ロジャー・フェデラー
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ロジャー・フェデラー | |||||||||||||
基本情報 | |||||||||||||
国籍 | スイス | ||||||||||||
出身地 | バーゼル | ||||||||||||
生年月日 | 1981年8月8日(42歳) | ||||||||||||
身長 | 185cm | ||||||||||||
体重 | 85kg | ||||||||||||
利き手 | 右 | ||||||||||||
バックハンド | 片手打ち | ||||||||||||
ツアー経歴 | |||||||||||||
デビュー年 | 1998年 | ||||||||||||
ツアー通算 | 96勝 | ||||||||||||
シングルス | 88勝 | ||||||||||||
ダブルス | 8勝 | ||||||||||||
生涯獲得賞金 | 130,594,339 アメリカ合衆国ドル | ||||||||||||
4大大会最高成績・シングルス | |||||||||||||
全豪 | 優勝(2004・06・07・10) | ||||||||||||
全仏 | 優勝(2009) | ||||||||||||
全英 | 優勝(2003-07・09・12) | ||||||||||||
全米 | 優勝(2004-08) | ||||||||||||
優勝回数 | 17(豪4・仏1・英7・米5) | ||||||||||||
4大大会最高成績・ダブルス | |||||||||||||
全豪 | 3回戦(2003) | ||||||||||||
全仏 | 1回戦(2000) | ||||||||||||
全英 | ベスト8(2000) | ||||||||||||
全米 | 3回戦(2002) | ||||||||||||
国別対抗戦最高成績 | |||||||||||||
デビス杯 | 優勝(2014) | ||||||||||||
ホップマン杯 | 優勝(2001) | ||||||||||||
キャリア自己最高ランキング | |||||||||||||
シングルス | 1位(2004年2月2日) | ||||||||||||
ダブルス | 24位(2003年6月9日) | ||||||||||||
獲得メダル | |||||||||||||
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2015年11月23日現在 |
ロジャー・フェデラー(Roger Federer ドイツ語発音: [ˈrɔdʒər ˈfeːdərər]、1981年8月8日 - )は、スイス・バーゼル出身の男子プロテニス選手。身長185cm、体重85kg。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。
テニスの教本のような理想的なフォームを持ち、あらゆるショットを流れるように駆使するプレースタイルから、最も完成度の高い選手と評されている。
グランドスラム男子シングルス最多優勝・歴代最長世界ランキング1位・通算獲得歴代最多賞金など数々の記録を塗り替えてきたことから、史上最高のテニスプレーヤーとの呼び声が高い[1][2][3]。
スイス代表としても功績を残しており、北京五輪男子ダブルス金メダル、ロンドン五輪・男子シングルス銀メダル、2001年ホップマンカップ優勝、2014年デビスカップ優勝に貢献している。
スポーツの各分野で活躍した選手を称えるローレウス世界スポーツ賞を2005年から2008年にかけて4度受賞し、競技の枠を超えて高い評価を受けているスポーツ選手である。
選手経歴
キャリア初期
ボリス・ベッカーに憧れ、8歳からテニスを始めた。17歳の時に、ウィンブルドン選手権男子ジュニアのシングルス・ダブルス両部門で優勝、ジュニア世界ランキング1位になる。ジュニア時代はカテゴリGA優勝2回、G2優勝2回を飾る。同年にプロ転向を表明。翌1999年には、ATPツアー参戦への登竜門とされるブレストで開催されたATPチャレンジャーで初優勝を飾る。フェデラーはその能力の高さから専門家の間で将来の活躍が大いに期待されていたものの、当時はメジャーな大会で目立った活躍はなく、既に輝かしい実績を残していた同世代のレイトン・ヒューイットやマラト・サフィン、フアン・カルロス・フェレーロに隠れた存在であった。
しかしながら、2000年、シドニー五輪の男子シングルス部門の銅メダル決定戦においてアルノー・ディ・パスカルの敗戦を機に著しい成長をみせ、2001年1月には国別対抗戦であるホップマンカップにて母国スイスの優勝に貢献、さらには同年2月のミラン・インドアーズでATPツアー・シングルス部門で初のタイトルを獲得した。
また同年6月には2001年ウィンブルドン4回戦で、1993年大会から2000年大会の8年間に7度も優勝に輝き、ウィンブルドンでは無敵の強さを誇っていた第1シードのピート・サンプラスを3時間41分のフルセット 7-6, 5-7, 6-4, 6-7, 7-5 の末に破る大金星を挙げ、大変な注目を集めた。翌2002年には四大大会に次ぐ大規模トーナメント群であるマスターズ・シリーズ(現:ATPマスターズ1000)に所属するハンブルグ・マスターズでマラト・サフィンを破って優勝し、同年に世界ランキングでトップ10入りを果たした。
2003年:グランドスラム初優勝
そして2003年7月、ウィンブルドンでマーク・フィリプーシスをストレートで下してグランドスラム4大大会初優勝を果たし、スイス出生の男子プロテニス選手として初の四大大会優勝者となった。
四大大会の初優勝を遂げた2003年には、11月までにATPツアー大会で6度の優勝を飾り、世界ランキングは自己最高の2位に上昇した。そしてこの年のATPツアー最終戦 テニス・マスターズ・カップで、2003年全豪オープンチャンピオンであり、これまで全敗を喫していたアンドレ・アガシに初勝利。さらに同年全仏オープンチャンピオンのフェレーロ、同年全米オープンチャンピオンのロディックに完勝し、同大会初優勝を果たした。
年末のランキングはロディックに及ばず、No2に止まったが、「技術力のあるプレイヤー」→「最強プレイヤーの一人」へ脱皮、台頭した年となった。
2004年:世界ランキング1位、4大大会3冠
2004年、昨年4回戦で敗戦していた全豪オープンで初の決勝の舞台に立ち、マラト・サフィンを破り初優勝を果たした。その後、2月2日に、自身初の世界ランキング1位の座についた。
全仏オープンでは、過去全仏オープン3回優勝しているグスタボ・クエルテンに敗れ3回戦敗退に終わるも、ウィンブルドン決勝でアンディ・ロディックを破り同選手権2連覇を果たすとともに、全米オープンでは、決勝でレイトン・ヒューイットを破り大会初優勝を果たし、1988年のマッツ・ビランデル以来16年ぶりの4大大会年間3冠という偉業を達成した。 特に全米オープン決勝では、調子が戻れば最強プレイヤーの一人としてと認識され、前哨戦で絶好調であったレイトン・ヒューイットに、6-0、7-6、6-0とストレートで完勝。この時を持って、フェデラーは、調子が良ければ誰も勝てない「皇帝」「時代の最強プレイヤー」と称されている。
2004年のアテネ五輪においては、開会式でスイス選手団の旗手を務めたが、テニス競技ではシングルス2回戦でチェコ代表のトマーシュ・ベルディハに 6-4, 5-7, 5-7 で敗れている。
この年、フェデラーはマスターズ・シリーズで3大会、マスターズ・カップにおいても昨年に続き連覇を飾った。同年の成績は 11大会優勝、74勝6敗(勝率92.5%)を記録。年間勝率の9割達成は1989年のイワン・レンドル以来15年ぶりの快挙であった。
2004年は、ランキング・トップ10との対戦では無敗と無類の強さを誇り、4大大会年間3冠を達成した正に「フェデラー時代」である。
2005年:ツアー支配
2005年においては、全豪オープンでマラト・サフィンに、全仏オープンでラファエル・ナダルに、いずれも準決勝で敗れたものの ウィンブルドンではアンディ・ロディックに勝利し3連覇を、全米オープンではアンドレ・アガシを破り連覇を達成した。
また、ATPツアー史上初となるマスターズシリーズで年間4冠を果たし、ジョン・マッケンローが持つ年間勝率歴代最高記録の更新が期待された。記録更新は、年末の欧州インドア・シーズン中に負った怪我を押して出場した年間最終戦マスターズ・カップの決勝戦となったが、ダビド・ナルバンディアンに 7-6, 7-6, 2-6, 1-6, 6-7 で逆転負けを喫し、快挙達成には至らなかった。
2005年は、11大会で優勝し4大大会は2冠。年間成績は 81勝4敗(勝率95.3%)を記録、テニス界の王者「フェデラー時代」を不動のものにしている。
しかし2番手集団は、2005年前半「ロディック、ヒューイット、サフィン」→2005年後半「ナダル」に変動。調子がよいときのサフィンは別としてロディック/ヒューイットはフェデラーに全く歯が立たなかったが、ナダルは得意なクレー中心とはいえ直接対決において、フェデラーと互角以上渡り合い始めている。ナダルがフェデラーのライバルとして名乗りをあげた年でもある。
2006年:キャリアベストシーズン
全豪オープン決勝でキプロスの新星マルコス・バグダティスを退け2年ぶり2度目の優勝を果たすと、インディアンウェルズ・マスターズとマイアミ・マスターズで優勝した。
しかしながら、ドバイ・テニス選手権で、決勝でラファエル・ナダルに敗れ、2005年から続いていたハードコートでの連勝(歴代最多56連勝)を止められたうえ、続く欧州クレー・シーズンではモンテカルロ・マスターズ、ローマ・マスターズ、全仏オープンと出場した全ての大会で決勝進出するも、いずれもクレーコートを得意とするナダルに優勝を阻まれた。
ナダルとはウィンブルドンにおいても決勝で対戦したが、フェデラーが連敗の雪辱を果たし選手権4連覇を達成した。
その後、全米オープン前哨戦のシンシナティ・マスターズでは2回戦でイギリスの新星のアンディ・マレー(当時ランク21位)に敗れる(同年唯一決勝進出ならず)も、続くカナダ・マスターズで優勝。
全米オープンでアンディ・ロディックを下し、全米オープン3連覇を達成。秋には、初来日し、ジャパン・オープンに出場、決勝でティム・ヘンマンを下し優勝した。その後の欧州インドア・シーズンはマドリード・マスターズを含む出場した全ての大会で優勝、マスターズ・カップは決勝でジェームズ・ブレークを圧倒して2年ぶり3度目の優勝を果たした。
この年は17大会に出場して16大会で決勝進出、12大会優勝、戦績92勝5敗(勝率94.8%)とテニス史上類を見ない驚異的な成績を収めた。 特に2度目の4大大会年間3冠を達成し、サンプラスと並び史上最高プレイヤーの地位を不動にしている。
一方、2005年から台頭したラファエル・ナダルが、フェデラーのライバルの立場を確立。2004年/2005年の「フェデラー時代」から2006年「フェデラー/ナダル時代」に突入した年である。 フェデラーがハードコート/芝で覇権を維持する一方、「土の王者」ナダルがクレーコートでは覇権を確立。各々が相手の領域に挑戦する構図を繰り返しはじめている。
2007年:ウィンブルドン5連覇・歴代最長連続世界ランキング1位
全豪オープンでは、全試合ストレートで優勝した(決勝戦の対戦相手はフェルナンド・ゴンサレス)。この全試合ストレートでの優勝は4大大会では1980年全仏オープンのビョルン・ボルグ以来27年ぶり史上4人目で、全豪オープンでは1971年のケン・ローズウォール以来36年ぶりの快挙であった。また、4回戦ではノバク・ジョコビッチとグランドスラムで初めて対戦した。 春の北米ハードコート・シーズンではインディアンウェルズ・マスターズとマイアミ・マスターズにてギリェルモ・カナスに連敗、欧州クレー・シーズンではローマ・マスターズでフィリポ・ボランドリに敗退した。モンテカルロ・マスターズ、(当時)ハンブルグ・マスターズでは、決勝に進出し、ラファエル・ナダルと対戦。モンテカルロでは敗れるも、ハンブルグでナダルのクレーコート連勝記録を81で止めて優勝を果たした。
その後の全仏オープンにおいてもナダルと対戦、敗戦するも、ウィンブルドンの決勝では、3時間45分のフルセットの末にフェデラーが競り勝ち、ビョルン・ボルグ以来の選手権5連覇という偉業を成し遂げた。続く全米オープン前哨戦のカナダ・マスターズでは、決勝でセルビアの新星ノバク・ジョコビッチに敗退したが、シンシナティ・マスターズでは、決勝でジェームズ・ブレークを破り優勝。ATPツアー・シングルス・タイトル獲得数「50」を達成した。
8月27日、彼の世界ランキング1位連続座位記録は「187週」に入り、同記録の最長保持者シュテフィ・グラフの186週を抜いて、歴代最長連続1位記録を樹立。全米オープンでは、決勝でジョコビッチを下し、大会4連覇を達成すると同時に自身3度目の4大大会年間3冠を達成した。
続く欧州インドア・シーズンはマドリード・マスターズでは決勝で、パリ・マスターズでは、準決勝でダビド・ナルバンディアンに連敗するも、スイス・インドアでは2連覇を達成。また、マスターズカップでは、決勝でダビド・フェレールに勝利して、通算4度目の優勝を果たした。12月には世界ランキング1位連続在位期間が「200週」に到達。この年は8大会で優勝し、戦績 68勝9敗(勝率88.3%)を記録した。
2007年は、引き続き、全豪/全英/全米フェデラーと、全仏ナダルが対峙する「フェデラー/ナダル時代」である。 しかし直接対戦は、クレーではナダル優勢が広がったのに対し、ウインブルドンではフェデラー優勢→ほぼ互角と、力関係は変化している。総合的に見て、2007年は「フェデラー>ナダル」であるが、2008年の力関係逆転の萌芽を感じさせる年である。
2008年:不調からの全米5連覇・オリンピック金メダル
全豪オープンでは、準決勝でノバク・ジョコビッチに敗れ、大会3連覇を逃すと同時に2005年ウィンブルドンから続いていた4大大会連続決勝進出記録が10大会で途絶えた。その後の北米ハードコート・シーズンで平凡な成績が続き、マスメディアからフェデラー時代終焉が囁かれるようになる。
欧州クレー・シーズンではモンテカルロ・マスターズ、(当時)ハンブルク・マスターズ、全仏オープンにて決勝に進出。いずれもラファエル・ナダルに優勝を阻まれた。
続くウィンブルドンではウィリアム・レンショーに続く大会6連覇(1881年~1886年にかけて達成)が期待されたが、決勝でナダルに4-6, 4-6, 7-6, 7-6, 7-9で4時間48分に及ぶウィンブルドン決勝史上最長の激闘の末に敗れ、偉業達成はならなかった。また、2003年から続いていた芝生コートにおける連勝も、歴代最多65連勝で止められた。
北京オリンピックで、フェデラーは2大会連続でスイス代表旗手を務めた。男子シングルス部門では準々決勝でジェームズ・ブレークに 4-6, 6-7 のストレートで敗れたものの、スタニスラス・ワウリンカと組んだ男子ダブルス部門では決勝でスウェーデン代表のシーモン・アスペリン&トーマス・ヨハンソン組を 6-3, 6-4, 6-7, 6-3 で下して金メダルを獲得した。
オリンピック翌週の8月18日、フェデラーは世界ランキング1位の座をナダルに明け渡し、世界ランキング1位連続座位記録は237週で止まった。
その後の全米オープン前哨戦では平凡な成績が続いたが、全米オープンでは決勝でアンディ・マレーを 6-2, 7-5, 6-2 で下し、対マレー戦の連敗を止めて大会5連覇を達成した。これは1920年~1925年にかけて全米選手権6連覇を達成したビル・チルデン以来84年ぶりであり、ウインブルドンとあわせた4大大会シングルス部門2大会における5連覇達成は史上初の快挙であった。その後の欧州インドア・シーズンはスイス・インドアでダビド・ナルバンディアンを下して3連覇を果たした。最終戦のマスターズ・カップではラウンド・ロビンにおいて1勝2敗で敗退。この年はシングルス部門の優勝は4大会、66勝15敗(勝率81.5%)であった。
2008年は引き続き「フェデラー/ナダル時代」であったが、「フェデラー>ナダル」→「フェデラー<ナダル」に明確に力関係が変動。「片手バックハンド」対「左フォアハンドのヘビートップスピン」という元々の相性の悪さもあり、以降フェデラーはナダルに、直接対決に負け続けることになる(2007年まで6勝8敗→2008年以降5勝15敗)。また2011年以降の最強プレイヤージョコビッチが4大大会初優勝し、舞台に登場した年でもある。
2009年:キャリアグランドスラム達成・4大大会最多優勝記録更新
全豪オープンでは、決勝でラファエル・ナダルに5-7, 6-3, 6-7, 6-3, 2-6で4時間19分に及ぶ激闘の末に敗れた。その後のインディアンウェルズ・マスターズでは準決勝でアンディ・マレーに、マイアミ・マスターズでは準決勝でノバク・ジョコビッチに敗れた。
しかし続く欧州クレーコート・シーズンは、マドリード・マスターズで、決勝でナダルのクレーコート連勝数を33勝で止めて優勝。続く全仏オープンでは、4回戦でラファエル・ナダルを破ったロビン・セーデリングを6-1, 7-6, 6-4 で破り、悲願の全仏オープン初優勝を果たし、史上6人目となるキャリア・グランドスラムを達成、併せてサンプラスと並び歴代1位となる四大大会14度目の優勝を挙げた。また同大会では、準々決勝でガエル・モンフィスを下し、四大大会準決勝連続進出記録を20大会連続に伸ばし、準決勝でフアン・マルティン・デル・ポトロを下して、四大大会決勝進出回数でイワン・レンドルの19大会目に並んだ。
2009年ウィンブルドンでは、準々決勝でイボ・カロビッチを下し、四大大会連続準決勝進出記録を更新。準決勝ではトミー・ハースを下し、レンドルが持つ四大大会決勝進出数を更新する20回を達成。決勝ではロディックと対戦し、四大大会男子シングルス決勝史上最多ゲーム数を更新する77ゲームに及ぶ 5-7, 7-6, 7-6, 3-6, 16-14 の激闘の末に2年ぶり6度目の優勝を果たし、四大大会優勝数歴代最多記録を樹立。また、ウィンブルドン選手権7年連続決勝進出は現行のトーナメント方式になった1922年以降初であり、更に全仏とウィンブルドンの同一年度優勝は、前年のラファエル・ナダルに続き、1968年の四大大会オープン化以降では史上4人目の快挙であった。7月6日に発表された世界ランキングでは、約11ヶ月ぶりに1位に返り咲いた。
続く全米オープン前哨戦シンシナティ・マスターズでは、決勝でジョコビッチを下して優勝。しかしながら、全米オープン決勝でフアン・マルティン・デル・ポトロに 6-3, 6-7, 6-4, 6-7, 2-6 で惜敗し、大会6連覇は成らなかった。その後の欧州インドア・シーズンはスイス・インドア決勝でジョコビッチに敗れ、2009年度からロンドンに移転した年間最終戦ATPワールドツアー・ファイナルも準決勝で敗退。この年は4大会で優勝、61勝12敗(勝率83.6%)であった。
2009年において、全豪オープン決勝敗戦時、「フェデラー時代が終焉」「ナダル時代開始」と思われたが、その後のナダル不調/けがにより、フェデラーが復活。 「3連続準優勝であった全仏オープンに遂に優勝、キャリアグランドスラムを達成」「ウインブルドン6回目の優勝、サンプラスを抜き4大大会15回優勝」と、史上最高プレイヤーの称号を手にする年である。
2009年は、引き続き「フェデラー/ナダル時代」といえるが、フェデラーの圧倒性はナダル以外の対戦相手であっても薄れ、ナダルの怪我もあり、群雄割拠の気配を感じさせる年となった。
2010年:4度目の全豪優勝
全豪オープンでは、決勝でアンディ・マレーを破り優勝。これによって、自身の4大大会優勝最多記録を16に伸ばした。また、2月22日発表の世界ランキングで1位通算在位記録でイワン・レンドルの「270週」を抜き歴代2位となった。
しかし、全仏オープンでは準々決勝でロビン・セーデリングに 6-3, 3-6, 5-7, 4-6 で敗れ、連続準決勝以上進出記録が23大会で途切れ、世界ランキング1位通算在位記録も歴代1位のピート・サンプラスの「286週」にあと1週と迫りながらも、6月7日発表の世界ランキングで2位に転落。続くウィンブルドンでも準々決勝にて第12シードのトマーシュ・ベルディハに 4-6, 6-3, 1-6, 4-6 で敗退。フェデラーが同大会で決勝進出を逃したのは実に8年ぶりであり、大会後、世界ランキングは3位に転落した。
その後は好調を取り戻し、全米オープンの前哨戦となるシンシナティ・マスターズで優勝を飾り全豪以来7ヶ月ぶりのタイトルを獲得する。しかし、全米オープンでは準決勝でノバク・ジョコビッチに マッチポイントを握るも、7-5, 1-6, 7-5, 2-6, 5-7 で敗退、7年連続の同大会決勝進出を逃した。地元バーゼルのスイス・インドア決勝ではジョコビッチを6-4, 3-6, 6-1 で破りツアー65勝目を達成、ピート・サンプラスの64勝を抜き歴代単独4位となった。その後もATPワールドツアー・ファイナル決勝ではナダルを 6-3, 3-6, 6-1 で破り3年ぶり5度目の優勝を果たした。この年は、優勝5大会、65勝13敗(勝率83.3%)であった。
2010年は、全豪優勝のフェデラーに対し、全仏/全英/全米優勝のナダルと引き続き「フェデラー/ナダル時代」である。2003年来7年続いてきたフェデラー中心とした「フェデラー時代」「フェデラー/ナダル時代」の最後の年でもある。 なお、力関係は「フェデラー<ナダル」であり、ナダルが2月復帰後圧倒的な力をみせ、4大大会3冠を達成した年でもあるが、最終戦ではフェデラーがナダルを破り意地を見せている。
2011年:6度目のツアーファイナル優勝
開幕戦カタール・エクソンモービル・オープンでは、決勝でニコライ・ダビデンコをストレートで下し、ツアー67勝目を挙げた。ディフェンディングチャンピオンとして挑んだ全豪オープンでは準決勝でノバク・ジョコビッチにストレートで敗退した。フェデラーは続くドバイ・テニス選手権の決勝とインディアンウェルズ・マスターズの準決勝で、いずれもジョコビッチに敗退。更に、マイアミ・マスターズでは準決勝でラファエル・ナダルに敗退した。ハードコート・シーズンではいずれも準決勝進出以上と優れた成績で終えたものの、ジョコビッチが出場した全大会で優勝したため、ジョコビッチに抜かれ世界ランキングは3位に後退した。
クレーコート・シーズンにおいては、モンテカルロ・マスターズは準々決勝で第7シードのユルゲン・メルツァーにストレートで敗退。続くマドリード・マスターズの初戦でフェリシアーノ・ロペスに 7-6, 6-7, 7-6 の苦戦を強いられながらも勝利したが、準決勝でナダルに敗退。ローマ・マスターズは、3回戦でリシャール・ガスケに6-4, 6-7 , 6-7で早いラウンドで敗退した。
全仏オープンでは、ナダルと今季絶好調のジョコビッチの優勝争いが注目されたが、準決勝でジョコビッチをセットカウント3-1で退け決勝進出を果たした。これによりジョコビッチの開幕戦からの連勝記録を41で止め、対ジョコビッチ戦の連敗も3で止めた。しかし、決勝ではナダルにセットカウント1-3で敗退した。 続くウィンブルドンでは、準々決勝で第12シードのジョー=ウィルフリード・ツォンガに 6-3, 7-6, 4-6, 4-6, 4-6 と、自身初の4大大会における2セットアップからの逆転を喫した。
全米オープンでは準決勝でノバク・ジョコビッチを相手に2セットアップでのマッチポイントを握りながらも敗退、自身2002年以来となる四大大会無冠に終わった。その後の欧州インドア・シーズンは出場したスイス・インドア、パリ・マスターズ、ATPワールドツアー・ファイナルと出場した全ての大会で優勝。ツアー・ファイナルでは、同大会歴代最多記録となる6度目の優勝を果たすとともに、決勝戦は自身100回目の決勝進出であり、かつ、70回目のタイトル獲得となった。この年は4大会で優勝を挙げ、64勝12敗(勝率84.2%)であった。
2011年は、7年に渡った「フェデラー時代」「フェデラー・ナダル時代」が終焉し、「ジョコビッチ時代」が到来した時代である。 ジョコビッチは、全豪/全英/全米の4大大会3冠達成に加え、前年2010年最強プレイヤーナダルに6連勝する等圧倒した。 フェデラーは、ナダルとともに2番手集団に落ちたが、対ジョコビッチとの直接対決では唯一互角に戦えるプレイヤーとして存在感を発揮している。
2012年:7度目のウィンブルドン優勝 歴代最長世界ランキング1位
年始に開催されたドーハ大会準決勝は背中の不調を理由に試合を棄権。続く全豪オープンは準決勝でラファエル・ナダルにセットカウント1-3で敗退した。2月にはABNアムロ世界テニス・トーナメント、ドバイ・テニス選手権、インディアンウェルズ・マスターズ、マドリード・マスターズと4試合で優勝した。 全仏オープンでは、準決勝でノバク・ジョコビッチにストレートで敗退。しかしながら、1回戦の勝利で史上初となる全グランドスラム各大会50勝を達成。続く2回戦で4大大会通算234勝目を挙げ、ジミー・コナーズを抜く歴代最多のマッチ勝利数を更新した。
ウィンブルドンでは、3回戦でジュリアン・ベネトーに苦戦するも2セットダウンから逆転で下し、準決勝で前年の覇者ジョコビッチを破り、ウィンブルドン史上最多タイとなる8回目の決勝進出。決勝ではイギリス勢74年ぶりの決勝進出を果たしたアンディ・マレーを4-6, 7-5, 6-3, 6-4で破り、ウィリアム・レンショー、ピート・サンプラスに並ぶ史上最多タイとなる7度目の優勝を飾ると同時に、4大大会通算17勝目を挙げた(4大大会優勝は2010年全豪オープン以来2年半ぶり)。そして、この優勝により大会翌日更新の世界ランキングにて、約2年ぶりに世界ランキング1位に返り咲き、その翌週のランキングで1位在位期間が通算287週となり、サンプラスを抜いて男子歴代単独1位在位記録となった。
8月にウィンブルドンを会場にして行われたロンドンオリンピックでは、準決勝でフアン・マルティン・デル・ポトロとの激戦(3セットマッチ史上最長4時間26分)を制し初の決勝進出を果たし、史上3人目の生涯ゴールデンスラムの期待も高まったが、地元イギリスのアンディ・マレーにストレートで敗退し、銀メダルに終わった。オリンピックシングルス部門では4度目の出場で初のメダル獲得であった。その後のシンシナティ・マスターズでは、決勝でノバク・ジョコビッチをストレートで破り、シーズン6勝目を挙げた。 全米オープンでは準々決勝でトマーシュ・ベルディハに敗れ、同大会9年ぶりにベスト4進出を逃した。10月の上海マスターズでは、準決勝でマレーに敗退するも、大会後のランキングでは1位を守り、男子初の在位総週300週を超えた。
しかしながら、その後のスイス・インドアでは決勝でフアン・マルティン・デル・ポトロに4-6, 7-6, 6-7の接戦で敗退し、その後、昨年優勝した大会の欠場によるポイント失効と併せて、11月5日のランキングでは、ジョコビッチに世界ランキング1位の座を明け渡し、1位在位記録の更新は302週で止まった。 ツアー・ファイナルでは、決勝でジョコビッチに敗れ3連覇を阻まれた。この年は6大会で優勝、71勝12敗(勝率85.5%)と2007年以来の好戦績を収めた。
2012年は、引き続きジョコビッチが最強プレイヤーとして君臨するも、ナダル/フェデラーの巻き返し、マレーの台頭が見られ「BIG4の時代」と称される年である。
なお2015年現在から振り返ると、「ジョコビッチ時代」又は「ジョコビッチ+○○○の時代」というジョコビッチを中心とした時代が、2011年以降2015年現在まで続いており、ジョコビッチが王者としての地位を一時的ではなく不動にした年とも言える。 2003年~2010年のフェデラー中心の時代が、2011年~2015年現在までのジョコビッチ中心の時代に変動した2年目である。 ただしフェデラーは、30歳を超えたにも関わらず、引き続き最強プレイヤーの一人としてジョコビッチと互角に戦い、ウインブルドン優勝し一時的とはいえNo.1に復帰する等、驚異的存在感を発揮している。
2013年:怪我と不調との闘い
全豪オープンでは準決勝でアンディ・マレーにフルセットの末敗退。その後もABNアムロ世界テニス・トーナメントは準々決勝で、ドバイ・テニス選手権では準決勝で敗退。続くインディアンウェルズ・マスターズでも準々決勝でラファエル・ナダルに敗れた。 クレーコートシーズンでは、マドリード・マスターズ3回戦で第14シードの錦織圭に敗退。ローマ・マスターズでは、半年ぶりにツアー大会の決勝に進出するもナダルに敗退した。
全仏オープンでは、4回戦でオープン化後史上4人目となるマッチ通算900勝を達成。しかし、続く準々決勝でジョー=ウィルフリード・ツォンガにストレートで敗退した。 芝前哨戦ゲリー・ウェバー・オープンでは、決勝でミハイル・ユージニーを下し、6月にして、ようやくシーズン初タイトルを獲得。しかし、ウィンブルドンでは、2回戦で世界ランク116位のセルジー・スタコフスキに7-6, 6-7, 5-7, 6-7で敗れ、4大大会では2003年全仏以来の早期敗退を喫した。この敗戦により、2004年ウィンブルドンから続いていた4大大会連続ベスト8進出記録(歴代最長:36大会連続)が途絶え、大会後のランキングでも10年ぶりにランキングトップ4から陥落した。その後急遽出場したクレーコート2大会でも、背中の怪我の影響もありランキング50位以下の相手に連敗を喫した。
ランキング7位で迎えた全米オープンにおいても、4回戦で過去全勝だったトミー・ロブレドに敗退。2002年来、4大大会の決勝進出がならない年となった。 欧州インドア・シーズンに入り、スイス・インドアで準優勝。続くパリ・マスターズでベスト4とし、一時は出場も危ぶまれたツアー・ファイナルに出場、ラウンドロビンで2勝を挙げベスト4へ進出するなど、復調の兆しを見せた。 2013年はツアー大会優勝が1大会のみで、マスターズ1000以上の大会でタイトルが1つも取れなかったのは2001年以来、戦績も45勝17敗(勝率72.6%)と過去10年間で成績が最も悪い年であった。
2013年は、「ジョコビッチ・ナダル時代」である。引き続きジョコビッチが王者として君臨するも圧倒的強者ではなく、全豪オープンに優勝するも全仏/全英/全米いずれも準優勝。ナダルが2月怪我から復帰後、驚異的強さを発揮し、全仏/全米を共に決勝でジョコビッチを破り4大大会2冠を達成。ジョコビッチとの直接対決でも2011年とは異なり3勝3敗の全くの互角である。 この中、フェデラーは最強プレイヤーの地位を維持出来ず、32歳となり引退間近と感じさせた年である。
2014年:世界2位復帰・ウィンブルドン準優勝・デビス杯初優勝
2014年から元世界ランク1位でサーブ&ボレーの名手であったステファン・エドベリをコーチとして迎え入れた。 年初のブリスベン国際で準優勝。続く全豪オープンでは、準決勝で第1シードのラファエル・ナダルに敗退したものの、4大大会では4大会ぶりにベスト4まで勝ち上がった。
2月のドバイ・テニス選手権では、準決勝でノバク・ジョコビッチに、決勝でトマーシュ・ベルディハに勝利しシーズン初優勝を飾った。また、この優勝でシングルスタイトル数が78となり、ジョン・マッケンローを抜いて歴代単独3位となった。
インディアンウェルズ・マスターズでも決勝に進出するが、ジョコビッチに6-3, 3-6, 6-7の惜敗。続くマイアミ・マスターズでは、準々決勝で錦織圭に敗退したが、大会後のランキングでは約9ヶ月ぶりにトップ4に復帰した。 クレーコートシーズンでは、モンテカルロ・マスターズでは6年ぶりに決勝進出を果たすが、スタニスラス・ワウリンカに敗れ準優勝。ローマ・マスターズでは初戦で敗退し、全仏オープンでは、4回戦で第18シードのエルネスツ・ガルビスにフルセットの末敗退し、同大会10年ぶりにベスト8進出を逃した。
ウィンブルドン前哨戦ゲリー・ウェバー・オープンで優勝し、迎えたウィンブルドンでは、年初から取り組んでいたネットプレーを増やす戦術が奏功し、2年ぶりに決勝進出を果たした。決勝では歴代単独最多8回目の優勝を目指し第1シードのノバク・ジョコビッチと対戦したが、7-6, 4-6, 6-7, 7-5, 4-6のフルセットの末に敗れ、準優勝に終わった。
全米オープン前哨戦でも好調を維持し、カナダ・マスターズ・シンシナティ・マスターズ2大会連続で決勝進出。カナダ・マスターズではジョー=ウィルフリード・ツォンガに敗れ準優勝となるも、シンシナティ・マスターズでは、ダビド・フェレールを下してマスターズ1000シリーズ2年ぶりの優勝・シングルス80勝目を飾った。
全米オープンでは、3年ぶりに準決勝へ進出するが、第14シードで大会優勝者のマリン・チリッチにストレートで敗退した。 10月の上海マスターズでは、準決勝で第1シードのジョコビッチに、決勝ではジル・シモンに勝利し大会初優勝を飾った。地元開催スイス・インドアでは同一大会で最多となる11回目の決勝に進出し、決勝では若手のダビド・ゴフィンを下してシーズン5勝目を挙げた。続くパリ・マスターズでは、準々決勝でミロシュ・ラオニッチに敗退した。
ツアー・ファイナルではラウンドロビンを全勝で1位通過し、準決勝では同胞のスタニスラス・ワウリンカとの激戦を制して決勝進出を果たすが、腰の怪我により決勝戦を棄権し準優勝となった。フェデラーの棄権は2012年1月のカタール・オープン以来、プロ生活3度目のことであった。また、ツアー・ファイナルにおける決勝戦の棄権は大会45年の歴史の中で初の出来事であった。
その後フランス・リールで行われたテニスの国別対抗戦・デビスカップ決勝では、シングルス・ダブルスそれぞれ1勝を挙げ、3対1でフランスを下しスイスの初優勝に貢献した。 2014年は5大会で優勝、73勝12敗(勝率85.9%)、年間最終ランキングを2位で終え、前年の不調から一転、好調な一年であった。また、決勝進出11大会・マッチ勝利73勝はいずれも2014年のツアー最多記録であった。
2014年は、「ジョコビッチ中心の時代」であるが、全豪はワウリンカ、全仏はナダル、全英はジョコビッチ、全米はチリッチと4大大会優勝者は分散した群雄割拠の年である。 この中、引退間近と思われた33歳のフェデラーは、体力勝負を避けサーブ&ボレーを強化して、復活。特に全英決勝のジョコビッチ戦はフルセットで破れたものの、第4セット終盤絶体絶命の状態からスーパープレーを連発し第4セットを奪取。一時的であるが「かつての王者としての輝き」を見せつけており、33歳にして依然最強プレイヤーであることを示している。
2015年:マッチ通算1000勝達成、全英・全米準優勝
年初に行われたブリスベン国際では、決勝でミロシュ・ラオニッチに勝利し大会初優勝を飾ると同時に、1253勝のジミー・コナーズ、1017勝のイワン・レンドルに次いでオープン化後史上3人目となるマッチ通算1000勝の偉業を達成した[4]。また15年連続でATPタイトル獲得は歴代1位記録となる。全豪オープンでは、3回戦でアンドレアス・セッピに11度目の対戦にして初黒星を喫し、同大会14年ぶりの早期敗退となった。また、2004年から続いていた連続ベスト4進出記録も11年で途切れた。2月のドバイ・テニス選手権では、決勝でノバク・ジョコビッチを破り、大会連覇・7度目の優勝を飾った。また、この大会でゴラン・イバニセビッチ、イボ・カルロビッチ、アンディ・ロディックに次いで史上4人目のキャリアサービスエース数9000本を突破した[5]。インディアンウェルズ・マスターズでは、決勝でジョコビッチに3-6, 7-6, 2-6で敗れ2年連続準優勝となった。4月、昨年準優勝だったモンテカルロ・マスターズでは第2シードで出場するも3回戦でガエル・モンフィスに敗れた。
4月29日イスタンブール・オープン2回戦にて通算クレーコート勝利数200勝達成[6]。決勝ではパブロ・クエバスを破り2009年全仏以来となるレッドクレー大会での優勝を果たした。マドリード・マスターズでは初戦でニック・キリオスに7-6, 6-7, 6-7の接戦で敗れた。BNLイタリア国際では2年ぶりに決勝に進出するもノバク・ジョコビッチに敗れ4度目の準優勝となった。全仏オープンでは準々決勝でスタン・ワウリンカに敗れたものの、2000年全豪オープンからの4大大会連続出場が62大会に達し、杉山愛の持つ最多連続出場記録に並んだ。
芝前哨戦ゲリー・ウェバー・オープンでは、決勝でアンドレアス・セッピを下し大会3連覇・8度目の優勝を果たした。同一大会で8回以上の優勝はギリェルモ・ビラス(ブエノスアイレス大会8回)、ラファエル・ナダル(全仏オープン9回、モンテカルロ・マスターズ・バルセロナ・オープン8回)に次いでオープン化以降3人目。ウィンブルドンでは、準決勝でアンディ・マレーを破り2年連続10回目の決勝進出を果たす。2年連続同一カードとなったジョコビッチとの決勝では6-7, 7-6, 4-6, 3-6で敗れ2年連続準優勝、またもウィンブルドン単独最多優勝達成を阻まれる形となった。
全米オープン前哨戦のシンシナティ・マスターズでは、ロベルト・バウティスタ・アグート、ケビン・アンダーソン、フェリシアーノ・ロペス、準決勝でアンディ・マレー、決勝でジョコビッチにストレート勝ちし大会連覇と同時に7度目の優勝を飾った。
全米オープンでは、失セット0・失ゲーム43と圧倒した勝ち上がりで2009年以来6年ぶりの決勝進出を果たす(4大大会で2大会連続決勝進出も2010年全豪以来)。しかし決勝では、先の全英に続きまたもジョコビッチに4-6, 7-5, 4-6, 4-6で敗れ準優勝に終わった。
上海マスターズでは初戦でアルベルト・ラモス=ビニョーラスに6-7(4), 6-2, 3-6で敗れた。地元開催スイス・インドアでは、大会12度目の決勝でラファエル・ナダルを6-3, 5-7, 6-3で下し7度目の優勝、シーズン6勝目を飾った。ナダルとの対戦は2014年全豪以来約2年ぶり、決勝では2013年5月から約2年半ぶり、勝利したのは2012年インディアンウェルズ・マスターズ以来のこととなった。BNPパリバ・マスターズでは3回戦でジョン・イズナーに6-7(3), 6-3, 6-7(5)で敗れた。ATPワールドツアー・ファイナルでは第2戦でジョコビッチ7-5, 6-2で勝利しするなど決勝に進出するも、ジョコビッチに3-6, 4-6で敗れた。
2015年は6大会で優勝、63勝11敗(勝率85.1%)、年間最終ランキング3位と引き続き好調だった。
2015年は全豪、全英、全米はジョコビッチ、全仏はワウリンカ、と圧倒的にジョコビッチが支配した1年であった。その中で対ジョコビッチとの直接対決では唯一複数回勝利している。また、トップ10に敗北を喫したのはジョコビッチとワウリンカだけであった。
2016年 史上初グランドスラム300勝
全豪オープンでは2年ぶりに準決勝進出を果たした。また3回戦ではグリゴール・ディミトロフに勝利し、史上初のグランドスラム通算300勝を達成した[7]。全豪後に受けた膝の手術のため、出場予定だったロッテルダム・オープンとドバイ・テニス選手権、さらにインディアンウェルズ・マスターズの欠場を発表した[8][9]。マイアミ・オープンは第3シードでエントリーするも、胃のウイルス性疾患により初戦直前に棄権した。
ライバル
ラファエル・ナダル
概要
ラファエル・ナダルは最大のライバルであり男子テニス界における重要な2人である。[10][11]2005年7月から2009年8月17日までATPツアーランキングの上位2位をこの2人で独占し、6シーズントップを占め続けた唯一のペアである。フェデラーは2004年2月から237週連続で1位に在位し、5歳下のナダルは2005年7月に2位になった後、2008年8月にフェデラーを抜いて1位になるまで160週連続で2位に在位した[12]。
現在グランドスラム優勝回数は1位がフェデラー(17回)、2位がサンプラスと並びナダルである(14回)[13]。
対戦成績
両者の力関係は複雑である。対戦成績は11勝23敗(2015年バーゼル大会まで)でナダルがリードしているが、クレーの対戦を除けばほぼ互角である。
ナダルは、2005年~2014年の10年で、全仏オープンを9回優勝した「史上最強のクレー王者」である。この期間、最強王者であるフェデラーやジョコビッチであっても、クレーコートでは歯が立っていない。
しかしクレーコート以外を前提すると、
時期 | 直接対戦の特徴(除くクレー) |
---|---|
2005年~2007年 | フェデラー優勢(フェデラー5勝1敗) |
2008年~2010年 | ナダルやや優勢 (フェデラー1勝2敗) |
2011年~2014年 | ナダル優勢(フェデラー2勝6敗) |
2015年~ | ナダル故障が原因で不調に。フェデラー優勢(フェデラー1勝0敗) |
との構図になる。 2008年ウィンブルドン 決勝/ 2009年全豪オープン決勝で大接戦の上、ナダルが勝利した時は、「王者がフェデラー→ナダルに交代」と「ナダル時代の開始」と思われた。 しかし、ナダルの怪我/ジョコビッチ頭角により、その後予想通りにならず、目まぐるしく状況が変化している。
- 2009年5月~2010年1月:ナダルの怪我/休場、フェデラーの全仏/全英/全豪制覇
- 2010年2月~10月:ナダル復活。ナダルの全仏/全英/全米制覇、4大大会3冠達成
- 2010年11月:年間最終戦フェデラー優勝。フェデラーがナダル/ノバク・ジョコビッチ撃破
- 2011年:ノバク・ジョコビッチ最強時代。ナダルはジョコビッチに6連敗。ジョコビッチ4大大会3冠
グランドスラムでの名勝負
グランドスラムでの対戦も多く、特に2006年から2008年の全仏オープンとウィンブルドン選手権6大会はすべてこの2人による決勝戦だった。
なおウィンブルドンではフェデラーの2勝1敗であるが、全仏オープンではナダルの5連勝。全豪オープンでは力関係が逆転した2009年以降に3度あり、ナダルの3連勝である。全米オープンでの対戦は不思議なことにない。
歴史に残る名勝負として次がある。
時期 | 内容 |
---|---|
2006年 | 全仏オープン決勝(ナダル3-1) |
2007年 | ウィンブルドン決勝(フェデラー3-2) |
2008年 | ウィンブルドン決勝(ナダル3-2) |
- (2006年全仏オープン決勝)は、「全英/全米/全豪と4大大会3連勝の全盛期フェデラー」と、「全仏ディフェンディングチャンピオン/2005年よりクレーコート無敗のナダル」の対戦。最強同士、無敵と無敗の対決と言われた世紀の一戦である。5度対戦した全仏オープンのフェデラー/ナダル戦のベストマッチである。第1セットのフェデラー怒涛の攻撃、第2セットのナダルの反撃、第3/第4セットの息詰まる攻防、第4セットのタイブレーク等、「史上最強のクレーキング」と「史上最強のオールラウンダー」の歴史に残る名勝負である。この試合に勝利したナダルは、2007年フェデラーに敗れるまでクレーコート81連勝と、とてつもない記録を残している。フェデラーはこの後、 ウィンブルドン 決勝でナダルに雪辱、全米も制し、2度目の4大大会年間3冠達成、年間93勝5敗(うち4敗はナダル)/勝率90%以上と、2006年をキャリアベストシーズンとしている。
- (2007年ウィンブルドン決勝)は、最強同士、無敵と無敗の対決と言われた、前年の世紀の一戦の「芝コート版」である。「全英/全米/全豪と4大大会3連勝、全仏準優勝の全盛期フェデラー」と、「全仏3連覇、全英2年連続決勝進出のナダル」が接戦を繰り広げている。王者フェデラーに、クレーキングナダルが、芝のコートで、予想に反して、優勢に試合を進め、後一歩までフェデラーを追い詰めている。最終セットこそフェデラーが本領発揮したが、ナダルがクレーコートだけではないことを十分証明し、2008年以降の力関係逆転、ナダル最強時代到来の可能性を予感させた一戦である [14] 。この後フェデラーは全米を制覇し3度目の4大大会3冠を達成するが、2008年以降は全盛期の力を落としはじめている。ナダルも2009年以降怪我により好不調の幅が大きくなっており、「無敵と無敗の戦い」と称された全盛期同士のフェデラー/ナダルの最後の一戦である。
- (2008年ウィンブルドン決勝)は、フェデラー/ナダルのベストマッチであり、テニス史上でも最高レベルの名勝負である[15] 。2008年前半はフェデラーの低調が著しく、全仏オープン決勝では、クレーでのナダルとはいえ、手も足もでない惨敗しており、フェデラー時代終焉を噂されていた。「1988年~1990年ベッカー対エドベリ」以来、3年連続同一カードの決勝となった本試合は、フェデラーがナダルを攻めきれず、第1セット/第2セットを連取される。ストレート負けの危機を迎えたフェデラーであったが、第3セットを辛うじてタイブレークで奪取。第4セットはナダルが押しぎみに進みフェデラーが凌ぐ展開となるも、またもタイブレークに突入。タイブレークではナダルが先行し、ナダルがマッチポイントを握る等追い詰められるが、ランニングバックハンドダウンザライン等スーパーショットを連発し逆転、10-8でタイブレークをとり第4セットも奪取する。タイブレークは15分以上の一進一退の息詰まる攻防であり、このタイブレークだけでも歴史に残る名場面である。タイブレークのない最終セットはお互い全く譲らず、攻防を繰り広げたが、第15ゲームになって遂にナダルがサーブブレイクし、第16ゲームをフェデラーが力尽き、セットカウント9-7でナダルが最終セットを奪取/初優勝となった。歴史上最強プレイヤーであるフェデラーとナダルがお互い高めあい、試合展開、プレー内容・レベル共に、まさにテニス史上最高の試合となる。加えて、フェデラーにとって、ウィンブルドン6連覇達成ならず、2003年より続けてきたグラスコート連勝も65でストップする等、歴史的価値も含め、テニス史に残る世紀の一戦である。
対戦の特徴
「フェデラーの片手バックハンド」と「ナダルの左手フォアハンドヘビートップスピン」は、フェデラー側の相性が極めて悪い。片手バックハンドでは高い打点を打ちづらく、ナダルは徹底的にフェデラーのバックを責めることを、フェデラー攻略の基本戦術としている。この戦術はクレーコートで特に有効で、総合力では明らかに「フェデラー>ナダル」であった2005年~2006年であっても、ナダルがフェデラーをクレーコートで圧倒した原動力である。
ただし、総合力でも「フェデラー<ナダル」となった2008年以降は、ナダルはこの基本戦術に必ずしも頼ることなく、フェデラーを圧倒することが多くなっている。
なお「左フォアハンドではなく、右フォアハンドであること」以外は、ナダルと同タイプであるジョコビッチを交えると、相性の影響ががわかりやすい。テニスとは単純な力だけではなく、相性も非常に重要な要素であることの事例である。
[2010年~2011年の力関係]
ノバク・ジョコビッチ
ノバク・ジョコビッチとの対戦は22勝22敗のタイ(2015年終了時点)。2人はグランドスラムで史上最多となる14回の対戦があり、結果は6勝8敗である。 ジョコビッチは、フェデラーのライバルというより、フェデラーの後継者として次世代の最強王者である。2003年~2010年最強王者フェデラーに対し、2011年~2015年現在最強王者のジョコビッチとなる。 力関係は世代交代が明確であり、2010年まではフェデラー優勢、2011年~2012年は互角、2013年以降はジョコビッチ優勢である。
なお、フェデラーは30歳を越えた2011年以降、最強王者の立場はジョコビッチに譲ったものの、年齢的体力の衰えを、サーブ&ボレー主体にモデルチェンジする等によりカバーし、2015年になっても「BIG4 (テニス)、最強プレイヤーのひとり」としての立場を確保している。
ジョコビッチは、ナダルとアンディ・マレー以外では唯一フェデラーに二桁勝利している選手であるが、グランドスラムでフェデラーとの名勝負も多い。2011年~2012年は試合全体が最強王者同士の一戦、2014年~2015年はフェデラーの年齢的体力の限界からセット限定の輝きとして次があげられる。
(2011年全仏オープン準決勝) シーズン開幕から41連勝と破竹の勢いだったジョコビッチをフェデラーが止め記録更新を阻んだ一戦。セットカウント3-1でフェデラーであるが、最強王者ジョコビッチに対し、全盛期とも思われるスーパープレーを連発。最後はサービスエースを決めてフェデラーが快勝。ジョコビッチは4大大会3冠を達成した年であり、この試合に勝てていれば年間グランドスラムも夢ではなく、ビッグチャンスを逃した一戦である。
(2011年全米オープン準決勝) ジョコビッチが3-2フルセットで激戦を制した一戦。この後決勝でナダルに快勝し、ジョコビッチが4大大会3冠を達成している。この試合、最終セット、フェデラーのサーブでマッチポイントを迎える絶体絶命の状態で、ジョコビッチは強烈なリターンエースを決めて形勢逆転したシーンは歴史に残る名場面である。
(2012年ウィンブルドン準決勝) フェデラーが3-1で快勝した一戦。フェデラーはこの後決勝でマレーを破り、グランドスラム17回目の優勝/No.1返り咲き/史上最長No.1記録達成につなげることになった。 この試合1-1出迎えた第3セットが、お互いの技術、戦術を尽くした壮絶な勝負どころであり、「最強王者同士の歴史的戦い」ともいえる名場面である。
(2014年ウィンブルドン決勝) ジョコビッチが3-2で接戦を制した一戦。 この試合、第4セットがフェデラーのスーパープレーにより奪取した名場面は、とても33歳の プレイヤーではなく、全盛期のフェデラーがわずかな時間復活した瞬間である。
(2015年ウィンブルドン決勝第2セットタイブレーク) ジョコビッチが3-1で試合自体は快勝。しかし、第2セットタイブレーク(フェデラー12-10ジョコビッチ)は、一時的であるが、全盛期同士のフェデラーとジョコビッチの対決を感じさせた最高の名場面である。2008年ウィンブルドン決勝フェデラー対ナダルの第4セットタイブレーク(フェデラー10-8ナダル)と並ぶ歴史に残るタイブレークの1つである。
アンディ・マレー
アンディ・マレーとの対戦は14勝11敗(2015年シンシナティ大会まで)。グランドスラムでは6回対戦し5勝1敗。6回の対戦の内3回は決勝での対戦であり3回ともフェデラーが勝利している(2008年全米、2010年全豪、 2012ウィンブルドン )。
2012年ロンドン五輪では決勝で敗北し、フェデラーはキャリアゴールデンスラムを阻まれた。マレーはフェデラーが10回以上負けている3人の内の1人である[16][17][18]。
アンディ・ロディック
アンディ・ロディックはフェデラーの長年のライバルである。2004年にフェデラーが初めて世界ランキング1位につく前の1位がロディックである。2人は24回対戦しており内4回がグランドスラム決勝。戦績はフェデラーの21勝3敗で、ロディックからするとツアーで最もフェデラーに負けた回数の多い選手でもある。それゆえロディック自身は「一方的でライバルというにはふさわしくない」とも語っている。
2009年ウィンブルドン選手権決勝戦では5セットで勝利した。この決勝は最終セット16-14で計77ゲーム、4時間以上の激戦となった(4大大会決勝戦最多ゲーム数記録)。この勝利でフェデラーはピート・サンプラスの4大大会最多優勝記録を更新する15度目の優勝を果たした[19]。
レイトン・ヒューイット
レイトン・ヒューイットとは27回対戦している。初対戦から9戦は2勝7敗でヒューイットが先行してたが、2004年以降16勝2敗となり計18勝9敗とフェデラーが勝ち越している。ジュニアの頃から対戦している2人はグランドスラム決勝でも1度対戦しており、これがフェデラーの全米オープン初タイトルとなった。他にグランドスラムでは6度対戦している。
その他経歴
慈善活動にも熱心に取り組んでおり、2003年にはロジャー・フェデラー基金を設立し、アフリカの子供たちの支援や、タイでおきた津波災害のときも自ら率先してチャリティイベントを企画して募金活動を行うなど、その活動は世界中から高く評価されている。2006年4月には、ユニセフ親善大使にも任命され、ユニセフとATPが結ぶグローバル・パートナーシップであるACE(Assisting Children Everywhere)という活動の中心人物として、世界中の子どもたちに健康と教育の機会を確保し、様々な困難から子どもたちを守るためのプログラムを推進している[2]。
2005年~2008年の4年連続で「ローレウス・スポーツ賞」の男子最優秀選手賞を受賞した。2000年に創設されたこの世界的なスポーツ賞で、男子最優秀選手賞の4年連続受賞は歴代トップである。
ツアーの選手同士の中から選ばれる「ステファン・エドバーグ・スポーツマンシップ賞」を2004年から2015年の間に11度も受賞しており、試合中のマナーやフェアプレイなども高く評価されている[20]。
ATPによる選手の人気投票では、2003から2015年現在まで13年連続で1位を獲得しており、ファンからの人気は絶大である。地元のスター選手と対戦する際にも、フェデラーには相手に負けないほどの声援がおくられる。
私生活
2000年シドニー五輪がきっかけで、3歳年上のテニス選手ミルカ・バブリネックと交際を始め、2009年4月11日に結婚している。2009年7月に双子の娘が、2014年5月6日には双子の息子が誕生している。
サッカーの熱心なファンである。出身地のクラブであるFCバーゼルのファンであると公言している。また、12歳までは実際にサッカーをプレーしており、テニスプレーヤーとしてのスケジュールが多忙を極めたため、サッカーを断念せざるを得なかったとも語っている [21]。サッカーのEURO2008がスイスで開催された際には、ミハエル・シューマッハ(F1ドライバー)やシモーネ・ニグリ=ルーダー(オリエンテーリング選手)、ペーター・ザウバー(F1チーム・ザウバーオーナー)らとともに親善大使に選出された。
2011年6月、米経済誌フォーブス誌が「最も稼いでいる30歳未満のセレブ」のランキングを発表し、2010年5月からの1年間で4,700万ドル(日本円で約37億6,000万円)を稼いで4位にランクインしている[22]。
2013年6月、同じくフォーブス誌での「最も稼いでるアスリート(スポーツ選手長者番付)」では、2012年から1年間でスポンサー契約等を含み7,150万ドル(日本円で約68億円)を稼いでタイガー・ウッズに次ぐ2位にランクインした[23]。
2014年6月、アメリカの経済誌フォーブスは世界のアスリートの年収を公表した。フェデラーの年収は5,620万ドル(日本円で約57億3,000万円)であり、世界のアスリートの中で7位。テニス選手の中ではラファエル・ナダルを上回り、1位となった[24]。
プレースタイル
すべてのプレイにおいて高いレベルを誇るオールラウンドプレイヤー[25]。
グランドストロークが基本だが、サーブ、ボレーも上手い。特にサーブは高速ではないが非常に読みにくく、エースを連発する等強力な武器である[26]。
ラケットの支えをしっかりさせるリストの強さと、繊細なタッチによる絶妙なコントロールを両立させており、また顔の位置がブレず同じ姿勢のまま動ける下半身の柔軟性があるため、目線の上下動が非常に少なくミスヒットが少ない。[27]また、強力かつ正確なスマッシュを持ちバックハンドスマッシュ、スカイフック、ハーフボレー、ジャンプスマッシュなども効果的に使用する[28]。ドロップショットも武器にしておりフェイントを掛けて相手の反対側に落とすのを得意とする。
ショットの中でも特にフォアハンドは歴代最高と言われる[29]。深さと角度を自在にできるため、浅いアングルでもフルスイングし、高く弾むショットを深くへ打ち込むことも可能。さらに伸びがあるため相手は予測が付きにくく対処も難しい。また、繊細な力の加減が非常に優れており、必要なタイミングで必要なだけの力を込めるが、それ以外は極力リラックスして打てる。手首の解放が上手く必要なだけ手首のコックを解放して、 ショットにパンチ力を加味している。[30]フットワークの良さで効率的にコートを駆けまわりバックハンドに打たれたボールを回り込みフォアハンドで攻める。
片手バックハンドからは多様な打球を打ち出すことでき攻守のバランスに優れている。同じスライスでもわざとサイドスピンを与えたり、深く滑らせたり、浅く落としたりと様々な変化をつけられ、またトップスピンも自由に回転量を変えられる。オープンスタンスでもクローズドスタンスでも打てるので、どんなサーフェスにも対応できる。さらにテイクバックが十分にとれないときでも相手の力を利用するのがうまく、逆に大きく引いて自分からハードヒットすることもできる。[31]
サーブは、様々な球種を同じモーションで打たれるため、相手にとって非常に読みにくい。また通常は約180~190 km/hだが、勝負どころでは200km/hを越える。全盛期には最速220でkm/hを越えることもあった[32][33][34]。無駄のない効率的で安定感のあるサーブのため調子の波が少ない。またファーストサーブとセカンドサーブの差が少ないのも特徴。ボールタッチが非常に良いため両サイドに自在にコントロールできる。[35]
2014年シーズンからステファン・エドベリをコーチ陣に迎え、ボレー技術の向上を図りネットプレーを増やすことによって、より攻撃的なゲームを展開するようになった[36][37]。
各種記録一覧
歴代記録
大会 | 年- | 記録 | 他記録者 | |
---|---|---|---|---|
グランドスラム | 1877 | 男子最多優勝 「17回」 | 単独記録 | |
グランドスラム | 1877 | 男子最多年間3冠 「3回」 (2004, 2006–07) | 単独記録 | |
グランドスラム | 1877 | 男子最多年間2冠 「5回」 (2004–07, 2009) | 単独記録 | |
グランドスラム | 1877 | 男子最多決勝進出数 「27回」 | 単独記録 | |
グランドスラム | 1877 | 男子最多準決勝進出数 「39回」 | 単独記録 | |
グランドスラム | 1877 | 男子最多準々決勝進出数 「47回」 | 単独記録 | |
グランドスラム | 1877 | 男子最多連続決勝進出 「10連続」 | 単独記録 | [38] |
グランドスラム | 1877 | 男子最多連続準決勝進出数 「23連続」 | 単独記録 | [39] |
グランドスラム | 1877 | 男子最多連続準々決勝進出数 「36連続」 | 単独記録 | [40] |
グランドスラム | 1877 | 大会連続出場記録 「65連続」(更新中) | 単独記録 | [41] |
グランドスラム | 1877 | 最多勝利記録「302」(更新中) | 単独記録 | |
グランドスラム | 1877 | ハードコート最多勝利記録 | 単独記録 | |
グランドスラム | 1877 | 全ての4大大会決勝進出 「3回」(2006–07, 2009) | 単独記録 |
歴代記録(オープン化以降)
主なグランドスラム記録
期間 | グランドスラム記録 | 他記録者 |
---|---|---|
2003 全英 —2009 全仏 | キャリアグランドスラム | ロッド・レーバー アンドレ・アガシ ラファエル・ナダル |
2003 全英 —2012 全英 | 最多優勝「17」 | 単独記録 |
2003 全英 —2015 全米 | 最多決勝進出「27」 | 単独記録 |
2005 全英 —2007 全米 | 連続決勝進出「10」 | 単独記録 |
2003 全英 —2016 全豪 | 最多準決勝進出 「39」 | 単独記録 |
2004 全英 —2010 全豪 | 連続準決勝進出「23」 | 単独記録 |
2001 全仏 —2016 全豪 | 最多準々決勝進出「47」 | 単独記録 |
2004 全英 —2013 全仏 | 連続準々決勝進出「36」 | 単独記録 |
2000 全豪 —2016 全豪 | 連続出場「65 」(更新中) | 単独記録 |
2004 & 2006–2007 | 優勝3大会以上「3年」 | 単独記録 |
2004–2007 & 2009 | 優勝2大会以上「5年」 | 単独記録 |
2006–2007 | 3大会以上優勝「2年連続」 | 単独記録 |
2004–2007 | 2大会以上優勝「4年連続」 | 単独記録 |
2004–2011 | 20勝以上「8年連続」 | 単独記録 |
2003 全英 —2012 全英 | 異なる2大会で5回以上優勝 | ビヨン・ボルグ ピート・サンプラス |
2003 全英 —2012 全英 | 異なる3大会で4回以上優勝 | 単独記録 |
2003 全英 —2015 全英 | 4大会全ての5回以上決勝進出 | 単独記録 |
2003 全英 —2016 全豪 | 全ての4大大会で7回以上準決勝進出 | 単独記録 |
2001 全仏 —2016 全豪 | 全ての4大大会で10回以上準々決勝進出 | 単独記録 |
2003 全英 —2008 全米 | 2つの異なる大会で5連覇 | 単独記録 |
2003 全英 —2007 全仏 | 全ての4大大会で2年連続以上決勝進出 | イワン・レンドル ノバク・ジョコビッチ |
2003 全英 —2009 全仏 | 全ての4大大会で5年連続以上準決勝進出 | 単独記録 |
2003 全英 —2013 全仏 | 全ての4大大会で9年連続準々決勝進出 | 単独記録 |
2004 全豪 —2010 全豪 | ハードコート大会優勝「9回」 | 単独記録 |
2006–2007 & 2009 | 1シーズンで全ての4大大会決勝進出 | ロッド・レーバー ノバク・ジョコビッチ |
2000 全豪 —2016 全豪 | 302勝 | 単独記録 |
2006 | 1シーズンで27勝 | ノバク・ジョコビッチ |
2004–2007 & 2009 | 勝率90%以上「5年」 | ビヨン・ボルグ |
2004 全仏 —2012 全米 | トップシード「23回」 | 単独記録 |
2004 全仏 —2008 全英 | 18連続トップシード | 単独記録 |
2006 全米 —2007 全仏 | 36セット連続獲得 | 単独記録 |
2007 全米 | 35連続サービスポイント獲得 | 単独記録 |
2009 全英 | 決勝で50エース | 単独記録 |
2005 全英 —2007 全仏 | 25連勝以上「2回」 | 単独記録 |
2005 全英 —2009 全米 | 20連勝以上「3回」 | 単独記録 |
2004 全英 —2009 全米 | 15連勝以上「5回」 | 単独記録 |
各4大大会の記録
グランドスラム | 期間 | グランドスラム各大会記録 | 他記録者 | |
---|---|---|---|---|
全豪 | 2004–2016 | 準決勝進出「12回」 | 単独記録 | |
全豪 | 2004–2014 | 連続準決勝進出「11連続」 | 単独記録 | [42] |
全豪 | 2007 | 1セットも落とさずに優勝 | ケン・ローズウォール | [43] |
全豪 | 2000–2016 | 最多勝利「80」 | 単独記録 | [43] |
全豪 | 2006–2008 | 連続セット獲得「30連続」 | 単独記録 | [44] |
全仏 | 2005–2009 | 連続準決勝進出「5年」 | ラファエル・ナダル ノバク・ジョコビッチ |
|
ウィンブルドン | 2003–2012 | 優勝「7回」 | ピート・サンプラス | [45][46] |
ウィンブルドン | 2003–2007 | 5連覇 | ビヨン・ボルグ | [47] |
ウィンブルドン | 2003–2015 | 決勝進出「10回」 | 単独記録 | [48][49] |
ウィンブルドン | 2003–2009 | 7連覇 | 単独記録 | [50] |
ウィンブルドン | 2003–2009 | 連続準決勝進出「7」 | 単独記録 | |
ウィンブルドン | 2005–2006 | 連続セット獲得「34」 | 単独記録 | [51] |
全米 | 2004–2008 | 優勝「5回」 | ジミー・コナーズ ピート・サンプラス |
[52] |
全米 | 2004–2008 | 5連覇 | 単独記録 | [52] |
全米 | 2004–2009 | 40連勝 | 単独記録 | [53] |
その他の主な記録
期間 | 記録 | 他記録者 |
---|---|---|
年間最終戦[54] | ||
2003–2011 | 優勝 「6回」[55] | 単独記録 |
2003–2015 | 決勝進出 「10回」 | 単独記録 |
2002–2015 | 準決勝進出 「13回」[56] | 単独記録 |
2002–2015 | 最多勝利 「52勝」[55] | 単独記録 |
2002–2015 | 最多出場 「14回」 | 単独記録 |
2002–2015 | 連続出場 「14年」[57] | 単独記録 |
マスターズ1000 記録 | ||
2002–2015 | 決勝進出「42回」 | 単独記録 |
2000–2015 | 最多勝利 | 単独記録 |
2005–2006 | 2年連続4大会以上優勝 | ノバク・ジョコビッチ |
2002–2011 | 異なる9大会で決勝進出 | ノバク・ジョコビッチ ラファエル・ナダル |
2004–2012 | インディアンウェルズ・マスターズ優勝「4回」[58] | ノバク・ジョコビッチ |
2002–2007 | ハンブルグ・マスターズ優勝「4回」 | 単独記録 |
2005–2015 | シンシナティ・マスターズ優勝「7回」[59][60] | 単独記録 |
他記録 | ||
2004–2012 | 世界ランキング1位合計「302週」[61][62][63] | 単独記録 |
2004年2月2日 — 2008年8月17日 |
世界ランキング1位連続記録「237週」[64][65] | 単独記録 |
2003–2005 | トップ10選手相手に24連勝[66] | 単独記録 |
1999–2016 | ハードコート最多勝利記録 | 単独記録 |
2005–2006 | ハードコート連続勝利数「56連勝」[66][67] | 単独記録 |
2003–2008 | グラスコート連続勝利数「65連勝」[64] | 単独記録 |
2003–2005 | 24連続決勝で勝利[64] | 単独記録 |
2001–2015 | 芝、土、ハードコートで10回以上優勝 | 単独記録 |
2003–2015 | グラスコート最多優勝「15回」[68] | 単独記録 |
2002–2015 | ハードコート最多優勝「60回[69] | 単独記録 |
2002–2015 | 屋外コート最多優勝[70] | 単独記録 |
2006 | 1シーズンでのハードコート大会優勝数「9」 | ジミー・コナーズ |
2000–2016 | 250シリーズ最多優勝 | 単独記録 |
2000–2015 | 1つの大会で12回決勝進出 (スイス・インドア) | 単独記録 |
2006–2015 | 1つの大会で10年連続決勝進出 (スイス・インドア) | 単独記録 |
2001–2015 | タイトル獲得継続年数「15年連続」[71] | 単独記録 |
1998–2016 | タイブレーク最多勝利[72] | 単独記録 |
1999–2015 | グラスコート最高勝率) [68] | 単独記録 |
2006 | 1シーズンの決勝での勝率「94.12%」 | 単独記録 |
2005–2007 | 3年連続でシーズン初めから終わりまで世界ランキング1位 | 単独記録 |
2005–2007 | シーズン初めから終わりまで世界ランク1位「3回」 | ジミー・コナーズ |
2003–2014 | 世界ランキング2位以内「10年」 | 単独記録 |
2003–2015 | 世界ランキング3位以内「12年」 | ジミー・コナーズ |
2003–2016 | 世界ランキング3位以内最長記録 | 単独記録 |
2005–2007 | 35連勝以上「2回」 | ビヨン・ボルグ |
2001–2015 | 19の国で優勝 | 単独記録 |
デビスカップ記録 | ||
1999–2015 | スイス人シングルス最多勝利[73] | 単独記録 |
1999–2015 | スイス人シングルス・ダブルス合計最多勝利 | 単独記録 |
1999–2015 | スイス人最長デビスカップ出場「15年」 | ハインツ・ギュンタード |
※その他多数の歴代最多記録を保持している。
4大大会優勝
- 全豪オープン:4勝(2004,06-07,10年)〔準優勝1度:2009年〕 歴代3位タイ。(オープン化後では歴代2位タイ)
- 全仏オープン:1勝(2009年)〔準優勝4度:2006-08,11年〕
- ウィンブルドン:7勝(2003-07,09,12年)〔準優勝3度:2008,14-15年〕 歴代1位タイ。
- 全米オープン:5勝(2004-08年)〔準優勝2度:2009,15年〕 歴代4位タイ。(オープン化後では歴代1位タイ)
年 | 大会 | 対戦相手 | 試合結果 |
---|---|---|---|
2003年 | ウィンブルドン | マーク・フィリプーシス | 7-6, 6-2, 7-6 |
2004年 | 全豪オープン | マラト・サフィン | 7-6, 6-4, 6-2 |
2004年 | ウィンブルドン | アンディ・ロディック | 4-6, 7-5, 7-6, 6-4 |
2004年 | 全米オープン | レイトン・ヒューイット | 6-0, 7-6, 6-0 |
2005年 | ウィンブルドン | アンディ・ロディック | 6-2, 7-6, 6-4 |
2005年 | 全米オープン | アンドレ・アガシ | 6-3, 2-6, 7-6, 6-1 |
2006年 | 全豪オープン | マルコス・バグダティス | 5-7, 7-5, 6-0, 6-2 |
2006年 | ウィンブルドン | ラファエル・ナダル | 6-0, 7-6, 6-7, 6-3 |
2006年 | 全米オープン | アンディ・ロディック | 6-2, 4-6, 7-5, 6-1 |
2007年 | 全豪オープン | フェルナンド・ゴンサレス | 7-6, 6-4, 6-4 |
2007年 | ウィンブルドン | ラファエル・ナダル | 7-6, 4-6, 7-6, 2-6, 6-2 |
2007年 | 全米オープン | ノバク・ジョコビッチ | 7-6, 7-6, 6-4 |
2008年 | 全米オープン | アンディ・マレー | 6-2, 7-5, 6-2 |
2009年 | 全仏オープン | ロビン・セーデリング | 6-1, 7-6, 6-4 |
2009年 | ウィンブルドン | アンディ・ロディック | 5-7, 7-6, 7-6, 3-6, 16-14 |
2010年 | 全豪オープン | アンディ・マレー | 6-3, 6-4, 7-6 |
2012年 | ウィンブルドン | アンディ・マレー | 4-6, 7-5, 6-3, 6-4 |
テニス4大大会男子シングルス優勝記録 | ||
---|---|---|
順位 | 回数 | 選手名 |
1位 | 24勝 | ノバク・ジョコビッチ * |
2位 | 22勝 | ラファエル・ナダル * |
3位 | 20勝 | ロジャー・フェデラー |
4位 | 14勝 | ピート・サンプラス |
5位 | 12勝 | ロイ・エマーソン |
6位タイ | 11勝 | ロッド・レーバー | ビョルン・ボルグ |
8位 | 10勝 | ビル・チルデン |
9位タイ | 8勝 | マックス・デキュジス | アンリ・コシェ | フレッド・ペリー | ケン・ローズウォール | ジミー・コナーズ | イワン・レンドル | アンドレ・アガシ |
*は現役選手 | ||
シングルス成績
4大大会
- 略語の説明
W | F | SF | QF | #R | RR | Q# | LQ | A | Z# | PO | G | S | B | NMS | P | NH |
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
大会 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 2013 | 2014 | 2015 | 2016 | 通算成績 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
全豪オープン | LQ | 3R | 3R | 4R | 4R | W | SF | W | W | SF | F | W | SF | SF | SF | SF | 3R | SF | 80–13 |
全仏オープン | 1R | 4R | QF | 1R | 1R | 3R | SF | F | F | F | W | QF | F | SF | QF | 4R | QF | 65–16 | |
ウィンブルドン | 1R | 1R | QF | 1R | W | W | W | W | W | F | W | QF | QF | W | 2R | F | F | 79–10 | |
全米オープン | LQ | 3R | 4R | 4R | 4R | W | W | W | W | W | F | SF | SF | QF | 4R | SF | F | 78-11 |
※: 2004年全米4回戦、2007年ウィンブルドン4回戦、2012年全豪2回戦、2012年全米4回戦の不戦勝は通算成績に含まない
年間最終戦
大会 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 2013 | 2014 | 2015 | 2016 | 通算成績 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ATPワールドツアー・ファイナル | SF | W | W | F | W | W | RR | SF | W | W | F | SF | F | F | 52–12 |
オリンピック
大会 | 2000 | 2004 | 2008 | 2012 | 2016 | 通算成績 |
---|---|---|---|---|---|---|
夏季オリンピック | 4th | 2R | QF | S | 13–5 |
ATPワールドツアー・マスターズ1000
大会 | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 2013 | 2014 | 2015 | 2016 | W–L |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
インディアンウェルズ | A | A | Q1 | 1R | 3R | 2R | W | W | W | 2R | SF | SF | 3R | SF | W | QF | F | F | A | 52–11 |
マイアミ | A | 1R | 2R | QF | F | QF | 3R | W | W | 4R | QF | SF | 4R | SF | 3R | A | QF | A | A | 44–13 |
モンテカルロ | A | 1R | 1R | QF | 2R | A | A | QF | F | F | F | 3R | A | QF | A | A | F | 3R | 28–12 | |
マドリード 1 | A | A | 1R | 1R | W | 3R | W | W | A | W | F | W | F | SF | W | 3R | A | 2R | A | 47–8 |
ローマ | A | A | 1R | 3R | 1R | F | 2R | A | F | 3R | QF | SF | 2R | 3R | SF | F | 2R | F | A | 31–15 |
カナダ | A | A | 1R | A | 1R | SF | W | A | W | F | 2R | QF | F | 3R | A | A | F | A | 31–9 | |
シンシナティ | A | A | 1R | A | 1R | 2R | 1R | W | 2R | W | 3R | W | W | QF | W | QF | W | W | 42–8 | |
上海 2 | A | A | 2R | 2R | QF | SF | A | A | W | F | SF | A | F | A | SF | 3R | W | 2R | 31–10 | |
パリ | A | A | 1R | 2R | QF | QF | A | A | A | 3R | QF | 2R | SF | W | A | SF | QF | 3R | 21–10 |
1, 2008年までハンブルク・マスターズ(屋外クレー)、2009年からマドリード・マスターズ(屋外クレー)。
2, 2002年から2008年までマドリード・マスターズ(室内ハード)、2009年から上海マスターズ(屋外ハード)。
世界ランキング
1998 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 2013 | 2014 | 2015 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 301 | 64 | 29 | 13 | 6 | 2 | 1 | 1 | 1 | 1 | 2 | 1 | 2 | 3 | 2 | 6 | 2 | 3 |
デビスカップ
優勝 (1)
年 | スイスチーム | ラウンド/相手 |
---|---|---|
2014年 | ロジャー・フェデラー スタン・バブリンカ マルコ・チウディネリ ミヒャエル・ラマー |
1R: セルビア 2–3 スイス QF: カザフスタン 1–3 スイス SF: スイス 3–2 イタリア FN: フランス 1–3 スイス |
ホップマンカップ
優勝 (1)
年 | スイスチーム |
---|---|
2000年 | ロジャー・フェデラー マルチナ・ヒンギス |
受賞歴
- ITFワールドチャンピオン(2004-2007,2009)
- ATP最優秀選手賞(2004-2007,2009)
- ATP Fans' Favorite Player(2003-2015)
- ATPステファン・エドベリ スポーツマンシップ賞(2004-2009,2011-2015)
- スイス・スポーツマン賞(2003–04,2006–07,2012,2014)
- BBC海外スポーツパーソナリティ賞(2004,2006–07)
- ゴールデンベーグル賞(2004,2006–07)
- ESPY最優秀選手賞(2005–10)
- ローレウス世界スポーツ賞(2005–08)
- レキップチャンピオンオブ・チャンピオン賞(2005–07)
- ガゼッタ・デロ・スポルト スポーツマン賞(2005–07)
- アーサー・アッシュ ヒューマニタリアン賞(2006,2013)
- オリンピックスイス代表旗手(2004,2008)
脚注
- ^ “tennis365.net - 元王者P・サンプラス「フェデラーは史上最強の選手」”. 2009年7月6日閲覧。
- ^ a b “tennis365.net - ロジャー・フェデラーの足跡”. 2009年12月21日閲覧。
- ^ “afpbb.com - ナダルの叔父、「史上最高の選手はフェデラー」”. 2012年12月2日閲覧。
- ^ フェデラー、ブリスベーン国際制覇とキャリア1000勝目を達成
- ^ フェデラー 4人目となる偉業
- ^ フェデラー 7人目の200勝達成
- ^ “ジョコビッチ勝利、フェデラーは四大大会300勝目 全豪テニス”. 日本経済新聞. 2016年1月24日閲覧。
- ^ “ROGER UNDERGOES KNEE SURGERY”. ロジャー・フェデラー公式サイト. 2016年2月4日閲覧。
- ^ “フェデラー、マスターズ欠場”. tennis365.net. 2016年3月8日閲覧。
- ^ Bodo, Peter (2009年1月30日). “Rivalry!”. Peter Bodo's Tennisworld. Tennis.com. 2009年2月14日閲覧。
- ^ MacGregor, Jeff (2009年2月3日). “Greatest rivalry of the 21st century?”. ESPN. 2009年2月14日閲覧。
- ^ “It's official: Nadal will pass Federer for No. 1”. NBC Sports (Associated Press) (2008年8月1日). 2009年2月14日閲覧。
- ^ http://news.tennis365.net/news/today/201503/103760.html
- ^ スポーツナビ http://sp.plus-blog.sportsnavi.com/passion/article/54
- ^ インターネットテニスサイトhotshot 史上最長の決勝戦 http://hotshot.jp/enjoy/2451
- ^ “Federer v Murray Head to Head”. atpworldtour.com. 2011年1月9日閲覧。
- ^ “Andy Murray falls to brilliant Roger Federer in Australian Open final”. The Guardian (2010年1月31日). 2014年11月23日閲覧。
- ^ “Superb Federer ends Murray dream”. BBC Sport. (2008年9月8日) 2010年4月27日閲覧。
- ^ “ATP Head 2 Head”. ATP World Tour. 2014年12月8日閲覧。
- ^ “tennis365.net - フェデラーがオフコートで2冠達成◇ATPワールド・ツアー・ファイナル”. 2012年11月8日閲覧。
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- ^ 男子歴代最長記録。2010年6月7日付のランキングで、当時ピート・サンプラスの持っていた男子歴代最長記録「286週」に残り1週と迫っていたが、2位に転落してしまう。その後一時は4位までランキングを落としたが、2012年ウィンブルドン優勝により約2年ぶりにランキング1位に復帰した。その翌日更新のランキングでサンプラスの記録に並び、翌週も1位を守りきって男子歴代単独1位の記録をつくった。 10月15日付のランキングにて、男子では史上初の世界ランキング1位通算在位300週を達成(女子ではシュテフィ・グラフ、マルチナ・ナブラチロワが達成)した。11月5日付のランキングでジョコビッチに1位の座を明け渡し、在位総週の更新は302週で止まった。 また、現在フェデラーが最後にランキング1位に在位していた年齢「31歳2ヶ月」は、アンドレ・アガシの「33歳4ヶ月」に次ぐ歴代2位の年長記録である
- ^ a b c Macpherson, Paul (2010年1月12日). “Roger's Records To Stand Test of Time”. ATP World Tour. 2012年2月12日閲覧。
- ^ 2004年2月2日~2008年8月18日までの、男女を通じた世界最長記録。2007年2月26日にジミー・コナーズの男子歴代最長記録「160週」を抜き、同年8月27日にシュテフィ・グラフの女子歴代最長記録「186週」をも更新。同年12月2日付で史上初の「200週」に到達。2008年8月18日、ラファエル・ナダルが世界ランキング1位となり、記録は「237週」で止まった。フェデラーは初めて世界ランキング1位の座についてから、約4年半もの間ランキング1位を守り続けた。 この快挙を称えて、スイスの郵政省は2007年4月1日にフェデラーを印刷した切手を発行[53]。これにより、フェデラーは存命のスイス人として初めて切手の印刷面を飾った人物となった。なお、この記念切手にはウィンブルドンの優勝トロフィーを掲げたフェデラーの姿が印刷されており、2010年2月8日にオーストリアで新たに発行された記念切手には全仏オープンでプレーするフェデラーの姿が印刷されている。
- ^ a b “Roger Federer: By The Numbers”. Sports Illustrated. (2009年7月8日) 2012年6月12日閲覧。
- ^ また、2006から2007年にかけて歴代2位の36連勝も記録している。
- ^ a b “FedEx ATP Reliability Index – Winning percentage on Grass”. ATP World Tour. 2012年2月11日閲覧。
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- ^ “Team – Switzerland (SUI)”. Davis Cup (2014年4月6日). 2014年7月4日閲覧。
外部リンク
- ロジャー・フェデラー公式ホームページ
- ロジャー・フェデラー - ATPツアーのプロフィール (英語)
- ロジャー・フェデラー - デビスカップのプロフィール (英語)
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- ロジャー・フェデラー (Federer) - Facebook
- ロジャー・フェデラー (@rogerfederer) - X(旧Twitter)
タイトル | ||
---|---|---|
先代 アンディ・ロディック ラファエル・ナダル ノバク・ジョコビッチ |
世界ランキング1位 2004年2月2日 – 2008年8月18日 2009年7月6日 – 2010年6月7日 2012年7月9日 – 2012年11月5日 |
次代 ラファエル・ナダル ラファエル・ナダル ノバク・ジョコビッチ |
記録 | ||
先代 ピート・サンプラス |
ATP生涯獲得賞金王 2007年 – |
次代 - |
先代 ピート・サンプラス |
グランドスラム最多タイトル獲得 2009年7月5日 – |
次代 - |
先代 ピート・サンプラス |
世界ランキング1位最長記録 2012年7月16日 – |
次代 - |