オリンピックテニス競技
夏季オリンピックにおけるテニス競技は、男子競技が1896年のアテネオリンピックから、女子競技が1900年のパリオリンピックから実施されている。途中1928年から1984年までの中断期間をはさんでいる。
目次 |
概要 [編集]
オリンピックとテニス [編集]
19世紀末からイギリスやアメリカで選手権大会が実施されてきたテニスは、1896年の第1回近代オリンピックにおいて実施された「9種目」のひとつであり、9種目の中では唯一の球技であった。
1920年代後半に入ると、テニス界は「アマチュア」と「プロフェッショナル」との二極分化が始まった。国際オリンピック委員会(IOC)はこれを理由に、テニス競技を1928年アムステルダム五輪以降のオリンピックから除外した。
この後1960年代末まで、アマチュアで一定成績を残した選手はその後「プロテニス選手」に転向し、当時は別個に実施されていたプロテニスツアーに参加するという形態が一般的になった。そのため、アマチュア選手のみが参加できる4大大会の権威が低下するなど、テニス界はアマチュアとプロフェッショナルのギャップに苦しむことになる。こうした状況が40年ほど続いた後、最終的に1968年から4大大会の「オープン化措置」が実施された。これは実質的なプロ解禁であり、以後テニスツアーに参加する選手はプロフェッショナルであることが一般的になった。同じ1968年のメキシコシティオリンピックでは公開競技としてテニス競技が実施されたが、この時点でIOCはアマチュア憲章を放棄していなかった。
こうして完全にプロフェッショナルの存在を認めたテニスがオリンピック競技として復活するためには、IOCが「プロテニス選手」の参加を認める必要があった。1980年にIOC会長に就任したフアン・アントニオ・サマランチは、オリンピック改革として「アマチュア憲章の放棄」と「プロフェッショナルの解禁」を掲げた。これによって、1980年代から複数の競技でプロフェッショナルの参加が認められるようになった。テニスも例外ではなく、1988年のソウル五輪からトッププレーヤーが参加できるトーナメントとして復活を果たした。
大会の位置づけ [編集]
オリンピックのテニストーナメントをどのように位置づけするかは決して簡単な問題ではない。オリンピック自体の権威や大会の男女シングルス・ダブルスのトーナメントというシステムを勘案すると、比較対象になるのは4大大会だが、オープントーナメントの4大大会と比較するとフォーマットがかなり異なるため、単純な比較は難しい。
オリンピックのトーナメントでユニークな点としては、以下のような点が挙げられる。
- 国ごとにエントリー数の制限が存在する。
- 3位決定戦(銅メダル決定戦)が存在する。
- ダブルスは同国の選手としか組めない。
ただし4年に1度のオリンピックを制することは極めて難しい。4大大会のキャリア・グランドスラムとオリンピックの金メダルを合わせて獲得することを「ゴールデンスラム」(Golden Slam)と呼ぶが、これは1988年にシュテフィ・グラフが女子テニス史上3人目の「年間グランドスラム」を達成した後、同時にソウル五輪の金メダルを獲得したことから造られた新語である。1年のうちに「ゴールデンスラム」を達成した選手は、今なおグラフ1人だけである。キャリアでゴールデンスラムを達成した選手は、以下の通りである。
- 男子シングルス:アンドレ・アガシ(アメリカ) 1992年ウィンブルドン → 1994年全米オープン → 1995年全豪オープン → 1999年全仏オープン/オリンピック:1996年アトランタ五輪
- 男子シングルス:ラファエル・ナダル(スペイン) 2005年全仏オープン→2008年ウィンブルドン→2009年全豪オープン→2010年全米オープン/オリンピック:2008年北京五輪
- 男子ダブルス:マーク・ウッドフォード&トッド・ウッドブリッジ(オーストラリア) 1992年全豪オープン → 1993年ウィンブルドン → 1995年全米オープン → 2000年全仏オープン/オリンピック:1996年アトランタ五輪
- 女子ダブルス:ビーナス・ウィリアムズ&セリーナ・ウィリアムズ(アメリカ) 1999年全仏オープン → 1999年全米オープン → 2000年ウィンブルドン → 2001年全豪オープン/オリンピック:2000年シドニー五輪
ウィリアムズ姉妹は同一ペアであるが、女子ダブルスでジジ・フェルナンデス(アメリカ代表)が、異なるパートナーによってゴールデンスラムを達成している。G・フェルナンデスは4大大会ではナターシャ・ズベレワ(ベラルーシ)と組んでキャリア4冠を獲得したが、オリンピックでは同国選手と組む制約のため、メアリー・ジョー・フェルナンデスとペアを組んだ。
歴史 [編集]
アテネオリンピックでの始まり [編集]
1896年、ピエール・ド・クーベルタンの提唱により、第1回近代オリンピックがギリシャ・アテネで開催された。最初は男子シングルスと男子ダブルス2部門のみで始まり、ジョン・ピウス・ボーランド(アイルランド、1870年 - 1955年)が第1回オリンピックの男子シングルス金メダルを獲得した。第1回大会の男子ダブルスは、ボーランドとフリードリヒ・トラウン(ドイツ、1876年 - 1908年)のペアが金メダルを獲得する。最初期のオリンピックは、国単位ではなく個人でエントリーしていたため、ダブルスでは(ボーランド&トラウン組のような)違う国の選手がペアを組む「混合チーム」(Mixed Team, オリンピックの略語では ZZX と表示)も存在した。
第2回近代オリンピックにあたる1900年パリオリンピックでは、男子シングルス・男子ダブルスに加えて、女子シングルスと混合ダブルスの2部門が新たに始まった。女性のオリンピック参加が認められたのは、この1900年パリ五輪からである。第1回の女子シングルス競技は、シャーロット・クーパー(イングランド、1870年 - 1966年)が最初の金メダルを獲得した。クーパーは混合ダブルスでも金メダルを獲得し、近代オリンピックにおける女子テニス競技金メダルの第1号選手になった。この大会でも、男子ダブルスと混合ダブルスには「混合チーム」が存在した。
初期のオリンピックテニス競技は、実施競技も大会ごとに異なっていた。1908年ロンドンオリンピックと1912年ストックホルムオリンピックにおいては、通常の屋外テニス競技に加えて「室内競技」(Indoor Courts)が別個に実施され、それぞれの競技でメダルが授与された。屋外競技と室内競技の実施は、この2大会だけである。
アントワープオリンピック [編集]
1920年のアントワープオリンピックは、日本の代表選手がオリンピックのテニス競技に初参加した大会である。このアントワープ五輪において、熊谷一弥(1890年 - 1968年)が男子シングルス銀メダル、熊谷と柏尾誠一郎(1892年 - 1962年)のペアが男子ダブルスの銀メダルを獲得した。これは日本人のスポーツ選手が獲得した最初のオリンピック・メダルである。
このアントワープオリンピックは、初めて「女子ダブルス」競技が実施された大会でもある。初めての女子ダブルス競技は、イギリスペアのキティ・マッケイン(1896年 - 1992年)とウィニフレッド・マクネアー(1877年 - 1954年)が最初の金メダルを獲得した。
テニス競技の中断 [編集]
テニス競技は1924年のパリオリンピックまで実施されてきたが、1926年に世界初の「プロテニス選手」が登場した。オリンピックメダルを獲得した選手では、スザンヌ・ランラン(アントワープ大会女子シングルス・混合ダブルス金メダル)やビンセント・リチャーズ(1924年パリ大会男子シングルス・男子ダブルス金メダル)がプロテニス選手に転向する。そのため、1928年アムステルダムオリンピックでテニスは五輪競技から除外されることが決定した。
公開競技 [編集]
この中断期間の間に、非公式の「公開競技」が1968年メキシコシティオリンピックと1984年ロサンゼルスオリンピックで実施されたことがある。メキシコ五輪では「公開競技」(Demonstration)と「エキシビション」(Exhibition)に分かれて、男女シングルス・男女ダブルス・混合ダブルスの5部門がそれぞれ実施された。[1] 非公式のイベントであったことから、男女・混合ダブルスには違う国の選手たちによるペアもある。このメキシコ大会に出場した著名な選手たちには、地元メキシコ人選手のラファエル・オスナをはじめ、マニュエル・サンタナ、マニュエル・オランテス(ともにスペイン)、ピエール・ダーモン(フランス)、ニコラ・ピエトランジェリ(イタリア)、ヘルガ・ニーセン(西ドイツ)、ジュリー・ヘルドマン(アメリカ)などがいた。
1984年のロサンゼルスオリンピックでは、「公開競技」(Demonstration)が男女シングルス2部門のみで実施された。この公開競技では、オリンピック史上初めてプロ選手の出場を認めたが、「21歳以下の選手」という年齢制限があった。優勝した選手は男女ともプロで、男子シングルスはステファン・エドベリ(スウェーデン、当時18歳)、女子シングルスはシュテフィ・グラフ(西ドイツ、当時15歳)であった。
ソウルオリンピックでの復活 [編集]
1988年のソウルオリンピックから、プロテニス選手の出場を認める形で、1924年パリオリンピック以来64年ぶりにテニス競技の復活が決定した。この決定は「オリンピックはアマチュア・スポーツ選手の祭典である」という基本理念を覆すものであったため、当時は大きな波紋を呼んだ。男子のATPツアー大会や女子のWTAツアー大会とは異なり、賞金が出されないため、各選手によってオリンピック出場への姿勢は大きく異なっている。64年ぶりに復活したソウル五輪では、男女シングルス・男女ダブルスの4部門が実施され、混合ダブルスは復活しなかった。ソウルオリンピックで「復活金メダル」を獲得した選手は、男子シングルスはミロスラフ・メチージュ(当時チェコスロバキア)、女子シングルスはシュテフィ・グラフ(当時西ドイツ)であった。
1991年の女子テニス国別対抗戦・フェデレーションカップにおいて、一部の女子トップ選手がフェデレーション杯への出場を辞退した。この出来事がきっかけで、オリンピック代表選手に「デビスカップ(男子団体戦)/フェドカップ(女子団体戦)の代表選手であること」が必須条件として定められた。
各大会ごとの実施競技 [編集]
| 実施競技 | 1896 | 1900 | 1904 | 1906 | 1908 | 1912 | 1920 | 1924 | 1968 | 1984 | 1988 | 1992 | 1996 | 2000 | 2004 | 2008 | 2012 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 男子シングルス | ● | ● | ● | ● | •• | •• | ● | ● | •• | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● |
| 男子ダブルス | ● | ● | ● | ● | •• | •• | ● | ● | •• | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | |
| 女子シングルス | ● | ● | •• | •• | ● | ● | •• | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ||
| 女子ダブルス | ● | ● | •• | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | |||||||
| 混合ダブルス | ● | ● | •• | ● | ● | •• | ● | ||||||||||
| 実施競技合計 | 2 | 4 | 2 | 4 | 6 | 8 | 5 | 5 | 10 | 2 | 4 | 4 | 4 | 4 | 4 | 4 | 5 |
- 注1:本表の実施競技一覧は、公式記録から削除された1906年の中間五輪と、1968年・1984年の非公式競技を含む。
- 注2:1908年と1912年は、「屋外競技」と「室内競技」がそれぞれ別個に実施された。
- 注3:1968年メキシコ大会の非公式競技では、「公開競技」と「エキシビション」が別個に実施された。
銅メダル決定戦 [編集]
| 銅メダル決定戦 | 1896 | 1900 | 1904 | 1908 | 1912 | 1920 | 1924 | 1988 | 1992 | 1996 | 2000 | 2004 | 2008 | 2012 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 実施有無 | 単/無 複/有 |
無 | 無 | 有 | 有 | 有 | 有 | 無 | 無 | 有 | 有 | 有 | 有 | 有 |
- 注:銅メダル決定戦の一覧については、公式競技のみを記載した。
国・地域別メダル受賞数一覧 [編集]
1896年-1924年 [編集]
| 順位 | 国・地域 | 金 | 銀 | 銅 | 計 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 15 | 12 | 12 | 39 | |
| 2 | 7 | 3 | 5 | 15 | |
| 3 | 5 | 4 | 6 | 15 | |
| 4 | 3 | 1 | 1 | 5 | |
| 5 | 1 | 3 | 3 | 7 | |
| 6 | 1 | 2 | 1 | 4 | |
| 7 | 0 | 2 | 3 | 5 | |
| 8 | 0 | 2 | 0 | 2 | |
| 9 | 0 | 1 | 1 | 2 | |
| 10 | 0 | 1 | 0 | 1 | |
| 0 | 1 | 0 | 1 | ||
| 12 | 0 | 0 | 1 | 1 | |
| 0 | 0 | 1 | 1 | ||
| 0 | 0 | 1 | 1 | ||
| 0 | 0 | 1 | 1 | ||
| 0 | 0 | 1 | 1 | ||
| 0 | 0 | 1 | 1 | ||
| 0 | 0 | 1 | 1 |
1988年以後 [編集]
| 順位 | 国・地域 | 金 | 銀 | 銅 | 計 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 13 | 2 | 7 | 21 | |
| 2 | 2 | 3 | 2 | 7 | |
| 3 | 2 | 1 | 1 | 4 | |
| 4 | 2 | 1 | 0 | 3 | |
| 5 | 1 | 7 | 3 | 11 | |
| 6 | 1 | 3 | 1 | 5 | |
| 7 | 1 | 2 | 0 | 3 | |
| 8 | 1 | 1 | 3 | 5 | |
| 9 | 1 | 1 | 1 | 3 | |
| 10 | 1 | 0 | 1 | 2 | |
| 1 | 0 | 1 | 2 | ||
| 1 | 0 | 1 | 2 | ||
| 1 | 0 | 1 | 2 | ||
| 14 | 1 | 0 | 0 | 1 | |
| 15 | 0 | 2 | 2 | 4 | |
| 16 | 0 | 2 | 1 | 3 | |
| 17 | 0 | 1 | 3 | 4 | |
| 18 | 0 | 1 | 2 | 3 | |
| 19 | 0 | 1 | 0 | 1 | |
| 0 | 1 | 0 | 1 | ||
| 21 | 0 | 0 | 3 | 3 | |
| 22 | 0 | 0 | 2 | 2 | |
| 23 | 0 | 0 | 1 | 1 | |
| 0 | 0 | 1 | 1 | ||
| 0 | 0 | 1 | 1 |
総計 [編集]
| 順位 | 国・地域 | 金 | 銀 | 銅 | 計 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 20 | 5 | 11 | 36 | |
| 2 | 16 | 14 | 12 | 42 | |
| 3 | 5 | 6 | 8 | 19 | |
| 4 | 3 | 2 | 1 | 6 | |
| 5 | 2 | 5 | 2 | 9 | |
| 6 | 2 | 3 | 2 | 7 | |
| 7 | 2 | 1 | 1 | 4 | |
| 8 | 2 | 1 | 0 | 3 | |
| 9 | 1 | 7 | 3 | 11 | |
| 10 | 1 | 3 | 3 | 7 | |
| 11 | 1 | 1 | 3 | 5 | |
| 12 | 1 | 1 | 2 | 4 | |
| 13 | 1 | 0 | 1 | 2 | |
| 1 | 0 | 1 | 2 | ||
| 1 | 0 | 1 | 2 | ||
| 1 | 0 | 1 | 2 | ||
| 17 | 1 | 0 | 0 | 1 | |
| 18 | 0 | 3 | 5 | 8 | |
| 19 | 0 | 2 | 1 | 3 | |
| 20 | 0 | 2 | 0 | 2 | |
| 21 | 0 | 1 | 3 | 4 | |
| 22 | 0 | 1 | 1 | 2 | |
| 0 | 1 | 1 | 2 | ||
| 24 | 0 | 1 | 0 | 1 | |
| 0 | 1 | 0 | 1 | ||
| 26 | 0 | 0 | 3 | 3 | |
| 27 | 0 | 0 | 2 | 2 | |
| 28 | 0 | 0 | 1 | 1 | |
| 0 | 0 | 1 | 1 | ||
| 0 | 0 | 1 | 1 | ||
| 0 | 0 | 1 | 1 | ||
| 0 | 0 | 1 | 1 | ||
| 0 | 0 | 1 | 1 | ||
| 0 | 0 | 1 | 1 | ||
| 0 | 0 | 1 | 1 | ||
| 計 | 61 | 61 | 76 | 198 | |
- 注:英語版ウィキペディアのように、国のランキングを「金メダル獲得数」にしたがって並べた一覧。
脚注 [編集]
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
- アテネオリンピックテニス・メディアガイド (英語、全146ページのPDFファイル)
- ITFオリンピックテニス (英語)
- 日本オリンピック委員会 - テニス
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