圓明寺

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圓明寺
圓明寺 境内
境内
所在地 愛媛県松山市和気町一丁目182番地
位置 北緯33度53分30.3秒 東経132度44分22.8秒 / 北緯33.891750度 東経132.739667度 / 33.891750; 132.739667座標: 北緯33度53分30.3秒 東経132度44分22.8秒 / 北緯33.891750度 東経132.739667度 / 33.891750; 132.739667
山号 須賀山
宗派 真言宗智山派
本尊 阿弥陀如来
創建年 (伝)天平勝宝元年(749年
開基 (伝)行基
正式名 須賀山 正智院 圓明寺
札所等 四国八十八箇所53番
文化財 銅板の納札(市民俗文化財)
法人番号 5500005000155 ウィキデータを編集
圓明寺の位置(松山市内)
圓明寺
圓明寺
松山駅
松山駅
松山市における位置
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圓明寺の位置(日本内)
圓明寺
圓明寺

圓明寺(えんみょうじ)は、愛媛県松山市にある真言宗智山派。須賀山(すがざん)、正智院(しょうちいん)と号す。本尊阿弥陀如来四国八十八箇所霊場の第五十三番札所。近年は円明寺と表記されることが多い。

本尊真言:おん あみりた ていぜい からうん

ご詠歌:来迎の 弥陀の光の 圓明寺 照りそう影は 夜な夜なの月

歴史

寺伝によれば天平勝宝元年(749年聖武天皇の勅願を受けて行基が本尊阿弥陀如来脇侍観世音菩薩勢至菩薩を刻んで開基したという。当初は現在地より北の浜にあり海岸山圓明密寺と称した。後に空海(弘法大師)がこの地を巡錫し伽藍を整備したという。

鎌倉時代以降に幾度か兵火によって荒廃、元和年間(1615年1624年)に現在地に移転。寛永10年(1633年)、須賀専斎重久がその私財をもって再興したものという[1]。寛永13年(1636年)に現在の寺号に改称される。

境内

大師堂横の桜

山門を入ると右に弁財天、観音堂、鐘楼があり、左に大師堂がある。参道の中門の先正面に本堂が建ち、その左手に閻魔堂が、右奥に庫裏・納経所がある。大師堂の右に文殊堂、左にマリア観音がある。

  • 宿坊:なし
  • 駐車場:10台、大型3台。無料。

文化財

愛媛県指定有形文化財
  • 八脚門(1956年11月3日指定):三間一戸、一重、入母屋造、一軒疎垂木、本瓦葺
  • 厨子(1956年11月3日指定):一間厨子で、入母屋造、板軒、室町時代作
  • 木造阿弥陀三尊像のうち両脇侍立像(1965年4月2日指定):観音菩薩立像60.2cmm勢至菩薩立像60.6cm、寄木造、玉眼、1250年頃の作
松山市指定民俗文化財
  • 銅板の納札(1980年10月20日指定):慶安3年(1650年)の銘があるこの納札は、四国八十八箇所を巡拝していた米国シカゴ大学博士によって大正10年(1921年)に世に紹介されたことで、広く知られるようになった[2][1]

交通案内

鉄道
バス
  • 伊予鉄道バス 運転免許センター・太山寺行き「和気」下車(門前)
道路

奥の院

奥の院 観音堂
観音堂(海岸山 圓明寺)

前後の札所

四国八十八箇所
52 太山寺 -- (2.5km)-- 53 圓明寺 -- (34.4km)-- 54 延命寺

文献資料

  1. ^ a b 松山の歴史・文化(札所めぐり) - 松山市
  2. ^ 円明寺銅板納札 1枚 - 松山市

参考文献

  • 四国八十八箇所霊場会 編 『先達教典』 2006年
  • 宮崎健樹 著 『四国遍路ひとり歩き同行二人』地図編 へんろみち保存協力会 2007年(第8版)
  • 宮崎健樹 著 『四国遍路ひとり歩き同行二人』解説編 2007年(第7版)

外部リンク