同性愛

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同性愛(どうせいあい)とは、男性同士または女性同士の間での親愛や性愛、その性的指向を指す。同性愛の性質を持っている人のことを同性愛者、英語でホモセクシュアル[1]: homosexual)という。

対する異性愛を「ヘテロセクシュアル」(: heterosexual)、両性愛を「バイセクシュアル」(bisexual)という。また、性的対象を持たない無性愛は英語でasexualと表記し、代表的な辞書には「エイセクシュアルアセクシュアル、ASEXUALの英語訛り)」という発音が掲載されているが、日本では「アセクシュアル」と言うことが少なくない。

概説

ゲイという単語は、稀に男性だけでなく女性の同性愛者も含んだ「同性愛者一般」という意味で用いられることもあり、さらに性的少数者一般を指す言葉として代表させる表現でもある。性的少数者一般を指す単語としては、LGBT(I)が推奨されている(詳しくは下記用語参照)。

同性愛者に対する異性愛者の受容といった観点においての心理学的なアプローチでは、男性同性愛者と女性同性愛者に対して、女性異性愛者は双方の受容傾向に差は見られなかったが、男性異性愛者については男性同性愛者に対してのみ受容の傾向が有意に低いという実験結果が複数の実験で出ている[2]。これについては、男性と女性の「性の対象」としての視線に慣れているかいないか、言い換えれば、女性は水着のグラビアなどを筆頭に性的な対象としての視線に晒されることが多くある程度耐性がついているが、男性にはそれがついておらず自身が性の対象になる可能性のある男性同性愛者に対して拒絶感があるからではないかという推察もある[2]。ちなみに、カミングアウトされた経験がある(つまり友人といった他人から自身は同性愛者であると告げられたことがある)人は、全体的に受容傾向が強いとする実験結果が出ている[2]

ホモ・セクシュアル

同性愛(者)を意味する語。略語を「ホモ」ということがしばしばあるが、この略語は、時として英語を母国語とする文化圏で、日本人のことを「ジャップ」と縮めて侮辱するのと同様、侮辱語となっている。同性愛者はこの語に侮辱または嘲笑を感じとる場合が多い。また報道においてもこの語の使用は避けられている。 一方で、日常における日本語では、同性愛(者)に対する本来の意味が十分に認知されておらず、男性同性愛者(ゲイ)の意味で用いられる場合もある(参考:ホモフォビア)。

ゲイ

男性同性愛者のことを特にゲイと呼ぶ。この言葉には差別的な意味の内包される場合があり、しばしばそうした使い方をされる。広義には性別を問わず同性愛者全てを含むが、日本語社会では単にゲイという場合は、後述のレズビアンと区別し、男性同性愛者のみを指すことがほとんどである。ただし、アメリカ合衆国などの英語圏ではゲイが男性同性愛者を指す場合とレズビアンも含め全同性愛者をゲイと呼称する場合がある。

英単語の「gay」に由来する。この単語は「陽気な」「派手な」などの意味を持つ。この単語(名詞)の、英語の文献における初出は、Oxford English Dictionary によれば1935年である。ヴィクトリア朝イギリスでは、売春婦男娼が「gay」と呼ばれていた(これは彼らがgaily、つまり「派手に」「華やかに」着飾っていたからである)。それが語源となり、全ての男性の同性愛者を指して用いられるようになった。

レズビアン

女性同性愛者のことをレズビアンと呼ぶ。

日本では「レズ」という略語がよく用いられるが、歴史的に含まれてしまった侮蔑的ニュアンスを嫌い、意図的に「ビアン」と略す者もいる(ちなみに「ビヤン」と発音するフランス語の bien は“素敵”の意)。男性同性愛者ほど顕在的なものではないにしろ、レズビアンに対する嫌悪感を抱く人も存在する。一方同性愛者でない男性で性的嗜好として好む者も多く存在する[要出典]

語源ギリシアレスボス島に因む。古代ギリシア時代にこの島に住んでいた詩人のサッポーが、少女の教育を担っていたと考えられる宗教的女性結社の指導者で、アプロディタ女神への讃歌や官能的な恋愛を多数作り、古代において恋愛詩の閨秀詩人として著名だったためである。サッポー自身が女性同性愛者だったという明確な証拠はない。伝説では、サッポーは美青年への恋に失恋したため、崖より身を投げて自殺したともされ、またその作品からしても、同性愛だったかどうかは疑問が存在する。しかし後世、混同が起こり、女性同性愛は「サフィズム」とも呼ばれている。

雑誌やマンガ等における同性愛者

雑誌やマンガ等における男性同性愛や、ポルノ雑誌の「レズもの」における女性同性愛者などに対しては、往々にして異性愛者のホモフォビアが反映しているという指摘[誰?]や、娯楽的観点を重視しすぎており現実の同性愛者に対する誤解・偏見を招くという批判もある[誰?]。また、男性ヌードの媒体が少ない日本においては、ゲイ産業にその捌け口を求める女性が少なからず存在することが、異性愛者と同性愛者とのトラブルの火種となっているとも考えられる。一方で、やおいに女性としての性愛への視点を見いだす女性同性愛者の存在や、これらの作品をきっかけとして同性愛運動に関心を抱くヘテロセクシャルの人も多く、単純に評価を下すことはできない。[要出典]

同性愛の定義

一口に「同性愛」と言っても、その定義の仕方には様々な考え方がある。以下にそれらの考え方を羅列するが、現在は「自分自身がどう思うか」に委ねるとの考え方が有力である(ある二人の男性が、男/女を、7:3の割合で好きになるとしても、自身はゲイであるという人もおり、9:1の割合で好きになるとしてもバイ・セクシュアルという人もいる)。[要出典]

同性愛感情の素因を持っている人

「生育環境が同性愛感情を育む要因を持っており、よい出会いに恵まれたならば、異性愛感情を抱いた可能性がある人」を同性愛者と定義する考え方がある。言い換えるなら、「生物学的にどうしても異性愛感情を抱き得ないというわけではない人」である。

フロイトの考えによれば全ての人間はこの意味での同性愛者である。これは、彼が「先天的にはいかなる対象とも不可逆的に結びついているわけではない幼児性欲が、後天的にいかなる対象に結びつけられるか」が同性愛/異性愛を決定すると考えていたことによる。ただし、フロイト自身はこの意味で同性愛者という言葉を使ったことはない。

より穏当な意見の人々からも、同性愛に抑圧的でない文化においては同性愛感情を経験したことがある人が多く見られることから、この意味での同性愛者の割合は極めて高いと見積もられている。

ただし、この定義における「同性愛者(ホモセクシャル)」は「異性愛者(ヘテロセクシャル)」と背反な概念ではないため、その大部分は「両性愛者(バイセクシャル)」とみなすこともできる。「両性愛者」を除く狭い意味での「同性愛者」、すなわち「生物学的にどうしても同性以外に恋愛感情を抱き得ない人」はより少ない。厳密なパーセンテージについては諸説あるが、人口の10パーセントを超えるとする報告は最近では見られない。

同性愛感情を経験した人

同性愛感情を有している、もしくは有していた人のことを同性愛者と定義する考え方もある。

上で述べたようにこの定義における同性愛者の割合は文化依存性が高い[要出典]。しかし、同性愛に抑圧的な文化においては、調査の回答者が同性愛感情の経験を隠そうとする可能性も高い。この意味での同性愛者の割合は実は安定しており、それを公にする人の割合が異なるだけではないかという指摘もある。

唯一確実だと見なされていることは、この定義のもとで、同性愛者が人口の100パーセントを占める文化や、0パーセントの文化は知られていないということである。

Wellingsが1994年イギリスで行った調査によれば、この意味での同性愛者は人口の約6パーセントだった。両性愛者を除く狭い意味での同性愛者は男性の約1パーセント、女性の約0.5パーセントだった。また、欧米にて2006年の匿名下における研究では母数の20%に人がいくぶんかの同性愛感情を抱いたことを報告しているが、自身を同性愛者としてラベリングしている人はごくわずかだったとされる[3]

同性間の性行為を経験した人

同性間の性行為、すなわち同性同士での性的な接触を取り上げて、その経験の有無によってHomosexualityを定義しようとする考え方もある。ただし、この場合日本語においては同性「愛」となっているので言語上の問題がある。また、異性愛者に関しては、性行為がなくても異性愛者と呼ぶことを(異性愛者とも呼ばないほど自然に)受け入れるのに対し、同性愛者を性行為の経験の有無によって定義するのは非対称であり、整合性はないといえ、同性愛をもっぱら性行為のみに限定しようとする多数派意識の反映という指摘もある。

この定義を、感情経験といった主観的なものに比べて科学的な優れた尺度であると考える人もいる。しかし、幾つかの点で問題もある。

  • 同性間の性交行為は文化・制度的に強く規制されることも多く、感情という内面的なものに比べて文化・制度が影響しやすい
  • 同性間の性行為に及ぶに必要とされるパートナーは、人口密度の低い地域では全く見つけられない可能性がある。

そのため、同性愛の生物学的な側面を検討する上ではこの定義は役に立たないと考える人もいる。

また、同性愛感情が無くても同性間の性交行為をすることは可能であるので、このことが統計的なズレをもたらしている可能性もあると指摘される。単なる興味本位や、制度的な強制、売春強姦、刑務所や寄宿舎などで異性と接する機会がない場合など、そのような事態は実際に知られている(参考:機会的同性愛)。

この定義における同性愛者の割合については様々な報告がある。

  • ニューギニアサンビア族では、男性同士の性交行為が通過儀礼として制度化されている。しかしこれをもって、男性の100パーセントが同性愛者であるとするのは間違いである。[要出典]
  • 上のイギリスにおける調査では、男性の3.6パーセント、女性の1.7パーセントだった。両性愛者を除くと、男性の1パーセント、女性の0.5パーセントだった。[要出典]
  • 1992年のアメリカ国家世論調査センターによる調査では、男性の2.8パーセント、女性の1.4パーセントだった。[要出典]
  • 1995年ハーバード大学によるアメリカにおける調査では、男性の6.2パーセント、女性の3.6パーセントだった。[要出典]

同性に対して性欲を感じる人

これは定義とは言いがたいものではあるが、これは同性愛であるとする/ないとするで意見が分かれがちである。いわゆる同性の画像・映像に性欲を抱く人、同性の身体やその一部に性欲を抱く人のことである。

多くの場合、(同性に対して恋愛感情を持つ)同性愛者から見ると、「これは同性愛には含めない」と考える人が多く(同性には一切性欲を感じない)、異性愛者から見ると、「これは同性愛の一種である」と考える人が多いようである。

  • 前者の人から見た場合、これらの人は単に性欲を感じているだけであり、実際に同性に対して恋愛感情がある訳ではなく、単純に生理的な欲求の対象としていると感じられるため、実質的な同性愛ではないとしている事が多い。なんとなれば、恋愛感情という極めて個人的で繊細な主観を以って選択的に対象へ臨む行動様式、つまり「ほれた、すき」を抜きにしており、たとえば異性愛者がいちいち雑誌の異性グラビア頁に恋愛しないのと同等である、といえよう。
  • 逆に後者の人から見た場合、これらの人は多かれ少なかれ、異性ではない同性に性的な感情を抱いていると感じられるため、同性愛の一種とみなしている事が多い。同性愛者とは常に必ず同性を、なんらかの感情、対象として視野においている、という前提の固定観念に基いている。

偏見と実像

同性愛は珍しい存在なのか

近年の多くの英米の調査では人口の2-13%(50人に1人から8人に1人)の割合で同性愛者が存在していると言われている[4][5][6][7][8][9][10][11][12][13][14]性的少数者(セクシュアルマイノリティーズ)は、おおよそ概念上で少数者とされているものであり、実際はそれほど少数ではないと考えられる。

概念上マイノリティーとなる最大の理由は、多くの同性愛傾向を持つ人々が、その偏見から、社会的に及ぼす影響や自身が被る不利を考慮し、同性が好きであることは普通に言い出せる現状にはないと個人的レベルで判断した結果、隠すための努力をする、隠すために最善を尽くすことを選択するからである。

一般世間において異性愛規範や結婚規範が強いために、同性愛者でありながらそれを隠すために異性と交際したり、結婚をして子供をもうけたりしている者も決して少数派ではない(偽装結婚)。このケースでは配偶者も夫や妻が同性愛者であることに気づかないことが多い。

これまでに存在した同性愛の歴史などについては後述を参照。

同性愛は習癖なのか

同性愛をただその方向に習癖として流れたのだと考える向きは未だ根強いが、同性愛はそうあろうとしたり、認知するからあるものではなく、異性愛と同じように無意識的なものだということがわかっている。[要出典]

同性愛指向について「私にはそういう趣味はない」といったような言い回しをすることには大きな語弊がある。同性愛は性的指向の一つであり、自らの意志によって始めたり終わらせたりすることができるような類のものでは全くないからである。

人は性的指向によって惹かれあう感覚が、趣味でも個性でもなく人の根源的性質であることを知っている。人が惹かれあう傾向性の存在は、人の力によるところのものではなく、もともと人に無意識に備わっており、自然のメカニズムによるものと考えられている。即ち、同性愛者が同性に惹かれる傾向は、異性愛者が異性に惹かれる傾向と同じ質のものであり、これが性的指向である。

自らの性的指向を想像すればわかることであるが、すべての性的指向には人(自分)の意志の力が通用しない。従って自分の意図するように自分の性的指向を消したり、自由に選択・変更したり、コントロールすることができない仕組みとなっている。

しかし、こうした同性愛の性的指向が、なぜ、いつ頃からどのように形成されるのかについては、脳説(下記参照)、ホルモンシャワー説など諸説、多くの推測や研究があるものの、未だ断定に至るようなメカニズムはわかっていない。

そもそも性的指向に関しては、同性愛指向に限らず、異性愛指向を含む他の性的指向の生成メカニズムについても解明されているわけではない。性的指向について科学的見地に立つ場合には、「なぜ同性愛があるのか」というよりも、「なぜ人は人を好きになるのか」「なぜ人は性的指向が分かれるのか」といった研究視点が必要である。

現在、同性愛は国際医学会やWHO(世界保健機関)、日本精神神経医学会といった専門医による見解(下記項参照)によって、治療の対象外であり疾病や病気などではないことがわかっている。

しかし、一部でこれを治療が極めて困難な精神的な病だと考えている人もいる。一部の心理学の分野では、男性同性愛者のケースにおいて、妊娠時における母親方のストレスや幼少期における長期にわたる父性方の愛情欠如、あるいは父性そのものの存在の無知、コミュニケーション不足、暴力、それらから受ける心的ショックなどによって同性愛になるという学説がある。この心理学における説(同性愛者が訴えた説ではない)は、男性同性愛者当事者においても、幼少期における経験談などから多くの一致を見ることができるとする当事者は少なくないという。

ただ、この心理学の説のように男性の愛情のない環境が原因で同性愛の傾向性が形成されていったと仮定しても、それは幼児が意識的に同性愛になることを先行するのでなく、可逆性の低い傾向性を環境によって無意識に備えたということでしかないため、性的指向という部分では変わりはないといえる。

同性愛に関し、多方面からさまざまな研究が成されている今日において、性的指向理論自体を合理的に覆すのは困難になっているのは現状としてあるといえる。

同性愛は環境ホルモンに原因があるのか

この説は、化学物質が開発されるずっと以前から同性愛が存在することに関しては何ら意味をもたないため、同性愛の存在そのものに関する根源的な原因説ではない。

環境ホルモン説は週刊誌やいわゆる実用書、また陰謀論的テクスト等によく登場する説であり、医学界・心理学界等の大勢の評価を得ている説ではないが、概ね19世紀以後に開発・使用された人工的な化学物質が人間および動物の同性愛化に影響を与えているという説である(現時点においては、少なくともいわゆる環境ホルモンの人体への影響は極小のものであると考えられており、この点に関して、本説は疑似科学に近い説であるという見解が有力である。環境ホルモンの項目参照)。

本説がもしも事実であれば、一般販売されている農薬汚染・肥料汚染された食品、化粧品石鹸ペンキ等の工業品などを通じて、同性愛傾向を備える可能性が高くなるということになるが、これには遺伝子の持つ免疫力の強さに応じて個人差が出るという。つまり、この裏づけには人の遺伝子の免疫力への影響度そのものの検証データが必要となってくる。しかし、現在までのところこうしたことに関する信頼性の高い確実なデータが提示されているわけではない。また現状として現代社会においても、それらの製品によって、何ら影響を受けた形跡のない異性愛者がほとんどであることからも、この説の信憑性は現段階でかなり低いものとなっている。

いずれにしても、化学物質と同性愛傾向に関するこうした説のソースのほとんどは週刊誌等であり、いわゆる科学的検証に耐えうる説であるというには程遠いのが現状である。

同性愛は脳の機能に原因があるのか

同性愛など人間の性的な傾向は、自律神経をつかさどる脳の機能に規定されている可能性が有力であり、さかんに研究がなされている。特に有名なものとしてはスウェーデンの研究がある[15]

同性愛は治療の対象になるのか

現在、国際医学会やWHO(世界保健機関)DSM-4等では、同性愛は「異常」「倒錯」「精神疾患」とはみなさず、治療の対象から外されている(DSMでは1980年代に異常性愛から除外された)。同性愛などの性的指向については発達障害等とは別の物で、矯正しようとするのは間違いとの見方が主流となっている。 一人一人の中で、「同性指向」と「異性指向」がある一定の割合で存在していると言うのが人間という「種」の基本的性質であり、そのパーセンテージは自分の意志で簡単に変えたり選んだりできない可変性の低い物になっている。

また、日本精神神経医学会は、「同性愛はいかなる意味でも治療の対象とはならない」と言う見解を宣言している。

このように、現在の専門医の見解では同性愛そのものは疾患ではない。しかしながら同性愛である事により一般社会規範との適合性等から思い悩み、精神疾患を発症したという場合は、通常の精神疾患である。 (後述も参照)

同性愛者は異性装をするのか

同性愛者は異性装をすると信じていたり、異性装者は同性愛者であると信じていたりする人がいる。

身体的に男性の性同一性障害者(MtF-GID)とゲイを混同していた場合、一定数のゲイが女装をしているように見えたり、身体的に女性の性同一性障害者(FtM-GID)がレズビアンの中にとけ込んでいることにより、レズビアンの服装傾向がより男性的に見えるという可能性がある。性同一性障害者と同性愛者の区別が分からないという人も多い。

しかし、実際には大部分の同性愛者は異性装をしない。性同一性障害者とは異なり彼らは心理的に身体と性認識が一致しているため、もともと異性の服を着る性的傾向にない。総体的に異性装が標準であるかのような感覚は、一部の者や限られた場所にしか通っておらず、まったく無関係の者が非常に多い。

ゲイ・タウンの文化の中には、ドラァグ・クイーンのように故意に奇異な女装をしてショーとして見せ、面白がるという習慣がある。しかし、こうしたイベントやクラブを好まず、まったく出向かない男性同性愛者は多く、一部には、ゲイ・パレードの服装やパフォーマンスなどによるデモンストレーションのし方に対して批判的なゲイもいる。すなわち、極少数のゲイが見せ物として女装をするのである。そのほか、異性愛者好みのゲイが、パートナーとの違和感を和らげるために異性装をするケースがある。

男装をするレズビアンもまた、多いというわけではない。男性的な服装を好むレズビアンも一定数存在しているが、現在の日本の文化では、かなりボーイッシュな服装であっても女性の服装として通例になっているため、見えにくい。

露出度の高い恰好をする男性はゲイなのか

当然ながら露出度の高低で性的指向は判断できない。

一部の男性同性愛者がゲイ・クラブ(ゲイ・タウン)やゲイ・パレードなどのイベント、及び限られた男性同性愛者専用の場所などにおいて、身体を露出させることでアピールを行うことがある。オーストラリアのマルディグラと呼ばれるゲイ・イベントでは、体を鍛えたり、夜のクラビングで、体のラインを際立たせて見せるために小さめのシャツを着ることで、街中で自分の体のアピールを行う。しかし、一般公共の日常場面においても、常時、敢えてセックスアピールを欠かさずに露出度の高い服装をするという傾向は、最近の日本ではほとんど見られない。

一般的にイメージされがちな、お笑い芸人のレイザーラモンHGに見られるような感覚の服装ひとつを例にとっても、人によっては、これが「ゲイのステレオタイプ」ですらない。

同性愛者の服装には、異性愛者同様、極めて広い個人差があるというのが総体的な実際である。


同性愛者と健康

同性愛と児童ポルノ

同性愛と社会

文化・宗教における同性愛の位置づけ

同性愛に対する文化・宗教の態度は様々である。文化・宗教で同性愛に言及する場合、そのほとんどは男性同性愛への言及であり、女性同性愛についての記述は非常に限られている。同性愛を公認したり、寛容な文化であっても、生殖により子供が作れるわけではないことなどから、同性愛が異性愛と同等に位置づけられないことが多い。[要出典]

宗教における同性愛

同性愛に対する宗教上の解釈も人や宗派によりさまざまであるが、同性愛をさほどタブー視しない仏教に比べ、概ね欧米の伝統的な文化では同性愛は否定的に評価されている。同性愛を表向き禁止している文化・宗教は幾つか存在し、例えば、アブラハムの宗教の中の少なからぬ宗派は同性愛を禁じている。欧米の否定的評価は、この宗教的倫理によるものである。[要検証]

キリスト教の中でも比較的保守的な宗派においては、『レビ記』で不倫や刺青を入れること、豚肉を食べること等と並んで男性間の性行為を死刑と定めている(20章13節)ことなどを根拠に同性愛を禁じている場合が多い。そのためヨーロッパでは中世・近世を経て近代に至るまで、同性愛者に対する厳しい迫害が行われ、多数の者が処刑された。現代では、同性愛は異性愛と同様に神の意思に従った自然な存在であると考える進歩的な宗派もある。同性間の性的行為についても、容認している教派と許されないとする教派に分かれる。[16]

また、イスラム教も教義上は同性愛については否定的な見解を示している信者が少なくない。『クルアーン』の7章80節~81節と26章162節~166節には、預言者ルート聖書ではロト)が男性に性欲を抱く人々を非難する記述がある。これを受けてイスラーム教国では同性愛が犯罪として処罰の対象となり、現在でもサウジアラビアイランのように同性愛者を死刑に処する国や地域も存在する。その一方、前近代イスラームにおいて同性間性行為が許容された地域があり、同性間性行為を謡った詩なども多く詠まれている。現代では同性愛差別に反対しているムスリムも存在する[17]。同性愛者やトランスジェンダーのムスリムの団体「アル=ファーティハ財団」がある。

仏教においては、『正法念処経』の十六小地獄 (衆合地獄)で不倫をした者が落ちる地獄、女性の口を使ってみだらな行為をした者が落ちる地獄などと並んで、多苦悩処という男色者が落ちる地獄があると設定されている。迦才の『浄土論』、源信著『往生要集』でもこの多苦悩処について言及されている。

ヒンドゥー教においては、アイヤッパンアルダーナリシュヴァラのように性の垣根を越えたような神格が登場するものの、地上世界における同性愛には否定的で法典類では罰金が定められている。ただし『マヌ法典』などではカーストからの追放といった厳罰を定めている[18]

今日の日本で、一般に向けて強制的に行使すれば、人権侵害テロ行為等の犯罪となるような宗教上の禁止事項に実質的な意味はまったくないが、禁止や罪となる理由が「聖典に書かれているから」といったものである以上、これにより聖典の信頼性が問われることはやむを得ないところがある。現時点では、聖典の作成者、及び作成経緯などを含め、その成立については、各宗派の信者からの推定のみに留まっており、諸説に実証があるというわけではない。すなわち、「神」が判断したのではなく、「神」の判断と思い込んだ考え方の異なる複数の人間の判断である可能性が聖典には常に横たわっている。「神」と呼ばれる存在の解釈ひとつをとっても、あらゆる宗派や教義によって多少、もしくは大きく異なっており、一貫しているわけではない(参考:宗教戦争)。

制度化された同性愛

歴史的には、中世から近世初期にかけての日本の武士や、古代ギリシア古代ローマのように、男性間の同性愛行為が制度化されていたり、公然と行われた文化も存在する。

古代ギリシアでは、制度化されていた少年愛を同性愛として含めると、同性愛は単なる恋愛・性愛のバリエーションの一つだったともいえる。異性愛との区別自体が無く、同性と肉体関係を持っても同性愛者という概念自体が存在しなかったという。当時のギリシアにおける自由民成人男性の性対象は女性、少年、奴隷、外国人のうちどれを選んでもよく、むしろ生涯で片方の性にしか性欲が湧かないことは通常ではないとされていたという。但し、制度少年愛における同性愛的関係は、概ね成人男性と思春期前後の少年のあいだで結ばれるもので、これらが集団の結束を強固にする目的があったり、何らかの意味で現代的な同性愛とは異なるものだと指摘する見方もある。 周辺時代に登場する主な史説に、アレクサンドロス大王ヘファイスティオンとの同性愛関係やユリウス・カエサルスエトニウスによるニコメデス4世との関係などがある。

ニューギニアではサンビアなどメラネシアの幾つかの社会で通過儀礼の一環として男性同士のフェラチオや肛交が定められているという。但し、これは同性どうしの行為という意味では一般的であるが、これが社会的な義務観念であることから、「性愛」ないし「愛情」をともなう同性愛の行為であるとは必ずしもいえない。

日本文化における同性愛

詳細については衆道も参照。

日本においては、日本書紀神功皇后の項に『「阿豆那比(アヅナビ)之罪」で昼が闇になった』という記述から、仏教伝来以前は同性愛が不自然な行為と見なされていたのではないか[要出典]という憶測があるものの、以後、場所や状況によっては同性愛はほとんど公然と行われたといわれている。ただし、これらには、性対象となる女性が容易に見つからない状況下での、いわゆる女性の代わりとなる機会的同性愛や、女性に近い容貌の美少年や女形などの女装少年への性行為など、異性愛が背後にあるものも含まれていたと考えられる。古くから寺院においては、女人禁制の掟があり、女性と性交渉をすることは禁じられていたが、同性間での性交渉を禁じる掟というものはなく、同性を性的対象と見なすことには隔たりがなかったという。

平安時代末期には貴族や武士の間にも男色が広がり、中世の武家社会では主従関係の価値観と重ね合わせられ、衆道が大いに流行した。戦国時代武家社会では、織田信長をはじめとして名だたる武将の多くが寵愛する小姓を男色相手にしていたという。同性を性的対象と見なさなかった豊臣秀吉は、むしろ例外的な存在だったといわれている。秀吉が農民出身のため武家社会における男色の風習になじめなかったこともその一因として考えられるが、庶民や農民階層においても、男色行為は行われていた[19]

男色は江戸時代に入ってからは歌舞伎の流行などで町人の間でも流行する。歌舞伎の女形をはじめとした女装少年が体を売る陰間茶屋が公然と存在しており、一般庶民の間でも陰間遊びが流行るなど、武家や公家などの上流階級だけではなく、庶民階級でも男色・衆道は当然のように行われていた[20]井原西鶴好色一代男」でも、主人公が一生のうちに交わった人数を「たはふれし女三千七百四十二人。小人(少年)のもてあそび七百二十五人」としている。とくに元禄期は男色・衆道を描いた春画も流行するなど、元禄文化は男色・衆道の文化も持ち合わせていた。同性愛者ではなくとも色道に通じようとすれば、女色だけではなく、男色にも通じるべきだという考えがあったためともいわれている[要出典]

女性同性愛に関しては未解明な点が多いが、少なくとも江戸期から存在したとされる[21]

しかし、江戸時代中期以降、風俗の乱れが横行したこともあり江戸幕府の度重なる改革で男色・衆道文化は弾圧の憂目にあい、薩摩藩土佐藩など一部の地方・社会を除いて下火になっていった。幕末、明治期は維新の中心となった薩摩藩や土佐藩の影響で、薩摩藩士や土佐藩士などを中心に男色文化は息を吹き返すが、短い期間ではあるが同性愛が刑法で処罰の対象になるなど(日本の歴史で唯一、同性愛を禁止されていた時期)、西洋文化の流入などで大正期以降は男色文化は完全に風化していった。

日本における同性愛

水野忠邦による天保の改革によって江戸期の男色文化は大打撃を受けた後、1873年には同性愛行為を禁じる鶏姦条例が施行され、1881年まで続いた。しかし大正期になると男色は秘密クラブや男娼のような形で各地に復活し、公園や映画館に出会いの場が設けられ、大規模な組織も生まれた結果江戸期の規模に匹敵していたが、かつてのように社会の賞賛の対象にはならなかった。また南方熊楠が明治以降初めて同性愛を考察し、その後岩田準一が男色研究の基礎を築き、江戸川乱歩も文献募集に力を注いだ[22]

戦後は権威の喪失と街娼ストリップの流行、言論の自由による性描写の解禁などがおこり、同性愛も便乗して発達した。三島由紀夫を代表に同性愛を肯定的に論ずる作家も現れた。1950年代の男性同性愛者の調査によれば、回答者は高学歴で都市部に多く、人権意識を持って海外の同性愛禁止法に反発していたこと、世間から特異な目で見られたくないと思っていたこと、戦前とは違って罪悪感を抱いたり卑下したりしなくなったこと、などがわかる。戦前に引き続き、性を売る同性愛者もいた。戦後の東京・上野公園は「男娼の森」と呼ばれており、その街娼を求めてやってくる客のうち1割は男性目当てだった。しかし同時に同性愛者をカモにして恐喝するものも現れた。いまだ同性愛は秘密のものだったのである。『風俗草紙』『風俗科学』と言った雑誌にも同性愛が紹介され[23]、ゲイのミニコミ誌も発行された[22]。同じく1950年代には同性愛者のコミュニティも発足する。例えば新宿2丁目ではゲイ・バーの登場は戦前とも50年代とも言われているが、1959年売春防止法の施行されてから発展し、嫌がらせに耐えつつも営業を続け、芸術家や政官財の有名人を多数輩出することになる[24][22]

日本では1960年代後半以降に生まれた同性愛者は異性と結婚せずに同性愛者として暮らす傾向にあると言われている[25]

1970年代からは薔薇族などの商業雑誌の刊行によって情報が広まりやすくなり、同性愛の大衆化とマーケット化が進む。そして欧米のゲイ革命の影響が日本にも波及し、同性愛者の解放を目指すゲイ・リブ運動が一時的に広まった。その欧米ではレズビアン・ゲイ・スタディーズが発展するが、日本では1990年代まで研究そのものがほとんどなく、あっても病理的な観点からのものだった[26]。後にやおいとして大きく成長する男性の同性愛をテーマとする漫画が現れたのもこのころである[22]。また芸能人の自伝などで自らの同性愛を明かすものが現れ、しばしばベストセラーになった。美輪明宏おすぎピーコ東郷健などの自伝がそうである[27]

1980年代にはゲイ・リブ運動が退いた後欧米の戦略を取り入れた市民運動型の解放運動が地道に実施され、1990年代に素地が作られた[22]。また山本直英らは同性愛を肯定的に扱う性教育を先駆的に行う[25]

1990年代に入ると医学的な分野で動きがあった。米国精神医学会は1973年DSMから同性愛の項を削除し、WHO1986年にはICDから削除した。その後WHOは1993年に再び「同性愛はいかなる意味でも治療の対象にならない」と宣言した。日本の対応は大幅に遅れたが、同性愛者からの抗議によって厚生省1994年に対応し、同年文部省も指導書における「性非行」の項から同性愛を削除した。そして日本精神神経医学会がWHOの見解を尊重すると発表したのは1995年になったからだった。また「府中青年の家裁判」の結果、同性愛者の人権が社会的に認知されるようになり、メディアでも同性愛者が積極的に取り上げられるようになり、抗議によって出版物の同性愛者に対する記述も改善されていくことになる。そしてレズビアン&ゲイパレードや映画祭、学校での講演活動も行われるようになった。トランスジェンダーインターセックスの団体も登場した[25]

2000年代に入ると大規模パレードやHIV啓発イベントなどによってゲイ・リブの大衆化が進行した。また多様化した雑誌によって同性愛者のイメージも広がっていった。インターネットも普及した結果、情報量が飛躍的に拡大し、当事者の意識を大きく変えた[25]人権擁護法案作成の中では人権擁護推進審議会が2001年に出した答申「人権救済制度の在り方について」において同性愛を含めた性的マイノリティへの人権救済が述べられた。これを受けて提出された同法案は、日本の法案の中で始めて性的マイノリティのことが明記された。また日本では1992年が性教育元年と言われ、その流れで生まれた副教材「ひとりで ふたりで みんなと」(小学生用)「おとなに近づく日々」(中高生用)では同性愛のことが触れられていた。しかし2000年代前半に東京都教育委員会が「不適切教材」としたため廃刊になった[25]。そんな中で2000年には同性愛者を狙った「新木場事件」が起き、ゲイ社会を震撼させた。[要出典]

2003年には宮崎県都城市が全国で始めて同性愛者の人権を明記した条例を施行する。同年大阪府議会において日本で初めて同性愛者を公表した地方議会議員尾辻かな子が当選する。彼女はその後性同一性障害である川上あやらとともにセクシャルマイノリティ議員連盟を作る。連盟にはカミングアウトしていない議員も含めて複数の議員が参加している。同じく2003年のレインボーマーチ札幌では市長の上田文雄が参加したが、自治体の首長がLGBTのイベントに参加したのは日本で始めてだった[28]。政党も同性愛者政策に取り組みつつある。2000年には社会民主党[29]2007年には日本共産党[29]2009年には公明党[30]、が国政選挙で性的マイノリティに関する公約をかげた[25]。 国民の同性愛に対する見方も年々肯定的になりつつあり、例えば電通総研の調査によれば同性愛を認める人は2005年で40%おり、十年ごとに10%ずつ上昇している[31]

2011年の地方統一選挙では東京都豊島区議会では石川大我が、東京都中野区議会では石坂わたるが当選し、日本で最初のゲイを公表している議員の誕生となった[32]

ゲイ・ブーム

伏見憲明らは90年代にゲイが注目された現象をゲイ・ブームと呼んでいる[33][34][信頼性要検証]

1980年代後半頃、フジテレビ系「笑っていいとも」で「ニューハーフ」の人気が出る。[要出典]1989年には比留間久夫の新宿2丁目を舞台にした小説『YES・YES・YES』が文芸賞を受賞し、週刊誌などで大きな話題になった。それに続き文藝春秋の雑誌「クレア」が、1991年2月号で「ゲイ・ルネッサンス'91」という医学・社会・文化・芸術・風俗など多岐にわたる71ページのゲイの大特集を組んだのを筆頭に、SPA!「ゲイの聖地・新宿2丁目ヌーベルバーグ体験ルポ」(91年4月24日号)、DIME「仕事ができる女はゲイが好き」(91年5月16日号)、朝日ジャーナル「ゲイに恋する女たち」(91年7月12日号)など多くの雑誌がそれに続いた。テレビのワイドショーなどでもこぞってゲイ特集が組まれた。文学では他に、両刀の男娼を描いた中上健次の『讃歌』(90)、比留間久夫の2作目でゲイとニューハーフを描いた『ハッピー・バースデイ』(90年)も話題を集めた。[要出典]又エドマンド・ホワイト『ある少年の物語』、『美しい部屋は空っぽ』、パトリシア・ネル・ウォーレン『フロントランナー』など、海外のゲイ小説もこの時期に邦訳された。ゲイ映画も多く公開され、小島康史監督『らせんの素描』(91年)、リバー・フェニックスとキアヌ・リーブスが主演した『マイ・プライベート・アイダホ』(91年。米国映画だが、日本公開の方が早かった)、中島丈博監督『おこげ』(92年)、橋口亮輔監督『二十才の微熱』(93年)・『渚のシンドバッド』(95年)などがあった。テレビドラマでは、本格的にゲイを描いた日本テレビ系『同窓会』(93年)、キャストの一部にホモセクシュアルが登場する『あすなろ白書』(93年)が全国放映された。

同性愛に関する法と政治

  データなし

世界においては同性愛自体が合法である国と違法である国が存在する。同性愛が合法である地域の中には同性結婚を認めている地域(スペインオランダカナダなど)や、婚姻とは別の形でパートナーシップ制度や内縁関係を認めている国(アメリカの一部の州、イギリスオーストラリアなど) がある。一方で合法であっても同性カップルに関する認知制度が無く、同性カップル自体は社会制度上認められていない(言い換えれば同性パートナーは異性同士の婚姻者に認められている、もしくは適用される権利を受けることが出来ず、また配偶者と認められないためパートナーが死亡した場合にはパートナーの遺産を相続する権利も無い)地域 (日本中華人民共和国、アメリカの多くの州など)も多く存在する。南アフリカ共和国は、1996年に制定した新憲法で人種差別の禁止と同時に性的指向にも言及し、同性愛と異性愛について一切の差別を行わないことを宣言している[35]

サウジアラビアなどイスラム教国家では同性愛は違法である場合が多い(イスラム教徒が多数を占める国であってもトルコなどは社会的認知制度は無いものの合法)。違法である国においてはリベリアのように軽犯罪に分類される国はほとんど無く、多くの国で重罪とみなされ、場合によっては終身刑が適用されうる国(パキスタンなど)、さらには死刑が適用されうる国(イラン、サウジアラビアなど)もある。

2008年12月に、国連総会において「性的指向と性自認に基づく差別の撤廃と人権保護の促進を求める」旨の声明が出された。日本はこれに賛同している。なお賛同した66ヶ国中アジア圏で賛同した国は日本のみで、先進諸国のなかでもアメリカは賛同しなかった[36]。ただしアメリカは後にオバマ政権に移行したこともあり賛同する方針に転換している[37]

加えて、以前は重罪であった国の中でも合法化へと進んでいる国も存在する。インドは以前は重罪 (終身刑が適用されうる) であった。これは英国植民地時代に作られた法律であったが2008年には国連が非違法化すべきであると提案し[38]、2009年7月にインド高裁が同性愛は違法ではないという判決を出した[39]。詳しくはインドにおける同性愛英語版(: Homosexuality in India) を参照。

日本では、1872(明治5)年に発令された「鶏姦律条例」および1873(明治6)年に発令された「改定律例」では男性同士の肛門性交(鶏姦)が犯罪とされた(後者の第266条では懲役刑)。しかし、1880(明治13)年に発令された刑法ではこのような規定がなくなった[40]。現代日本の法において、同性愛は犯罪とは定義されておらず、法務省は性的指向による差別をなくす呼びかけを行っている。

日本における同性愛に関する裁判

日本において同性愛に関する判例として東京都青年の家事件がある。

この事件では、同性愛者の権利を擁護する団体の公共施設の利用を「同性愛者同士の性行為を想起させる」ないし「青少年の健全な育成に悪い影響を与える」として拒否した事に対する民事訴訟事件だったが、1審の東京地方裁判所1994年3月30日判決)は東京都の処分は不当なものだったと認め、「同性愛は異常性欲の1つではなく異性愛と同様に人間の性的指向の一つである」として、東京都の処分は社会の偏見によるもので、地方自治法が禁じる正当な理由無く不当な差別的扱中による違法行為とした。

控訴審の東京高等裁判所1997年9月16日判決)は「一般国民はともかくとして、都教育委員会を含む行政当局としては、その職務を行うについて、少数者である同性愛者をも視野に入れた、肌理の細かな配慮が必要であり、同性愛者の権利、利益を十分に擁護することが要請されているものというべきであって、無関心だったり知識がないということは公権力の行使に当たる者として許されないことである。」として、行政側の処分は同性愛者という社会的地位に対し怠慢による無理解から、不合理な差別的取り扱いをしており違憲違法だったとして東京都の敗訴が確定した。そのため、日本の裁判所は同性愛は人間の持つ性的指向であり、異常なものではないとの司法判断を示しているといえる。

同性愛者の精神疾患

1989年のアメリカ保健社会福祉省調査によれば思春期の自殺者のうち約30%が同性愛者を含めたセクシャルマイノリティである。また、ロンドン大学の調査ではイギリスの同性愛者・両性愛者の3人に2人がうつ病や他の精神疾患を抱えやすいという結果が出ている。日本でも、同性愛者の約6割が自殺を考えたことがあるという研究結果[要出典]があり、同性愛者の置かれた社会状況が同性愛者の精神状況に影響を与えているものと思われる。

同性愛者同士のコミュニケーションや運動

パリゲイ・パレード(:La Marche des fiertés)の先頭、左からイル=ド=フランス地域圏議会のジャン・リュック・ロメロ議員(国民運動連合)、ヤン・ヴェーリング緑の党・党首(当時)、Inter-LGBTのアラン・ピルウー代表、パリ市長ベルトラン・ドラノエ, 2005年6月25日

古来から、通過儀礼として社会的に同性愛が認められている場合を除き、自己が同性愛者であると公に明かす行為には、ためらう人が多い。ゆえに、同性愛者同士のコミュニケーションは時・場所が異性愛者同士のそれと比べて少なく、ウェブサイトの掲示板同性愛者のコミュニケーション掲示板や、同性愛者を客層とするバーなど狭い範囲に限られている。

近年では、自己に誇りを持とうとするための運動として、ゲイ・パレードのようなイベントや、インターネット上でのコミュニケーションや、同性愛者への差別意識(参考:ホモフォビア)撤廃などを訴える運動が行われている。インターネットが発達することによって、かつて少数派として孤独になりがちだった同性愛者は、世界中の同性愛者と瞬時に連絡を取り合える環境になった。 アイルランドの作家で、同性愛者であるコルム・トビーンは「インターネットができる前は大いなる孤独があった。今は連帯がある」と語り、インターネットを始めとするテクノロジーの発達が、同性愛者の生活を変えたと指摘している[41]

動物の同性愛

ニューヨークセントラル・パーク動物園のロイとシロは雄同士でありながら子育てを行うペンギンとして有名になった

人間以外の生物においても同性愛と解釈できる行動は決して珍しいものではなく、オス同士で互いに精子をかけ合うクジラをはじめ、昆虫の間で見られた等多数の例が報告されている。2006年にノルウェーのオスロ自然史博物館では、世界で初めて「生物の同性愛」をテーマとした展示会が開催された。同性愛的行動が確認された動物は1500種以上であり、そのうち500種の同性愛が立証されている。

同性愛にまつわる事件

関連文献

脚注

  1. ^ あるいは、ホモセクシャルとも。
  2. ^ a b c 『同性愛者における他者からの拒絶と受容―ダイアリー法と質問紙によるマルチメソッド・アプローチ 臨床心理学研究の最前線 1』石丸径一郎、ミネルヴァ書房、2008年
  3. ^ McConaghy et al., 2006
  4. ^ ACSF Investigators (1992). AIDS and sexual behaviour in France. Nature, 360, 407–409.
  5. ^ Billy, J. O. G., Tanfer, K., Grady, W. R., & Klepinger, D. H. (1993). The sexual behavior of men in the United States. Family Planning Perspectives, 25, 52–60.
  6. ^ Binson, D., Michaels, S., Stall, R., Coates, T. J., Gagnon, & Catania, J. A. (1995). Prevalence and social distribution of men who have sex with men: United States and its urban centers. Journal of Sex Research, 32, 245–254.
  7. ^ Bogaert, A. F. (2004). The prevalence of male homosexuality: The effect of fraternal birth order and variation in family size. Journal of Theoretical Biology, 230, 33–37. [1] Bogaert argues that: "The prevalence of male homosexuality is debated. One widely reported early estimate was 10% (e.g., Marmor, 1980; Voeller, 1990). Some recent data provided support for this estimate (Bagley and Tremblay, 1998), but most recent large national samples suggest that the prevalence of male homosexuality in modern western societies, including the United States, is lower than this early estimate (e.g., 1–2% in Billy et al., 1993; 2–3% in Laumann et al., 1994; 6% in Sell et al., 1995; 1–3% in Wellings et al., 1994). It is of note, however, that homosexuality is defined in different ways in these studies. For example, some use same-sex behavior and not same-sex attraction as the operational definition of homosexuality (e.g., Billy et al., 1993); many sex researchers (e.g., Bailey et al., 2000; Bogaert, 2003; Money, 1988; Zucker and Bradley, 1995) now emphasize attraction over overt behavior in conceptualizing sexual orientation." (p. 33) Also: "...the prevalence of male homosexuality (in particular, same-sex attraction) varies over time and across societies (and hence is a ‘‘moving target’’) in part because of two effects: (1) variations in fertility rate or family size; and (2) the fraternal birth order effect. Thus, even if accurately measured in one country at one time, the rate of male homosexuality is subject to change and is not generalizable over time or across societies." (p. 33)
  8. ^ Fay, R. E., Turner, C. F., Klassen, A. D., & Gagnon, J. H. (1989). Prevalence and patterns of same-gender sexual contact among men. Science, 243, 338–348.
  9. ^ Johnson, A. M., Wadsworth, J., Wellings, K., Bradshaw, S., & Field, J. (1992). Sexual lifestyles and HIV risk. Nature, 360, 410–412.
  10. ^ Laumann, E. O., Gagnon, J. H., Michael, R. T., & Michaels, S. (1994). The social organization of sexuality: Sexual practices in the United States. Chicago: University of Chicago Press.
  11. ^ Sell, R. L., Wells, J. A., & Wypij, D. (1995). The prevalence of homosexual behavior in the United States, the United Kingdom and France: Results of national population-based samples. Archives of Sexual Behavior, 24, 235–248.
  12. ^ Wellings, K., Field, J., Johnson, A., & Wadsworth, J. (1994). Sexual behavior in Britain: The national survey of sexual attitudes and lifestyles. London, UK: Penguin Books.
  13. ^ Norway world leader in casual sex, Aftenposten
  14. ^ Sex uncovered poll: Homosexuality, Guardian
  15. ^ Brain response to putative pheromones in homosexual men
  16. ^ キリスト教と同性愛参照
  17. ^ イスラム教協議会、同性愛をOKとする
  18. ^ geiro.com「宗教」(Religion)
  19. ^ 近世ニッポンは男色天国 歴史の授業で習えなかった同性愛
  20. ^ 外国人に教えられる日本
  21. ^ 大正女性文学論 新・フェミニズム批評の会 翰林書房 ISBN 978-4877373085
  22. ^ a b c d e 『ゲイという「経験」』伏見憲明 ポット出版 (2002/03) ISBN 4939015416 
  23. ^ 『ゲイの民俗学』磯川全次 批評社(2006/01)ISBN 978-4826504355
  24. ^ 『愛と哀しみの街新宿2丁目』原吾一 鹿砦社 (1997/06) ISBN 978-4846302214
  25. ^ a b c d e f 『聞きたい知りたい「性的マイノリティ」―つながりあえる社会のために』杉山 貴士 日本機関紙出版センター (2008/08) ISBN 978-4889008517
  26. ^ 『岩波講座 現代社会学〈10〉セクシュアリティの社会学』岩波書店 (1996/2/9) ISBN 978-4000107006
  27. ^ レズビアン& ゲイブックガイド●レズビアン&ゲイ・ライフ
  28. ^ 『カミングアウト―自分らしさを見つける旅 尾辻かな子 講談社 (2005/08) ISBN 978-4062130905
  29. ^ a b 慶應義塾大学マニフェスト研究会 - マニフェスト集
  30. ^ 2009 衆議院選挙選挙公約manifesto'09 生活を守り抜く。
  31. ^ 同性愛者に対する態度とメディア・リテラシーとの関連
  32. ^ 日本初のゲイ議員誕生 石川大我氏、石坂わたる氏が初当選
  33. ^ メイゴグ「コイトゥス再考 #20越えがたきジェンダーという背理」[2]
  34. ^ パフ・スクール「のんけ女性に消費されたゲイ、検証・90年代ゲイブーム」[3]
  35. ^ (Chapter2:9-3)
  36. ^ http://gayjapannews.com/news2008/news145.htm
  37. ^ http://sankei.jp.msn.com/world/america/090319/amr0903191049006-n1.htm
  38. ^ UN urges India to decriminalise homosexuality
  39. ^ 【インド】同性愛者間の性交渉は合法:高裁判決
  40. ^ 日本法令索引 明治前期編
  41. ^ 「ネット時代も小説は変わらない」ハイテク恐怖症の作家が語る - ITmedia News

関連項目

外部リンク

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