村岡敏英

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村岡 敏英
むらおか としひで
生年月日 (1960-07-25) 1960年7月25日(57歳)
出生地 日本の旗 秋田県本荘市(現:由利本荘市
出身校 日本大学商学部
所属政党 無所属→)
自由民主党→)
(無所属→)
たちあがれ日本→)
太陽の党→)
日本維新の会→)
維新の党→)
(無所属→)
改革結集の会→)
民進党野田グループ)→)
希望の党
称号 商学士(日本大学・1983年
親族 父・村岡兼造(元衆議院議員
公式サイト 村岡としひで 公式サイト

選挙区 比例東北ブロック秋田3区
当選回数 2回
在任期間 2012年12月16日 - 2017年9月28日
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村岡 敏英(むらおか としひで、1960年7月25日 - )は、日本政治家希望の党所属の元衆議院議員(2期)。

改革結集の会代表維新の党国会対策委員長代行民進党副幹事長を歴任。

父は運輸大臣内閣官房長官を務めた元衆議院議員村岡兼造

来歴[編集]

秋田県本荘市(現:由利本荘市)生まれ。日本大学鶴ヶ丘高等学校日本大学商学部卒業。大学卒業後、安田信託銀行(現みずほ信託銀行)に入社[1]1989年、父・村岡兼造衆議院議員の事務所に入所。翌年、兼造が第2次海部改造内閣運輸大臣に任命され、政務秘書官を務める。1997年第2次橋本改造内閣で兼造が内閣官房長官に任命された際も政務秘書官を務めた[2]

2003年、兼造が秋田3区無所属御法川信英に敗れ、政界引退を表明。翌2004年、村岡敏英事務所を開設し、2005年第44回衆議院議員総選挙に秋田3区から無所属で出馬したが、院内会派グループ改革」を経て前年に自由民主党に入党した御法川に敗れ、落選した。2007年、自民党に入党を希望し、自民党秋田県連は次期衆議院議員総選挙でコスタリカ方式により村岡を秋田3区、御法川を比例東北ブロックで公認するよう党本部に要請したが、調整は不調に終わり、村岡は自民党の公認を受けられなかった[要出典]。そのため2009年第45回衆議院議員総選挙には無所属(平沼グループ)で出馬したが、秋田3区で民主党京野公子、自民党の御法川の後塵を拝し、得票数3位で再び落選した。2010年第22回参議院議員通常選挙たちあがれ日本公認で比例区から出馬したが落選。その後太陽の党を経て、日本維新の会に合流した。

2012年第46回衆議院議員総選挙に日本維新の会公認で秋田3区から出馬。小選挙区では御法川に敗れたが、重複立候補していた比例東北ブロックで復活し初当選[3]

2014年7月、日本維新の会の分党に際しては、村岡はかつては平沼グループや、平沼が党首を務めたたちあがれ日本に所属していたが、平沼や石原慎太郎園田博之ら旧たちあがれ日本の所属議員らが中心の新党結成を目指すグループ(後の次世代の党)ではなく、橋下徹大阪市長による新党結成を目指すグループに参加[4]。同年9月、結いの党・日本維新の会の合流により維新の党の結党に参加。同年12月の第47回衆議院議員総選挙に維新の党公認で秋田3区から出馬し、秋田3区では再び自民党の御法川に敗れたが、前回よりも票差を縮め、重複立候補していた比例東北ブロックで再び復活し、再選[5]

2015年10月22日小熊慎司重徳和彦小沢鋭仁らと共に維新の党を離党し[6]10月27日に離党が了承された[7][8]11月18日、先の3名と日本を元気にする会山田太郎とで政治団体「草莽の会」の結成を総務省に届け出た[9]12月21日小沢鋭仁が加わったことにより政党要件を満たし、政党「改革結集の会」を設立[10]。代表に就任した[11]

2016年3月27日、改革結集の会の解散に伴い、民進党に合流した。民進党内では旧改革結集の会出身議員と行動を共にすることがしばしばあり、合流直後に小熊・重徳らと野田グループ入りを検討していることが報じられた[12]2017年民進党代表選挙では、村岡・小熊・重徳の3人が独自候補擁立を模索する方針を表明したことが報じられ[13]前原誠司枝野幸男の一騎打ちが確定した後も、民共共闘を断ち切るよう両陣営に申し入れた[14][15]

2017年10月の第48回衆議院議員総選挙では希望の党公認候補として出馬するも御法川に敗れ、比例復活ならず落選(惜敗率87.26%)[16]

政策・主張[編集]

所属議員連盟[編集]

人物[編集]

著書[編集]

  • 村岡敏英 『STAFF 秘書が見た日本政治の十六年』 扶桑社、2004年、306頁。ISBN 978-4594048358

その他[編集]

  • かつて、たちあがれ日本(太陽の党)に所属していた議員で、希望の党に所属しているのは村岡と升田世喜男のみである。

出演番組[編集]

脚注[編集]

  1. ^ こまち新幹線で東京へGO! - 村岡敏英 秋田 Thanks Diary(3区ダイアリー)
  2. ^ 村岡としひで 公式サイト - プロフィール
  3. ^ 国政挑戦4度、比例で復活 村岡さん(秋田魁新報、2012年12月17日)
  4. ^ “日本維新の会分党 「石原新党」に23人”. ハフィントンポスト. (2014年6月6日). http://www.huffingtonpost.jp/2014/06/05/ishin-breakup_n_5456685.html 2015年4月26日閲覧。 
  5. ^ 秋田 - 開票速報 - 2014衆院選:朝日新聞デジタル
  6. ^ 維新、中間派4人が離党届 下地氏らは橋下新党参加へ
  7. ^ “小熊慎司氏ら維新離党届「原点に返り政治を」”. 福島民友新聞. (2015年10月23日). http://www.minyu-net.com/news/senkyo/FM20151023-022390.php 2015年12月27日閲覧。 
  8. ^ “維新、中間派4人が離党届 下地氏らは橋下新党参加へ”. 東京新聞. (2015年10月22日). http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2015102201001329.html 2015年11月5日閲覧。 
  9. ^ “維新離党組が政治団体”. 朝日新聞. (2015年11月19日). http://www.asahi.com/articles/DA3S12074800.html 2016年3月29日閲覧。 
  10. ^ 小沢元環境相らが新党結成 改革結集の会 NHK2015年12月21日閲覧
  11. ^ 村岡敏英氏、新党代表就任へ 21日届け出秋田魁新報2015年12月21日閲覧
  12. ^ “【民進党結党】「改革結集の会」3人、野田前首相のグループ入り検討”. 産経新聞. (2016年3月28日). オリジナル2016年4月21日時点によるアーカイブ。. https://archive.fo/20160421160859/http://www.sankei.com/politics/news/160328/plt1603280007-n1.html 
  13. ^ “【民進党代表選】来月は遅い、代表辞任軽すぎ、候補新鮮味ない…代表選キックオフも不満たらたら”. 産経新聞. (2017年8月3日). オリジナル2017年8月2日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170802202125/http://www.sankei.com/politics/news/170803/plt1708030012-n2.html 
  14. ^ “【民進党代表選】「民共共闘」にブチ切れた若手が声明文「民進党をたたきなおす!」 前原、枝野両陣営に提出”. 産経新聞. (2017年8月23日). オリジナル2017年8月23日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170823063920/http://www.sankei.com/politics/news/170823/plt1708230014-n1.html 
  15. ^ “共産党との共闘打ち切り要請、前原氏「同じ思いだ」”. TBSテレビ. (2017年8月23日). オリジナル2017年8月23日時点によるアーカイブ。. https://archive.is/20170823151147/http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3137108.html 
  16. ^ 東北ブロック(比例区)-開票速報-2017衆議院選挙(衆院選):朝日新聞デジタル
  17. ^ a b c “2012衆院選 秋田3区 村岡敏英”. 毎日jp (毎日新聞社). http://senkyo.mainichi.jp/46shu/kaihyo_area_meikan.html?mid=A05003005005 2014年5月3日閲覧。 
  18. ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査
  19. ^ a b 俵義文 『日本会議の全貌』 花伝社、2016年
  20. ^ 公式ページ

外部リンク[編集]

党職
先代:
結成
改革結集の会代表
初代:2015年 - 2016年
次代:
民進党へ合流