ウィリアムズ・FW12
カテゴリー | F1 | ||||||||
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コンストラクター | ウィリアムズ | ||||||||
デザイナー |
パトリック・ヘッド(テクニカルディレクター) エンリケ・スカラブローニ(チーフデザイナー) | ||||||||
先代 | ウィリアムズ・FW11B | ||||||||
後継 | ウィリアムズ・FW13 | ||||||||
主要諸元 | |||||||||
シャシー | カーボンファイバー ハニカム コンポジット モノコック | ||||||||
サスペンション(前) | ダブルウィッシュボーン, プルロッド | ||||||||
サスペンション(後) | ダブルウィッシュボーン, プルロッド | ||||||||
エンジン |
1988年: ミッドエンジン, 縦置き, 3496cc, ジャッド CV, 76度 V8, NA 1989年:ミッドエンジン, 縦置き, 3493cc, ルノー RS1, 67度 V10, NA | ||||||||
トランスミッション | ウィリアムズ製 6速 MT | ||||||||
燃料 |
1988年: モービル 1989年: エルフ | ||||||||
タイヤ | グッドイヤー | ||||||||
主要成績 | |||||||||
チーム | キヤノン ウィリアムズ・チーム | ||||||||
ドライバー |
5. ナイジェル・マンセル 5. マーティン・ブランドル 5. ジャン=ルイ・シュレッサー 5. ティエリー・ブーツェン 6. リカルド・パトレーゼ | ||||||||
コンストラクターズタイトル | 0 | ||||||||
ドライバーズタイトル | 0 | ||||||||
初戦 | 1988年ブラジルグランプリ | ||||||||
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ウィリアムズ・FW12 (Williams FW12) は、ウィリアムズが1988年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カー。アクティブサスペンション搭載を前提として、パトリック・ヘッドが設計した。1989年にはFW12Cを使用した。
FW12
1988年のウィリアムズは、ホンダ製ターボエンジンの供給を受けられなくなった。すでに1989年からターボエンジンが禁止されることが決定していたため、1年前倒しでジャッド製のV型8気筒3,500cc自然吸気 (NA) エンジンを搭載した。
アクティブサスペンションは1987年シーズン終盤戦に実戦投入し、イタリアGPでネルソン・ピケが優勝するなど結果を残していた。1987年から1988年にかけてのシーズンオフ、ジャン=ルイ・シュレッサーをテストドライバーとしてアクティブサスペンションを搭載したマシンのテストを行い[1]、これをドライブしたナイジェル・マンセル、リカルド・パトレーゼはアクティブサスペンションに対して良い評価を与えた[2]ため、FW12に搭載することになった。
しかしレースではアクティブサスペンションのトラブルが多発し[2]、第8戦イギリスGPの期間中にアクティブサスペンションは放棄された。ただし、フロントサスペンションは通常のコイルスプリングを収めるスペースが無かったため、金属ディスクを重ねたスプリングを採用した[3][1]。第15戦日本GPでは新シャシー(5号車)が投入された。この車両には通常のコイルスプリングを採用したフロントサスペンションがモノコック内に垂直に取り付けられ、同時にサスペンション形式がプッシュロッドからプルロッドに変更されるという大きな変更が加えられていた[4]。
ギアボックスはディフューザーのアップスウィープのデザインに干渉しないよう、横置きでリヤアクスルの前方に設置された。この手法は1990年代終わりまで流行することになる。
サイドポンツーンは上面にラジエター排熱口を設けた小型タイプだったが、慢性的なオーバーヒートに悩まされた。シーズン終盤は、側面に排熱口のある通常のタイプに変更された。
第9戦ドイツGPではロードラッグ仕様のエアロパッケージが投入された。リアウイングは下段フラップのみの小ささで、インダクションポッドをなくし、エンジンカバーにメッシュの吸気口を設けていた。この仕様は予選に出走しただけで、以後は使用されなかった。
FW12は、1号車から5号車までの5台が投入された。
1988年シーズン
開幕戦でマンセルが予選2位を獲得し幸先のよいスタートを切ったが、ジャッドエンジン関連のトラブルが多発し、極端に完走率が低かった。マンセルはウェットレースの地元イギリスGPと、ツイスティなヘレス・サーキットで行われたスペインGPで2位となったが、それ以外はすべてリタイアした。パトレーゼも苦戦したものの、終盤3戦連続入賞と健闘したものの、未勝利で終わってしまった。
マンセルはシーズン途中水疱瘡にかかって欠場し、ベルギーGPではマーティン・ブランドル、イタリアGPではジャン=ルイ・シュレッサーが代役として出走した。
スペック
シャーシ
- シャーシ名 FW12
- ホイールベース 2,743 mm
- 前トレッド 1,816 mm
- 後トレッド 1,674 mm
- クラッチ AP
- ブレーキキャリパー AP
- ブレーキディスク・パッド SEP
- ホイール フォンドメタル
- タイヤ グッドイヤー
- 車体重量 500kg
エンジン
記録(1988年)
年 | No. | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | ポイント | ランキング |
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BRA |
SMR |
MON |
MEX |
CAN |
DET |
FRA |
GBR |
GER |
HUN |
BEL |
ITA |
POR |
ESP |
JPN |
AUS | |||||
1988 | 5 | マンセル | Ret | Ret | Ret | Ret | Ret | Ret | Ret | 2 | Ret | Ret | Ret | 2 | Ret | Ret | 20 | 7位 | ||
ブランドル | 7 | |||||||||||||||||||
シュレッサー | 11 | |||||||||||||||||||
6 | パトレーゼ | Ret | 13 | 6 | Ret | Ret | Ret | Ret | 8 | Ret | 6 | Ret | 7 | Ret | 5 | 6 | 4 |
FW12C
前年のジャッドエンジンを使用していたチームは、1989年よりエンジンサプライヤーとして復帰したルノーとジョイントし、V型10気筒3500cc自然吸気エンジンを搭載した。自然吸気に一本化されたこの年、V10レイアウトを選択したのはマクラーレンが搭載するホンダエンジンとルノーエンジンのみだった。
後継のFW13が登場するまでのつなぎとして、開幕戦からFW12Cが投入された、しかし、FW13の開発が遅れたため、第12戦のイタリアGPまでFW12Cが使用された。第13戦でFW13が登場した後も第14戦のスペインGPまでスペアカーとして使われた。第14戦ではリカルド・パトレーゼがマイナートラブルの目立つFW13を嫌い、FW12Cで出走している。車両のベースは前年の鈴鹿に持ち込まれたもので、フロントサスペンションのダンパー/スプリングはモノコック内に垂直に収められていた[5]。
1989年シーズン
ルノーエンジンとのマッチングも良く、エンジンの信頼性はジャッドとは比較にならない程の戦闘力に高まり、序盤戦から堅実な成績を収めた。第6戦カナダGPではワンツーフィニッシュを果たし、ブーツェンがF1参戦95戦目で初優勝を達成した。パトレーゼは4戦連続表彰台に立ち、第10戦ハンガリーGPではポールポジションからリタイアするまでトップを快走した。
スペック
シャーシ
- シャーシ名 FW12C
- ホイールベース 2,997 mm
- 前トレッド 1,803 mm
- 後トレッド 1,674 mm
- クラッチ AP
- ブレーキキャリパー AP
- ブレーキディスク・パッド カーボンインダストリー
- ホイール フォンドメタル
- タイヤ グッドイヤー
- ダンパー ペンスキー・ウィリアムズF1
- 車体重量 500kg
エンジン
記録(1989年)
年 | No. | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | ポイント | ランキング |
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BRA |
SMR |
MON |
MEX |
USA |
CAN |
FRA |
GBR |
GER |
HUN |
BEL |
ITA |
POR |
ESP |
JPN |
AUS | |||||
1989 | 5 | ブーツェン | Ret | 4 | 10 | Ret | 6 | 1 | Ret | 10 | Ret | 3 | 4 | 3 | 77 | 2位 | ||||
6 | パトレーゼ | 15 | Ret | 15 | 2 | 2 | 2 | 3 | Ret | 4 | Ret | Ret | 4 | 5 |
脚注
- ^ a b 北村信康 編「19年目の真実/ジャン-ルイ・シュレッサー」『日本の名レース100選 044 '89 WSPC鈴鹿』三栄書房、2008年。ISBN 978-4-7796-0366-2。
- ^ a b アラン・ヘンリー 編『AUTOCOURSE F1グランプリ年鑑 1988-1989』バベル・インターナショナル・訳、CBSソニー出版、1989年、p.28頁。ISBN 4-7897-0422-X。
- ^ 『AUTOCOURSE F1グランプリ年鑑 1988-1989』、p.112頁。
- ^ 『AUTOCOURSE F1グランプリ年鑑 1988-1989』、p.170頁。
- ^ アラン・ヘンリー 編『F1グランプリ年鑑 1989-1990』バベル・インターナショナル・訳、CBSソニー出版、1990年、pp.27-28頁。ISBN 4-7897-0502-1。