冷麺

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冷麺
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韓国の冷麺(混ぜ冷麺)
各種表記
ハングル 냉면 / 랭면
漢字 冷麺
平仮名
(日本語読み仮名)
れいめん
片仮名
(現地語読み仮名)
ネンミョン / レンミョン
ラテン文字転写: Naengmyeon / Raengmyeon
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冷麺(れいめん、ネンミョン / レンミョン)は、朝鮮半島の麺料理のひとつ。19世紀の書籍、『東国歳時記』の記録で最初に言及される。(「冷麺」という用語は19世紀の以前にも使われた)

主にムルレンミョン(スープ付き冷麺)と、ピピムネンミョン(スープ無し混ぜ冷麺)の2種類がある。ムルは「水」の意で、ネンミョンの冠にムルが付加されると韓国・朝鮮語特有の連音化(リエゾン)によりムルレンミョンという発音になる。ピビムとは「混ぜ」の意味で、ビビンバのビビン(ピビム)と同じ意味である。

蕎麦粉を主原料とし、つなぎとしてでんぷん小麦粉を入れて練り、穴の開いたシリンダー状の容器で麺状に押し出してそのまま熱湯に落としてゆで、ゆで上がった麺(ネンミョンサリという)をすぐに冷水で冷やす。

ムルレンミョンは金属製の専用器等に固く締めた麺を入れ、その上に具として、下味をつけた肉類・ゆで卵キムチ・錦糸卵・ナシなどを盛り付け、最後に鶏肉牛肉でとったスープと水キムチの汁を合わせた透明な冷たいスープ(ユッス)をかけて供される。

ピピムネンミョンは辛味味噌のコチュジャンで麺を和え、肉類、ゆで卵、きゅうりの千切り等を形良く盛り付けて供される。

平壌冷麺(玉流館)
平壌冷麺(玉流館)

ともにルーツは現在の北朝鮮にあり、首都の平壌と、日本海に面した咸興(ハムフン)が冷麺の本場として知られる。日本、韓国では長い間、「平壌冷麺=ムルレンミョン」、「咸興冷麺=ピピムネンミョン」とされてきた。しかし、韓国で脱北者が開いた北朝鮮料理チェーン店によれば、平壌冷麺はそば粉を加えた、太くて黒っぽく、噛み切りやすい麺であり、咸興冷麺はジャガイモ等のデンプンを使用した、細くて白っぽく、噛み切りにくい麺であるという。しかし、実際には、平壌冷麺にも白っぽく細い麺の店もあり、咸興冷麺にもそば粉入りの黒っぽい太い麺で出す店もある。麺の太さは押し出し機が機械になってから徐々に細くなり、昔の木製の人力押し出し機の時代は全体的に太い麺だったという。実際の冷麺の種類は多種多様で、しかも現在は北朝鮮の冷麺事情がよくわからないので、安易な分類は避けた方が賢明と思われる。だたし、咸興冷麺はコシが強く、かみきれないほどだという点はどの資料でも一致する。

韓国・朝鮮料理ではよく用いられる金属の器にうずたかく盛られた彩り良い具材が美しいが、麺は長いままきつく締めて出されることが多いため調理用鋏で適度な長さに麺を切り、好みによりキムチや調味料などを加え、全体が均一になるまで混ぜてから食べる。 なお、朝鮮半島の食文化においては、一般に食器を手に持って食べることが非常に下品なこととされ禁忌とされているが、ムルレンミョンに限ってはスープを飲む際に手に持って器から口にスープをすすっても良しとする韓国人も少なからず存在する。

本来は寒いに暖かい(温度調節がこまめに出来ないのでやや熱くなる)オンドル部屋の中で食べる料理であったといわれる。韓国では大衆食堂においてはの間しか出さないが、冷麺専門店では冬にも出している。

韓国では地方により、ドングリ(トトリ)の粉を練りこんだトトリ冷麺があるほか、最近では緑茶薬草など、さまざまな材料を練りこんだ冷麺を出す店もある。

日本では焼肉屋のメニューになっていることが多く、また岩手県盛岡市の名物(後述の「盛岡冷麺」を参照)にもなっている。

東日本で単に「冷麺」と言った場合には、主にこの韓国風冷麺を指すことが多いが、西日本、特に関西地方では冷やし中華のことをさして冷麺と呼ぶことが多いため、それと区別するために「韓国冷麺」「平壌冷麺」などと表記されていることも多い。

[編集] 盛岡冷麺

盛岡冷麺
盛岡冷麺

冷麺のルーツである朝鮮半島北部(現・北朝鮮)の咸興生まれの青木輝人が、1954年(昭和29年)5月に盛岡市で「食道園」を開業し、店で出したのが最初である。料理人としてのプロの技術を持たなかった青木は、自分が子供のころに食べた咸興の冷麺を独力で再現しようとしたという。

咸興の冷麺はスープのないピビム冷麺が有名だが、咸興冷麺にもスープつきのものもあったといい、青木は自分が好きだったスープつきの咸興冷麺を自分の店で出した。咸興独特のかみきれないほどコシの強い麺は当初、盛岡の人には不評で「ゴムを食べているようだ」などと言われ、当時は辛いキムチも日本では一般的ではなかったこともあり、まったく受け入れられなかった。また青木によると、咸興の冷麺はソバ粉入りの灰色の麺だったといい、初期は店でもソバ粉入りの麺を出していた。この灰色の麺は青木自身にもおいしそうに見えなかったため、青木はかつてフロア責任者として働いた東京の朝鮮料理店で見た白っぽい麺を参考にソバ粉を抜き、麺を白く変える。だが、ジャガイモでんぷんを使ったコシの強い麺や、辛いキムチのトッピング、牛骨ダシ中心の濃厚なスープという「故郷の味の3要素」は、頑固に守り続けた。やがて、盛岡の新しいもの好きな若者たちの間でそのユニークさが「一度食べたらあとを引く」と評判になり、店には常連客があふれるようになった。冷麺が客に媚びたのではなく、客の方が冷麺に惹かれ、そのとりこになったのだ。ここに、「盛岡冷麺」の基本形が完成したといわれる。

ただし、青木は「盛岡冷麺」とは名乗らず、また「咸興冷麺」でもなく、「平譲冷麺」という看板を掲げ続けた。商売っ気のある青木は「咸興の冷麺より、平壌の方が有名だからそうした」と生前、いたずらっぽく語っていたという。


「盛岡冷麺」の名称を、店で使い始めたのは、1987年(昭和62年)に創業した「ぴょんぴょん舎」の経営者で在日2世の邊龍雄(ピョン・ヨンウン)である。それまで盛岡では、青木の店にならってどの店でも「平壌冷麺」と呼ばれていた。「盛岡冷麺」という名称は当初、在日のコミュニティーからは「故郷の味を安売りするもの」として猛反発を受けた。が、これを機に徐々に「盛岡冷麺」の名が市民に浸透し始め、全国的にも盛岡の名物として知られるようになる。邊をはじめ、青木を追って冷麺をつくり始めた店では、それぞれが独自の試行錯誤を繰り返し、盛岡冷麺の味は次第に日本人の味覚に合ったものに変化しつつある。

こうした「盛岡冷麺」誕生と浸透の経緯は、1993年に朝日新聞岩手版に小西正人記者によって連載された記事「冷麺物語 日本と朝鮮・韓国の間に横たわるもの」で初めて詳細に明らかにされた。連載記事は2007年に「盛岡冷麺物語」(リエゾンパブリッシング刊)として書籍化された。


盛岡冷麺の麺は、スパゲッティなどのパスタと同様に小麦粉、片栗粉などを用いた生地に強い力を加え、麺の太さに合わせた穴から押し出して作られる。この際、麺が高温になりアルファ化するために強いコシがもたらされる。この押し出し麺という製法は、盛岡冷麺には不可欠とされる。

2000年(平成12年)4月からは、さぬきうどん札幌ラーメン長崎チャンポンなどと同様に、公正取引委員会が「盛岡冷麺」の生麺に対して「特産」・「名産」表示を認め、盛岡冷麺は“本場”として認定された。

盛岡冷麺はわんこそば盛岡じゃじゃ麺と並んで「盛岡の三大麺」と称されている。

[編集] 外部リンク

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