建御名方神
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建御名方神(たけみなかたのかみ)は、日本神話に登場する神。『古事記』の葦原中国平定の段において、大国主の子として登場する。建御雷神、経津主神と共に日本三大軍神の一柱に数えられている[要出典]。『延喜式神名帳』などには南方刀美神の表記も見られる。
建御雷神が大国主に葦原中国の国譲りを迫ると、大国主は息子の事代主が答えると言った。事代主が承諾すると、大国主は次は建御名方神が答えると言った。建御名方神は建御雷神に力くらべを申し出、建御雷神の手を掴むとその手が氷や剣に変化した。これを恐れて逃げ出し、科野国の州羽の海まで追いつめられた。建御雷神が建御名方神を殺そうとしたとき、建御名方神は「もうこの地から出ないから殺さないでくれ」と言い、服従した。この建御雷神と建御名方神の力くらべが後に日本の国技となる相撲の起源となったと伝えられている。この神話は『古事記』にのみ残されており、『日本書紀』での葦原中国平定にあたる部分に彼の名は見えない。
『諏訪大明神絵詞』などに残された伝承では、建御名方神は諏訪地方の外から来訪した神であり、土着の洩矢神を降して諏訪の祭神になったとされている。このとき洩矢神は鉄輪を、建御名方神は藤蔓を持って闘ったとされ、これは製鉄技術の対決をあらわしているのではないか、という説がある[1]。
諏訪大社(長野県諏訪市)ほか全国の諏訪神社に祀られている。『梁塵秘抄』に「関より東の軍神、鹿島、香取、諏訪の宮」とあるように軍神として知られ、また農耕神、狩猟神として信仰されている。風の神ともされ、元寇の際には諏訪の神が神風を起こしたとする伝承もある。名前の「ミナカタ」は「水潟」の意であり元は水神であったと考えられる。ただし、宗像(むなかた)と関連があるとする説や、冶金の神であるとする説もある。
このように、建御名方神は不名誉な伝承に比べて様々な形で多くの信仰をうけている。これは、中臣鎌足の出身は鹿島であり、彼を祖とする藤原氏は建御雷神を氏神として篤く信仰していたため、藤原氏が氏神の建御雷神の武威を高めるために、建御名方神を貶めたという説もある。
出自について記紀神話での記述はないが、大国主と沼河比売(奴奈川姫)の間の子であるという伝承が各地に残る。妻は八坂刀売神とされている。
建御名方神は神(みわ)氏の祖先とされており、神氏の後裔である諏訪氏はじめ保科氏など諏訪神党の氏神でもある。
[編集] 脚注
- ^ 鈴鹿千代乃・西沢形一『お諏訪さま 祭りと信仰』勉誠出版(2004年5月10日)ISBN 4-585-05130-9

