ドイツグランプリ

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German Grand Prix
ホッケンハイムリンク
レース情報
周回 67
コース長 4.574[1] km (2.842 mi)
レース長 306.442 km (190.414 mi)
開催回数 75
初回 1926年
最多勝利
(ドライバー)
ドイツの旗[2] ルドルフ・カラツィオラ (6)
最多勝利
(コンストラクター)
イタリアの旗 フェラーリ (22)
最新開催(2014年):
ポールポジション ドイツの旗 ニコ・ロズベルグ
メルセデス
1:29.398
決勝順位 1. ドイツの旗 ロズベルグ
メルセデス
1:33:42.914
2. フィンランドの旗 ボッタス
ウィリアムズ-メルセデス
+20.7s
3. イギリスの旗 ハミルトン
メルセデス
+22.5s
ファステストラップ イギリスの旗 ハミルトン
メルセデス
1:19.908

ドイツグランプリ(ドイツGP, : German Grand Prix, : Grosser Preis von Deutschland)は、ドイツ1926年以降断続的に行われている自動車レース1951年以降はF1世界選手権の1戦となっている。

東西ドイツ統合以前に開催されたレースについては西ドイツグランプリと呼ばれることもある。また、ドイツ国内で行われたドイツグランプリ以外の名称をもつF1レースも本項目で記述する。

概要

ホッケンハイムリンク(灰色は2001年までの旧コース)
ニュルブルクリンクGPコース

1926年にアヴスで初開催。1920年にオープンしたサーキットで、左ヘアピンカーブと、緩い右カーブの直後に設置された43度左バンクカーブを、それぞれ4km近いストレートで結んだだけという超高速レイアウトである。全長も8.300kmと非常に長く、ヨーロッパには珍しい左回りのサーキットである。

1927年からは新設されたニュルブルクリンク北コース(ノルドシュライフェ)に舞台を移し、アヴスで開催された1959年と、ホッケンハイムで開催された1970年以外は全てニュルブルクリンクで開催されていた。「グリーン・ヘル」と呼ばれる山間部の難コースでは幾多の名レースが生まれたが、1976年ニキ・ラウダが瀕死の怪我を負う大クラッシュを起こしたため、翌1977年よりホッケンハイムにて開催されるようになった。1985年には前年ヨーロッパグランプリで使用されたニュルブリクリンク南コースにて開催されたが、これ以降2006年まで毎年ホッケンハイムで開催された。

このホッケンハイムは超高速サーキットとしてF1を開催するようになったが、抜きどころがなくあまりにも退屈なレイアウトでありスピードが出すぎるため、1982年に3個のシケインが設置された。それでも依然として高速サーキットとしての特色は失われず、1990年頃にはドイツグランプリの直前に開催されるフランスポール・リカール)、イギリスシルバーストーン)と高速サーキットのレースが続く夏場のラウンドを形成した。フジテレビでF1中継の実況担当であった古舘伊知郎はこれらを「夏の高速サーキット3連戦」と呼んでいた。

しかしこのホッケンハイムも1990年代後半に入ると、速度抑制と安全性確保の観点からシケインが増設・改修され始め、高速サーキットとしての特色は徐々に失われ始めた。そして2002年からは、セパン上海などを設計したヘルマン・ティルケの設計により、スタジアム・セクション側を中心とした中低速サーキットに改修されている。

F1では長らくドイツ人のトップドライバーがいなかったこともあり、ドイツ人の勝者がいなかったが、1995年ベネトンルノーミハエル・シューマッハがドイツ人として初勝利をあげている[3]。シューマッハ兄弟やその他の地元ドライバー達の活躍により国内での関心度が高まり、観客動員数も増加した。

2007年からはニュルブルクリンクとホッケンハイムの隔年開催となり、当初、2007年のドイツでの開催は「ドイツGP」の名が冠される予定であったが、その後「ヨーロッパGP」へと名称が変更された。これはホッケンハイム側が「ドイツGP」の開催権を保有していたるためである。よって記録上、1960年以来47年振りにF1の「ドイツGP」が開催されない年となった。なお、この問題は後に解決し、2009年のニュルブルクリンクではドイツGPの名で開催された。

2015年は本来ならばニュルブルクリンクで開催される年であったが、同サーキットの財政難のため交渉不成立、ホッケンハイムも開催を断念[4]したため、中止となった[5]。ドイツ国内でF1が開催されないのは1960年以来となる。

ドイツグランプリ以外のF1レース

ドイツ国内で実施されながら、別の名称が付与されたレースがある。1国で年内に2回の開催を行ったが、1国1開催の原則等の理由で別の名称を用いた。

ヨーロッパGP(ニュルブルクリンク)
レースイベントとしての初開催は1984年。最初は主に当初予定のレースが何らかの理由によって開催されなくなった場合の代替として設けられた。その後1993年からヨーロッパグランプリは1998年を除き継続的に行われているが、1999年から2007年は連続してニュルブリクリンクで開催された。
ルクセンブルクGP(ニュルブルクリンク)
1997年に開催、この年はヨーロッパGPがスペインのヘレスで実施される事となった為に、隣国であるルクセンブルクの名義で実施。1998年も引き続き開催。

主な出来事

  • 1935年 - ナチス・ドイツの威信を背負ったメルセデスアウトウニオンの強力なGPカーに対して、アルファロメオタツィオ・ヌヴォラーリがマシンの性能差を克服して優勝。
  • 1953年 - 当時の日本の皇太子で、自動車運転の愛好家としても知られる明仁親王が欧州外遊の途中で観戦に訪問。優勝者のジュゼッペ・ファリーナフェラーリ)の勝利を称え、表彰式で握手を交した。成績で表彰されたことを考慮しないで言えば、これが「初めてF1の表彰台に上がった日本人」という記録になる。またこの観戦の際に、「競馬より面白い」と発言している。
  • 1957年 - ピット作業で遅れたファン・マヌエル・ファンジオが猛烈な追い上げを行い、最終盤にフェラーリ勢を逆転して優勝した。この名ドライブがF1での最後の勝利となった。
  • 1959年 - アヴス開催で優勝したトニー・ブルックスはレース平均速度230.686km/hを記録し、当時の最高速記録を更新した。この記録が破られたのは8年後の1967年ベルギーグランプリであるが、エンジンの規定排気量が2割も大きくなったあとであり、驚嘆すべきことである。
  • 1967年 - F1とF2の混走が認められていた当時、ジャッキー・イクスマトラのF2マシンで総合3位の予選タイムを記録して脚光を浴びた。
  • 1968年 - 霧と雨に包まれたニュルブルクリンクで優勝したジャッキー・スチュワートは、2位のマシンに対して4分以上の大差をつけた[6]
  • 1976年 - 2年連続チャンピオンを目指していたフェラーリニキ・ラウダがクラッシュし、マシンが炎上。頭部の火傷と煙を吸った呼吸器系のダメージにより、一時生死の淵をさまよった。
  • 1982年 - 雨天のフリー走行中、フェラーリのディディエ・ピローニアラン・プロストのマシンに追突。脚に深刻な怪我を負い、4輪レーサーとしてキャリアを絶たれた。決勝ではトップ走行中のネルソン・ピケが周回遅れのエリセオ・サラザールと接触してリタイアし、激昂したピケはサラザールにパンチを見舞った。
  • 1994年 - ゲルハルト・ベルガーがポール・トゥ・ウィンで優勝し、フェラーリに4年ぶりの勝利をもたらした。片山右京は予選5位からスタートし、リタイアするまで3位を走行した。また、ベネトンのピットで給油作業中に火災事故が発生し、ヨス・フェルスタッペンのマシンが炎に包まれた。
  • 1997年 - ベネトンのベルガーが再びポール・トゥ・ウィンを達成し、現役最後の優勝を果たした。のちにルノーに買収されるベネトンにとっても最後の勝利となった。
  • 2000年 - レース中にメルセデスを解雇された元従業員がコースに侵入。さらに通り雨が降るなど混乱したレースをルーベンス・バリチェロが制し、当時の最も遅いF1初優勝記録を作った。
  • 2001年 - ウィリアムズラルフ・シューマッハが優勝し、兄ミハエルと共に兄弟での母国GP制覇という快挙を達成。
  • 2009年 - レッドブルマーク・ウェバーが初優勝し、バリチェロの最も遅い初優勝記録を抜く(132戦目)。
  • 2010年 - ワンツーフィニッシュしたフェラーリにおいて、フェリペ・マッサフェルナンド・アロンソに勝利を譲ったというチームオーダー騒動が発生し、フェラーリは罰金を科せられた。
  • 2013年 - ピット作業ミスによりレッドブルのウェバーのマシンから右後輪タイヤが外れカメラクルーを直撃。命に別状はなかったものの、肋骨2本と鎖骨を骨折するなどの重傷を負った。これによりレッドブルは罰金を科せられた[7]

過去の結果と開催サーキット

決勝日 ラウンド サーキット 勝者 所属チーム 結果
1951 7月29日 6 ニュルブルクリンク イタリアの旗アルベルト・アスカーリ フェラーリ 詳細
1952 8月3日 6 ニュルブルクリンク イタリアの旗アルベルト・アスカーリ フェラーリ 詳細
1953 8月2日 7 ニュルブルクリンク イタリアの旗ジュゼッペ・ファリーナ フェラーリ 詳細
1954 8月1日 6 ニュルブルクリンク アルゼンチンの旗ファン・マヌエル・ファンジオ メルセデス 詳細
1956 8月5日 7 ニュルブルクリンク アルゼンチンの旗ファン・マヌエル・ファンジオ フェラーリ 詳細
1957 8月4日 6 ニュルブルクリンク アルゼンチンの旗ファン・マヌエル・ファンジオ マセラティ 詳細
1958 8月3日 8 ニュルブルクリンク イギリスの旗トニー・ブルックス ヴァンウォール 詳細
1959 8月2日 6 アヴス イギリスの旗トニー・ブルックス フェラーリ 詳細
1961 8月6日 6 ニュルブルクリンク イギリスの旗スターリング・モス ロータス 詳細
1962 8月5日 6 ニュルブルクリンク イギリスの旗グラハム・ヒル BRM 詳細
1963 8月4日 6 ニュルブルクリンク イギリスの旗ジョン・サーティース フェラーリ 詳細
1964 8月2日 6 ニュルブルクリンク イギリスの旗ジョン・サーティース フェラーリ 詳細
1965 8月1日 7 ニュルブルクリンク イギリスの旗ジム・クラーク ロータス 詳細
1966 8月7日 6 ニュルブルクリンク オーストラリアの旗ジャック・ブラバム ブラバム 詳細
1967 8月6日 7 ニュルブルクリンク ニュージーランドの旗デニス・ハルム ブラバム 詳細
1968 8月4日 8 ニュルブルクリンク イギリスの旗ジャッキー・スチュワート マトラ 詳細
1969 8月3日 7 ニュルブルクリンク ベルギーの旗ジャッキー・イクス ブラバム 詳細
1970 8月2日 8 ホッケンハイム オーストリアの旗ヨッヘン・リント ロータス 詳細
1971 8月1日 7 ニュルブルクリンク イギリスの旗ジャッキー・スチュワート ティレル 詳細
1972 7月30日 8 ニュルブルクリンク ベルギーの旗ジャッキー・イクス フェラーリ 詳細
1973 8月5日 11 ニュルブルクリンク イギリスの旗ジャッキー・スチュワート ティレル 詳細
1974 8月4日 11 ニュルブルクリンク スイスの旗クレイ・レガツォーニ フェラーリ 詳細
1975 8月3日 11 ニュルブルクリンク アルゼンチンの旗カルロス・ロイテマン ブラバム 詳細
1976 8月1日 10 ニュルブルクリンク イギリスの旗ジェームス・ハント マクラーレン 詳細
1977 7月31日 11 ホッケンハイム オーストリアの旗ニキ・ラウダ フェラーリ 詳細
1978 7月30日 11 ホッケンハイム アメリカ合衆国の旗マリオ・アンドレッティ ロータス 詳細
1979 7月29日 10 ホッケンハイム オーストラリアの旗アラン・ジョーンズ ウィリアムズ 詳細
1980 8月10日 9 ホッケンハイム フランスの旗ジャック・ラフィー リジェ 詳細
1981 8月2日 10 ホッケンハイム ブラジルの旗ネルソン・ピケ ブラバム 詳細
1982 8月8日 11 ホッケンハイム フランスの旗パトリック・タンベイ フェラーリ 詳細
1983 8月7日 10 ホッケンハイム フランスの旗ルネ・アルヌー フェラーリ 詳細
1984 8月5日 11 ホッケンハイム フランスの旗アラン・プロスト マクラーレン 詳細
1985 8月4日 9 ニュルブルクリンク イタリアの旗ミケーレ・アルボレート フェラーリ 詳細
1986 7月27日 10 ホッケンハイム ブラジルの旗ネルソン・ピケ ウィリアムズ 詳細
1987 7月26日 8 ホッケンハイム ブラジルの旗ネルソン・ピケ ウィリアムズ 詳細
1988 7月24日 9 ホッケンハイム ブラジルの旗アイルトン・セナ マクラーレン 詳細
1989 7月30日 9 ホッケンハイム ブラジルの旗アイルトン・セナ マクラーレン 詳細
1990 7月29日 9 ホッケンハイム ブラジルの旗アイルトン・セナ マクラーレン 詳細
1991 7月28日 9 ホッケンハイム イギリスの旗ナイジェル・マンセル ウィリアムズ 詳細
1992 7月26日 10 ホッケンハイム イギリスの旗ナイジェル・マンセル ウィリアムズ 詳細
1993 7月25日 10 ホッケンハイム フランスの旗アラン・プロスト ウィリアムズ 詳細
1994 7月31日 9 ホッケンハイム オーストリアの旗ゲルハルト・ベルガー フェラーリ 詳細
1995 7月30日 9 ホッケンハイム ドイツの旗ミハエル・シューマッハ ベネトン 詳細
1996 7月28日 11 ホッケンハイム イギリスの旗デイモン・ヒル ウィリアムズ 詳細
1997 7月27日 10 ホッケンハイム オーストリアの旗ゲルハルト・ベルガー ベネトン 詳細
1998 8月2日 11 ホッケンハイム フィンランドの旗ミカ・ハッキネン マクラーレン 詳細
1999 8月1日 10 ホッケンハイム イギリスの旗エディ・アーバイン フェラーリ 詳細
2000 7月30日 11 ホッケンハイム ブラジルの旗ルーベンス・バリチェロ フェラーリ 詳細
2001 7月29日 12 ホッケンハイム ドイツの旗ラルフ・シューマッハ ウィリアムズ 詳細
2002 7月28日 12 ホッケンハイム ドイツの旗ミハエル・シューマッハ フェラーリ 詳細
2003 8月3日 12 ホッケンハイム コロンビアの旗ファン・パブロ・モントーヤ ウィリアムズ 詳細
2004 7月25日 12 ホッケンハイム ドイツの旗ミハエル・シューマッハ フェラーリ 詳細
2005 7月24日 12 ホッケンハイム スペインの旗フェルナンド・アロンソ ルノー 詳細
2006 7月30日 12 ホッケンハイム ドイツの旗ミハエル・シューマッハ フェラーリ 詳細
2008 7月20日 10 ホッケンハイム イギリスの旗ルイス・ハミルトン マクラーレン 詳細
2009 7月12日 9 ニュルブルクリンク オーストラリアの旗マーク・ウェバー レッドブル 詳細
2010 7月25日 11 ホッケンハイム スペインの旗フェルナンド・アロンソ フェラーリ 詳細
2011 7月24日 10 ニュルブルクリンク イギリスの旗ルイス・ハミルトン マクラーレン 詳細
2012 7月22日 10 ホッケンハイム スペインの旗フェルナンド・アロンソ フェラーリ 詳細
2013 7月7日 9 ニュルブルクリンク ドイツの旗 セバスチャン・ベッテル レッドブル 詳細
2014 7月20日 10 ホッケンハイム ドイツの旗 ニコ・ロズベルグ メルセデス 詳細

脚注

  1. ^ Formula 1™ - The Official F1™ Website”. Formula1.com. 2012年11月7日閲覧。
  2. ^ Four of Caracciola's six wins were achieved under this flag.
  3. ^ 2013年現在、「ドイツGP」としてはミハエル・シューマッハが4勝、ラルフ・シューマッハが1勝を挙げ、ドイツ人で2人目のワールドチャンピオンとなったセバスチャン・ベッテルが2013年に、また翌2014年にはニコ・ロズベルグがそれぞれ念願の地元勝利を達成した。
  4. ^ ホッケンハイム、2015年のF1ドイツGP開催を断念”. F1-Gate.com (2015年3月18日). 2015年4月8日閲覧。
  5. ^ F1ドイツGP、2015年の中止が決定”. F1-Gate.com (2015年3月21日). 2015年4月8日閲覧。
  6. ^ "トップ10:ウエットレース". ESPN F1.(2010年12月8日)2013年6月27日閲覧。
  7. ^ タイヤ直撃のクルー、命に別条なしも複数の骨折 - オートスポーツweb(2013年7月8日)

関連項目

外部リンク