイスターズ60年の軌跡』ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK スポーツシリーズ〉、2009年、49頁。ISBN 9784583616179。
- ^ 毎日新聞1977年4月30日15面「佐野、激突して転倒 ナインがかけ寄る間に野口生還して同点」毎日新聞縮刷版1977年4月p885
- ^ 読売新聞1977年5月4日15面「柴田”足の勲章”500盗塁 王は7号 さあ量産だ!」
- ^ 読売新聞1977年6月9日夕刊11面「『何と申しましょうか』あの名調子 野球解説小西得郎さん死去」
- ^ 読売新聞1977年7月7日16面「福本、超快速の597 9年で盗塁日本新」
- ^ 読売新聞1977年7月14日17面「巨砲阪神、豪快な日本新 21試合連続アーチ ブリ―デン27号」
- ^ 読売新聞1977年7月17日17面「王、もう一つの『世界』 四球2056個、ルースと並ぶ」
- ^ 読売新聞1977年7月20日17面「SBO 福本、600盗塁 ”ゴー・ゴー・コール”に足が勝手に走った」
- ^ 読売新聞1977年7月21日17面「張本450号と満塁一掃 巨人、人工芝で中日に18連勝」
- ^ 読売新聞1977年7月22日17面「鈴木、47試合無四球のパ新」
- ^ 読売新聞1977年8月1日16面「米田、最多登板945 クラウン、近鉄星分ける」
- ^ 読売新聞1977年8月12日15面「大杉350号 ヤクルト継投、追撃かわす」
- ^ 読売新聞1977年8月12日「山本浩は31号3ラン 高橋里10勝 広島、阪神を連破」
- ^ 読売新聞1977年8月23日19面「高木が通算200号ホーマー」
- ^ 読売新聞1977年8月31日17面「ブロック893盗塁 タイ・カッブ抜き世界新」
- ^ 読売新聞1977年9月1日1面「王755号 『世界タイ』プロ入り19年目 アーロンと並ぶ」読売新聞縮刷版1977年9月p1
- ^ 読売新聞1977年9月4日1面「王 ついに世界最高 アーロン抜く756号」読売新聞縮刷版1977年9月p107
- ^ “【9月3日】1977年(昭52) 王、世界新756号本塁打 1球をめぐるそれぞれの物語”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2007年8月20日). 2015年12月11日閲覧。
- ^ 読売新聞1977年9月4日17面「巨人・張本が1500打点」読売新聞縮刷版1977年9月p123
- ^ 読売新聞1977年9月7日17面「広島・池谷がシーズン被本塁打の日本記録」読売新聞縮刷版1977年9月p229
- ^ 読売新聞1977年9月16日19面「中日の高木守道二塁手が300二塁打と3000塁打」読売新聞縮刷版1977年9月p525
- ^ 読売新聞1977年9月15日19面「出るわ、出るわ10発 ヤクルト、1イニング5本、マニエル40、41号」読売新聞縮刷版1977年9月p525
- ^ 読売新聞1977年9月24日夕刊1面「巨人、早々とV2 セ・リーグ」読売新聞縮刷版1977年9月p817
- ^ 読売新聞1977年9月26日16面「南海・江夏が500試合登板」読売新聞縮刷版1977年9月p876
- ^ 読売新聞1977年9月28日17面「ロッテ村田が通算1000奪三振」読売新聞縮刷版1977年9月p951
- ^ 毎日新聞1977年9月29日19面「野村監督を解任 南海ひと筋24年、退陣の花道なく 」毎日新聞縮刷版1977年9月p819
- ^ 毎日新聞1977年10月2日17面「広瀬南海が発進 泥まみれ野球 お見せします」毎日新聞縮刷版1977年10月p47
- ^ 毎日新聞1977年10月6日19面「阪急敗れてロッテ他力でニッコリ」毎日新聞縮刷版1977年10月p159
- ^ 毎日新聞1977年10月6日「他球団に移りプレーしたい 解任の野村」毎日新聞縮刷版1977年10月p159
- ^ 読売新聞1977年10月8日17面「米田が通算350勝」
- ^ 読売新聞1977年10月10日17面「ドジャースが15度目の優勝 ナ・リーグ」
- ^ 毎日新聞1977年10月15日19面「杉浦コーチ 突然解任 近鉄『もう一つモノ足りぬ』」毎日新聞縮刷版1977年10月p433
- ^ 読売新聞1977年10月18日19面「『中・中監督』正式に決定」
- ^ 毎日新聞1977年10月19日15面「近鉄の米田が引退」毎日新聞縮刷版1977年10月p527
- ^ 読売新聞1977年10月20日17面「小林、初の『沢村賞』 V2貢献度を加味」
- ^ 読売新聞1977年11月3日17面「『和を中心に』後藤阪神3年契約」
- ^ 読売新聞1977年11月8日17面「クラウン監督 根本氏受諾」
- ^ 読売新聞1977年11月10日17面「ナ・リーグMVPにフォスター外野手」
- ^ 読売新聞1977年11月15日19面「『根本監督』正式発表」
- ^ 読売新聞1977年11月18日16面「ア・リーグMVPにカルー」
- ^ 読売新聞1977年11月18日16面「『19・野村』晴れ晴れ "ロッテ選手になりきる"」
- ^ 読売新聞1977年11月22日17面「"ヤクルト・森" 『ヘッド格』コーチ就任」
- ^ 『プロ野球ドラフト全史 2012最新版』ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK スポーツシリーズ〉、2012年、46頁。ISBN 9784583618241。
- ^ “【12月3日】1977年(昭52) 江川が2度目の入団拒否、クラウン蹴って米国留学へ”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2007年11月28日). 2015年12月11日閲覧。
- ^ 読売新聞1977年12月9日夕刊11面「”沢村二世”左腕の200勝投手 中尾碩志さん死去 」
- ^ 読売新聞1977年12月23日15面「江夏、広島入り決定」
- ^ 読売新聞1977年12月27日15面「江夏・伊藤・中出・小松 続々、年の瀬入団」