富士宮やきそば

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富士宮やきそば(2008年10月)

富士宮やきそば(ふじのみややきそば)は、静岡県富士宮市で独自に成り立ったやきそばであり、ご当地グルメである。 ここでは、町おこしの起点として設立された「富士宮やきそば学会」における登録商標の「富士宮やきそば」について説明する。

目次

[編集] 概要

御当地人気料理特選に選ばれている。B級グルメの人気を決めるB-1グランプリにおいては第1回と第2回は第1位、第3回は特別賞となった。町おこしの成功例として取り上げられることもある。

富士宮やきそばは、通常のやきそばとは製法や使う食品が大きく異なる。普通の焼きそばとの違いは大きく3つの点が挙げられる。

  1. 麺のコシの強さ(麺が指定されている)
  2. 肉かすの使用
  3. 仕上げに削り粉をふりかける

富士宮やきそばに使われる蒸し麺は水分が少なく固い状態のため、調理の際に少量の水を加えることで調節し、調理を行う。なお、富士宮やきそばとして使われる麺は原則として3つの製麺業者の麺のみであり、富士宮市内の製麺業者であるマルモ食品工業、叶屋、曽我めんの麺が該当する。富士宮やきそばを売る店はお宮横丁など、富士宮市内に多く存在する。

いわゆる富士宮やきそばを販売した店としては、少なくとも1948年(昭和23年)には既に存在していたとされる。[1]以後、市内に留まらず、市外にも富士宮独自のやきそば文化は広がっている。近年はメディアへの露出などもあり、富士宮やきそばの指定麺や肉カス、削り粉などを用意し調理される例も多くなっている。

[編集] 調理方法

具を炒めた後に指定麺(蒸し麺)を入れ、すぐ少量の水を注ぎ、炒める。水分がなくなったところでやきそばソースを入れてかきまぜる。水の量は適度な量で調節しなければならず、ここで出来上がりに大きな違いが出る。店舗では鉄板で調理されるが、鉄板とフライパンとでは水の蒸発量が全くことなるため、水加減は鉄板とフライパンの調理では差別化する必要がある。具・トッピングは、肉かすラードを絞った後の豚の脂身)、キャベツ などであり、完成後にサバイワシ削り粉を振り掛けて食べるのが一般的とされる。店や家庭によっては、イカ、ひき肉、桜エビを入れるものも存在する。

[編集] 起源

[編集] 麺の歴史

富士宮やきそばに使用する麺の由来については、富士宮市の製麺会社でありこの麺の発明者ともいわれるマルモ食品工業の初代社長が次のように述べている。

「当時ガリオアエロア援助による小麦粉が出回り、粉食が奨励されているなか、台湾産のビーフンの食感を求めて麺を作り始め、婦人会等の多くの皆様のアドバイスを受け現在の原形が出来上がりました。」[1]

当時のマルモ食品工業望月晟敏(のち会長)は台湾ビーフンの再現を目指していたのだが、その背景には、他に以下のような事情が存在した。

富士宮市は富士山本宮浅間大社門前町であり、古くから富士講の霊場であった富士山への登山客や、寺社への参拝客が多く訪れていた。また富士宮には身延線の主要駅も存在し、静岡県と山梨県を結ぶ交通の要所でもあるため、太平洋戦争の前後には、山梨県から物資の調達に来る買い出し客や、物々交換で物資を求めて来る人たちもいた。こうした人々の中には、山梨にやきそばを持ち帰りたいという人がいたが、当時の保冷技術と交通手段は未発達であり、山梨に到着するまでには麺が傷んでしまうという難題があった。こうした課題を克服するため、麺作りに工夫がなされていったとされる。

[編集] 肉かすの使用

肉かすが使用されるようになった経緯として、富士宮市内に古くからある店舗、「さの萬」による影響があったと考えられている。「さの萬」の関係者はこう述べている。

「その頃天ぷらの天かすが使用されていましたが天かすの代わりに肉かすを使用する事により、更に美味しくなることを提案し、それが世間の評判を呼び、広く使われることとなりました。」[2]

このように、トッピングとしての形の変異から、肉かすが使用されるようになったと言える。

[編集] 戦後

富士宮市内では終戦直後から、お好み焼き店や鉄板を備えた駄菓子店が多く開店し、そこでは主に小麦粉(メリケン粉)の生地に刻みキャベツを入れ、ウスターソースで味付けした具無しのお好み焼きのような食べ物を「洋食」と称して安価で提供していた。やきそばもこれらの店で提供された。また当時の富士宮では製糸業が盛んで、信濃絹糸紡績株式会社(現在のシナノケンシ)をはじめ、複数の製糸工場が操業されていた。そこで働いていた女工たちが休日外食をする際には、こうした店が利用された。太平洋戦争当時富士・富士宮地方から招集された兵士たちはおおよそ満州に派遣されていたことから、戦後復員した元兵士たちにとっても炒麺に似たやきそばは受け入れやすい料理であった。

[編集] 「富士宮やきそば」としての出発

お宮横丁の入口にある富士宮やきそば学会
やきそばエクスプレス(東京駅にて)

富士宮市周辺から他地域に移住・出向した人たちが、その出先で富士宮やきそばとは異なるやきそばを食べた際に「まずくて食えたものではなかった」と口をそろえて言うことに着目し、1990年代後半に、町おこしでの方向性を考えることとなった。また独自調査の結果、富士宮市はやきそばの消費量が日本一であったことから、2000年に町おこしとして「富士宮やきそば学会」を立ち上げ、地元で食べられている焼きそばを「富士宮やきそば」として、PRキャンペーンを行った。

その後、富士宮やきそば学会を中心に既存の町おこし事業を行う団体がNPO化した法人「まちづくりトップランナーふじのみや本舗」が結成され、町おこしに成功した一例として、各地で講演活動を行っている。

2002年秋には、富士宮やきそばと同様に焼きうどんで町おこしを企画している北九州市の名店と勝負するというイベント「天下分け麺の戦い」が小倉城公園で行われ、この顛末はテレビを通じて全国に放映された。その他にも、同じくやきそばで町おこしをしている横手市太田市を招いてやきそばの食べ比べを行う「三者麺談」、全国の麺を集めた「やぶさ麺まつり」などを開催し、認知度を上げていった。

2004年、「富士宮やきそば」「富士宮やきそば学会」は、NPO法人まちづくりトップランナーふじのみや本舗が商標登録を行った。

2006年2月八戸市で開催されたB級グルメの祭典であるB-1グランプリの第1回イベントでは、初代王者に輝き、次回同大会の開催権を獲得した。このことにより、メディアによって多く紹介されるようになる。2007年2月13日には東洋水産からカップ麺として全国発売された。2008年7月現在、東京都内の一部でもこのカップ麺は継続販売されている。

富士宮駅東京駅を結ぶ高速バスの名称として、やきそばエクスプレスがある。

[編集] 関連商品

富士宮やきそばの麺は、市内のショッピングセンタースーパーの多くで販売されている。また、通信販売も行われている。

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ お宮横丁
  2. ^ フリトレー公式サイト内の新製品情報による。

[編集] 外部リンク

先代:
2005年
開催前につきなし

B-1グランプリ優勝メニュー
富士宮やきそば
(2006年(初代)・2007年)
次代:
2008年
厚木シロコロ・ホルモン