防衛省

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日本の旗 日本行政機関
防衛省
ぼうえいしょう
防衛省が設置される防衛省庁舎A棟(左奥)と 防衛省庁舎正門(手前)
防衛省が設置される防衛省庁舎A棟(左奥)と
防衛省庁舎正門(手前)
役職
大臣 田中直紀
副大臣 渡辺周
大臣政務官 下条みつ神風英男
事務次官 金沢博範
組織
内部部局 大臣官房、防衛政策局、運用企画局、人事教育局、経理装備局、地方協力局
審議会等 自衛隊員倫理審査会、防衛施設中央審議会、捕虜資格認定等審査会、独立行政法人評価委員会、防衛人事審議会、防衛調達審議会
施設等機関 防衛大学校防衛医科大学校防衛研究所
特別の機関 陸上自衛隊海上自衛隊航空自衛隊防衛会議統合幕僚監部陸上幕僚監部海上幕僚監部航空幕僚監部情報本部技術研究本部装備施設本部防衛監察本部外国軍用品審判所
地方支分部局 地方防衛局
概要
法人番号 9000012120001 ウィキデータを編集
所在地 東京都新宿区市谷本村町5番1号
定員 27万1024人
(うち、防衛参事官事務官等2万2721人、自衛官24万8303人。定員外の即応予備自衛官等を除く)
2009年3月31日現在)[1]
年間予算 4兆7741億円
(本体予算4兆7028億円に、沖縄に関する特別行動委員会経費の112億円、米軍再編関係経費(地元負担軽減分)602億円を加算した額)[2](2009年度)
設置 2007年(平成19年)1月9日
前身 防衛庁
ウェブサイト
防衛省・自衛隊
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正門方向から防衛省庁舎を望む

防衛省(ぼうえいしょう、英訳名Ministry of Defense[3])は、日本中央省庁のひとつ。日本の平和独立を守り、国の安全を保つことを目的とし、このために、陸上自衛隊海上自衛隊及び航空自衛隊を管理・運営し、並びにこれに関する事務を行うことを任務とする。

また、このほか、日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定(日米相互防衛援助協定)の規定に基づくアメリカ合衆国政府の責務の日本国内における遂行に伴う事務で他の行政機関の所掌に属しないものを適切に行うことも任務としている。

1950年、前身である警察予備隊本部が発足。その後保安庁、防衛庁を経て、2007年平成19年)1月9日に昇格した。

概要

戦争放棄及び"戦力"の不保持を定めた日本国憲法のもと、日本の国防を所管する行政機関であり、国家行政組織法第3条第2項および防衛省設置法第2条に基づき内閣の統轄の下に設置される。長である防衛大臣は、自衛隊を含む防衛省全体の組織を統括する。1954年昭和29年)7月1日以来、防衛庁として総理府内閣府外局だったが、2007年平成19年)1月9日防衛省へ移行、内閣の統括の下に独立した行政機関であるの一つとなった。

省への移行によって、内閣法にいう主任の大臣は、総理府・内閣府の長たる内閣総理大臣から防衛大臣となった。すなわち、防衛大臣は防衛省の所掌事務である国防について分担管理する大臣として責任を負う。しかし、防衛大臣が自衛隊に対して命令できる行動は「警備行動」までであり、それより上位の「警護出動」・「治安出動」、最上位の「防衛出動」は内閣の首長としての内閣総理大臣に命令権が与えられている。このため、省への移行に伴う防衛大臣(旧防衛庁長官)の職責上の変更点は、閣議への請議や財務大臣への予算要求、省令の制定などが防衛大臣の名において行えるようになったことに留まった。したがって、省への移行の具体的な効果は事務手続のごく若干の緩和、庁より格が高いとされる省への名称変更による隊員と職員の士気向上、他国の国防機関との均衡の改善などが挙げられている[4]

防衛省・自衛隊は日本最大の公務員組織であり、年間の国防予算は約5兆円である。防衛省職員への給与は、国家公務員給与費の4割を占める。マークは“青い球(地球)を守るように抱える緑色のヒトの形の上半身(自衛隊員を象徴)”。

防衛省組織の改正

防衛省・自衛隊の不祥事を受けて、2007年(平成19年)12月に総理大臣官邸に設置された「防衛省改革会議」は2008年(平成20年)7月15日に報告書をまとめ、その中で、防衛大臣を中心とする政策決定機構の充実として、防衛参事官制度を廃止し、防衛大臣補佐官を設置すること、防衛会議を法律で明確に位置づけることが盛り込まれた。

この報告書の内容を条文化する作業がまとまり、「防衛省設置法等の一部を改正する法律案」が2009年(平成21年)2月17日に閣議決定、同日国会に提出され、このなかで、従来訓令に基づく存在だった「防衛会議」を法律に規定された組織として「特別の機関」に位置づけるとともに、防衛参事官の廃止、防衛大臣補佐官3人以内の新設などが盛り込まれた。この改正法は同年5月27日に成立し、6月3日に「防衛省設置法等の一部を改正する法律」(平成21年法律第44号)として公布され、2009年(平成21年)8月1日に施行された。

統合幕僚監部への統合議論

南直哉を座長とする防衛省改革会議は2008年7月15日、防衛省再編に関する最終報告書をまとめ、福田康夫内閣総理大臣に提出した。内局の運用企画局を廃止し部隊運用を統合幕僚監部に一本化、統合幕僚副長の文官起用など、背広組と制服組の混合が柱となっている[5]

また、2008年12月22日には、防衛省内の省改革本部会議が「基本的な考え方」を発表。同報告書の内容を発展的に踏襲し、他省庁との調整も含む運用部門の統幕への一本化を盛り込んだ。しかし、2009年8月に執行された第45回衆議院議員総選挙により生じた政権交代の結果本項を含む組織改編は見送られ、同会議は同年11月17日もって廃止された[6]

防衛省と自衛隊

組織

行政組織上、「防衛省」とは本省の内部部局に加えて、陸海空の各自衛隊(制服組)、その他の附属組織(装備本部等)など審議会等施設等機関特別の機関まで含めた呼称である。

しかし、これは広義の防衛省というべきもので、狭義には防衛省本省の特に内部部局のみに限る組織を含意して防衛省と呼ぶことがある。省移行前の防衛庁の時代、特にマスコミ報道などでは、「防衛庁」といってもいわゆる文官(自衛官以外の防衛庁職員、いわゆる背広組)を中心とする組織である本庁の内部部局(内局)のみを指し、自衛官(制服組)を中心とする各自衛隊と並列して存在する別組織であるかのように用いられている例が見られた。

かって総理府の外局であった調達庁が「防衛施設庁」となり、「防衛庁の機関」との表記だけで実態にそぐわない組織になり、防衛省に統合され外局となって廃止された経緯があるが、これに比較すれば各自衛隊と防衛省の関係は歴然としており、表記は「特別な機関」となっているが、各自衛隊は他国の陸海空の軍事組織に比定すれば、実質的には外局的な位置づけと見るのが一般的である。

自衛隊という用語との関係では、「陸海空自衛隊」あるいは「各自衛隊」などと言う場合は、「防衛省の特別の機関」としての各部隊を指すにとどまるが、何も付けず単に「自衛隊」と言う場合は防衛大臣以下、内部部局から外局までも含む「防衛省」の全体を指す、と自衛隊法に定められている。

つまり「防衛省」と「自衛隊」はほとんど同一の組織のことを指しており、防衛省設置法に基づく国の行政機関としての側面からの名称が「防衛省」、国防等の職務を担う軍事的組織としての側面からの名称が「自衛隊」ということになる。

同様に、防衛事務次官防衛書記官防衛部員をはじめとする内部部局等のいわゆる文官は、自衛隊員であるとされており、自衛官(制服組)と同様に、「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努める」という文言を含む服務の宣誓を行うこととされている。

なお、「防衛省」と「自衛隊」は完全に同一ではない。防衛省に置かれる全ての審議会・審査会と、防衛施設庁業務部労務調査官および同部労務管理課の職員は「自衛隊」には含まれないと規定されている(自衛隊法施行令第1条各項及び自衛隊法施行規則第1条)。また防衛大臣、防衛副大臣、防衛大臣政務官は防衛省職員ではあるが、自衛隊員ではない。

産業への影響

自衛隊が必要とする工業製品は、防衛省が発注している。種類は多いが少量生産であり、日本の防衛産業への影響および経済効果は比較的低く、工業生産額は0.6パーセントに留まっている。また、武器輸出三原則により輸出が規制されているため、需要が日本に限定され、量産による低価格化が進まずに高価となる傾向がある。[7]

防衛省と契約を結ぶ企業は約1500社あるが、さらに広範囲な下請企業が存在する。戦車や戦闘機、護衛艦など、1つの兵器の製造に約1200~2500社以上関わるものもある。しかし、主要な製品を扱う企業が撤退するような事態に陥ると、主要な製品が特殊な技術および設備が必要とされる場合が多々あるため、産業の回復に投資と相応の期間を要し、防衛省はその維持と育成に着目している。

2009年(平成21年)度中央調達の契約高上位20社は、三菱重工業(2,629億円)、三菱電機(1,827億円)、川崎重工業(1,043億円)、日本電気(722億円)、富士通(495億円)、小松製作所(343億円)、三井造船(297億円)、日立製作所(197億円)、東芝(168億円)、三菱商事(164億円)、中川物産(150億円)、日本製鋼所(147億円)、新日本石油(146億円)、IHI(144億円)、コスモ石油(140億円)、ダイキン工業(134億円)、いすゞ自動車(123億円)、沖電気工業(119億円)、IHIエアロスペース(119億円)、富士重工業(105億円)である[8]

沿革

防衛省発足当時のアルミ合金製仮看板(看板の作製が間に合わないため、アルミ合金の仮看板を採用していた)
仮看板を掲げていた正門

明治二年から明治五年にかけて兵部省という省庁が存在し、日本の防衛を担っていた。現在の防衛省の直接の前身は、1950年昭和25年)6月朝鮮戦争勃発を受けて発足した警察予備隊本部(けいさつよびたいほんぶ)に遡ることができる。その後、保安庁(ほあんちょう)、防衛庁(ぼうえいちょう)を経て現在の防衛省に至る。

前史

  • 1950年(昭和25年)6月25日 - 朝鮮戦争が勃発、これに対応するため、在韓米軍と共に在日米軍の兵力も充当。
  • 1950年(昭和25年)7月8日 - 日本国内における兵力の不足を受けて連合国軍総司令官および国連軍総司令官であるダグラス・マッカーサーは、首相の吉田茂に対して警察予備隊の創設を指示。
  • 1950年(昭和25年)8月10日 - ポツダム政令として警察予備隊令が公布・施行され発足した警察予備隊(現在の陸上自衛隊に相当)を管理・運営する総理府の機関として警察予備隊本部が設置。
  • 1952年(昭和27年)4月26日 - 海上保安庁の附属機関として海上警備隊(現在の海上自衛隊に相当)が発足。
  • 1952年(昭和27年)8月1日 - 総理府の外局として保安庁(National Safety Agency) が発足。
    • 同日、海上保安庁海上警備隊は保安庁に移管のうえ警備隊に改められたが、警察予備隊の方は準備等の都合からそのままの名称で保安庁の所轄下に移管され、遅れて10月15日に保安隊となった。
  • 1954年(昭和29年)7月1日 - 保安庁は防衛庁 (Japan Defense Agency) に改組移行(引き続き総理府の外局)。
    • 防衛庁の本庁内部部局は、長官官房、防衛局、教育局、人事局、経理局、装備局の1官房5局による構成。
    • 保安隊は陸上自衛隊に、警備隊は海上自衛隊にそれぞれ改組発足したほか、航空自衛隊が新たに発足。自衛隊の詳細については自衛隊の項目を参照。
  • 1956年(昭和31年)3月23日 - 防衛庁、江東区越中島から千代田区霞が関へ移転。
  • 1957年(昭和32年)8月1日 - 防衛庁次長に替えて、防衛事務次官を設置。
    • 国家行政組織法の改正に伴い、国務大臣を長とする庁にも事務次官を置くことができるようになったことに伴う措置。
  • 1958年(昭和33年)5月23日 - 防衛庁の本庁内部部局として、新たに衛生局を設置し、1官房6局による構成。
  • 1960年(昭和35年)1月11日 - 防衛庁、千代田区霞が関から港区赤坂檜町地区(現:東京ミッドタウン)へ移転。
  • 1968年(昭和43年)6月15日 - 防衛庁の本庁内部部局を再編し、教育局と人事局を統合して新たに人事教育局を設置し、1官房5局による構成。
    • 教育局が所管していた教育訓練のうち、部隊訓練は防衛局に移管。
    • 当時の佐藤首相の強力な指示により、各省庁が一律に1局削減しなければならなくなったことにより、1局1課だった教育局を犠牲にした措置。
  • 1984年(昭和59年)7月1日 - 防衛庁の本庁内部部局を再編し、人事教育局を教育訓練局と人事局に分離。これに伴うスクラップ・アンド・ビルドのため、衛生局は廃止。
  • 1996年平成8年)7月 - 防衛庁がWebサイトを開設(www.jda.go.jp/ 防衛省・自衛隊:ホームページギャラリー)。
  • 1997年平成9年)7月1日 - 防衛庁の本庁内部部局を再編し、教育訓練局と人事局の2局を、運用局と人事教育局の2局に改組。
  • 2000年(平成12年)4月26日 - 防衛庁、檜町地区から新宿区市谷本村町市ヶ谷駐屯地へ移転。
  • 2001年(平成13年)1月6日 - 中央省庁再編により内閣府の外局となる。
    • 本庁内部部局を再編し、経理局と装備局を統合して管理局を設置し、1官房4局による構成。
  • 2006年(平成18年)7月31日 - 防衛庁の本庁内部部局を再編し、防衛局を防衛政策局に、運用局を運用企画局に、管理局を経理装備局にそれぞれ改組。

『省』移行後

防衛庁の省移行

経緯

防衛省の前身である防衛庁は、半世紀あまりの間「庁」のまま国家行政組織法上の位置付けの変更は行われなかったが、その間も「省」へ移行(府省の外局である庁から内閣直属の省へ昇格)させるべきとの意見は根強く、検討議論は頻繁になされていた。しかし、具体的な提案として、防衛庁の省移行が政治日程に上ったのは、小泉政権後期の2005年後半のことで、安倍政権下の2007年1月に実現した。この間の経緯は以下のとおりである。

  • 2005年(平成17年) - 政府部内においてからへの昇格の議論が本格化、省昇格法案を国会に提出することが予定される。
  • 2006年(平成18年)1月30日 - 防衛施設庁談合事件が発覚し、防衛施設庁の問題を放置したまま防衛庁を省へ移行させることへの反対意見が起こる。
  • 2007年(平成19年)1月9日 - 防衛庁設置法等の一部を改正する法律(平成18年法律第118号)施行により、防衛庁設置法が防衛省設置法に改題され、防衛庁は防衛省 (Ministry of Defense) に改められた。
    • 3月22日 - 初の防衛省令となる「防衛大学校、防衛医科大学校、防衛研究所、技術研究本部及び装備本部組織規則等の一部を改正する省令」が公布された。

省昇格をめぐる論議

昇格賛成意見

防衛庁の省への「昇格」を望む声の背景には、自衛官の士気向上や各国の国防組織(多くは省レベル)との均衡を図る、単に自衛隊の管理にとどまらず政策官庁とすることで防衛政策の推進を図る、などの目的があった。

また、防衛庁が「省」でないことによる実務上のデメリットとしては、防衛庁は内閣府(旧総理府)の外局であるために、所管する事務について制定する命令は防衛庁独自の名前で出すのではなく「内閣府令」として出すことになり、その制定・改廃ごとに内閣府本府の内閣府大臣官房に上申しなければならず、手続が繁雑で遅くなる、などの点が挙げられていた。なお防衛庁の主たる業務はあくまで自衛隊の管理であり、防衛政策全般は内閣府本府の所管とされていた。

士気や組織風土を問題にする議論で取り上げられたのが、防衛庁の組織上の特殊性である。防衛庁では、内局を中心とするいわゆる文官(「背広組」)と、三自衛隊を中心とする自衛官(「制服組」)に、職員が大別されるが、防衛庁の内部意思決定において「制服組」は立場が弱く、「背広組」に政策の主導権を握られてきた。

背広組にあっても、防衛庁採用の生え抜きよりも他省庁からの出向組(主に警察庁財務省経済産業省厚生労働省など)が多く、長い間、主要なポストは出向者によって占められてきたので、政策決定過程が『百家争鳴』の体をなすと批判されてきた。また制服組との間でも深刻な軋轢があると言われ、このため深刻な弊害が生じているとの指摘が以前からなされてきた。

省への昇格を期待する声の中にはこうした問題の解消を省昇格によってはかろうとする考え、すなわち防衛庁を名目の上でも他の省と対等とすることで、他省庁の影響力を軽減し、これによって防衛庁生え抜き、特に「制服組」の発言力を高め、組織上の弊害も解消できるのではないか、と期待するものが見られた。

現在、制度面において、防衛参事官への制服組の登用など、従来の背広組による自衛隊統制を変化させようという動きは、省昇格の動きとは直接的には切り離されて、広く日本の防衛体制見直しの観点から検討されている。

しかし、日本の防衛体制の再構築の一環として省昇格を望む声の中には、米軍のアジアにおける戦力配置の後退、北朝鮮核問題などの、近年の日本を取り巻く国際軍事情勢の変化を念頭に、わが国の防衛体制再編のために省昇格は急務とするものもあり、省昇格賛成派の間において省昇格と防衛体制の再構築は不可分とみなす意見がみられた。

また、1990年代の自衛隊の海外活動が行われるようになり、日本の国防組織として内外への認知がなされていく中で、諸外国では国防をつかさどる行政機関は軒並み日本の「省」に相当するのに対し、日本だけが省の下部機関である「庁」を名称としているのは対外的に不均衡なので是正すべきであるとされた。

なお、省への昇格にあわせて、有事の際に自衛隊の出動命令等を新たな主任の大臣となる防衛大臣の独自判断で行えるようにすべきという意見もみられた。

ただしこれは、省昇格を支持する勢力の国会議員にあっても、文民統制尊重の観点から自衛隊に対する内閣総理大臣の最高指揮権限を残す(防衛担当の国務大臣の職務執行に対し一定の歯止めを残す)べきとの意見が多かったので、2006年の防衛庁設置法等の改正でも自衛隊の出動に関する権限は、最高指揮監督権、防衛出動の命令、治安出動の命令、海上における警備行動の承認を内閣の長である内閣総理大臣の権限とする従来の規定が維持された。

昇格反対意見

防衛庁の省への移行自体に対する反対意見としては、省への昇格は自衛隊の自衛以上の役割の拡大や、自衛隊を軍隊へ格上げしようとする動きであるというもの、省への昇格によって諸外国(中国や韓国など)に日本が軍備の増強、ひいては陸軍悪玉論を根拠とし、旧日本軍の完全復活をはかっているなどの批判を誘発することを危惧する声などがあった。また、「制服組」の発言力向上をはかりたいという意識と結びついた省昇格論への反発として、省昇格によって文民統制が脅かされるのではないか、という警戒論も見られた。

結果的には省昇格に直接ともなう制度上の変化はわずかなものに留まったが、省への昇格と活発化する日本の防衛体制の見直し論議に対する反対意見を複合させて、省昇格に対する否定的な意見は、反自衛隊の色彩が強い市民団体などを中心に依然として見られる。例えば、「防衛庁の省昇格は、日本を再び軍国主義への第一歩に踏み出させるものではないか」といったものである。

省移行後の名称を巡る論議

省移行後の名称に関して「庁」から「省」へそのまま移行した現在の「防衛省」の名称以外に、2005年4月に民主党から防衛庁の省昇格意見が出された際などには、「国防省」という名称にすべきという意見が見られた。

国防省」という日本語は諸外国の国防行政機関の日本語訳名称として広く用いられていること、また、「防衛省という名称では何を防衛するのか不明瞭である」という理由をあげて「国防省」を推す者がいた[11]

また、2005年末に防衛庁の「防衛省」移行が政治日程に上った際に、連立与党の公明党の中からは、「防衛省」という名称の軍事色を薄めるために「防衛国際平和省」や「防衛国際貢献省」という名称を推す意見もあった。

最終的には与党の合意のもと「防衛省」の名称で法案が提出された。野党の民主党・国民新党を含む賛成多数によって原案どおり可決、省の名称は「防衛省」となった。

組織

幹部

内部部局

  • 大臣官房
    • 秘書課
    • 文書課
    • 企画評価課
    • 広報課
    • 訟務管理官
  • 防衛政策局
    • 防衛政策課
    • 日米防衛協力課
    • 国際政策課
    • 防衛計画課
    • 調査課
  • 運用企画局
    • 事態対処課
    • 国際協力課
    • 運用支援課
    • 情報通信・研究課
  • 人事教育局
    • 人事計画・補任課
    • 人事制度課
    • 人材育成課
    • 厚生課
    • 服務管理官
    • 衛生官
  • 経理装備局
    • 会計課
    • 監査課
    • 装備政策課
    • システム装備課
    • 艦船武器課
    • 航空機課
    • 施設整備課
    • 技術計画官
    • 施設技術官
  • 地方協力局(防衛施設庁廃止により新設)
    • 地方協力企画課
    • 地方調整課
    • 周辺環境整備課
    • 防音対策課
    • 補償課
    • 施設管理課
    • 提供施設課
    • 労務管理課
    • 沖縄調整官
    • 調達官

審議会等

  • 自衛隊員倫理審査会
  • 防衛施設中央審議会
  • 捕虜資格認定等審査会
  • 独立行政法人評価委員会
  • 防衛人事審議会
  • 防衛調達審議会

施設等機関

特別の機関

地方支分部局

所管独立行政法人

所管財団法人

所管社団法人

メディア

広報誌

MAMOR』(扶桑社刊) 防衛庁の時代には、広報誌として防衛弘済会が発行していた『セキュリタリアン』があったが、平成18年(2006年)9月号を持って休刊となり、新たに『MAMOR』が2007年1月21日に創刊された。

漫画

『まんがで読む防衛白書』:将来の防衛に向けて子供向けに毎年製作している漫画冊子。防衛白書と同じく同省のサイト内で公開されている。

アニメ

『ディフェンス スリー3』:小中学生向けに製作した広報ビデオアニメ。

倫理啓発ビデオ

自衛隊員向けに倫理啓発ビデオを製作している。2007年3月に完成し、同年6月から全自衛隊員を対象に上映されている。ビデオに登場する人物は、「ゴルフ接待漬けの上司」という設定であり、後に収賄で逮捕された守屋武昌にかけられた容疑をそのまま反映したかのようであった。

動画配信

同省のサイト内で防衛省・自衛隊に関する動画を配信するほか、YouTube内の「防衛省補給支援活動動画チャンネル」[12]にてインド洋における海上自衛隊の補給支援活動に係る動画を配信している。

その他

  • 防衛省本庁舎が存在する市ヶ谷駐屯地は、三島由紀夫が割腹自殺した三島事件でも知られる。
  • 1997年、軍事ジャーナリスト加藤健二郎オピニオンリーダーに任命される。
  • 2007年11月28日、守屋武昌が東京地検の事情聴取を受け、山田洋行の元専務からゴルフ旅行などの接待を受けた見返りに防衛装備品の調達で便宜を図った疑いが強まったとして、妻と共に収賄容疑で逮捕された。それだけで終わらず守屋は庁の頃からゴルフ旅行などを行っており、かつての長官(久間章生額賀福志郎)も事件の関与の疑いもあり、一部の雑誌で庁へ格下げ論を取り上げられるなどした(山田洋行事件)。
  • 毎年夏に市ヶ谷の施設を開放して夏祭りが催されており、この日だけは身分証明がなくても入場できる。各駐屯地単位で踊りの披露や出店を行っている。

脚注

  1. ^ 防衛省. “法令、予算及び決算>防衛予算関連文書>我が国の防衛と予算-平成21年度予算の概要>PDFの27ページ、文書の24ページ”. 2009年4月24日閲覧。
  2. ^ 防衛省. “法令、予算及び決算>防衛予算関連文書>我が国の防衛と予算-平成21年度予算の概要>PDFの31ページ、文書の28ページ”. 2009年4月24日閲覧。
  3. ^ 但し、他の国の防衛省と区別するためJapan Ministry of Defenseと公式に表記する場合もある
  4. ^ なお、防衛省への移行にともなって国際平和協力活動等の海外活動が自衛隊の本来任務化されているが、これは省への移行と直接関係はなく、省への移行にあわせて本来任務を追加したものである。
  5. ^ 報告書――不祥事の分析と改革の方向性』防衛省改革会議、2008年7月15日
  6. ^ 閣僚会議等の廃止について
  7. ^ 防衛産業・技術基盤の維持・育成に関する基本的方向 防衛産業・技術基盤研究会 平成12年11月
  8. ^ 防衛省・自衛隊:装備施設本部の平成21年度調達実績について
  9. ^ 衆議院TV2006年11月30日(木) 本会議 防衛庁設置法等改正法案(164国会閣91)37:09~
  10. ^ 参議院インターネット審議中継 -ビデオライブラリ2006年12月15日(金)本会議 教育基本法案(第164回国会閣法第89号)45:22~49:23
  11. ^ 諸国の国防を所管する省庁の名称は、英語で表記すればMinistry (Department) of Defence (Defense) すなわち「防衛省」であり、国にあたる単語を含んでいるケースはカナダ、中国、韓国など少数である(ただし、漢字文化圏では、「国防部」(中国)、「国防部」(台湾)、「国防部」(韓国)、「Bộ Quốc phòng」すなわち「部国防」(ベトナム)に対して「防衛省」(日本)、「人民武力部」(北朝鮮)であり、「国防」が多数派を占める。)。日本語での通称と原語での正式名称の間に乖離がある場合が見られる。詳しくは国防省を参照。なお海外の内務省も同様。
  12. ^ 防衛省補給支援活動動画チャンネル

関連項目

外部リンク