NHK杯テレビ将棋トーナメント
NHK杯テレビ将棋トーナメント | |
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ジャンル | 趣味番組 / 教養番組 |
出演者 | 矢内理絵子(司会)ほか |
製作 | |
制作 | NHK |
放送 | |
音声形式 | ステレオ放送 |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 1962年 - |
放送時間 | 日曜 10:30 - 12:00 |
放送分 | 90分 |
公式サイト | |
特記事項: 前身はラジオ番組(1951年-1962年)。番組名・放送時間には変遷がある(本文参照)。 |
NHK杯テレビ将棋トーナメント(えぬえいちけいはいテレビしょうぎトーナメント)は日本放送協会(NHK)が主催する将棋の棋戦であり、NHK Eテレで放送されているテレビ番組である。かつては「NHK杯争奪 将棋トーナメント」と称した。
対局者双方の持ち時間が少ない早指し戦であり、トーナメント方式で争われる。創設は1951年で、当時はラジオ番組であった。テレビ放送は第12回(1962年度)から行われている。なお、決勝戦については2010年度よりNHKラジオ第1放送でのラジオ放送もなされておりNHKオンラインでも公開されている[1]。
優勝者には「NHK杯選手権者」(あるいは略して「NHK杯」)の称号が贈られ、次期の優勝者にその称号が贈られるまで主にNHKの将棋番組内や将棋講座テキスト(NHK出版)誌上で呼称される[2]。
棋戦の仕組み
予選と本戦からなり、本戦には棋士49名と女流棋士1名の計50名が出場する。本戦の対局はNHKのテレビスタジオで収録され、その模様が毎年4月から翌年3月にかけて毎週1局ずつ放送される。
大会初期は参加者が8名であったが、第16回(1966年度)から16名に増え、第27回(1977年度)からは26名になり、第31回(1981年度)から現行の本戦出場50名となっている。
本戦シード
抽選時(前年12月末時点)において下記の条件を満たす者(31名)は予選が免除され、本戦シードとなる。
- 本戦2回戦シード(14名)
- 本戦1回戦シード(17名)
さらに、女流枠から出場する女流棋士1名も本戦1回戦シード者とされる。1回戦から登場のシード18名は1回戦で予選通過者18名とそれぞれ対局する。また、2回戦から登場のシード14名は2回戦で1回戦の勝者との対局となる。なお、シード権保持者の人数によっては永世称号棋士・順位戦A級棋士の一部が1回戦からの参加になったり、B級1組棋士の一部が2回戦からの参加になるなどの調整が行われる。
本戦の対局ルール
- 先後(先手・後手)の決定は全局振り駒で行う[5]。
- 持ち時間は各10分(対局時計使用)で、それを使い切ると1手30秒未満となる。ただし、秒読みに入ってから1分単位で合計10回の「考慮時間」をそれぞれ使用できる[6]。
- 千日手となった場合は、他の棋戦と同様、先後を入れ替えての指し直しとなる。指し直し局は持ち時間なしで初手から1手30秒未満、考慮時間は千日手局での残り回数が引き継がれる。ただし、残りが4回以下であった対局者の考慮時間は5回とされる[7]。
予選
- 本戦シード以外の棋士は東西の将棋会館でトーナメント方式の予選を行い、通過した18名(関東12名、関西6名[8])が出場する。予選は持ち時間各20分(切れると一手30秒)の早指し戦を1日3局(棋士によっては2局)行なう。
- 女流棋士は前年12月末時点の女流タイトル保持者(奨励会所属を除く)で予選を行い、1名が出場する。女流予選の決勝は本戦と同じ対局場、同じ持ち時間で行われ、対局の模様は毎年3月にNHK Eテレで放送される。
優勝記録
- 最多優勝
- 第61回(2011年度)までの最多優勝は羽生善治の10回であり、次いで大山康晴が8回、加藤一二三が7回優勝している(下表を参照)。
- 通算10回優勝すると名誉NHK杯選手権者(名誉NHK杯)の称号が贈られる(タイトル戦の永世称号や名誉称号に類似)。第61回(2011年度)までにこの称号を得たのは羽生善治のみである[9]。なお、囲碁のNHK杯戦では坂田栄男が通算10回優勝して名誉NHK杯となっている(その後も1回優勝して通算11回)。
- なお、当棋戦では「永世」を「名誉NHK杯」と紹介するが、これは囲碁と同じくNHK杯のトロフィーをかけて行われているため、その囲碁のタイトルに合わせる形にしている(同例は王座戦<日本経済新聞社主催>の場合にもある)。
- 最長連覇
- 羽生の4連覇(第58回 - 第61回)が最高記録であり、継続中。2連覇は、大山康晴(第4回 - 第5回)と佐藤康光(第56回 - 第57回)が達成しており、羽生も前記の4連覇のほか、第47回 - 第48回で2連覇している。
- 最年長・最年少・最低段
- 最年長優勝は、大山康晴の61歳(第33回)。
- 最年少優勝は、羽生善治の18歳(第38回)。
- 最低段優勝は、櫛田陽一の四段での優勝(第39回)。
歴代決勝結果
称号・段位は当時のもの。かっこ内数字は、その時点での通算優勝回数。
回 | 年度 | 優勝 | 準優勝 | 備考 |
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1 | 1951 | 木村義雄名人 | 升田幸三八段 | ラジオ放送でスタート。8人制。 |
2 | 1952 | 升田幸三八段 | 丸田祐三八段 | |
3 | 1953 | 塚田正夫九段 | 花村元司八段 | |
4 | 1954 | 大山康晴名人 | 塚田正夫九段 | |
5 | 1955 | 大山康晴名人(2) | 灘蓮照八段 | |
6 | 1956 | 原田泰夫八段 | 灘蓮照八段 | |
7 | 1957 | 升田幸三名人(2) | 灘蓮照八段 | |
8 | 1958 | 灘蓮照八段 | 大山康晴王将 | |
9 | 1959 | 丸田祐三八段 | 大野源一八段 | |
10 | 1960 | 加藤一二三八段 | 大山康晴名人 | |
11 | 1961 | 大山康晴名人(3) | 加藤博二八段 | |
12 | 1962 | 灘蓮照八段(2) | 升田幸三九段 | テレビ放送となる。 |
13 | 1963 | 升田幸三九段(3) | 加藤一二三八段 | |
14 | 1964 | 大山康晴名人(4) | 塚田正夫九段 | |
15 | 1965 | 丸田祐三八段(2) | 升田幸三九段 | |
16 | 1966 | 加藤一二三八段(2) | 二上達也八段 | 出場16名となる。 |
17 | 1967 | 大友昇七段 | 二上達也八段 | |
18 | 1968 | 丸田祐三八段(3) | 山田道美八段 | |
19 | 1969 | 内藤國雄棋聖 | 関根茂八段 | |
20 | 1970 | 大山康晴名人(5) | 中原誠十段 | |
21 | 1971 | 加藤一二三八段(3) | 大内延介七段 | |
22 | 1972 | 大山康晴九段(6) | 米長邦雄八段 | |
23 | 1973 | 加藤一二三九段(4) | 内藤國雄棋聖 | |
24 | 1974 | 中原誠名人 | 内藤國雄九段 | |
25 | 1975 | 大内延介八段 | 二上達也九段 | |
26 | 1976 | 加藤一二三九段(5) | 米長邦雄八段 | カラー放送となる。 |
27 | 1977 | 中原誠名人(2) | 加藤一二三九段 | 出場26名となる。 |
28 | 1978 | 米長邦雄八段 | 真部一男六段 | |
29 | 1979 | 大山康晴王将(7) | 森雞二八段 | |
30 | 1980 | 有吉道夫九段 | 中原誠名人 | |
31 | 1981 | 加藤一二三十段(6) | 伊藤果五段 | 本戦50名・予選制導入。毎週の放送となる。 |
32 | 1982 | 中原誠十段(3) | 青野照市七段 | |
33 | 1983 | 大山康晴十五世名人(8) | 加藤一二三前名人 | 大山、最年長優勝。 |
34 | 1984 | 田中寅彦八段 | 加藤一二三王位 | |
35 | 1985 | 谷川浩司前名人 | 内藤國雄九段 | |
36 | 1986 | 前田祐司七段 | 森雞二九段 | |
37 | 1987 | 中原誠名人(4) | 中村修王将 | |
38 | 1988 | 羽生善治五段 | 中原誠棋聖 | 羽生、最年少優勝。 |
39 | 1989 | 櫛田陽一四段 | 島朗前竜王 | 四段の棋士が優勝(初)。 |
40 | 1990 | 先崎学五段 | 南芳一棋王 | |
41 | 1991 | 羽生善治棋王(2) | 塚田泰明八段 | |
42 | 1992 | 中原誠名人(5) | 島朗七段 | |
43 | 1993 | 加藤一二三九段(7) | 佐藤康光前竜王 | 女流棋士出場枠が設けられる。 |
44 | 1994 | 中原誠永世十段(6) | 米長邦雄前名人 | |
45 | 1995 | 羽生善治竜王・名人(3) | 中川大輔六段 | 決勝が初の公開対局 羽生が七冠達成だけでなくNHK杯戦でも優勝。 |
46 | 1996 | 森内俊之八段 | 屋敷伸之七段 | |
47 | 1997 | 羽生善治四冠(4) | 村山聖八段 | |
48 | 1998 | 羽生善治四冠(5) | 堀口一史座五段 | |
49 | 1999 | 鈴木大介六段 | 郷田真隆八段 | 決勝が公開対局(テント(2000)みんなの広場)。 |
50 | 2000 | 羽生善治五冠(6) | 久保利明六段 | 決勝対局場が初の東京以外(関西将棋会館)。 |
51 | 2001 | 森内俊之八段(2) | 佐藤康光王将 | |
52 | 2002 | 三浦弘行八段 | 先崎学八段 | |
53 | 2003 | 久保利明八段 | 羽生善治名人 | |
54 | 2004 | 山崎隆之六段 | 羽生善治四冠 | |
55 | 2005 | 丸山忠久九段 | 渡辺明竜王 | |
56 | 2006 | 佐藤康光棋聖 | 森内俊之名人 | |
57 | 2007 | 佐藤康光二冠(2) | 鈴木大介八段 | 決勝がNHK杯囲碁・将棋を通じて史上初の生放送。 |
58 | 2008 | 羽生善治名人(7) | 森内俊之九段 | |
59 | 2009 | 羽生善治名人(8) | 糸谷哲郎五段 | |
60 | 2010 | 羽生善治名人(9) | 糸谷哲郎五段 | 記念大会(女流枠2で総勢51名)、羽生が3連覇(初)。 決勝戦のラジオ放送が復活。 |
61 | 2011 | 羽生善治二冠(10) | 渡辺明竜王 | 羽生が4連覇 通算10度目の優勝で名誉NHK杯の称号を得る。 |
本戦出場女流棋士
女流棋士が本戦で勝ち星を挙げた場合は対局順に複数の対戦相手を表記。
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第53回(2003年度)では中井広恵女流三冠が畠山鎮六段を破り、NHK杯での女流棋士の初勝利を果たしている。さらに2回戦で当時A級棋士であった青野照市九段をも倒した(3回戦で中原誠永世十段に敗れる)。中井は翌54回にも出場し、1回戦で佐藤秀司六段に勝利。2回戦で佐藤康光棋聖を相手に優勢な局面に持ち込んだが、逆転負けを喫した。
女流予選
第55回(2005年度)より女流タイトル保持者による女流予選が行われるようになった。予選出場資格者が3名以上の場合はトーナメント戦。第60回(2010年度)は記念大会のため出場枠が2名となり、負け残りのトーナメント戦で勝利した女流棋士2名が本戦出場。称号は当時のもの。
回 | 年度 | 勝者(本戦出場) | 決勝敗退 | 1回戦敗退(対戦相手) |
55 | 2005 | 清水市代 女流名人・女流王位・倉敷藤花 | 中井広恵 女流王将 | - |
56 | 2006 | 千葉涼子 女流王将 | 清水市代 女流王位・倉敷藤花 | - |
57 | 2007 | 千葉涼子 女流王将 | 清水市代 女流王位 | 斎田晴子 倉敷藤花(千葉) 矢内理絵子 女流名人(清水) |
58 | 2008 | 清水市代 女流王将・倉敷藤花 | 矢内理絵子 女流名人 | 石橋幸緒 女流王位(矢内) |
59 | 2009 | 矢内理絵子 女王 | 石橋幸緒 女流王位 | 清水市代 女流名人・女流王将(矢内) 里見香奈 倉敷藤花(石橋) |
60 | 2010 | 里見香奈 女流名人・倉敷藤花 清水市代 女流王位・女流王将 |
矢内理絵子 女王(1回戦里見、2回戦清水) | |
61 | 2011 | 甲斐智美 女王・女流王位 | 里見香奈 女流名人・女流王将・倉敷藤花 | - |
62[10] | 2012 | 甲斐智美 女流王位 | 上田初美 女王 | - |
上記の対局以外にも、第50回(2000年度)で女流棋士6名による女流予選が行われている。第50回の女流予選決勝(清水 - 中井戦で中井勝ち)と第55回以降の女流予選全対局の結果は(女流棋戦ではなく)「男性棋戦」の公式記録となっている[11]。
テレビ放送・ラジオ放送
2012年4月以降は、NHK Eテレで毎週日曜日に、「将棋フォーカス」から引き続く10:30 - 12:00に放送している。
2010年3月までは「将棋の時間」(日曜10:00 - 12:00)の第2部(10:20 - 12:00)として放送されていた[12]。2010年4月-2012年3月は「囲碁・将棋フォーカス」放送に伴い、「将棋講座」(10:00 - 10:15)から引き続く10:15 - 11:45に放送されていた。高校野球の開催時期には放送時間が変更になることがある。
- 対局は畳の敷かれた和室を模したスタジオセットの対局場で行われる。対局者は座布団に正座で対局に臨む(椅子に着席して対局するNHK杯テレビ囲碁トーナメントとは異なる)。この対局場には上座と下座の区別がなく、将棋盤を挟んで画面向かって左側に先手、右側に後手が着座する[13]。
- ラジオ放送から始まったため、司会(女流棋士)、大盤解説(棋士)、記録係(通常は奨励会員)のほか棋譜読み上げ(女流棋士)が加わる[14]。
- 駒は、初代光匠作の彫埋駒を使用している。書体は初代書(一字書)。彫埋駒を使っている理由は、テレビに駒が映った時に漆が光らないようにするためである。
- 録画放送だが放送日以降にならないと、日本将棋連盟のホームページや「将棋世界」等に結果は掲載されない。棋譜はNHK出版のテキスト「将棋講座」に掲載される(概ね放送月の2ヶ月後に発行されるテキスト)。
- オープニング映像に続く司会者の挨拶で番組が始まる。司会者によってトーナメント表の勝ち上がりの状況が示されて[15]、その後に両対局者の紹介[16]と解説者の紹介が対局前に行われる。また、序盤の段階で両対局者のこれまでの対戦成績も紹介される。
- 入玉、千日手、その他の事情などで指し直し等長時間の将棋になった場合、途中を省略して手順のみを放送することがある。また、短時間で終わって放送時間が余りすぎた場合は過去の名勝負や棋界情報などを紹介する臨時番組(将棋の時間 を参照)が放送されることがあった。一般的には感想戦を放送して丁度良い程度に時間が余ることが多い。
- プロ対局としては異例なほど、詰みの数手前まで指されるのが一般的。通常のプロ対局では、中盤までに形勢逆転不能と判断した時点で投了することも珍しくはない。
- 第60回からは1回戦から毎回、対局者へのインタビューが放送されている。司会者(聞き手)による対局者一人ずつのインタビューであり、内容は、対局相手の印象、対局に当たっての抱負などである。放送映像では対局者のみが映り、聞き手は声のみである。
歴代の司会者
現在、司会は毎週同じ女流棋士が務め、解説は毎週異なる棋士が担当する。1991年に女流棋士が司会となってからは、3年ごとに司会者が交代している。
回 | 年度 | 司会 |
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? - 30 | ? - 1980 | 2代目神田山陽(講談師) |
31 - 40 | 1981 - 1990 | 永井英明(近代将棋会長) |
41 - 43 | 1991 - 1993 | 谷川治恵 |
44 - 46 | 1994 - 1996 | 山田久美 |
47 - 49 | 1997 - 1999 | 藤森奈津子 |
50 - 52 | 2000 - 2002 | 中倉彰子 |
53 - 55 | 2003 - 2005 | 千葉涼子 |
56 - 58 | 2006 - 2008 | 中倉宏美 |
59 - | 2009 - | 矢内理絵子 |
- 第59回の2009年7月26日と8月2日放送分は、収録される対局に矢内理絵子が出場する分が含まれていたため、千葉涼子が代わりに司会をつとめた。
- 1970年代中頃には、講談師の田辺一鶴が司会(聞き手)を務めていた時期がある。
- ラジオ放送時代には倉島竹二郎(作家、観戦記者)が聞き手を務めていた時期がある。
決勝戦
決勝戦の放送では、冒頭で対局者へのインタビューなどが放送され、また、最後に表彰式が放送されるため番組構成が若干異なる。これらのコーナーについては司会進行役をNHKアナウンサーが務める。まず、番組の冒頭の部分では、対局室とは別のスタジオに決勝戦の対局者・解説者・聞き手が集まり、対局者に対しては今期のトーナメントで印象に残っている対局や決勝戦への意気込み、解説者や聞き手に対しては決勝戦の見所などについてインタビューがなされる。それに引き続いて、決勝戦では振り駒の様子やNHK杯将棋トーナメントの歴代優勝者など放送される。また、最後の部分では表彰式が放送され、優勝者に対してはNHK杯(優勝カップ)と賞状及び「NHK杯選手権者」の称号が贈られる(「NHK杯選手権者」の称号を贈ることは賞状に記されている)。また、準優勝者に対しては賞状が授与される。
決勝戦については2010年度よりNHKラジオ第1放送でのラジオ放送も行われておりNHKオンラインでも公開されている[17]。
回 | 年度 | 対局者 | テレビ放送 | ラジオ放送 | |||||
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放送日 | 司会者 | 聞き手 | 解説者 | 放送日 | 司会者 | 解説者 | |||
60 | 2010年度 | 羽生善治 対 糸谷哲郎 | 2011年3月27日 | 矢内理絵子 | 森内俊之 | 2011年5月5日 | 村上信夫 | 米長邦雄、渡辺明、佐藤康光 | |
61 | 2011年度 | 羽生善治 対 渡辺明 | 2012年3月18日 | 関口泰雅 | 矢内理絵子 | 森内俊之 | 2012年3月20日 | 村上信夫 | 米長邦雄、谷川浩司、橋本祟載 |
特別番組
歴代優勝者が選ぶ名勝負十局
2010年12月25日に『NHK杯将棋トーナメント60周年記念 歴代優勝者が選ぶ名勝負十局』を放送。ゲストは羽生善治、矢内理絵子。司会は長野亮。
順位 | 回 | 年度 | 放送 | 回戦 | 対局者 | 備考 | |
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1 | 38 | 1988 | 1989年2月 | 準々決勝 | 加藤一二三九段 | 羽生善治五段 | 羽生の▲5二銀が炸裂。 |
2 | 44 | 1994 | 1995年3月 | 決勝 | 米長邦雄前名人 | 中原誠永世十段 | 長年のライバルが決勝で戦う(この対局前まで中原97勝、米長77勝)。 |
3 | 47 | 1997 | 1998年3月 | 決勝 | 羽生善治四冠 | 村山聖八段 | 村山、最終盤で錯覚して逆転負け。これが人生最後の出場。 |
4 | 38 | 1988 | 1989年3月 | 決勝 | 中原誠NHK杯 | 羽生善治五段 | 羽生、大駒2枚を切る攻めで初優勝。 |
5 | 39 | 1989 | 1990年3月 | 決勝 | 島朗前竜王 | 櫛田陽一四段 | 四段の棋士が優勝(初)。 |
6 | 54 | 2004 | 2005年3月 | 決勝 | 羽生善治四冠 | 山崎隆之六段 | 山崎、初優勝。 |
7T | 53 | 2003 | 2003年7月 | 1回戦 | 畠山鎮六段 | 中井広恵女流三冠 | 女流棋士の勝利(初)。 |
7T | 57 | 2007 | 2008年2月 | 準々決勝 | 羽生善治王座・王将 | 長沼洋七段 | 本戦初出場の長沼が羽生を下してベスト4。 |
7T | 57 | 2007 | 2007年10月 | 2回戦 | 羽生善治王座・王将 | 中川大輔七段 | 羽生が大逆転勝利(1歩も余らない詰みで中川玉がトン死)。 |
10 | 29 | 1979 | [18] | 3回戦 | 大山康晴十五世名人 | 加藤一二三王将 | 勝勢にあった加藤が指した悪手▲8八金を見て、大山が電光石火のアクションで△同角成。 |
エピソード
段位、称号は当時のもの。
- 新鋭羽生五段 名人経験者をすべて破る
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- 第38回(1988年度)の羽生善治五段は当時現役だった名人経験者4人(大山康晴、加藤一二三、谷川浩司、中原誠)[19]を全て撃破して初優勝した。3回戦で羽生が大山を下した直後、当時司会を務めていた永井は「あーすごいですね、いやーたいしたもんですねー、勝率8割1分8厘からまた上がりましたよ」と驚嘆していた。また、準々決勝の加藤戦での▲5二銀は伝説の一手と言われ、この手が指された瞬間に解説の米長邦雄は、「おぉー、やった!」とマイクの音が割れる大声をあげた。解説室は対局場とは別の部屋であったにもかかわらず、その大声は対局場の羽生に聞こえたようで、解説の声が対局場まで届いたのは後にも先にもこれが初めてだという[20]。
- 反則負け
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- 第46回3回戦(1997年1月放送)小林健二八段対屋敷伸之七段では、小林が時間切れの反則負けをした。自玉の頓死を見落とし駒を一度は持ったものの同じマス目に置き直し、記録係の野月浩貴が「20秒、1、2、3、4、5、6、7、8、9、10」と30秒目のコールをした後に時間切れを告げるブザーが鳴った。あまりのことに自分にあきれ返ったから、次の手を指せなかったという。小林はこの対局の後、頭を丸坊主にした。
- 第54回(2004年度)では豊川孝弘六段、第55回(2005年度)では松尾歩五段がそれぞれ本戦で二歩を打って反則負けをした。豊川の反則負けは、2006年1月18日にフジテレビ「トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜」で紹介され、「78へぇ」の得点を獲得した。
- 「ノータイム差し」糸谷哲郎の活躍
- 高齢者・熟年者の健闘
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- 第42回(1992年度)では丸田祐三九段が73歳で予選を突破し、本戦1回戦で勝利した。
- 第43回(1993年度)では加藤一二三が54歳で12年ぶりの優勝、現在までの史上最長間隔優勝記録である。
- 第60回(2010年度)は、順位戦C級2組からの陥落により引退が決まっていた有吉道夫九段が74歳で予選を突破。本戦出場の最年長記録を更新した。1回戦で敗れたため、前記した丸田祐三の持つ最年長勝利記録は更新できなかった。この件がきっかけとなり、日本将棋連盟の引退日の規定が「引退が決まった年度末(3月31日)」から「引退が決まった年度に勝ち残っていた棋戦の最終対局日。但し、テレビ棋戦の場合は、対局の放映日」に変更された。
- 最後の決勝
- ファッション・パフォーマンス
- 喫煙
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- かつては喫煙しながらの対局もあったが、現在は見られない。2007年に『囲碁・将棋ジャーナル』(NHK-BS2)で真部一男の訃報が伝えられた際、NHK杯で喫煙しながら対局する真部の映像が紹介された。第31回(1981年度)決勝戦では、伊藤果がタバコを右手に持ったまま投了した。
- 同い年の4人
- 同じ4人
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- 第60回(2010年度)では、前回ベスト4によってシードされた棋士がまたも準決勝に進出し、2年連続で全く同じ顔ぶれとなった(羽生善治・渡辺明・丸山忠久・糸谷哲郎)。さらに、決勝戦も2年連続で同一カードとなった(羽生対糸谷)。この様な例は史上初。
- 2回連続千日手
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- 第61回(2011年度)の1回戦第10局、佐藤康光九段対永瀬拓矢四段の対局は、NHK杯戦史上初[23]の2回連続千日手となった。再指し直し局で永瀬が佐藤を破った。
備考
- 第54回の決勝戦の放送(2005年3月20日)は福岡県西方沖地震発生のニュースで中断し、そのまま1週間後の3月27日10:05に延期された。その時間に放送される予定だった女流予選(第55回)の放送は同日13:30からに変更された。
- 第57回(2007年度)の女流予選は、大会史上初めて女流4タイトルを分け合う4名によるトーナメント戦となった。この模様は女流棋士出場者決定戦として2007年3月25日 10:05からの放送予定であったが能登半島地震の報道の為延期となり、同年3月30日 23:00および4月21日 15:00(再放送)からの放送となった。
- 2011年3月11日に発生した東日本大震災の影響で、第60回(2010年度)の準決勝・第2局(当初放送予定2011年3月13日)と決勝(同3月20日)は、それぞれ1週間先に放送日が延期された[24][25]。また、決勝は4月17日にも再放送がされた[26]。また、第60回記念として2011年3月21日に放送予定だったNHKラジオ第1放送「復活!ラジオNHK杯将棋トーナメント」(決勝戦の模様を放送。解説は米長邦雄永世棋聖・渡辺明竜王・佐藤康光九段[27]。司会は村上信夫アナウンサー。)も、放送日が5月5日(17:05分ごろ-18:50)に変更された。なお、NHKワールド・ラジオ日本では本番組は同時放送せず、FM放送・デジタルラジオ実用化試験放送の音楽番組に差し替えた(18:00からのニュースのみ通常通りラジオ第1と同時放送)。
- CSの囲碁将棋チャンネルでは『NHK杯テレビ将棋トーナメント選』として1980年代のNHK杯テレビ将棋トーナメントの対局を放送している(2012年10月現在、金曜日22:00~)。
脚注
- ^ 「復活!ラジオNHK杯トーナメント」(NHK)
- ^ 本番組や「囲碁・将棋フォーカス」などでは、たとえタイトル保持者であっても、名前の後ろにNHK杯とのみ付けて呼ばれることが多い。他の番組では、2002年度後期の「将棋講座」で講師の森内俊之が「名人・NHK杯」と称されたように、タイトル称号と併記されることもある。また、第30回優勝の有吉道夫までは称号が「NHK杯選手権者」ではなく「NHK杯保持者」とされていた。かつて司会を務めていた永井英明は番組内で「NHKチャンピオン」と紹介することがあった。
- ^ 「呼称者」とNHKのホームページで明記されているので永世称号資格者と言うだけでは対象にならないと思われる。
- ^ 成績優秀による選抜者の人数は、31名から他のシード者数を引いたものとなる。選抜者の決定は前年1月から12月における対局数、勝数、勝率の3部門の各順位を合計した総合ランキングによる。同順位の場合は、年度一覧の順位が優先される。
- ^ 過去には「名人は後手」の規則があった。
- ^ 第61回(2011年度)から現行の持ち時間。第44回(1994年度)から第60回(2010年度)まで各15分であったものが、各10分に短縮された。第36回(1986年度)から第43回(1993年度)までは、現在と同じ持ち時間であった。さらに過去には、予選と同じく持ち時間各20分、切れたら1手30秒未満(考慮時間なし)であった。その当時には決勝のみ各30分となることがあった。
- ^ 千日手2回が発生した2011年6月5日放送分(第61回1回戦・佐藤康光対永瀬拓矢)では、当初の対局では両者が考慮時間を1分も使わずに千日手が成立。指し直し局は考慮時間10分ずつが与えられ、余りが3分と1分の状態で千日手が成立。再指し直し局は考慮時間5分ずつが与えられて行われた。その次週の6月12日放送分(1回戦・有森浩三対阿部健治郎)で、またも千日手が発生。このときは当初の対局で有森は考慮時間を使わず10分残し、阿部だけが考慮時間を3つ使った。そして、指し直し局ではそのまま有森に10分、阿部に7分の考慮時間が与えられた。なお、この指し直し局で阿部が最初の考慮時間を使ったとき、記録係は「阿部四段、4回目の考慮時間に入りました。残り6分です」と考慮時間の回数を当初の対局からの通算回数でコールした。
- ^ 東西の出場枠数は各所属の予選参加人数に応じたものとなる。また、1枠が東西混合枠となる場合があり、混合枠では東西どちらかで先に対局を行い、勝ち残った1名が遠征して予選決勝を戦う。
- ^ 名誉NHK杯の認定証は、当番組ではなく、2012年4月8日に放送された『将棋フォーカス』初回放送で授与式が行われた。
- ^ 里見香奈(女流名人・女流王将・倉敷藤花)および加藤桃子(女流王座)は、奨励会会員のため不参加。
- ^ 「女流棋士成績一覧:日本将棋連盟」も参照のこと。他の「男性棋戦」でも複数の女流棋士出場枠が設けられている場合、上位まで勝ち上がれば女流同士の対局があり得るが過去に対戦した例はない。
- ^ ハイビジョン放送には第58回(2008年度)の1回戦第1局(2008年4月6日放送分)から対応している(アナログは14:9サイズ)。デジタル教育テレビでは通常サブチャンネル3(023ch)で独自編成(マルチ編成)を行なっていたため、16:9の標準画質で放送されていた。
- ^ ただし、駒には「王」と「玉」ある為、慣例で上位とされている対局者が「王」を使用している。
- ^ 記録係と棋譜読み上げはそれぞれ担当する2名がおり、対局ごとにそのいずれかが務める。以前は棋譜読み上げを蛸島彰子が長らく務め、記録係も山下カズ子や谷川治恵などの女流棋士が務めていた。かつて放送されていた「テレビ将棋対局」(テレビ東京)でも、読み上げ・記録はどちらも女流棋士であった。なお、同じテレビ棋戦の「銀河戦」(囲碁・将棋チャンネル)では第1期から記録係しかおらず棋譜読み上げは行われていなかったが、第21期からはNHK杯同様棋譜読み上げ係が設けられている
- ^ トーナメント表に記載されている段位・タイトルは収録当時のもので、収録後に昇段・タイトル獲得・タイトル陥落があった場合は字幕でフォローされる。
- ^ 奨励会入会時期、四段デビュー時期、現在の竜王戦・順位戦のランク(及び保持しているタイトル)、NHK杯本戦出場回数、トーナメントの勝ち上がり方などが紹介される。
- ^ 「復活!ラジオNHK杯トーナメント」(NHK)
- ^ 映像が残っていなかった為、対局の当事者である加藤が自戦を解説しつつ述懐した。
- ^ 升田幸三はすでに引退、米長邦雄は名人獲得前
- ^ 2010年12月25日放送「NHK杯60周年記念 歴代優勝者が選ぶ名勝負十局」(NHK教育テレビ)で羽生が証言。
- ^ 翌週3月27日放送の決勝戦冒頭で、この39手での勝利は、トーナメント本戦においては史上最短手数であると紹介された(予選会を含めるとどうなるかは不明)。
- ^ 将棋・佐藤紳哉六段は新スター? Ameba News
- ^ 放送(2011年6月5日)にて司会・聞き手の矢内理絵子談。
- ^ 2011年3月の全対局(日本将棋連盟)
- ^ 第60回NHK杯テレビ将棋トーナメント決勝戦放送時間のお知らせ(日本将棋連盟・2011年3月24日)
- ^ 「第60回NHK杯将棋トーナメント」「将棋講座」再放送のお知らせ(日本将棋連盟・2011年4月1日)
- ^ 「復活!ラジオNHK杯トーナメント」のお知らせ(日本将棋連盟)