日本とイランの関係

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日本とイランの関係
イランと日本の位置を示した地図

イラン

日本

日本とイランの関係とは日本イラン外交関係であり、公式に樹立されたのは1926年であった[1]。歴史を通して両国は比較的友好的かつ強く戦略的な関係を維持してきた。

歴史[編集]

1878年ロシア帝国に向かった日本の使節、榎本武揚サンクトペテルブルクでペルシャの国王ナーセロッディーン・シャーと公式に謁見した。しかしながら公式な外交関係は1926年まで樹立されなかった。日本とイランの友好条約が調印されたのは1939年であり、誠実な関係は1942年まで維持された。連合国の圧力により、イランは1945年3月に日本に宣戦布告した。公式な外交関係が復活したのはサンフランシスコ講和条約が調印された後の1953年だった[2]

1953年、日章丸事件が起こる。この事件が、イラン人が親日的である理由の一つと指摘されることがある。

日本のイランとの外交政策と投資は、歴史的に安全が保障されたエネルギーの供給への要望に著しく影響されていた。イランはサウジアラビアアラブ首長国連邦に続いて三番目に大きな日本への石油供給国なのである[3]。1974年に日本とイランはビザ免除の観光協定に調印したが、この協定は1992年4月に不法滞在の在日イラン人の増加を理由に終焉した[4]。また、日本とイランはアフガニスタン再建やイスラエル=パレスチナ紛争などの中東の地域的な外交関係において協調している[5]2004年から日本はイラン最大のアーザーデガーン油田の開発事業を行っている[6]。 日本とイランの貿易収支はイランに重大な比重があり、日本は自動車や電気製品、重要な石油製品や石油化学製品を輸出している。

イランの大統領のモハンマド・ハータミー2000年10月に日本を訪問した。

2010年2月23日、イランのアリー・ラーリージャーニー国会議長が衆議院の招待で来日した[7]。議長は、同月24日に岡田克也外務大臣と会談[8]し、同月27日には長崎市を初めて訪れ、長崎原爆資料館を見学した。議長は記者団に「世界に一つでも原爆が存在すれば人類への脅威だ。人々は、核のない世界に向けて立ち上がるべきだ」と感想を述べた。見学後、田上富久長崎市長らと共に、資料館近くの爆心地公園にある原爆落下中心地碑に献花した[7]

2011年12月9日、日本は「国際連合安全保障理事会決議第1929号の履行に付随する措置の対象の追加について」に基づき、イランの原子力開発に関わる銀行3行(累次の決議及び昨年の付随措置との合計20行)、銀行以外の者106団体・1個人(累次の決議及び昨年の付随措置との合計267団体・66個人)に対する支払等及び指定された者との間の資本取引等を許可制とし、銀行とのコルレス関係を停止した。また、金融活動作業部会(FATF)の声明を受け、金融機関等に対し、顧客の本人確認義務、疑わしい取引の届出義務及び外国為替取引に係る通知義務の履行を徹底するよう要請した。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Japan-Iran relations”. Ministry of Foreign Affairs, Japan (2007年7月). 2007年8月7日閲覧。
  2. ^ Kodansha Encyclopedia of Japan, pp.623
  3. ^ “Japan Strives to Balance Energy Needs with World Politics”. Wharton School of Business, University of Pennsylvania. (2006年11月26日). http://knowledge.wharton.upenn.edu/article.cfm?articleid=1615&CFID=32052905&CFTOKEN=39775290&jsessionid=9a30d4c02e6c7831342b 2007年8月8日閲覧。 
  4. ^ “Chapter III, Section 6: The Middle East”. Diplomatic Bluebook: Japan's Diplomatic Activities. Ministry of Foreign Affairs, Japan. (1992). http://www.mofa.jp/policy/other/bluebook/1992/1992-3-6.htm 2007年8月7日閲覧。 
  5. ^ “Iran, Japan Ready to Cooperate in Afghan, Palestinian Issues”. People's Daily. (2002年5月5日). http://english.peopledaily.com.cn/200205/05/eng20020505_95173.shtml 2007年8月7日閲覧。 
  6. ^ “Japan ready for talks with Iran on lucrative Azadegan oil venture”. Islamic Republic News Agency. (2006年9月15日). http://www.irna.ir/en/news/view/line-18/0609159288125734.htm 2007年8月7日閲覧。 
  7. ^ a b “「原爆は脅威」イラン議長が長崎訪問”. MSN産経ニュース(産経新聞). (2010年2月27日). http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100227/plc1002271335002-n1.htm 2010年3月8日閲覧。 
  8. ^ “岡田氏「制裁決議採択なら従う」 イラン議長と会談”. 47NEWS(共同通信). (2010年2月24日). http://www.47news.jp/CN/201002/CN2010022401000982.html 2010年3月8日閲覧。